このページは、2019年3月に保存されたアーカイブです。最新の内容ではない場合がありますのでご注意ください

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種田山頭火の句碑

ほつと月がある東京に来てゐる

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JR京浜東北線日暮里駅北口を出て御殿坂を上る。

御殿坂の北、荒川区側に 月見寺 (本行寺)がある。御殿坂の南は台東区。


月見寺(本行寺)


本行寺に一茶の句碑 があった。


陽炎や道潅どのの物見塚

隣に種田山頭火の句碑があった。


ほつと月がある東京に来てゐる

 昭和10年(1935年)12月6日、 山頭火 は「庵中独坐に堪へかねて旅立つ」。昭和11年(1936年)4月5日、 鎌倉 より東京を訪れ、16日まで滞在。

東京をうたふ。

   ほつと月がある東京に来てゐる
   花ぐもりの富士が見えたりかくれたり
   ビルからビルへ東京は私はうごく
   ビルがビルに星も見えない空
      ビルにて
   窓へやつと芽ぶいてきた東京をうたう。


藤沢から伊豆半島を回って、26日再び上京。5月1日まで滞在。

昭和11年(1936年)7月22日、帰庵。

 日暮里駅のすぐ近くの高台にあり、「月見寺」とも呼ばれている。小林一茶と当時の住職であった一瓢との交遊は有名で、文化八年(一八一一)一月に本行寺に宿りて詠んだ

   ・陽炎や道潅どのの物見塚   一茶

の句がある。この句碑建立のため一茶研究で有名な 荻原井泉水 に揮毫を願ったが、加減が悪く、その後、高弟の 大山澄太 氏が師に代って揮毫をした。

 その折、大山氏は「一茶さんの隣りに山頭火の句碑を友人一同で建てたいので頼む」と言われ

   ・ほつと月がある東京に来てゐる

を揮毫され二つの句碑が同時に誕生し、除幕と大山氏の記念講演を催した。

(加茂行昭)

東京に山頭火の句碑は珍しい。

昭和61年(1986年)11月15日、建立。

 『山頭火句碑集』(防府山頭火研究会)によれば、63番目の山頭火句碑である。

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