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私の旅日記2011年

清水寺〜碑巡り〜
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静岡市葵区音羽町に清水寺という寺がある。


音羽山清水寺


高野山真言宗 の寺である。

清水寺本堂


 永禄2年(1559年)、今川家臣の朝比奈丹波守元長が建立。開山は京都から迎えられた尊寿院大僧正道因と伝えられている。この地の眺望が京都の音羽山 清水寺 に似ていたので、その名が付けられた。

清水寺には数多くの句碑がある。

芭蕉の句碑


駿河路やはなたちはなも茶のにほひ

 元禄7年(1694年)5月、芭蕉西帰の途次島田宿 塚本如舟 邸を訪れた際に書き残された句。

明和7年(1770年)5月12日、時雨窓 六花庵 社中建立。

清水寺の鐘楼


大正8年(1919年)12月、竣工。

登録有形文化財である。

寛永12年(1635年)、梵鐘鋳造。

昭和18年(1943年)1月、戦争のために供出。

昭和25年(1950年)、梵鐘復元。

小林文母の句碑


はなすりの端山を出たり春の月

『華鳥風月集』 (桃路編)に収録されている。

小林文母は 大島蓼太 の門人。通称庄蔵。

享保8年(1723年)、江戸に生まれる。

天明5年(1785年)、山村月巣の駿府時雨窓を継ぐ。

寛政10年(1798年)11月15日、76歳で没。

観音堂


慶長7年(1602年)、 徳川家康 建立。

静岡県の有形文化財である。

山村月巣の句碑


名月や心一つの置きどころ

山村月巣は 大島蓼太 の門人。名は春安。

享保15年(1730年)、出羽寒河江に生まれる。

宝暦14年(1763年)、駿河の時雨窓初代となる。

天明5年(1785年)1月5日、56歳で没。

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