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阿曽隧道
(旧国道8号)
福井県敦賀市
2007・10・28 来訪
  



春日野三隧道の長男、阿曽隧道。
それは不死鳥の如く蘇った、敗者復活大逆転の隧道であった!


阿曽隧道である。

隧道自体は状態が良いが、横の斜面が崩落しており
2004年に nagajis氏が探索した時 よりも土砂の量が増えている。
将来的にはこちら側の坑口は土砂に埋もれてしまうかもしれない。

ポータルのデザインは非常にシンプルで
重量感のある石組みとも相まって質実剛健な印象を受ける。
また、おにぎり形の坑内も特徴的である。
坑門前にはこのようなポールが立っていた。
恐らく反対側の土砂に相方のポールが埋まっていて、通行止めのチェーンが繋がれていたのであろう。
綺麗に積み重ねられた石組みの坑口に対し
内部は荒々しい素彫り。
とは言え、半世紀近く放置されている割には大きく崩れている箇所はない。
約90mほど先の出口までクリーンな路面状況である。
幹線道路としてはかなりアレだが、林道規格だったら合格点を出せる状態だ。

内部から出口を見る。
まるで古代遺蹟の入口みたいだ。

しかし、ホント几帳面なぐらい整った石材を使っているな。
正確に切り出された長方形の石材を、これまた丁寧に積み上げて楕円の坑口を作り出している。
探索後、あまりに整いすぎた形をした石材だったので、「コレ、実は昭和初期辺りに改修されたコンクリブロックの坑口じゃないのか?」とか疑ってみた。
東京愛宕隧道 のような石組みっぽいコンクリブロックなのではと?

が、しかし後年改修された記述は無く、これが正真正銘、明治の石組みである事は間違いないのである。
というか、コレがコンクリだったら風雨に晒されとっくにボロボロに朽ちているであろう。

石組み建造物はコンクリに比べ柔軟性が無く施工に手間がかかる。
その分頑強で風化に強く、代表的な石組み隧道である天城山隧道なんかはまだ若い方で、日本各地に残る城址の石垣や西洋の城郭など数百年渡って存在し続ける石材建造物が数多くある。

まあ、あらゆる物が「使い捨て」の現代にはコンクリ建造物の方が割に合うのだろうが・・・

隧道を潜り抜け反対側へ。
割と路面が見えている箇所も多かった敦賀側に比べ、福井側はヤブまみれである。
また、現道合流点はロックシェート完全に覆われてバイクでも進入は出来ない。

隧道福井側坑口。
こちらも敦賀側と変わらず、simple is best.と言った感じ。

さて、この阿曽隧道。
初めて見た時から「只者じゃ無い」感があった。
この直球勝負的なデザインから、大物オーラを感じさせるのだ。

そして調べてみると・・・

なんと、開削されたのはなんと明治9年!
徳川幕府が消滅した大政奉還より僅か10年後の事である。

ただし、開削当初からこのような立派な石組みの坑門があった訳ではなく
開通当初は歩行者がなんとか通れる程度の狭い素彫り隧道だったそうだ。

この阿曽隧道、当初は「東浦道」と言う道路計画の一部として開削された。
「東浦道」は良港である敦賀と北陸の重要都市である福井を結ぶ街道として計画。
現在の国道8号のプロトタイプとも言える道だが微妙にルートが違う。
特に 大良 と言う地区から現R8が峠へ向け北東方面に向かうのに対し
「東浦道」は一度、河野集落へ向かいそこから
地元の豪商「右近権左衛門」「中村三之丞」中心にして開削された道
『春日野新道』(ちなみに有料道)に接続して福井へと向かう予定であった

しかし、この「東浦道計画」はなんとこの阿曽隧道が出来た時点でストップしてしまったのだ。

この「東浦道計画」、そもそも現在の福井県にあたる「敦賀県」が計画したものである。
だがこの計画を立案した「敦賀県」がなんと消滅してしまう事となったのだ。
現在の敦賀市を中心とした嶺南地域が滋賀県、福井市中心の嶺北地域が石川県にと
分断吸収されてしまったのである。

「東浦道計画」が頓挫し、阿曽隧道だけが残った。
地域住民の生活道として細々と使われていたようだが、
明治16年に襲った暴風雨によって崩落。
阿曽隧道はこのまま過去の遺物として、人々の記憶から消え去るはずであった・・・


だが、阿曽隧道は復活した。

後で「 金ヶ崎隧道 」「春日野隧道」レポでも述べる事になるが、
一度、他県に分割吸収された「敦賀県」が
明治14年に再び現在の行政区分の元となる福井県として復活。
そして、「新生」福井県の一大事業として
未完に終わった「東浦道計画」に変わる「春日野道計画」が立てられる。
この「春日野道」こそ、昭和38年まで使われる事となった現R8の元となる道である。
そして「春日野道計画」では前述の金ヶ崎、春日野の二つの新隧道に加え、
阿曽隧道もまた馬車も通れる正規の隧道として復活する事となったのだ。
おそらくこのリニューアル工事の時に現在の石組み坑口も出来たのであろう。

政治に翻弄され一度は歴史の闇に消える可能性すらあった阿曽隧道。
しかし、断崖脇の危ない場所にありながら
しっかりと踏みとどまり、今この場所にその姿を留めている。



さて春日野道の一部として改修された阿曽隧道。
その改修工事の際に大規模崩落があり4名の方がお亡くなりなったそうだ。
現道「黒崎隧道」を福井側へ少し進んだ旧道との合流点近くの海側に慰霊碑が残されている。

ちなみに、この慰霊碑のすぐ前にほぼ路肩スペース無しで走行車線となっている。
写真を撮っている自分のすぐ後ろをガンガン大型車が通り過ぎ、非常に恐ろしかった。
落ち着いて哀悼の念も捧げられん。
せっかく来たので、セローさんを隧道内に持ち込んでみますた。
ここに車両が来るのは何年ぶりか知らないが、開通131年目の隧道は600km近い距離をかけてやって来た珍客を懐深く受け入れてくれました。(ちょっと坑口前の崩落がめんどかったけど)

挫折を乗り越えた偉大な古隧道よりエネルギーを貰い、セローさんはこれからも走り続けます。(たぶん)

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