このページは、2019年3月に保存されたアーカイブです。最新の内容ではない場合がありますのでご注意ください
私の旅日記
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2008年
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穂高神社
〜碑巡り〜
白馬八方温泉
から国道148号、大町から国道147号で穂高へ。
JR大糸線穂高駅の前に
穂高神社
(HP)があった。
穂高神社
穂高神社は
延喜式内社
。
御祭神は穂高見命。
明治42年(1909年)5月18日、河東碧梧桐は穂高神社に参詣した。
五月十八日。晴。
南安曇郡の穂高神社というのは、縁起の最も古い、松本平ら六万石の領地の一の宮と言われておった。穂高見命、綿津見神、瓊瓊杵神の三柱を祀るという。二十一年目ごとに一柱の神の遷宮祭がある。きのう、きょう、あすの三日がその二十一年目の祭の日であるというので、長野からの帰途明科に下車して、奇峯氏に迎えられ、一里の道を歩して、近郷近在の人の雑閙
(ざつとう)
する中を参詣した。
『続三千里』
拝殿は工事中。
穂高神社若宮西の欅
樹齢500年を越えている老木で、安曇野市指定文化財。
昭和45年(1970年)5月、
川端康成
、井上靖、東山魁夷がそれぞれ夫婦お揃いで参拝したそうだ。
釈迢空(折口信夫)の歌碑
もの具さ太郎このよ悲はや久ね布る良志あづみの大野こほ里そめつゝ
桃青靈神
の碑があった。
桃青靈神
「桃青霊神」は芭蕉の神霊。
寛政3年(1791年)、神祇伯白川家から「青桃霊神」の神号が授けられた。
文政6年(1823年)、臥明樓弘龍建立。
左に芭蕉の句「
雪散るや穗屋の芒の刈殘し
」。
出典は
『猿蓑』
。元禄3年(1690年)、芭蕉48歳の時の句。
前書きに「
信濃路を過ぐるに
」とあるが、元禄3年(1690年)に芭蕉は信濃路を旅してはいない。
右に弘龍の句「
穗薄に高く葺けるや大宮居
」。
『諸国翁墳記』
に「
翁 塚 信州有明山の麓建之 臥明樓弘龍
」とある。
信州有明山は安曇野の山。
芭蕉の句碑
木かくれて茶摘も聞くや杜宇
元禄7年(1694年)夏、芭蕉庵で詠まれた句。
同年
5月13日、芭蕉は江戸を発って上方へ最後の旅する。
10月12日、大坂
南御堂
前花屋仁右衛門宅で死去。
明治22年(1889年)4月、芭蕉二百回忌に句碑建立。
2005年10月1日、南安曇郡豊科町・穂高町・三郷村・堀金村と東筑摩郡明科町が合併して、安曇野市が誕生した。
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