このページは、2019年3月に保存されたアーカイブです。最新の内容ではない場合がありますのでご注意ください

私の旅日記2015年

栖息の松跡〜芭蕉の句碑〜
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南砺市二日町に福野小学校がある。


福野小学校の北側に「栖息の松跡」があった。


南砺市指定文化財(史跡)

栖息の松跡(礼拝塚)

  瑞泉寺 の記録に、本願寺五世綽如(しゃくにょ)上人は布教のため越中を訪れ、野尻の「富野」(二日町か)にしばらく滞在したが、井波の杉谷に移り明徳元年(1390年)瑞泉寺を開いたとある。野尻は中世水陸交通の要衝として栄え、砺波地方の中核都市だったようで、綽如の100年前にも時宗の僧浄阿が布教に訪れ、野尻城主が帰依したという記録がある。

 栖息の松は、綽如自ら宗門が栄えるよう記念して植えたものという。村人はこの場所を尊び礼拝塚と呼ぶようになった。松は礼拝塚の上にあったが、明治になって枯れたので株に覆屋をかけて保存してある。近年、この塚は当時の有力者の墳墓であったことが判明している。かたわらの「栖息の枩」碑は安永2年(1773年)に、芭蕉句碑は寛政9年(1797年)に普願寺が建てたものである。

富山県教育委員会
南砺市教育委員会

芭蕉の句碑


僧蕣いく死かへり法の松

出典は 『野ざらし紀行』

貞享元年(1684年)、芭蕉が 當麻寺 に詣で、来迎松を見て詠まれた句。

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