このページは、2019年3月に保存されたアーカイブです。最新の内容ではない場合がありますのでご注意ください
街 道
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東海道
東海道
石部本陣跡
湖南市石部中央3丁目に「
東海道石部宿
石部本陣跡」があった。
「
東海道石部宿
石部本陣跡」
東海道五十三次
石部宿
小島本陣跡
石部宿には幕府直轄と膳所藩直轄の2つの本陣が置かれ、全盛期には216軒の商家や62軒の旅籠が並び、
東海道
51番目の宿場町として栄えました。数多くの大名や明治天皇なども宿泊した小島本陣は慶安3年(1650年)に創建されましたが、
膳所
藩主本多俊次、康将2代に対する小島氏の顕著な奉公により承応元年(1652年)本陣職を許されました。
湖南市観光協会
左が「明治天皇聖蹟」石碑。
延宝7年(1679年)6月12日、
下里知足
は有馬温泉に向かう途中で石部宿に泊まる。
六月十二日 照 石部ニ泊ル。かごノものくわな左衛門、佐次兵衛明日大津よりもどし申候。矢橋船ニ乗。
『千代倉家日記抄』(知足日記)
貞亨3年(1686年)8月、
去来
は妹千子を伴い伊勢に向かう途中で石部宿に泊まった。
日高く石部にとまりて足あらい物くいなどしけれど夜はまだ戌にみたず
秋の夜もねたらぬ旅のやどり哉
去来
千子はじめて父母の国にわかれ来ぬる憐も大かたならねどもとかく言紛らかしつゝ
長き夜も旅草臥にねられけり
千子
『伊勢紀行』
嘉永4年(1851年)3月22日、吉田松陰は藩主に従って江戸に向かう途中、石部に泊まる。22日、横田川の大水で石部に留まる。
石部に宿す。凡そ十里。夜間甚雨、曉に至りて乃ち歇
(や)
む。
『東遊日記』
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