このページは、2019年3月に保存されたアーカイブです。最新の内容ではない場合がありますのでご注意ください

普門院 〜伊藤左千夫の歌碑〜
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亀戸天神社 の東隣に普門院がある。


普門院


普門院(開運毘沙門天)

 由来

 普門院は 真言宗 の名刹で、福聚山聚善應寺と号します。大永2年(1522年)三股(墨田川・荒川・綾瀬川が落ち合うあたり、現・足立区千住)城中に創建され、元和2年(1616年)に現在の地に移りました。その時 過って梵鐘を隅田川に沈め、 鐘ヶ淵 (墨田区)の由来になったと言われています。

 江戸時代の地誌「絵本江戸土産」には、将軍が鷹狩の際に立ち寄り腰を掛けた御腰掛の松が描かれています。

 亀戸七福神のひとつ(昆沙門天)として親しまれています。

 ちなみに 香取神社 が恵比須と大黒天、 常光寺 が寿老人、東覚寺が弁財天、 龍眼寺 が布袋尊、 天祖神社 が福禄寿。

御府内八十八箇所 の第40番である。

普門院に伊藤左千夫の墓がある。


大正二年七月三十日歿

中村不折 筆。

 元治元年(1864年)8月18日、上総国武射郡殿台村(現 山武市殿台 )に生まれる。

 明治22年(1889年)、本所区茅場町(現墨田区江東橋三丁目)で牛乳搾取業を始める。

 明治33年(1900年)1月、 正岡子規 を訪ね、門人となる。

 明治42年(1909年)、 土屋文明 は伊藤左千夫を頼って上京、「アララギ」に参加する。

 大正2年(1913年)7月30日、50歳にて死去。

龜戸の普門院にて三年經し伊藤左千夫のおくつきどころ

墓に來て水をかけたり近眼の大き面(おも)わの面影に立つ

水ぐさの圓葉(まろば)の照りをあはれめり七月ひるのおくつきどころ

『あらたま』

大正10年(1921年)、 斎藤茂吉 は伊藤左千夫の墓を訪れている。

      墓前

龜戸の普門院なる御墓(みはか)べに水青き溝いまだのこれり

『つゆじも』

伊藤左千夫の歌碑があった。


牛飼がうたよむ時に世の中のあらたしき歌おほいに起る


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