このページは、2019年3月に保存されたアーカイブです。最新の内容ではない場合がありますのでご注意ください
私の旅日記
〜
2011年
〜
吉備津彦神社
〜高浜虚子の句碑〜
岡山市北区一宮に
吉備津彦神社
(HP)がある。
備前国
一宮
である。
夏至の日の出には太陽が正面鳥居の真正面から昇り神殿の御鏡に入ることから「朝日の宮」とも称されてきたそうだ。
本殿
主祭神は大吉備津彦命。
寛文8年(1668年)、岡山藩主池田光政公が造営に着手し、元禄10年(1697年)その子綱政公の時に完成。
貞亨元年(1684年)5月、大淀三千風は吉備津彦神社を訪れている。
○今日しも備中吉備の中山見て來よ。いとけちくなんときゝし。吉備津彦社。いとりうぐしく。細谷川。有木の別所。かの劍を植し所を見て
くちぬ名のまかね吹てふ山陰にそのおもかげのけふりたつみゆ
『日本行脚文集』(巻之三)
明和元年(1764年)8月、
多賀庵風律
は東国行脚の途上吉備津彦に参詣。
爰を過て吉備の中山あり麓に吉備津宮立せ給ふ備前の吉備の宮もあり社地並ふに似たりいつれも大壮観也
『紙魚日記』
文化2年(1805年)10月26日、大田南畝は長崎から江戸に向かう途中で吉備津彦神社を訪れている。
又右に大なる石の鳥居ありて宮居うるはしくみゆ、これ備前の一の宮なりと云。左に石表あり、自是東備前岡山とゑれり。一の宮に池あり。中島あり。社あり。石坂の上に山門あり。門前の人家をへて石橋をわたり、田間に出れば川あり、早川と云。
『小春紀行』
吉備津彦神社の前に
高浜虚子の句碑
があった。
遠山に日の当りたる枯野哉
明治33年11月25日、虚子庵例会での作。道後の山を眺めて詠んだものであるが、ここ鶴島から観る吉備中山の眺めがこの句に相応しいとされ、昭和32年一宮俳句会により建立されたものです。虚子の直筆であり、筆跡は岡山県立博物館に保管されています。
高浜年尾・稲畑汀子・稲畑廣太郎の句碑もあった。
秋風や竹林一幹より動く
年尾
水音のかすかにありて涼しさよ
汀子
囀に囀重ね神の杜
廣太郎
高浜年尾
は虚子の長男、稲畑汀子は孫、稲畑廣太郎は曾孫。
「私の旅日記」
〜
2011年
に戻る
このページは、2019年3月に保存されたアーカイブです。最新の内容ではない場合がありますのでご注意ください