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2006年秋にカブで栗子隧道福島側坑口に到達。
難攻不落の大物を落した喜びは大きく、
まるで万世の全てを知ったような気分になっていた。
だが実際の所、山形側は全くの手付かずの状態。
是非とも、こちらも制覇したい気持ちでいっぱいであった。
当初、5月の連休明け頃に
DTM
のMR氏らと共に合同アタックに向かう予定であった。
が、事もあろうにアタック2週間前に山梨の山中で大転倒。
不幸中の幸いと言うか、バイクにはそれほどダメージは受けなかったものの
自分自身は全治3ヶ月の負傷(足の骨折)。
万世どころかアパートの階段すら満足に登る事の出来ない状態で
当然、合同アタックは参加する事が出来なかった。
実家のソファーで無為な日々を送る中、
見事MR氏、kimi氏、Sin氏によって山形側旧道は制覇。
あの遺蹟のような隧道坑口の前で3台のバイクが光り輝く。
一方、我が相棒セローさんは初夏も近づくと言うのに、そのエンジンを冷え切らせるのみ・・・。
いつか、いつか自分もあの地へ!
そして季節は変わり、初秋の10月。
ふたたび挑戦者として栗子の峠道へとやってきた!
多くの車が行きかう国道13号。 一部には登板車線も用意され、この上なく走りやすい峠道である。 完成当時には『栗子ハイウェイ』と呼ばれた道を米沢の町より登ってくると、途中 左方に分岐する道があるのに気付く。 今でこそ採石場の通用路となっているが、これこそかつての国道13号、三島通庸が切り開いた旧・万世大路である。 | |
旧道に入ってすぐに左側に分岐してすぐに合流する道がある。 おそらく、明治に開通した旧々道であろう。 | |
前述の通り、旧・万世大路の一部は採石場の構内となっており、採石場が閉鎖される夜間や休日はゲートが閉まり入る事が出来ない。 | |
ゲートを過ぎてしばらくの間、幅広のダート路を進む事となる。 非常にフラットで普通車で通っても全く問題無いであろう。 時折、採石場の砂煙を巻き上げ、ダンプカーが通りすぎる。 まるで現役国道時代そのままの光景が今だ此処には残っているようだ | |
右手に大きく削られた山が見えてくると、採石場はもうすぐである。 | |
採石場の中心部。 大量の砂利が積み上げられ、それらを選別したり精製したりしているのであろう大型機械がいくつも鎮座している。 大型ダンプに混じり、場違いなオフバイクが一台。 しかし、構内作業員の人々は『いつもの連中かァ』程度で殆ど気にも留めない。 取りあえず迷惑がかからぬよう、そそくさと走り抜ける。 | |
構内道路は採掘場へと登っていくが、途中貧相な道が分岐していく。 こちらの方が旧・万世大路だ。 | |
さて、構内道路と旧道の分岐点に何やら小さな祠がある事に気付いた。 小規模な史跡ながら、現在も手入れをされ小奇麗な印象をうける。 | |
祠の横の碑石には『昭和十四年』という文字が。 昭和14年と言うと、車道化の為の昭和の大改修(S.8〜12)がされてから、まだ間もない頃だ。 やはり、峠道を往く旅人達の安全を祈願する為に立てられたのだろうか? 街道筋から外れてしまった今は砕石場の片隅でひっそりと佇んでいる。 | |
構内道路から外れてから早速、道路遺構が現れる。 瀧岩上橋。 大改修で最も早く手をつけられた箇所の一つで、昭和7年完成の古橋。 | |
橋の横には意外な物が。 なんと地元有志による万世大路保存会が出来たらしく、会の人々によって、史跡にこのような案内柱が立てられたようだ。 近年、官民問わず万世大路を歴史遺産として保存しようという活動の動きが活発となってきている 更には、栗子隧道までトレッキングツアーなんてのも開催されるようになった。 だんだん、数年前までのような『限られた人々のみが行ける伝説の地』では無くなって来た気がする それが良い事のなのか悪い事なのかは別として・・・。 ともかく最低限の整備がされ、徒歩ならなんとか行けるようになってきた。 ここより隧道まで4,1km。 直線路だったらホンノ数分で行ける距離である。 これだったら何とかいけんべ。 その時はそう思っていた・・・。 |
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