このページは、2019年3月に保存されたアーカイブです。最新の内容ではない場合がありますのでご注意ください

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種田山頭火の句碑

永平寺

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 大正15年(1926年)4月、 種田山頭火 行乞漂泊の旅に出て全国を行脚。

生を明らめ死を明らむるは仏家一大事の因縁なり(修証義)

生死の中の雪ふりしきる

木の葉散る歩きつめる


 昭和11年(1936年)7月4日、種田山頭火は 永平寺 を訪れ、参籠している。

 七月四日 晴。

どうやら梅雨空も霽れるらしく、私も何となく開けてきた。
野宿のつかれ、無一文のはかなさ。……
二里は田圃道、二里は山道、やうやくにして永平寺門前に着いた。
事情を話して参籠——といつてもあたりまへの宿泊——させていたゞく。
永平寺も俗化してゐるけれど、他の本山に比べるとまだまだよい方である。
山がよろしい、水がよろしい、伽藍がよろしい、僧侶の起居がよろしい。
しづかで、おごそかで、ありがたい。
久しぶりに安眠。

 七月十九日 晴。

      永平寺

   てふてふひらひらいらかをこえた

   水音のたえずして御仏とあり


永平寺正門(龍門)の右手に種田山頭火の句碑がある。


正 面
   水音のたえずして御佛とあり

左側面
   てふてふひらひらいらかをこえた

右側面
   生死の中の雪降りしきる

右側面の句は永平寺で詠んだ句ではない。

平成2年(1990年)7月9日、永平寺山頭火句碑奉賛会建立。岡島良平書。

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