このページは、2019年3月に保存されたアーカイブです。最新の内容ではない場合がありますのでご注意ください
私の旅日記
〜
2008年
〜
戸倉町柳澤神社
〜虎杖庵夜燈〜
信濃国分寺
から国道18号(北国街道)を行き、戸倉へ。
しなの鉄道戸倉駅の裏側に柳澤神社がある。
柳澤神社
戸倉町柳澤神社の氏子は敬神の念篤く、往古僻遠の信濃の国より京都伏見稲荷大神を勧請、更に天保6年(1835年)神祇道管領卜部朝臣良長より柳澤神社の社号を允許された。
一族の総本家は古くから下戸倉村の本陣を勤め、文化7年(1810年)儀右衛門久忠は苗字帯刀を、嘉一郎義弘は明治11年(1878年)秋の御巡幸の砌、行在所奉仕の光栄に浴している。
柳澤神社右手の奥に
虎杖庵
墓碑がある。
右手が虎杖と鳳秋の宝篋印塔、辞世の句が刻まれている。
花の願ひ花野の露となる身かな
梨翁
ものとはん人は師にあり閑古鳥
鳳秋
左手が舟山としげ女の宝篋印塔、辞世の句が刻まれている。
立帰る花やころもの鼠色
舟山
散花の重ミをしるや草の上
しげ女
文政7年(1824年)5月、
川村碩布
は「善光寺詣」の旅で
虎杖庵
を訪れ、虎杖の墓に参る。
坂木の宿くねり過て漸雨紅か軒を見出しぬ、十六夜塚を拝し姨捨山を栞に虎杖庵に着、先梨翁の墓に香をひねりて
螢火も田に呼水も手向哉
『善光寺詣』
墓碑の前に虎杖庵夜燈があった。
虎杖庵墓碑の前にある石燈籠2基は、俳人虎杖庵祖梨翁および三世舟山の門人達が、宗匠の生前の徳を慕って建立したものである。
向って右の奉献した石燈籠は梨翁のもので、その刻銘に「天誉前燈明・文政十丁亥冬十一月・世話当村方水刈屋原百河・四方俳連建之」
舟山の刻銘は「亀誉前燈明・天保十三壬寅七月・世話金翠文雪・当所俳連建之」
平成15年(2003年)9月1日、戸倉町は更埴市、上山田町と合併し、千曲市となった。
戸倉自在神社
へ。
私の旅日記
〜
2008年
〜に戻る
このページは、2019年3月に保存されたアーカイブです。最新の内容ではない場合がありますのでご注意ください