このページは、2019年3月に保存されたアーカイブです。最新の内容ではない場合がありますのでご注意ください

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昔の温泉

犬吠埼温泉「海辺のくつろぎの宿ぎょうけい館」
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 「ぎょうけい館」は 「那須ビューホテル」「喜ら里(きらり) などと同じくビューホテルズの経営だが、昔から数多くの文人・画家に愛され老舗の宿。

 明治31年(1898年)4月2日、 島崎藤村 は銚子の 「大新」 に泊まり、翌日は雨の中を犬吠埼まで足を伸ばし、「暁鶏館」に宿を求めた。藤村は4日に「大新」に戻り、5日布佐に住む 柳田国男 を訪ねる。

 明治39年(1906年)8月20日、河東碧梧桐は暁鶏館に泊まる。

 暁鶏館の一番海に近い離れ座敷に陣取って、一週間の籠城をする心積りをした。風は灯を消して浪は窓に飛沫を打つ。よい避暑をするものである。

   静かさや燈台の灯と天の川


「ぎょうけい館」から見る犬吠埼


天気が良くないのは残念だ。

 大正元年(1912年)夏、 高村光太郎 は犬吠埼に遊び、智恵子と再会している。

 丁度明治大帝崩御の後、私は犬吠へ写生に出かけた。その時別の宿に彼女が妹さんと1人の親友と一緒にきてゐて又会った。後に彼女は私の宿へ来て滞在し、一緒に散歩したり食事したり写生したりした。

高村光太郎「智恵子の半生」

光太郎の宿が「暁鶏館」であったのだろう。

この年の9月、光太郎は「犬吠の太郎」と題する詩を作っている。

高村光太郎の「犬吠の太郎」


 大正8年(1919年)1月1日、 若山牧水 は犬吠埼の「暁鶏館」に着くと、奥さんに絵葉書を出している。

 いま到着、すてきなところだ、曇った空の下で大きな風が吹いて海がみな眞白だ、やれやれと思ひながらこれより大いに眠らむとぞ思ふ、

 昭和8年(1933年)3月、 水原秋桜子 は銚子に遊び、暁鶏館を訪れている。

   暁鶏館

とざしたる遅日の門の怒濤かな

『新樹』

 昭和49年(1974年)冬、愛新覚羅溥傑が「暁鶏館」を訪れ、色紙に詩を書き残している。


暁鶏一聲海天曙   碧波千頃畫圖中

暁鶏館題 溥傑

文字の配置が素晴らしい。

 「暁鶏館」の「暁鶏」を詠み込んだもの。ただし「鶏」の字は溥傑の書いた字体とは異なる。溥傑の書いた字体はインターネット上では表示できない。

 大正3年(1914年)3月16日、溥傑は嵯峨侯爵家の嵯峨実勝(さねとう)と尚子(ひさこ)の長女浩(ひろ)と結婚するが、浩(ひろ)の祖父濱口容所(ようしょ)は銚子でヤマサ醤油の販売を担当していた。

平成9年(1997年)、犬吠埼で温泉が掘り当てられた。


太平洋が展望できるお風呂である。

左に露天風呂がある。

夜、露天風呂で写真を撮ってみた。


源泉名は犬吠埼温泉黒潮の湯。

 泉質はナトリウム−塩化物強塩温泉(高張性・弱アルカリ性・低温泉)。泉温は27.3℃。

強塩温泉だから加水しているし、低温泉だから加温している。

掛け流しであるはずがない。

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