このページは、2019年3月に保存されたアーカイブです。最新の内容ではない場合がありますのでご注意ください |
板谷峠、と言うと鉄道の難所として非常に有名な場所である。
現在、幹線鉄道で最もキツイ勾配を持つ区間であり、
かつては全ての列車に補助機関車を連結させたり、スイッチバック駅を設けていたりした。
そんな鉄路に厳しい板谷峠だが、近代以前の旅人にも辛くあたっていた峠であった。
険しい道程の上に、冬季は豪雪地帯ゆえに遭難者も絶えなかったと言う。
それでも米沢藩の生命線として重要視されたかつての街道。
現在、県道232号に指定されている板谷街道を訪ねてみた。
R13東栗子、西栗子の2つのトンネルの合間にある交差点。 ここが県道232号への入口である。 板谷街道は明治14年の万世大路開通により、福島側が消滅。 山形側のみ細々と集落間移動や恐らく鉄道保線の為に利用されていたと思われる。 昭和41年に現・R13が開通し、板谷集落から この交差点への道路も同時に開通したと思われる。 これにより、85年ぶりに板谷街道で福島側へ抜けられるようになった | |
交差点よりちょっとした山道を進むと板谷集落へ入る。 板谷集落は日本海側の山形県に所属しているが、分水嶺的には太平洋側阿武隈川水系に属する地域である。 何でも江戸時代に山の稜線では無く、松川の支流、蟹ヶ沢を境界にした藩界にしたことの名残であるようだ。 この丁字路で板谷街道に合流。 右折が米沢方面。 左折すると五色温泉へ。 かつての街道は松川によって寸断されてしまっている。 | |
集落の横には
旧・板谷駅
。 遠めに見ると単なるプレハブ小屋にしか見えないが、かつての駅舎である。 | |
かつての板谷駅が集落中心地そばにあるのに対し、現・板谷駅は、集落の一番端で分岐するこの道を更に進んだ先にある。 スイッチバック駅の廃止をする事により、ダイヤを効率化することが出来たが、駅の位置が集落中心地より遠く離れてしまい利用者にとっては不便極まりない物になってしまった。 JRにとっては採算の取れないローカル駅より、ドル箱の新幹線の運用の方が重要なのであろうが・・・。 | |
停車する各駅より、通過する新幹線の方が多い現・板谷駅の上を跨ぎ、道は山間部へと入っていく。 | |
『危険 熊に注意!』 この30分程前、実際に熊と出会っていたりする。 ここでね 。 | |
『旧・羽州街道 石畳』の入口だそうです。 ・・・で、道は何処ッスか? 完全に藪の中。 入りたくないですね。 と言うか、ここを『羽州街道』と言うのは間違いでは? 『羽州街道』と現・国道113号線+県道13号線の金山峠越えルートのはずである。 | |
ちょうど自分が訪れた時には道路工事の真っ最中の区間があった。 結構山深いところまで来ているのだが、工事車両と何度もすれ違い、作業箇所では誘導員による交互通行が行なわれていたりして、全く人寂しい雰囲気が無かった。 ちょっとゲンナリ。 | |
峠道を進んでいくとこのような物が。 『大野九郎兵衛の供養碑』 大野九郎兵衛? 誰やねん、それ? ここの説明版によると赤穂藩の家老だった人で、赤穂浪士による吉良邸討ち入りの際に、万が一吉良上野介を討ちもらした際、逃げてきた上野介をこの板谷峠で待ち構えようとしていたそうだ。(上野介の息子が米沢藩に養子入りしている)。 へー、そんな事があったんだー、とか思っていたら・・・。 史実の上ではそんな事実は無く、赤穂浪士に協力するどころか対立していた人らしい。 しかも、浪士の一部とケンカおっぱじめた挙句に命まで狙われ、孫娘をほったらかしにして息子とトンズラこいたそうだ。 事実と伝説のギャップが激しすぎる・・・。 | |
唐突に現れた大型の青看板。 ここを右折すると『力餅』で有名な峠駅や滑川温泉方面へ出る。 さて、板谷集落よりだいぶ進んできたのだが、イマイチここまでの道程が楽しくなかった。 正直、どこにでもある山間のショボ県道であり、上記の『供養碑(しかも内容がアヤシゲ)』があった以外歴史ある古道の雰囲気は全く感じられない。 うーん、この道はハズレかなァ。 | |
いや、そんな事はなかった。 この先に僕の求めていた道があったのだ。 |
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