このページは、2019年3月に保存されたアーカイブです。最新の内容ではない場合がありますのでご注意ください
芭蕉の句碑
語られぬ湯殿にぬらす袂哉
西川町本道寺の国道112号沿いの高台に湯殿山神社がある。
本道寺湯殿山神社は月光山本道寺と云い、湯殿山の別当寺として栄えたそうだ。
延享4年(1747年)、横田柳几は本道寺の西蔵坊で垢離勤行して三山を参拝した。
湯殿山の麓本導寺の西蔵坊に着てはしめて垢離勤行に
入
垢離とつて心の塵やしゆろの花
仝
『二笈集』
湯殿山神社の下に「
西川町指定文化財
旧本道寺代参塔群」がある。
湯殿山信者が所願成就のため、多額の金銭を別当寺に寄進し、住職に代参を依頼する信仰形態があった。その際、寄進額の一部を用いて建立されたのが代参塔である。
代参は毎月、住職が本道寺内にて祈祷し、湯殿山御宝前へは先達修験を遣わして参詣させ、信者には「湯殿山御守札」を配布した。
代参塔の建立は十八世紀後半に集中しており、境内には7基が確認されている。寄進者は栃木県の那須郡、河内郡、塩谷郡や福島県の安達郡の講中であるが、西川町吉川の松田長左衛門もその一人である。
「湯殿山永代日御供田寄進」は那須郡の百か村にわたる327名が、安永5年(1776年)、金87両(供田55両、石碑料、開眼供養料等27両、御守札等5両)を寄進し、毎日の代参を依頼したものである。
西川町教育委員会
「旧本道寺代参塔群」の右端に芭蕉の句碑があった。
芭 蕉 翁
語られぬ湯殿にぬらす袂哉
出典は『奥の細道』。
元禄2年(1689年)6月6日(陽暦7月22日)、芭蕉は
月山
頂上まで登り、山小屋に一夜を明かして、7日には
湯殿山神社
に詣でた。
俵坊鯨丈、建立。
松島の
雄島
に鯨丈の句碑がある。
文化14年(1817年)10月、宥勝は本道寺三三世住職となる。俳号淋山。
文化14年(1817年)、武州蒲生の国村は本道寺に淋山を訪ね、越年。
文化15年(1818年)2月16日、国村は帰郷出立。
約速
(ママ)
の染物出来ぬ霞かな
国村
行雲の誰かおしえむ花菫
同
『こまさらへ』(二編)
昭和3年(1928年)7月29日、斎藤茂吉は本道寺を過ぎて
志津
に至る。
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