このページは、2019年3月に保存されたアーカイブです。最新の内容ではない場合がありますのでご注意ください

私の旅日記2010年

若宮八幡宮〜芭蕉の句碑〜
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常陸太田市宮本町の高台に若宮八幡宮がある。


舞鶴城二の丸の跡地である。

 応永元年(1394年)、佐竹氏十三代義仁が鎌倉の 鶴岡八幡宮 の分霊を舞鶴城中に奉るようになったのが始まりと言われている。

樹齢500年の大ケヤキ


茨城県指定文化財である。

若宮八幡宮


境内に天満宮がある。


八幡太郎 義家 が奥州遠征の時武運を祈って勧請したと伝えられる。

常陸太田市木崎二町の 梅照院 から移されたとされる。

公孫樹の黄葉


若宮八幡宮の駐車場に 芭蕉の句碑 があった。


子規招久可麦能武ら尾花

出典は 俳諧おくれ双六』 (清風編)。

延宝9年(1681年)、芭蕉38歳の句。

明治27年(1894年)、芭蕉二百回忌に六世尾花庵沼尻可昇建立。

 尾花庵は小沢芝六を開祖として、麦の走り穂とほととぎすの絵に「郭公まねくか麦のむら尾花 はせを」と自画自賛した文台を相伝していた。

碑の裏に可昇の句が刻まれている。

親しみの風には深き尾花哉

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