このページは、2019年3月に保存されたアーカイブです。最新の内容ではない場合がありますのでご注意ください
私の旅日記
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2009年
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平和観音
〜芭蕉の句碑〜
韮崎市の平和観音に芭蕉の句碑があるというので、行ってみた。
平和観音は七里岩南端にある。
身長16.6メートル。
昭和36年(1961年)10月13日、落慶開眼。
高崎観音、大船観音と並んで、関東三観音とも呼ばれているそうだ。
平和観音の向かいに山本周五郎の文学碑があった。
はじめ韮崎という町に宿をとって春の来るまで付近のようすを見てまわった。そこは釜無川の東がわで、川上のほうにはむかし竹田勝頼の拠った新府城の址がある。川に面した断崖の上で、石垣も塁も乱雑たる廃墟だったが、今でも土を掘れば刀の折れや焼けた籾などが出るということである。
『山彦乙女』より
『山彦乙女』は山本周五郎の名作だそうだが、私は知らない。
平和観音の裏に芭蕉の句碑が2つ並んであった。
木からしにいは吹きとかる杉間かな
出典は
『笈日記』
元禄4年(1691年)10月、京都から江戸に向かう途中、三河の
鳳来寺
で詠まれた句。
右側の句碑は寛政年間建立のもの。
『諸国翁墳記』
に「凩 塚 甲州韮崎建之 平□庵社中」とある。
一時行方不明だったので、明治25年(1892年)の芭蕉二百回忌に再建。
昭和40年(1965年)頃に旧碑が発見され、この地に移転した。
JR中央本線韮崎駅に戻る。
韮崎駅前広場に
北原白秋の歌碑
があった。
韮崎の白きペンキの驛標に薄日のしみて光るさみしさ
明治42年11月30日、韮崎駅にて
『桐の花』(銀笛哀慕調)収録の歌。
十一月北国の旅にて三首
韮崎の白きペンキの駅標に薄日のしみて光るさみしさ
柿の赤き実、旅の男が気まぐれに泣きて去にきと人に語るな
たはれめが青き眼鏡のうしろより朝の霙を透かすまなざし
『桐の花』
昭和44年(1969年)11月1日、白鳳会建立。
窪田空穂
の歌碑もあった。
韮崎の土手の桔梗を折る人の抱へあますもむらさきの花
昭和58年(1983年)11月3日、ともかく歩こう会船山短歌グループ建立。
韮崎駅のホームから八ヶ岳が見えた。
山梨市
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