このページは、2019年3月に保存されたアーカイブです。最新の内容ではない場合がありますのでご注意ください

私の旅日記

鏡山神社〜碑巡り〜
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鏡山 に鏡山神社がある。

鏡山神社の入口に 山上憶良の歌碑 があった。


麻都良我多佐欲比賣能故何
比例布利斯夜麻能名乃尾夜
伎々都々遠良武

『万葉集』 (巻5)「山上臣憶良が松浦の歌三首」の1首目。

昭和60年(1985年)9月27日、松浦文化連盟建立。

「まつらがた さよひめのこが ひれふりし やまのなのみや ききつつをらむ」万葉集にのっている山上憶良の歌 揮毫は万葉学者で文学博士の犬養孝氏におねがいした。

鏡山神社


鏡山神社の前に 「五足の靴」 の碑があった。

 五足の靴が五個の人間を選んで運んで東京を出た。五個の人間は皆ふわふわとして落着かぬ仲間だ。彼等は面の皮も厚く無い、大膽でも無い。而も彼等をして少しく重味あり大量あるが如く見せしむるものは、その厚皮な、形の大きい五足の靴の御蔭だ。

九州旅行記「五足の靴」は「五人づれ」筆名で東京二六新聞に明治40年29回掲載された。

 明治40年(1907年)8月4日、与謝野寛、北原白秋、木下杢太郎、吉井勇、平野万里の5人は、 虹の松原 から領布振山に登る。

松原を突切ると領布振山(ひれふるやま)が見える。さほど高くない平(ひらた)い山である。天平の頃山上憶良が肥前の国司として不平で堪らず、この辺をぶらぶら歩いたのだと思ふと非常に面白い。迂廻して山の背面から登る。午後四時頃の日が斜にかんと照りつける。喘ぎ喘ぎ急阪を登ること暫くにして顧れば眼界頓に開け松浦川の流が絹のように光る。前には領巾振山が緑の肌に衣も掩はず横はり伏す。最も左峰の山頂に松が見える、そこで佐用姫が領巾を振つたのである。まだまだ高い。少憩して再び登る。薄紫の撫子がすくすく咲いてゐてそのかみの美(うる)はしき少女を忍べといふ。優しいことである。男連れなれど趣味を解すと自ら思へる者の一行である。各一莖を摘む。

「五足の靴」 (領布振山)

右に 與謝野寛 の歌碑。


波に聞く松かぜに聞く遠妻や

   けだし筑紫のわが旅を泣く

平成19年(2007年)5月、塩谷勝 松浦文化連盟建立。

明治40年の夏、與謝野寛は 北原白秋 、木下杢太郎、吉井勇、平野萬里とともに五足の靴の名で知られる旅の途上、ここ唐津の鏡山を訪れた。今般五足の靴百周年を迎えるにあたり、旅中で詠んだ1首を刻した歌碑を建立し、往時を追懐することとした。

左に平野萬里の詩碑。


   領巾振山

緑なす山の頂
しろたへの領巾ふる少女
ひらひらと空になびかひ
ひるがへる領巾こそ見ゆれ

平成19年(2007年)5月、萬里次男 平野千里 松浦文化連盟建立。

平野萬里は明治40年の夏、北原白秋、木下杢太郎、與謝野寛、吉井勇とともに、五足の靴の旅の途中、ここ唐津の鏡山を訪れ、いにしえの佐用姫を追憶して、領巾振山と題した詩を詠んだ。今般五足の靴百周年を迎えるにあたり、短歌会をはじめ、文学を愛する皆様の、ご理解とお力添えを得、詩の一節を刻した詩碑を建立して往時を追懐することとした。

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