このページは、2019年3月に保存されたアーカイブです。最新の内容ではない場合がありますのでご注意ください
私の旅日記
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2006年
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本間美術館
〜鶴舞園〜
国道345号
から酒田市街に入り、カーナビの指示に従って
本間美術館(HP)
へ。
元禄2年(1689年)、本間家初代原光が「新潟屋」を開業。元禄2年(1689年)は芭蕉が「奥の細道」の旅で酒田を訪れた年である。以来、本間家は巨大な資産をつくりあげ、「本間さまには及びもないがせめてなりたや殿様に」と俗謡に歌われるほどになった。
文化10年(1813年)、四代光道が藩主酒井侯の領内巡検宿泊施設として別荘を作る。
鳥海山を借景にした鶴舞園
東屋のそばの老松に鶴が飛んくることから酒井侯によって「鶴舞園」と名付けられたと言われている。
明治期の手漉きのガラス窓
明治40年(1907年)10月16日、河東碧梧桐は本間家について書いている。
酒田の本間といえば、我々如き金に縁の薄い者でも名を聞いておる。庄内で誇るに足るものがあるとすれば、今の処まず本間位のものであるという。何代前からかわからぬ家憲というものが厳守されておって、当世には不向きな事が多いそうであるけれども、その家憲を守って、依然として天下の金持たる威信を保っておる点は面白い。
『三千里』
酒田本間氏別墅
木もなくてしぐるゝをかし外廓
『新傾向句集』
大正14年(1925年)、東宮殿下がお泊まりになった御座所。
昭和22年(1947年)、本間家別荘「清遠閣」と庭園「鶴舞園」を開放して「本間美術館」を開く。
雛祭古典人形展
珍しい花が咲いていた。
聞いてみると、菊咲一輪草
(きくざきいちりんそう)
だという。
菊咲一輪草
(きくざきいちりんそう)
は菊咲一華
(きくざきいちげ)
のこと。
茶室「六明廬」
本間美術館前庭に
常世田長翠の句碑
がある。
本間光道は美杜李と号した俳人でもあった。
日和山公園
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