このページは、2019年3月に保存されたアーカイブです。最新の内容ではない場合がありますのでご注意ください
私の旅日記
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2011年
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野崎観音
〜芭蕉の句碑〜
大東市野崎2丁目に
慈眼寺
(HP)という寺がある。
慈眼寺の石段
慈眼寺は野崎観音として知られる。
天明4年(1784年)2月27日、
蝶夢
は野崎観音を訪れている。
野崎の観音堂は国ゆすりてまうづる寺なれば、堂のかまへきらめきたるに、庭に桜・山ぶきまじへて時えがほなり。
『道ゆきぶり』
慈眼寺の山門
お茶席「無庵」に芭蕉の句碑があった。
涅槃會や皺手合する數珠の音
出典は
『続猿蓑』
(沾圃編)。
元禄7年(1694年)、芭蕉51歳の時の句。
嘉永2年(1849年)、建立。
福聚山慈眼寺
曹洞宗
の寺である。
行基
が十一面観音像を刻み、この地に安置したのが始まりという。
東海林太郎「野崎小唄」でも知られている。
野崎参りは 屋形船でまいろ
どこを向いても 菜の花ざかり
粋な日傘にゃ 蝶々もとまる
呼んで見ようか 土手の人
本堂の裏山に慈母観音像がある。
芭蕉の句碑があった。
觀音のいらかみやりつ花の雲
出典は
『末若葉』
(其角編)。
貞亨3年(1686年)、芭蕉43歳の時の句。
芭蕉が病気で深川の
芭蕉庵
に寝ていた時に作ったという。
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