このページは、2019年3月に保存されたアーカイブです。最新の内容ではない場合がありますのでご注意ください

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小杉放庵旧居跡地

  「田端文士村散歩道①」 から坂を下り、赤紙仁王通りを越えると、田端区民センターの前に「田端文士村散歩道②」の案内板があった。


田端文士村散歩道②


小杉放庵旧居跡地

  小杉放庵(画家・歌人 明治14年〜昭和39年)は明治33年、〈田端文士芸術家〉第1号として田端163(現・3−4)番地に転入しました。 明治40年、当地155(現・3−16)番地に2階建て家屋を築き、昭和20年まで居住しました。その間、放庵は美術文芸雑誌『方寸』の同人として漫画や挿絵を担当、また 太平洋画会 ・日本美術院展への出品、春陽会の創立などの業績を残しました。一方、テニスを中心とした社交場 「ポプラ倶楽部」 の創設をはじめ、田端人たちの交流会「道閑会」にも参加し、 芥川龍之介 ら文士たちとも幅広く交流しました。

 画業の他にも随筆集、歌集を刊行し、多彩な創作活動を行いました。

 おもな作品は、「水郷」(明治44年 東京国立近代美術館蔵)、「湧泉」「採果」(大正14年 東京大学安田講堂壁画)など。


   田端に住みて三十余年なり

世にまさば百にあまらむわが父の

      手植えの椿つらつらに見る

若者とテニスしかへるわが命

      百まで活くる心しかへる

『歌集 石』『放庵歌集』より

田端文士村記念館

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