このページは、2019年3月に保存されたアーカイブです。最新の内容ではない場合がありますのでご注意ください
私の旅日記
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2011年
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天王寺
〜山口素堂〜
台東区谷中に天王寺という寺がある。
護国山天王寺
天台宗
の寺である。
本尊は毘沙門天。
日蓮上人はこの地の住人、関長燿
(ながてる)
の家に泊まった折、自分の像を刻んだ。長燿は草庵を結び、その像を奉安した。 ─伝承による天王寺草創の起源である。一般には、室町時代、応永(1294−1427)頃の創建という。『東京府志料』は、「天王寺 護国山ト号ス 天台宗比叡山延暦寺末 此寺ハ日蓮宗ニテ長燿山感応寺ト号シ 応永ノ頃ノ草創ニテ開山ヲ日源トイヘリキ」と記している。東京に現存する寺院で、江戸時代以前、創始の寺院は多くない。天王寺は都内有数の古刹である。江戸時代、ここで〝富くじ〟興行が開催された。目黒の
滝泉寺
、
湯島天神
の富とともに、江戸三富と呼ばれ、有名だった。富くじは現在の宝くじと考えればいい。
元禄12年(1699年)幕府の命令で、感応寺は天台宗に改宗した。ついで天保4年(1833年)、天王寺と改めた。境内の
五重塔
は、幸田露伴の小説、『五重塔』で知られていた。しかし昭和32年7月6日、惜しくも焼失してしまった。
台東区教育委員会
享保元年(1716年)8月15日、
山口素堂
は葛飾で没。75歳。
上野谷中感応寺中瑞音院に葬る。
上野谷中の天王寺に位牌がある。
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