このページは、2019年3月に保存されたアーカイブです。最新の内容ではない場合がありますのでご注意ください

私の旅日記2005年

旧木造温泉旅館東海館
〜伊東市指定文化財〜

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木下杢太郎記念館 から「東海館」へ。


大川橋から伊東大川沿いに「旅館いな葉」 が見える。


「旅館いな葉」の建物は、平成10年3月に文化財として登録された。

「旅館いな葉」の奥が「東海館」

「東海館」


昭和初期の建築様式をそのまま残す木造3階建。

「東海館」も平成11年3月に文化財に指定されている。

「東海館」は昭和3年に開業。

 平成9年に廃館、その後伊東市に寄贈され、平成13年7月26日、観光施設となった。

入場は無料(今は入館料200円)。

大浴場の入浴は500円。今日は入っている時間がない。

「三浦按針(ウイリアムアダムス)の胸像」のミニチュアがあった。


 徳川家康の外交顧問三浦按針(ウイリアム=アダムス)は、伊東で日本初の洋式帆船を建造した。

「三浦按針(ウイリアム=アダムス)の胸像」は「なぎさ公園」にある。

2階は展示室になっていて、「伊東温泉と文人墨客」が紹介されている。

 寛政4年(1792年)、小林一茶は伊東新井の網元 夜琴亭松十 (池田弥兵衛)宅を訪れている。

明治26年(1893年)
幸田露伴 、伊東を訪れる。
昭和8年(1933年)
露伴は再び伊東を訪れ、「松林館」に宿をとる。

幸田露伴が好んだ旅館「松林館」


明治42年(1909年)
島崎藤村田山花袋 、蒲原有明ら伊豆旅行の帰路、伊東を訪れる。

 伊東へ着いた。其日もA君は別に船旅に酔つたやうな様子は無かった。

 湯の香のする舊い朽ちかかつたような町、左様かと思ふと絵葉書を売る店や、玉突場や、新しく普請をした建築物などの軒を並べた町─斯う混交つて続いて居るところへ来た。ここは最早純粋な田舎ではなかつた。それにだけ熱海や小田原の方へ近づいたやうな気もした。

島崎藤村『伊豆の旅』

昭和3年(1928年)
3月7日、 若山牧水熱海 から伊東にやってきた。

昭和5年(1930年)
正月、 与謝野晶子、鉄幹夫妻 、伊東に来遊。東流館に宿泊。

2月、与謝野晶子、鉄幹夫妻 は再び伊東へ。 宝専寺 で歌会。


北原白秋、東京館に逗留し、 「伊東音頭」 を作詞。

昭和9年(1934年)
丹那トンネル開通。

昭和10年(1935年)
2月28日、与謝野寛・晶子夫妻は伊東より帰京。


3月30日、伊東線の熱海〜網代開通。

昭和11年(1936年)
種田山頭火 、伊東屋に宿泊。

昭和13年(1938年)
12月15日、網代〜伊東間開通により伊東線全線開通。


正月、 川端康成 、囲碁の名人引退試合観戦のため、伊東を訪れる。

松川沿いの客室の書院障子


いでゆ橋から見た「東海館」


北川温泉 へ。

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