このページは、2019年3月に保存されたアーカイブです。最新の内容ではない場合がありますのでご注意ください

私の旅日記2015年

瑞泉寺〜浪化上人の句碑〜
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南砺市井波に真宗 大谷派井波別院 瑞泉寺 (HP)がある。


瑞泉寺山門


富山県指定文化財

 瑞泉寺山門は、高さ17.4mの重層の総ケヤキ造リで、真宗寺院建築の山門を代表する建造物である。宝暦12年(1762年)に瑞泉寺が全焼し、京都の本山(東本願寺 )から肝煎方大工柴田新八郎らが派遣されて各伽藍の再建が進められた。山門の工事は天明5年(1785年)に始まったが、その工事中に本山が全焼し、その再建に本山派遣の大工が引き上げてしまった。しかし、地元の井波大工松井角平が棟梁を受け継いで、文化6年(1809年)に上棟式を行ない、見事な山門を完成させた。

 山門の各所には数々のすぐれた彫刻や文様が施されている。正面にある唐狭間(からさま)の彫刻「波に龍」は、京都の前川三四郎の作で、山門が類焼に及んだとき、水を吐いて火炎を防いだとの逸話がある。

 中国民間伝承に登場する八人の仙人「八仙」が彫られている蟇股(かえるまた)は、地元井波の彫刻師が彫りあげた。

 平成2年(1990年)に、解体工事を含む全面的な改修工事が行われ、防火施設も施された。

富    山    県
南砺市教育委員会

瑞泉寺本堂


史跡 瑞泉寺

井波町指定文化財

 瑞泉寺は、本願寺五世綽如(しゃくにょ)上人が明徳元年(1390年)に創設された 真宗大谷派 の寺院である。

 「ここに図らずも先ず一勝地を得たり」と井波を仏法繁昌の地とした綽如上人は、勧進状(国指定文化財)をしたため、広く北陸諸国に浄財を仰いで、井波(現井波城跡)に瑞泉寺を建立された。

 その後、瑞泉寺は越中一向一揆の拠点となるなど、興亡の時期を迎えるが、戦国武将からも法灯を守り続けた。やがて秀吉の保護をえて勢力を復旧し、藩政期には越中における真宗東派の触頭となった。伽藍は、いく度も兵火や火災に見舞われたが、その都度再建された。現本堂は明治18年(1885年)に再建された北陸真宗寺院最大の伽藍である。

 本堂左側は、聖徳太子南無仏像を安置する太子堂で、井波彫刻の粋を随所に見ることができる。

 文化年間にできた山門や式台門などとともに、瑞泉寺の各伽藍は、加賀藩の拝領地大工である歴代松井角平の手になる見事な建造物群である。

南砺市教育委員会

太子堂


浪化 上人は瑞泉寺十一代住職。

 宝暦10年(1760年)9月、 千代尼 は越中井波御坊の親鸞上人五百回忌法要に参詣している。

 明治42年(1909年)8月4日、河東碧梧桐は瑞泉寺を訪れ、泊まっている。

 八月四日。晴。

 午後井波に行く。瑞泉寺は浪化上人の遺跡として、かねて一見せんことを渇望した東本願寺の別院である。句仏上人からの紹介もあったので、土屋観山氏始め、町内有志の厚遇に接した。瑞泉寺泊。


   浪化上人のの真蹟を拝して

御筆の御年の程も涼しけれ


瑞泉寺の裏山に浪化上人の句碑があった。


小鳥共囀りて見る小春かな

昭和10年(1935年)10月9日、浪化吟社建立。

黒髪庵 へ。

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