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私の旅日記2004年

門前温泉〜碑巡り〜
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ヨシ沼 から門前温泉へ。

塩原は文学の里。多くの文人墨客が塩原を訪れている。

 門前温泉の妙雲寺には 芭蕉の句碑 をはじめとして、 夏目漱石の詩碑斎藤茂吉の歌碑尾崎紅葉の句碑 などがある。

妙雲寺だけでなく、国道400号沿いにも歌碑や句碑が並んでいる。


「榮太楼」には桃林舎枕石の歌碑がある。


甘味をば淡きにかへて武蔵野の月より嬉し塩原の秋

この歌の碑は 福渡温泉神社 にもある。

桃林舎枕石 は妙雲寺に芭蕉の句碑を建立した眠松下枕石の別号。

和泉屋 八代目太兵衛である。

 「榮太楼」は昭和元年創業。榮太樓飴でお馴染みの榮太楼総本舗の暖簾分け。

「榮太楼」の隣の「鈴木屋物産店」には 北原白秋の歌碑 がある。


渓の湯に裸の男女がつかっていて一面にさす青い葉漏れ日

 大正12年(1923年)8月8日頃、白秋は塩原を訪れた。白秋38歳の時である。

   欲泉俯瞰

      塩原の塩の湯、対岸の岩壁の下、渓流のへりに湯の湧く
      ところがある。湯は水に交り、水は湯に温まつてゐる。
      ここに常にひたるのである。この渓の湯は高い楼上より
      俯瞰する時にいよいよ仙家のものとなる。

渓の湯に裸の男女がつかつてゐて一面に射す青い葉漏れ日

『海阪』


「手打そば三條屋」には内藤鳴雪の句碑がある。


門前に酒あり寺あり夕紅葉

  内藤鳴雪 (1847−1926)は俳人。江戸松山藩邸で生まれ。名は素行(なりゆき)。46歳のとき、 子規 に師事し、日本派の長老として当時を代表した。著「鳴雪俳話」「鳴雪句集」「鳴雪自叙伝」など。

内藤鳴雪が46歳のとき、子規は26歳である。

私は「手打そば三條屋」よりも「手打ちそば遊蕎」のお蕎麦の方が好きだ。

八汐橋の手前には 大町桂月の歌碑 がある。

八汐橋の向こうは 畑下温泉

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