このページは、2019年3月に保存されたアーカイブです。最新の内容ではない場合がありますのでご注意ください

俳 人

六花庵官鼠
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本名、大村定八。江戸の人。父は三津村出身。伊豆に住む。 六花庵乙児 門。

可都里 『名録帖』 に「官鼠沼津 六花庵」とある。

 明和9年(1772年)4月5日、乙児は49歳で没。官鼠は六花庵を継承。

 安永7年(1778年)10月12日 、静岡県三島市の 蓮馨寺 に「芭蕉老翁墓」建立。



 天明元年(1781年)、「松島一見のため」旅立ち、 大島蓼太 を訪れる。

 天明2年(1782年)、仙台を訪れて 陸奥国分寺 に「艸鞋塚」建立。



あやめ草足に結ん草鞋の緒

裏面には官鼠自身の句が「暮れかねて鴉啼くなり冬木立」と彫られている。

天明2年(1782年)、 雄島(御島) に官鼠の句碑を建立。


松嶋や茸狩舟の真帆片帆

鶴とびてむれるや雪の千松しま

 天明8年(1788年)4月21日、蝶夢は六花庵を訪ね、泊まっている。

駿河国沼津は水野の城下、乙児六花庵なる官祖主を訪ふ。こゝにとゞめられて泊る。


 寛政12年(1800年)10月12日、山梨県都留市の 円通院 に芭蕉の句碑を建立。



旅人と我名よはれんはつ時雨

 寛政12年(1800年)11月9日、大江丸は江戸を立ち、12日は沼津に泊る。官鼠は宿に大江丸を訪ねた。

 さむからぬそでといふをちからに、あとふりかへらずかごを早め、其日は 戸づか さゝやにとまり、はこね山も日より能、十二日ぬまづにとまる。六花 老人やどへたづね来りて、

   大江の叟のたび中を訪ひて、

あたまつ白し不二見て相ごたつ
   官鼠

 しも雪氷としをくらべて
   丸


『諸国翁墳記』 に「旅寝塚 駿州沼津釋迦堂在 六花菴官鼠建」とある。

釋迦堂の句碑は消滅したようだ。

享和3年(1803年)6月1日、71歳で没。

辞世の句

果は我枕なるべし夏の富士

石巻市の 住吉公園 に官鼠の句碑がある。



   相模女の和歌をよみて懐古郷

涼しさも心の柚のわたり哉

雪の峯富士に似る日そ夏寒き

官鼠の句

帶はまた解ぬ戀なり郭公


葮きりやいつの嵐の捨碇


人間の夜ハまた寒し梅のはな


老はかり鎖せる御代や冬籠


はるかせや雲ほし気にそ裸不二


茄子畑に人こそミゆれ九月尽


雪空や決して黒き物ふらん


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