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私の旅日記2012年

阿弥陀寺〜織田信長公本廟〜
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京都市上京区寺町通今出川上る2丁目鶴山町に阿弥陀寺という寺がある。


阿弥陀寺山門


 蓮台山と号する 浄土宗 の寺院で、本尊は丈六の阿弥陀如来である。当寺は天文年間(1532〜1554)、清玉上人の開創になり、当初は西ノ京蓮台野芝薬師西町(現在の今出川大宮東)に八町四方の境内と塔頭11ケ寺を構えていた。また当時、正親町天皇は清玉上人に深く帰依し、東大寺大仏殿の勧進職を命じるとともに、当寺を勅願所とされた。

 清玉上人は織田家と深い親交があり、天正10年(1582年)6月2日の本能寺の変の折、本能寺等にかけつけ、 織田信長 、信忠父子及び家臣百有余名の遺骸を当寺に埋葬したといわれる。

 本堂には織田信長、信忠父子の木像等が安置され、墓地には信長、信忠や本能寺の変討死衆の墓、儒者皆川淇園、俳人蝶夢の墓等がある。京都四十八願寺巡拝の16番札所でもある当寺は、天正15年(1587年)、蓮台野からこの地に移され、現在に至っている。

京都市

蓮台山阿弥陀寺


境内に芭蕉の句碑があった。


春立や新年ふるき米五升

出典は真蹟短冊。

貞享元年(1684年)、芭蕉41歳の句である。

『泊船集』 には「新年ふるし」とある。

『鵲尾冠』 には「似合はしや」とある。

 此句、師の曰「「似合しや」とはじめ上五文字あり。口惜事也」といへり。其後は「春立や」と直りて短冊にも残り侍る也。

『三冊子』 (土芳著)

『芭蕉句解』 には「似合しや新年瓢米五升」とある。

  『諸国翁墳記』 に「京寺町通今出川上ル三丁目阿弥陀寺山内 蝶夢師碑並建 五升菴叟建之」とある。

蝶夢幻阿の句碑もあった。


我寺の鐘とおもはず夕霞

『古今句集』 には「其寺の」とある。

蝶夢 は阿弥陀寺の塔頭帰白院の住職で、五升庵と号した。

文化11年(1814年)11月、 五升菴瓦全 建立。

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