このページは、2019年3月に保存されたアーカイブです。最新の内容ではない場合がありますのでご注意ください
翁 塚
猿蓑塚
〜宮崎神宮〜
宮崎市神宮に
宮崎神宮
(HP)がある。
宮崎神宮参道
明治43年(1910年)6月17日、
河東碧梧桐
は宮崎神宮に参詣した。
十七日、始めて宮崎宮に参った。神武天皇を祀ってある。社の建築には、木の国の日向でも殊に良材を選りに選ったとのことで、内外宮の檜材とは事かわって、杉の木目も正しく鮮やかであった。
『続三千里』
参道の右手に猿蓑塚があった。
猿蓑
とは芭蕉の高弟であった凡兆と去来が共同で編集した俳諧撰集で、俳諧七部集の第五部にあたり、元禄4年(1692年)に上梓された。芭蕉の「
初しぐれ猿も小蓑をほしげなり
」という句が立句に使用されているためこの名が付いた。猿蓑はその後俳諧を学ぶ者にとって良き指針となったが、文化7年(1811年)に宮崎江平町の太田芳竹が同士と相計りこの塚を建てた。塚の石は高岡町去川の自然石で、文字は芳竹の師であった京都の五升庵瓦全の筆である。
この塚は社殿東側の雑木林の中にあったものを俳句結社・椎の実がその創立53周年を記念して昭和53年10月に現在地に移転した。
宮崎神宮拝殿
御祭神は神日本磐余彦天皇
(かむやまといわれひこのすめらみこと)
。神武天皇である。
左の相殿に御父君鵜草葺不合尊
(うがやふきあえずのみこと)
、右の相殿に御母君玉依姫命
(たまよりひめ)
を祭る。
鵜草葺不合尊は
鵜戸神宮
の御祭神である。
大正10年(1921年)1月3日、
斎藤茂吉
は宮崎神宮参拝している。
一月二日。夜宮崎神田橋旅館、三日宮崎神宮 參拜
宮崎の神の社にまゐり來てわれうなねつく妻もろともに
神日本磐余彦の神の御光を源として永久に興らむ
『つゆじも』
昭和5年(1930年)9月27日、
種田山頭火
は宮崎神宮へ参詣している。
帰宿したのが四時、すぐに湯屋へ、それから酒屋へ、そしてぶらぶらと歩いて宮崎神宮へ参拝した、樹木が若くて社殿は大きくないけれど、簡素な日本趣味がありがたかつた。
『行乞記』(一)
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