このページは、2019年3月に保存されたアーカイブです。最新の内容ではない場合がありますのでご注意ください |
久生十蘭 (ひさお・じゅうらん) 1902〜1957。 |
『あなたも私も』 (青空文庫) |
長編。 ファッション・モデルの仕事がうまくいかず、きゅうきゅうとしている水上サト子。生き方を模索する中、知らず知らずのうちに、祖父の莫大な遺産であるウラニウム鉱山の鉱業権を巡るゴタゴタに巻き込まれていく…。 「そこにいる水上さんとこへ、何億という財産がころげこんで…そうしたら、水上さんの叔母テキだの、山岸という弁護士だの、坂田とかいうアメリカくずれだの、それから、秋川という大金持だの、その息子だの、欲の皮のつっぱったやつらが、総がかりになって、ひったくりにかかって…」 サト子に接近してくる、善人なのか悪人なのか判別できない登場人物たちのそれぞれの思惑と、遺産問題の意外な決着は? 題名の「あなたも私も」の意味が分かるラストに、ビキニ水爆実験を憂い、平和を願う気持が表出されていて印象に残る。 |
『奥の海』 (青空文庫) |
短編。飢饉(ききん)のさなかに、貧乏公卿・烏丸中納言の息女・知嘉姫と結婚した京都所司代・御式方の下役・堀金十郎。不作のため生活が困窮する中、知嘉姫が家を出たまま行方不明になってしまう。小判十両と引き換えに女衒(ぜげん)に連れ出され、陸奥(みちのく)の果てに売られていったという彼女の消息を知った金十郎。果たして彼は知嘉姫とめぐり逢うことができるのか? 「食うものがなければ、水を飲めといってくれればいいので、苦労を分けあうこそ、夫婦というものなのではなかろうか」──。夫婦の愛情の掛け違い…、大飢饉の凄まじい光景…。予定調和的なハッピーエンドを否定するかのような悲痛極まる時代小説。涙…。 |
『犂(カラスキー)氏の友情』 (青空文庫) |
短編。「先生、どうしました。ひどく蒼い顔をしていますね」、「実にどうも、二進(にっち)も三進(さっち)もゆかないことになって…」。実地研究のため、パリの貧民窟で寝泊りする道徳社会学の石亭先生だが、ロシア人のゴイゴロフという気狂いじみた男から盗っ人に行こうと誘われ、否応なしに承諾してしまう。石亭先生に頼まれ、意を決してゴイゴロフに会いに行くが…。意表の展開が楽しいユーモア小説。臆病な石亭先生の馬鹿げた自尊心には困ったものです。 |
『金狼』 (青空文庫) |
長編。 未知の人物から「遺産相続の通知」なる手紙を受け取った男女五人(中国帰りの美青年・久我、骨董商・乾、新聞記者・西貝、都タクシー・古田、美人ダンサー・葵)──酒場「那覇」に集まった彼らだが、酒場の主人・絲満(いとまん)が殺害された事件に巻き込まれ、容疑者にされてしまう。 「……あの<遺産相続の通知>は捜査の方針を混乱させる目的で計画されたトリックだということは、いうまでもありません。あの通知で何人かの人間を殺人の現場へよびよせ、否応なしに殺人事件の渦中へひきずりこんでしまう。それで情況を複雑にし、自分の犯跡を曖昧化し、うまくいったら、自分の罪を未知の人間に転嫁させようという目的のトリックなのですね。……いうまでもなく、<通知>を出した告知人がすなわち絲満を殺した犯人なのですが、そういう場合、その人物は、かならず、その現場へやって来てるものなのです。効果の程度を知っておくことが絶対に必要だからです。……だから、犯人はあの朝<那覇>へ集った五人のうちのだれかだと言えるのです」 お互いに過去の秘密を隠したまま結婚し、お互いに相手のことを犯人だと思い込んでいる久我と葵。検挙の手が迫り来る中、逃避行を決意した二人の運命は…。 「……ただ、たったひとつ情けなく思うのは、あたしたちが過去を偽って結びついていることです。告白し合う機会を、二人ながら、永久に失ってしまいました。互いの胸に秘密を抱きながら、これからいく年も幾年も生活してゆかなければならない。悲しいことだが、しかし耐えてゆくより仕様がないのでしょう。……たぶん、これが二人の宿命なのです……」 強盗殺人事件の真相を描いた推理小説としての楽しみだけでなく、都会の孤独が結びつけた男女のはかないラブストーリーとしても素晴らしい。犯人に利用され、久我を一途に恋する少女・鶴(チル)の存在が特に印象に残り、完全犯罪が成立してしまう結末と相成って、悲しすぎる。 |
『黒い手帳』 (青空文庫) |
短編。生活資金の当てがなくなり、焦慮している一組の夫婦と、十年もの間、ルウレット(賭博)の研究ばかりしている元画家の男──。ルウレットの絶対的な法則が書かれた黒い手帳を入手するため、焦慮の夫婦が元画家の男を毒殺しようとしていると知ったパリ留学中の「自分」は、殺人計画の一部始終を観察してやろうと思い立つが…。「システムは完成した。とうとうポアンカレをとっちめてやった。どんな方法か、読めばすぐわかる。手帳は胸のかくしに入っている」。よこしまな私は、手帳の中身がどうにも気になって、かなわん(悲)。 |
『鈴木主水』 (青空文庫) |
短編。姫路十五万石を相続し、播州姫路の城主に成り上がった播磨守政岑(まさみね)。先代に仕えていた近臣を残らず罷免し、悪党どもを重用して、放縦の限りを尽くす政岑の行跡を憂える青年藩士・鈴木主水は、月見の宴で、政岑の愛妾・お糸を刺して、悪党どもに目ざましをくれてやろうと意気込むが…。「上のお側にいても、心はあなたのほうにばかり通い…」。憂国と純愛の取り合わせが絶品! |
『春雪』 (青空文庫) |
短編。同業の娘の結婚式に出席した池田藤吉郎は、戦時中に病死した姪・柚子(ゆずこ)のことを思い出す。青春期の娘らしい楽しさも味わわずに、春の雪のようにはかなく消えてしまったと思っていたのだが、友人の井沢から柚子の意外な過去(心の秘密)を知らされる…。「結婚式という儀式だけのことなら、柚子さんも、やっていたかも知れないぜ」、「なにを馬鹿な」──。「晴」「雨」としか書かれていない日記帳の意味が素敵に美しい。 |
『藤九郎の島』 (青空文庫) |
短編。九十九里浜の沖合で時化(しけ)に遭い、潮に流され続けた末、藤九郎(アホウドリ)が生息する無人島に漂着した遠州の船員たち。草木のない岩島での苦難の日々…、遠州と同様に命からがら藤九郎の島に漂着する大阪や土佐の船員たち…。「されば、みなが力を合せ、その気になって一心にやったら、この岩山が畑にならぬものでもあるまいと思うのだ」──。二十一年という長い滞在の末、帰国を果たすまでを描いた感動記。「やってみたら、やれた」の精神を見習いたい。 |
『虹の橋』 (青空文庫) |
短編。刑務所で生まれたという身の上が露見するのを恐れて、職を転々とせざるを得なかった真山あさひ。大阪のバーの同僚・北川千代が「真山あさひ」の名前で男と心中したのをきっかけに、「北川千代」の身代わりとなって(成りすまして)、東京で一人で暮らす目の不自由な千代の祖母・フサの世話を始める。縁もゆかりもない老人との生活に、これまで味わったことのない幸福を感じるあさひだが…。「お手数をかけました……あたしは北川千代でございます。公訴の事実は認めます」。不幸な境遇の女主人公の決意が胸を打つ。 |
『肌色の月』 (青空文庫) |
長編。 癌(がん)になる前に、自分という存在を、上手にこの世から消してしまいたい──。癌に対する精神不安から、生存の廃棄(自殺)を決意した東洋放送の宇野久美子。伊豆の奥にある湖を死に場所に選ぶが、破産詐欺の容疑者・大池忠平が投身自殺した事件に巻き込まれてしまう。大池の心中の相手だと思われてしまい、自殺関与の容疑を掛けられてしまった久美子。事件の真相を探り出し、警察の誤解を解くことができるか? いよいよ大詰めというところで残念ながら未完…。 「安らかな方法で自殺しようなどと、あてどもないことを考えていたが、そんな方法はありえないことを身をもって学んだ。父のように肝臓癌で阿鼻叫喚のうちに悶死するにしても、たぶん、もう二度と自殺しようなどとは考えないだろう」──。 事件に巻き込まれ、命の危険に晒されたことで、自殺を思い止まるようになる女主人公の心境の変化が素晴らしい。こなれた筆致で読者を引き付ける巻き込まれ型ミステリー。 |
『平賀源内捕物帳・萩寺の女』 (青空文庫) |
短編。若い娘ばかりが脳天を割られて殺されるという奇怪な連続殺人事件──。被害者は皆、歌舞伎役者・瀬川菊之丞(路考)の大ファンで、今流行の「源内櫛」を挿し、雪晴れの天気のいい日ばかりに殺されていた…。自分が創製した櫛(くし)が事件に絡んでいると知った奇才・平賀源内(博物学者)は、足跡を残さずに犯行に及ぶ犯人の意外な殺害方法を突き止めていく…。「おい、伝兵衛。どうも、いかんな。こりゃ、降りられんことになった。なんとかしてくれ」、「そんなら、あっしが助けてあげます。その代わりに、一つお願いがあるんです」。五重塔に登ったはいいが、降りられなくなってしまった源内先生と、源内の智慧を借りたい神田の御用聞・伝兵衛のやり取りが笑える。飄逸洒脱な平賀源内を探偵役とした捕物帳シリーズ。ユーモラスかつ緻密なストーリー展開が楽しい面白い。傑作! |
『平賀源内捕物帳・牡丹亭還魂記』 (網迫の電子テキスト@Wiki) |
短編。処刑間近の大賊十二人が短期間の内に次々と牢死するという不思議──。人里離れた場所で異花珍草ばかり栽培している『牡丹亭』の存在を知った源内先生は、主催する物産会の席上で、事件の意外な真相を明らかにする。「どうぞね、あなた、あたくしを連れて逃げてくださいまし。ねえ、一生ご恩に着ますから…」。死んだはずの『牡丹亭』の美しい娘が蘇生した驚くべきカラクリは? 杉田玄白、前野良沢もビックリ! 「読めたッ。『牡丹亭』の謎が解けたぞッ」──。本草学者でもある平賀源内が事件の謎を解明する捕物帳シリーズの一編。堪能。 |
『平賀源内捕物帳・山王祭の大象』 (青空文庫) |
短編。江戸一の大祭「山王祭」のさ中、作物(つくりもの)の大象の腹の中から、若い女の死体が発見された。被害者である清元の師匠・里春は、佐渡屋の跡取り息子・定太郎に首ったけだったが、許嫁のいる定太郎は里春を嫌っていた…。「伝兵衛、わかった! 里春を殺したのは、××でもなければ、××でもない。いわんや、××などではない。こりゃアやっぱり××の仕業だ」──。象の脚の中へ入っていた四人の人間の中で犯人は誰だ? 恋の恨みが引き起こした稀有な事件を見事に解決する源内先生の名推理! 捕物帳シリーズの一編。 |
『平賀源内捕物帳・長崎ものがたり』 (青空文庫) |
短編。江戸と大阪と長崎で三人の男女が同じ日の同じ刻に同じ人間に同じ方法で殺害された!?──殺された三人(海産問屋「長崎屋」の親類ばかり三人)は皆一様に死に際に、「唐人・陳東海に殺された」と言い残すが、捕縛された陳は、犯行を否認する。「〆(しめ)たッ、これでどうやらようすが判って来た」。長崎まで出向いた源内先生は、手の込んだ遠隔殺人事件のカラクリを見事に暴いていく…。「平賀源内捕物帳」シリーズの一編。 |
『復活祭』 (青空文庫) |
短編。あのとき自分は十二で小原は三十六だった。いまは三十二と五十六。おかしいことはない。この扉をあけさえすれば、どんな男のそばででも味わえないような幸福に身をまかせることができる──。横浜の観光ホテルで働いている鶴代は、復活祭(イースター)の夜、アメリカにいた頃に世話になった川田に誘われ、入港中の客船に遊びに行く。そこで、少女時代の思い出の人・小原と思いがけず再会するが…。「ツルさんだ。こりやおどろいた。ずいぶんひさしぶりだったなア」、「しばらくでした。あなたはちっともおかわりにならないわね。あたしはこんなオールド・ミスになってしまったのに。でもこんなところでお目にかかれるなんて、ほんとうに夢みたい」──。女主人公の心境の変化(終わりではない夢の続き)を鮮やかに描いて印象に残る。 |
『母子像』 (青空文庫) |
短編。女装、泥酔、放火…。戦争孤児の少年・和泉太郎が、最近になって急に性格が変った原因は何なのか? 大人たち(警官や教諭)は、少年が母親に首を絞められて殺されかけた過去の思い出に起因していると考えるのだが…。「することなんか、あるわけはない。ぼくには、明日というのがないんだから」──。美しすぎる母親を持った少年の心を描いた衝撃作。前半は大人の視点、後半は少年の視点で描かれる転換と対比が鮮やか。 |
『黄泉から』 (青空文庫) |
短編。お盆の日に、恩師である西洋人・ルダンさんとばったり逢った美術仲買人・魚返(おがえり)光太郎。戦死した弟子たちを招いて宴会をやるのだというルダンさんに触発された彼は、仕事の予定を全てキャンセルして、ただひとりの肉親であった従妹・おけいのことを追憶する。そして、自分にとって彼女がかけがえのない大切な人間であったことをつくづく思い知る…。「ありがとうございました。これを聞けなかったらなにも知らずにしまったところでした」──。婦人軍属としてニューギニアで病死したおけいの臨終の様子や彼女の意志に自然と涙腺が緩む。 |
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