このページは、2019年3月に保存されたアーカイブです。最新の内容ではない場合がありますのでご注意ください
私の旅日記
芳野旅館
〜与謝野晶子の歌碑〜
人吉市上青井町に
「芳野旅館」
(HP)がある。
国登録有形文化財
である。
芳野旅館は、初代館主田口豊吉氏が妻(人吉相良藩の御典医の娘)の実家を増改築し、明治42年6月に料亭「吉野本店」を創業したことが始まりである。
各客室の造りは川舟や水車の古材を転用し、竹や自然木を巧みに用いるなど数寄屋風の風情ある造りになっている。また、建物群が中庭を囲むように建ち、温泉旅館の風情を醸し出している。
昭和5年(1930年)9月16日、
山頭火
は人吉町を行乞。料亭「吉野」の若女将が報謝してくれたそうだ。
九月十六日 曇、時雨、人吉町行乞、宮川屋(三五・上)
けふもよく辛抱した、行乞相は悪くなかつたけれど、それでも時々ひつかゝつた、腹は立てないけれど不快な事実に出くわした。
人吉で多いのは、宿屋、料理屋、飲食店、至るところ売春婦らしい女を見出す、どれもオツペシヤンだ、でもさういふ彼女らが普通の人々よりも報謝してくれる、私は白粉焼けのした、寝乱れた彼女からありがたく一銭銅貨をいたゞきつゝ、彼女らの幸福を祈らずにはゐられなかつた、——不幸な君たち、早く好きな男といつしよになつて生の楽しみを味はひたまへ!
(中 略)
二三句出来た、多少今までのそれらとは異色があるやうにも思ふ、自惚かも知れないが。——
・かなかなないてひとりである
一すぢの水をひき一つ家の秋
・
焼き捨てゝ日記の灰のこれだけか
『行乞記(一)』
与謝野晶子の歌碑
撥早く六調子出づ球磨川の画舫を借りて月にあそぶ夜
「草と刀光」収録の歌である。
芳野旅館三代館主田口善胤を偲び
与謝野晶子の歌碑を建立します
書 坂本福治先生
平成20年8月
芳野旅館女将田口妙子
(芳野旅館概略)
芳野旅館は大正2年正月、人吉藩相良氏の御典医安藤家のお屋敷跡を料亭として創業いたしました。中庭は
人吉城
の庭を造った同門の庭師の作と伝わっています。
与謝野鉄幹・晶子
夫妻が人吉来訪された昭和7年の頃料亭吉野は歌碑の歌にある様な三味太鼓の賑わいでした。
日帰り入浴は13:00から。
まだ昼前なので、あきらめた。
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