このページは、2019年3月に保存されたアーカイブです。最新の内容ではない場合がありますのでご注意ください

芭蕉の句碑

『奥の細道』   〜東北〜


風の香も南に近し最上川

新庄市本町に市民プラザがある。


市民プラザに芭蕉の句碑があった。


風の香も南に近し最上川

盛信亭の「風の香」三つ物である。

   盛信亭

風の香も南に近し最上川
   翁

   
 小家の軒を洗ふ夕立
   柳風

物もなく麓は霧に埋て
   木端


 元禄2年(1689年)6月1日(陽暦7月17日)、芭蕉は 大石田 から新庄の澁谷甚兵衛 風流亭 を訪ねた。翌2日、甚兵衛の兄澁谷九郎兵衛盛信の家に招かれて句会を催した。

二日 昼過より九郎兵衛へ被招。彼是、歌仙一巻有。盛信。息、塘夕、渋谷仁兵衛、柳風共。孤松、加藤四良兵衛。如流、今藤彦兵衛。木端、小村善衛門。風流、渋谷甚兵へ。

『曽良随行日記』

   新 庄

御尋に我宿せばし破れ蚊や
   風流

はじめてかほる風の薰物
   芭蕉

菊作り鍬に薄を折添て
   孤松

霧立かくす虹のもとすゑ
    ソラ

そゞろ成月に二里隔けり
   柳風

馬市くれて駒むかへせん
   筆


6月3日、芭蕉は 本合海 から最上川を下り、羽黒山に向かった。

 平成元年(1989年)、新庄市が「おくのほそ道」紀行300年を記念して句碑を建立。

澁谷道氏揮毫。澁谷盛信のご子息。

渋谷盛信亭跡は風流亭の筋向にあるそうだ。

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