このページは、2019年3月に保存されたアーカイブです。最新の内容ではない場合がありますのでご注意ください

新年の旅日記

涙松遺跡〜吉田松陰〜
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道の駅「萩往還」 から萩往還梅林園へ。

 「 はるもやゝけしきとゝのふ月と梅 」の句碑があるはずだったが、見つからなかった。

涙松遺跡まで歩く。



贈正四位松陰吉田矩方先生詠

涙松遺址

   なミた松のもとにて

帰らしと思ひさためし旅なれは

      ひとしほぬるゝ涙松かな

「涙松集」 冒頭の歌である。

 安政6年(1859年)5月25日、 吉田松陰 は萩から江戸に護送された。

涙松遺跡

 江戸時代、萩城下から山口へ通じる藩主御成街道は、大屋から左へ折れるので、城下が見えるのもここが最後です。松並木の間に見え隠れする萩を見返り、別れの涙を流すと言うので、ここの街道並木を「涙松」と呼んでいます。幕末、吉田松陰 が安政の大獄で 江戸 に送られるとき「かえらじと思いさだめし旅なれば、一入(ひとしほ)ぬるる涙松かな」と詠んで一躍有名になりました。



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