このページは、2019年3月に保存されたアーカイブです。最新の内容ではない場合がありますのでご注意ください

下 町江東区
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州崎神社〜波除碑〜

東京メトロ東西線木場駅下車。


新田橋を渡ると、州崎神社がある。


州崎神社由緒

 当州崎神社は元弁天社と称し、 厳島神社 の御分霊祭神市杵島比売命を斉祀しており、創立は徳川五代将軍綱吉公の生母桂昌院の守り神として崇敬するところとなり、元禄13年(1700年)、江戸城中紅葉山より此の地に遷して宮居を建立してより代々徳川家の守護神となっていた。当時は海岸にして絶景、殊に弥生の潮時には城下の貴賤袖を連ねて真砂の蛤を捜り、楼船を浮べて妓婦の弦歌に興を催すとあり、文人墨客杖を引くという絶佳な所であったという。浮弁天の名の如く海中の島に祀られてありました。

きれぎれに浪打ちかすむ洲崎かな    蓼太

天明8年(1788年)3月26日、蝶夢は州崎弁天を訪れている。

 廿六日、老師・其由法師と三人、深川辺 長慶寺 、芭蕉翁・其角・嵐雪などの墓所え参。雪中庵を問ひ、語らひて、 霊巌寺八幡 ・す崎の弁天 。南海の眺、一円に上総・下総を見わたす。


州崎神社の境内に波除(なみよけ)警告の碑があった。

波除警告の碑


波除警告の碑の後ろに波除碑(なみよけのひ)がある。

東京都指定有形文化財(歴史資料)

波除碑 州崎神社碑

 寛政3年(1791年)9月4日、深川洲崎一帯に襲来した高潮によって付近の家屋がことごとく流されて、多数の死者、行方不明が出た。

 幕府はこの災害を重視して洲崎弁天社から西のあたり一帯の東西285間、南北30余間、総坪数5,467坪(約1万8千平方メートル)を買い上げて空地とし、これより海側に人が住むことを禁じた。そして空地の東北地点(州崎神社)と西南地点(平久橋の袂)に波除碑を建てた。当時の碑は地上6尺、角1尺であったという。

 石碑は砂岩で脆く震災と戦災によって破損が著しい。現在地は現位置から若干移動しているものと思われる。

 建設は寛政6年(1794年)頃で、碑文は屋代弘賢によるものと言われている。

東京都教育委員会

享和3年(1803年)7月29日、 小林一茶 は州崎弁天社に詣でている。

   州崎詣

(ヤゝ)寒き後に遠しつくば山

『享和句帖』(享和3年7月)

小林一茶は「文人墨客」と言えるかどうか、分からない。

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