このページは、2019年3月に保存されたアーカイブです。最新の内容ではない場合がありますのでご注意ください

私の旅日記2015年

一乗寺下り松〜蕪村の句碑〜
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 白川通りの「一乗寺下り松町」下車。 詩仙堂 に向うと、四つ辻の角に一乗寺下り松がある。


一乗寺下り松


 ここは近江(現在の滋賀県)から比叡山を経て京に通じる平安時代からの交通の要衝で、この松は古くから旅人の目印として植え継がれ、現在の松は四代目に当たる。

 江戸時代はじめ、この地で、剣客・宮本武蔵が吉岡一門数十人と決闘を行った伝説が有名で、ここから東に約300mの所にある八大神社の境内に、決闘を見下ろしたという初代の松の古株が保存されている。武蔵は決闘に向かう途中、同神社で神頼みをすることを思い立ったが、神仏に頼ろうとした自分の弱さに気付き、寸前でやめたという話もある。

 平安中期から中世にかけ、この辺りにあった一乗寺という天台宗の寺が、地名の由来となったが、南北朝の動乱以降に衰えて廃絶した。

 傍らの記念碑は、大正10年(1921年)に広島県呉の剣士・堀正平氏により建立されたものである。

京都市

向かいに 金福寺 の道標があった。


右 蕪村翁再興芭蕉庵 金福寺

右側面に蕪村の句が刻まれている。

耳目肺腸こゝに玉巻はせを庵

蕪村 の句碑なのである。

大正14年(1925年)春、三宅安兵衛建立。

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