このページは、2019年3月に保存されたアーカイブです。最新の内容ではない場合がありますのでご注意ください
私の旅日記
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2008年
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鴫立庵
〜遊行柳子碑〜
大磯町の国道1号沿い鴫立沢に鴫立庵がある。
鴫立庵
鴫立庵は茅葺屋根の葺き替え工事のため平成19年12月29日から休庵していたが、平成20年2月9日から再開したので
再び
行ってみた。
円位堂(西行堂)
扁額は
山本龍斎
書。
持ふるす杖のひかりや西行忌
立砂
『
俳諧
五十三駅』
文覚上人作と伝えられる西行旅姿の像を安置する。
文覚上人は平安末期・鎌倉初期の真言宗の僧。俗名は遠藤盛遠。もと北面の武士で、誤って袈裟御前を殺して出家した。
西行旅姿の像
元禄11年(1698年)6月11日、
岩田涼莵
は鴫立庵で西行の像を見ている。
西行上人の像を拜す。
水賣も只にはあらじ檜かさ
『皮籠摺』
寛政7年(1795年)2月、西上人六百遠忌正当法要。
『衣更着集』
(葛三編)刊。
享和元年(1801年)2月28日、大田南畝は大坂銅座に赴任する旅で西行の像を見ている。
橋をわたりて、かの三千風がいとなみしといふ鴫立庵にいり、西行法師の像をみる。
『改元紀行』
法虎堂
虎御前の木像が安置されている。
虎御前は大磯の遊女。
仇討ちで有名な曽我兄弟の兄十郎祐成の恋人で、のち出家したという。
法虎堂の片隅に草に埋もれるように「遊行柳枝碑」があった。
上部は欠損。
下毛國芦野郷
遊行柳枝
宝暦中、鳥老師山鯉房を携へ、奥羽行李の戻り、そこの田畔に立寄り、其繊枝を手折り、笠の端に挿み、武中栗橋駅愛弟梅沢氏素人氏か窓外に刺す。今一庭を蔽て八九間空に知られぬ雨を見る。同州八王子の郷執友窪田氏古由君其一朶を懇に乞覓
(もと)
め、園裡に養ひ給ふ。此時亭々として舎蓋に彷彿たり。ことし明和五戊子の春正月望の日、志村氏□橋君又其梢をみつから折て、一章を添らる。是を榎本氏の室女
星布
平願をもつて鳥老師に送るを爰の沢辺に移す。
武都松露庵 侍瓶 昨烏題
似た僧のけふも立寄る柳哉
鳥酔
「昨烏」は
加舎白雄
の前号。
上部欠損部に「
車銘
田一枚植へて立去る柳哉
」が刻まれていたそうだ。
地福寺
へ。
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