このページは、2019年3月に保存されたアーカイブです。最新の内容ではない場合がありますのでご注意ください

私の旅日記2015年

湯殿山神社〜旧大日寺代参塔群〜
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西川町大井沢に湯殿山神社がある。


大日寺山門


大日寺のあらまし

大日寺の開基は旧記(妙学坊文書)に「大祖弘法大師天長年中(824〜833)湯殿山を開かれ、また、大日寺も創建したまう」とあり、 本道寺 、大日坊、注連寺と共に同じ時期の開基と考えられる。

中興の祖、道智上人、上人は応永2、3年頃(1394)大日寺を再建すると共に、関東、福島、置賜方面の湯殿山参詣者の便を図るため、道路の新設整備(道智道)に力を入れて大日寺繁栄の基をつくった。

よって中興の祖と申し上げている。

大日寺は湯殿山別当四ヶ寺の一つとして、江戸時代中期以降に最も繁栄し、貞享年中(1684)勅命により、国家鎮護玉体安穏の祈願寺として免許される等、また、江戸の誕生院よりは二百八十匁の大鐘が奉納される等して、日本七大霊場の一つに数えられるまでに至った。

大井沢の里は、白衣の行者によってうめつくされ「湯殿まで笠の波うつ大井沢」と歌にまで詠まれたのは、この時代である。御朱印は四石五斗、境内は三丁四方、このうち、本堂・山門・惣天門・金蔵院・妙智院・蓮華院・福蔵・地蔵堂・山王堂・五智堂・大師堂・鐘楼・庫裏・台所・門前家来6軒7坊があり、外に宿坊は26坊、明治初期までの繁栄が推察される。明治元年(1868年)神仏分離令の公布と共に諸仏は縁ある方々の諸寺院に流され、明治7年(1875)遂に寺号を返上し、翌明治8年(1876年)摂社湯殿山神社と改称された。明治36年(1904年)12月、火災により山門。鐘楼を残し一切焼失したのは誠に残念である。

(宮司敬白)

湯殿山神社


西川町指定文化財 旧大日寺代参塔群」

 湯殿山信者が家内安全、養蚕満足など所願成就のため、多額の金銭を別当寺に寄進し、住職に代参を依頼する信仰形態があった。その際、寄進額の一部にて建立されたのが代参塔である。

 代参は毎月、住職が大日寺内にて祈祷し、湯殿山御宝前へは先達修験を遣わして参詣させ、信者には「湯殿山代参札」を配布した。

 代参塔群の建立は18世紀後半に集中しており、境内には11基(角柱型7、自然石4)が現存する。寄進者は栃木県の那須郡、塩谷郡、河内郡や福島県の信夫郡、伊達郡などの講中である。

 代参塔建立の全貌は明らかでないが、湯殿山信仰の特異な一面を垣間見ることができる。

西川町教育委員会

右手奥に芭蕉の句碑があった。


芭 蕉 翁

かたられぬ湯殿にぬらすたもとかな

出典は『奥の細道』。

 元禄2年(1689年)6月6日(陽暦7月22日)、芭蕉は 月山 頂上まで登り、山小屋に一夜を明かして、7日には 湯殿山神社 に詣でた。

文政10年(1827年)、東羽霞城外玉井司建立。

大井沢を流れる寒河江川は「おしん」のロケ地であった。

2013年の7月豪雨でロケに使われた中村大橋は流出したそうだ。

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