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吉田松陰


「涙松集」

 安政6年(1859年)5月25日、吉田松陰は幕府の命により萩から江戸に護送された。6月24日、 品川 で護送の人々に別れる。

    涙 松

歸らじと思ひさだめし旅なればひとしほぬるる涙松かな

    菅公廟

思ふかな君がつくしのこころしは賤(しず)があずまの旅につけても

   鈴木大人(うし)におくる

君こそは蛙鳴く音も聞きわかん公のためにかおのがためにか

   小瀬川

夢路にもかへらぬ關を打ち越えて今をかぎりと渡る小瀬川

   藝州路

安藝の國昔なからの山川にはづかしからぬますらをの旅

    嚴 島

そのかみのいつきの島のいさをしを思へば今も涙こぼるる

   廣島にて駕籠の戸を明けよと警護の人に頼むとて

世の中に思ひのあらぬ身ながらもなほ見まほしき廣島の城

   備前路

郭公まれになり行く夕ぐれに雨ならなくば聞かざらましを

    吉備宮

今の世は君の誘子(いさご)ぞいとおほみたふれきためてくしのみをとり

   淡路島

別れてはふたたび淡路島ぞとは知らでや人のあだに過ぐらん

   明 石

とどまりて月をみるべき身なりせばなほあはれあらんあかし浦波

   一 谷

一谷討死とげしますらをを起して旅の道づれにせん

   湊 川

かしこくも公の御夢にいりにしを思へば今は死せざらめやは

   淀

こととはん淀の水車昔よりいく廻りして世をばへにきや

   伏水より都を拜し奉りて

見ずしらぬ昔の人の戀しきと思さんことのかしこかりける

   護送の人々に別るとて

歸るさに雁の初音聞き得なば吾が音づれと思ひそめてよ

   七月九日幕府へめされて公館を辭するとて

待ち得たる秋のけしきを今ぞとて勇ましく鳴くくつわ蟲かな

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