このページは、2019年3月に保存されたアーカイブです。最新の内容ではない場合がありますのでご注意ください
芭蕉の句碑
不由こ毛李末多与里曽和む古乃波志良
常陸太田市木崎二町に梅照院という寺がある。
白鳥山北野寺
梅照院は
真言宗豊山派
の寺院で白鳥山北野寺と号す。平安時代の開創で梅龍院といい額田(那珂市)にあったが、寛正2年(1461年)太田下井戸へ、その後明和4年(1767年)にこの地木崎に移った。
旧は、
行基菩薩
作といわれる十一面観音を本尊とし、八幡太郎
義家
が奥州遠征の時武運を祈って勧請したと伝えられる天満宮も存在した。幕末の天保14年(1843年)水戸藩の廃仏毀稀釈により梅照院は廃寺となり、本尊と本堂である観音堂はその時失われたが、天満宮はその後
若宮八幡宮
に移されたとされる。
梅照院の境内に芭蕉の句碑があった。
不由こ毛李末多与里曽和む古乃波志良
出典は
『阿羅野』
。
元禄元年(1688年)冬、芭蕉45歳の句。
益光宛書簡(元禄元年12月3日)、尚白宛書簡(元禄元年12月5日)に見える。
元禄元年(1688年)秋、芭蕉は
『更科紀行』
の旅から江戸に戻り、深川の
芭蕉庵
で冬を迎える。
『翁草』(里圃編)に「
昔此柱にゐかくれて、茶をあまなひし帋ぎぬの姿みるがごとくにて
」と書かれている。
天明3年(1783年)10月、芭蕉九十周忌に吾々庵社中建立。小澤芝六九郎兵衛書。
宝暦13年(1763年)8月、小澤九郎兵衛は大田村の庄屋となる。46歳の時である。
吾々庵山東は芝六の養嗣子である。
安永8年(1779年)5月14日、小澤芝六没。
天明3年(1783年)は芝六の五回忌にあたる。
芭蕉の句碑
に戻る
このページは、2019年3月に保存されたアーカイブです。最新の内容ではない場合がありますのでご注意ください