このページは、2019年3月に保存されたアーカイブです。最新の内容ではない場合がありますのでご注意ください
吉田松陰
「涙松集」
安政6年(1859年)5月25日、吉田松陰は幕府の命により萩から江戸に護送された。6月24日、
品川
で護送の人々に別れる。
涙 松
歸らじと思ひさだめし旅なればひとしほぬるる涙松かな
菅公廟
思ふかな君がつくしのこころしは賤
(しず)
があずまの旅につけても
鈴木大人
(うし)
におくる
君こそは蛙鳴く音も聞きわかん公のためにかおのがためにか
小瀬川
夢路にもかへらぬ關を打ち越えて今をかぎりと渡る小瀬川
藝州路
安藝の國昔なからの山川にはづかしからぬますらをの旅
嚴 島
そのかみのいつきの島のいさをしを思へば今も涙こぼるる
廣島にて駕籠の戸を明けよと警護の人に頼むとて
世の中に思ひのあらぬ身ながらもなほ見まほしき廣島の城
備前路
郭公まれになり行く夕ぐれに雨ならなくば聞かざらましを
吉備宮
今の世は君の誘子
(いさご)
ぞいとおほみたふれきためてくしのみをとり
淡路島
別れてはふたたび淡路島ぞとは知らでや人のあだに過ぐらん
明 石
とどまりて月をみるべき身なりせばなほあはれあらんあかし浦波
一 谷
一谷討死とげしますらをを起して旅の道づれにせん
湊 川
かしこくも公の御夢にいりにしを思へば今は死せざらめやは
淀
こととはん淀の水車昔よりいく廻りして世をばへにきや
伏水より都を拜し奉りて
見ずしらぬ昔の人の戀しきと思さんことのかしこかりける
護送の人々に別るとて
歸るさに雁の初音聞き得なば吾が音づれと思ひそめてよ
七月九日幕府へめされて公館を辭するとて
待ち得たる秋のけしきを今ぞとて勇ましく鳴くくつわ蟲かな
吉田松陰
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