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私の旅日記2008年

妻沼聖天山〜芭蕉の句碑〜
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 熊谷から国道407号で太田に向かうと、利根川の手前に 妻沼聖天山歓喜院 (HP)がある。


高野山真言宗 の準別格本山である。

 妻沼聖天山歓喜院は東京都台東区の本龍院(通称 待乳山聖天 )、奈良県生駒市の宝山寺(通称生駒聖天)とともに日本三大聖天のひとつに数えられるそうだ。

関東三十三観音第十六番である。

関東八十八ヵ所霊場 第88番札所である。

貴惣門


国指定重要文化財(平成14年5月23日指定)

貴惣門を入ると、斎藤別當實盛公の像があった。


平成8年(1996年)、建立。

 治承3年(1179年)、斎藤別当実盛公は武蔵国長井庄に大聖歓喜天を祀り、聖天宮を開いた。これが、妻沼聖天山の始まりである。

 寿永2年(1183年)、実盛は 篠原 で白髪を染めて戦い、華々しく散った。実盛が着用した兜は石川県小松市の 多太神社 にある。

 建久3年(1192年)、 源頼朝 は下野国に向かう途中、聖天宮に参詣。

 天保2年(1831年)10月12日、渡辺崋山は熊谷から妻沼へ。

 熊谷より妻沼まで凡三里、これハ利刀川にそひたる村なり。村家しげくたてゝ、駅めきたり。斎藤実盛の守本尊八聖天(ママ)の社あり。いと荘厳なり。酒店に飲す、此店吸ものハかも、うどんをうる。魚類愈すくなし。江戸より登る魚は熊谷此わたりをかぎるべし。

渡辺崋山 「毛武游記」

中門


妻沼町指定文化財(昭和37年8月30日指定)

聖天山最古の建造物だそうだ。

中門の右に「割烹千代桝」があった。


「割烹千代桝」は「残雪の家」。


千代桝(割烹)

残雪の家

文豪 田山花袋 残雪の舞台となる

仁王門


万治元年(1658年)の創立と伝えられているそうだ。

明治24年台風によって倒壊、同27年再建。

仁王門を入ると、左に大師堂がある。


平成7年(1995年)11月、建て替え。

本堂は平成15年(2003年)10月から保存修理の大工事中。

 本堂の右に文化9年(1812年)建立の芭蕉句碑があるはずだったが、見られなかった。

平成22年(2010年)完成予定。

仁王門の右にお祭り広場がある。

ブランコの裏に芭蕉の句碑があった。


古池や蛙飛込水の音

大正12年(1923年)、聖池庵西田建立。

お祭り広場の奥に平和の塔があった。


昭和33年(1958年)、建立。

本堂の裏にも芭蕉の句碑があった。


物言へは唇寒し秋の風

大正11年(1922年)6月、聖池庵西田建立。

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