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私の旅日記
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2013年
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「火山峠芭蕉の松」
〜芭蕉の句碑
伊那
から県道18号伊那生田飯田線(伊那街道)で火山峠を越えると、駒ヶ根市。
「火山峠芭蕉の松」に芭蕉の句碑があった。
松茸やしらぬ木の葉のへはりつき
出典は『芭蕉翁俳諧集』(
蝶夢
幻阿弥陀仏編)。
天明6年(1786年)、刊。
元禄4年(1691年)の句。
『続猿蓑』
には「へばりつく」とある。
元禄7年(1694年)9月4日、この句を発句にして伊賀で歌仙が巻かれた。
松茸やしらぬ木の葉のへばりつき
翁
秋の日和は霜でかたまる
文代
宵の月河原の道を中程に
支考
ことしはきけて里の売家
雪芝
芭蕉の句碑の右手に井上井月の句碑があった。
闇き夜も花の明りや西の旅
明治20年(1887年)、井上井月は火山峠で行倒れ、伊那市美篶で亡くなったそうだ。66歳の時である。
「火山峠芭蕉の松」
駒ヶ根市指定天然記念物第2号
火山峠芭蕉の松
芭蕉の松は、直径1m余、樹高約11m、枝張り約15mを有するアカマツで、火山峠を往来する人々に古くから親しまれた名木である。根元に芭蕉の句碑が建ててあることから、この呼び名がある。
碑文
松茸や志良
(しら)
ぬ木乃葉能
(の)
遍
(へ)
はり都支
(つき)
者せ越
人呼んで「芭蕉の松」といっている。
この句碑は、この付近一帯が松茸の名産地であるところから、芭蕉の句の中よりこの地にちなんだものを選んで、俳人井月の門人たちが建立したものである。筆字は火山の俳人下平敬蔵氏が書き、石工はその兄の下平久平氏であるといわれ、明治2、3年頃の建立とされている。
また昭和62年には井月百年祭駒ヶ根市実行委員会により、
井上井月
の句碑が並んで建てられた。
碑文
井月終焉の道
闇幾
(き)
夜毛
(も)
花能
(の)
明りや西乃旅 井月
駒ヶ根市教育委員会
今でも松茸の名産地なのだろうか。
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