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私の旅日記
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2009年
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真楽寺
〜三重塔〜
県道80号小諸軽井沢線は旧北国街道。
北佐久郡御代田町塩野に真楽寺という寺がある。
真楽寺仁王門
御代田町指定有形文化財
金剛力士像には安永2年(1395年)の紀年銘があるそうだ。
参道の先の石段を登ると、観音堂がある。
寛文5年(1665年)、建立。
観音堂の右手に芭蕉の句碑があった。
むすふよりはや齒にひゝく清水哉
出典は
『
俳諧
一葉集』
。
『新撰都曲
(みやこぶり)
』(言水編)には「泉かな」とある。
貞亨年間(1684〜88)、芭蕉41歳〜44歳頃までの句ということだが、年次不明。
天保14年(1843年)10月12日、芭蕉百五十回忌に
小林葛古
建立。
葛古は
小諸
の俳人小林四郎左衛門。
倉田葛三
の門人。
『諸国翁墳記』
に「
清水塚 信刕淺間山真樂寺内同國佐久郡八満村 北林葛古建之
」とある。
神代杉
樹齢千年あまりといわれるそうだ。
三重塔
寛延4年(1751年)、建立。
慶長18年(1613年)、焼失。
その後、再建。
御代田町指定有形文化財
郡内では、臼田町新海山社、佐久市
貞祥寺
の三重塔とともに代表的な建造物である。
浅真山真楽寺
真言宗智山派
の寺である。
大淀三千風の歌碑があった。
淺間山あさく見るへき煙かは吾身も終の空にくゆれは
貞亨3年(1686年)4月8日、
大淀三千風
は真楽寺を訪れている。
かくて上田海野小諸鹽野につく。明れは卯月八月八日會日なれは、みちづれあまたあり。さしも名高き淺間の嵩、天狗山、無間澤などたどりて、禅頂煙洞の内輪まで四里半。於
(あゝ)
雲のかけはし、煙のちまた、膽をひやし、人々逃まろぶ。漸々麓に下向して、大沼山眞樂寺に淺間記一軸を殘す。略。
『日本行脚文集』(巻之六)
天保11年(1840年)5月25日、田川鳳郎を訪れている。
廿五日。帰路浅間根に添ふて追分へ出。此筋ハ延喜の朝の古道とかや。浅間別当真楽寺に詣、院主出迎しばらく休息してかたらふ。
『続となみやま』
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