このページは、2019年3月に保存されたアーカイブです。最新の内容ではない場合がありますのでご注意ください

私の旅日記2008年

長谷観音堂〜宮本虎杖〜
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戸倉上山田温泉 から県道77号長野上田線を行く。

長野市篠ノ井塩崎長谷に長谷寺がある。


金峯山(こんぽうざん)長谷寺


真言宗智山派 の寺院である。

信濃三十三観音霊場 18番札所である。

明和8年(1771年)2月、 加舎白雄 は長谷寺に俳額を奉納。

境内に虎杖塚があった。


裏面に虎杖の句が刻まれている。

観音に誓つて花に死んかな

 文化7年(1810年)春、虎杖古稀の年に長谷寺二十七世超悟が発起人となって建立。

超悟は梨翁の遺言により天姥の号を与えられた。

はつゆきにほろりとなみだこぼれけり   信長谷山主超悟更天姥

長谷観音堂


正徳3年(1713年)再建。

長谷観音堂に宮本虎杖選者の俳額がある。


奉納 四季雑詠

如在するこゝろなくても二月哉
   近嶺
   文鳴
鳥の巣にとりのおらぬも春ぞかし
    葛三
寒菊を大せつ過(ぎ)て折(ら)れけり
    鳳秋
むら雨や雁の行方ハ夜明かね
    蕉山
桜さいて夜も大事になりにけり
    兄次
艸々の名もつけられぬ二月かな
   超悟
夜桜や世にあるものゝ迎馬
    虎杖

   文化七歳
      庚午

鳳秋は虎杖の後妻。寛政7年(1795年)、蕉山を生む。

蕉山は虎杖の子。後の舟山。

「虎杖塚」建立記念の俳額である。

文化11年(1814年)、葛三選句の俳額を長谷観音堂に奉納。

人恋しさくらに桜かけるやま
   山主超悟
   ○
山ざくら日のくれてから見つけたり
   庵中武曰
うめが香やちいさき家もあれバある
    鳳秋
うぐひすの声のはづみや藪はなれ
    八郎
はつ雪やまたせて置いた甲斐のある
    雉啄
   ○
菜の花を嗅ハ梅津の月恋し
    三千彦
我ための夜々の柱や高燈籠
   亡人 長翠
うめ咲(い)てかくれきられぬいほりかな
    梨翁
   ○
今朝ハはや嬉しげにちるさくらかな
   虎杖庵葛三

文化11年(1814年)、奉納の俳額。

こゝろにもまかせぬ花の遠きかな
   天姥梨翁

文政10年(1827年)、奉納の俳額

身の上を吹くともしらず秋の風
   天姥
我乞食せんことしの二百十日かな
   八郎

大和鎌倉 ・信濃の三大長谷寺のひとつ。

昭和20年(1945年)9月23日、 高浜虚子 は長谷寺を訪れた。

 姨捨といふ所は今の 姨捨驛のところ ではなく、隣りの驛の稲荷山で降りて鹽崎村といふ所にある長谷寺であるといふ説もあるさうである。此長谷寺といふのは大和・鎌倉と共に日本三長谷寺の一つであるとのことで、其所の住職といふ人の誘へるまゝに行く。

(昭和20年11月『ホトトギス』)

長谷観音堂から善光寺平を見下ろす。


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