このページは、2019年3月に保存されたアーカイブです。最新の内容ではない場合がありますのでご注意ください
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文京区
夏目漱石旧居跡
〜猫の家〜
文京区向丘2丁目、日本医科大学同窓会館(橘桜会館)の前に夏目漱石旧居跡の碑がある。
日本医科大学同窓会館(橘桜会館)の裏が『猫』の「落雲館中学」のモデルになった
郁文館中学
(現・郁文館中・高校)。
夏目漱石旧居跡
夏目漱石
は明治36年1月英国から帰り、3月3日ここ千駄木町57番地に居を構えた。
前半2箇月半は一高と東大の授業に没頭したが、38年1月『吾輩は猫である』『倫敦塔』等を發表して忽ち天下の注目を浴び、更に『猫』の續編と竝行、39年初から『坊ちゃん』『草枕』『野分』等を矢継早に出して作家漱石の名を不動にした。歳末27日
西片町
に移り、翌40年4月朝日新聞に入社し、以後創作に専念した。千駄木町は漱石文學發祥の地である。
森鴎外
も前に(自明治23年10月至同25年1月)その家に住んでゐた。家は近年保存のため移築され、現在犬山市明治村にある。
昭和46年3月3日
碑文は舊字體が用いられているが、「鴎外」の「鴎」だけは舊字體で表示できない。
題字は
川端康成
。
昭和47年(1972年)4月17日、川端康成は逗子市小坪の逗子マリーナ417号室で自殺してしまう。
夏目漱石旧居跡(区指定史跡)
夏目漱石旧居跡(区指定史跡)
日本医科大学同窓会館 文京区向丘2−20−7
夏目漱石 本名・金之助。慶応3年〜大正5年(1867〜1916)。小説家。この地に漱石がイギリス留学から帰国後の明治36年から明治39年12月、現在の
西片1丁目
に移るまで、3年10か月住んだ家があった。(家主は東大同期の斉藤阿具氏)
「斉藤」の「斉」は「斎」が正しいのかもしれない。
当時、東京帝大英文科、第一高等学校講師として教職にあった漱石は、この地で初めて創作の筆をとった。その作品『吾輩は猫である』の舞台として、「猫の家」と呼ばれ親しまれた。
この地で『倫敦塔』『坊ちゃん』『草枕』などの名作を次々に発表し、一躍文壇に名をあらわした。漱石文学発祥の地である。
漱石が住む13年程前の明治23年10月から1年余り森鴎外が住み、文学活動に励んだ。鴎外は、ここから団子坂上の
観潮楼
へ移っていった。
二大文豪の居住地、漱石文学発祥の地として、近代文学史上の重要な史跡である。旧居は、愛知県犬山市の「明治村」に移築保存してある。
−郷土愛をはぐくむ文化財−
文京区教育委員会
こちらは平成7年(1995年)3月のもの。
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