| 採石場の片隅にある古びた橋。
まったく事情を知らない人からしたら、これがかつての国道の橋とは思わないであろう。
と言うか、自分も一瞬迷った。
が、この橋の手前には保存会によって立てられた案内柱には、ここが「万世大路」であった事が表記され、間違いなくこの道の先には福島への入口であった栗子隧道が存在しているのだ。 |
| 瀧岩上橋を渡ってすぐに、またもう一つ案内柱が立てられている。
そして、その後の斜面を少し登っていった所には石碑が。 |
|
どうやら此処で明治天皇が休息をとられたらしい。
万世大路で明治帝の休息場所として有名なのは二ツ小屋隧道手前の所であろう。
福島側ではもう一箇所、大滝集落でも同様の記念碑が残されている。
今のように自動車で楽々峠越え出来るような時代では無かったので、こうやって要所要所で一休みしながら時間をかけて峠を越えて行ったことが伺え知れる。
|
|
明治天皇もこの場所から、多くの臣下達が待機するこの道を見下ろしたのだろうか?
ちなみに、この記念碑は明治帝行幸の直後に出来た物ではなく、石碑に刻まれている所『大正11年11月』に建立された物だそうだ。
すでに行幸から半世紀近く経った時期である。
この頃、すでに奥羽本線が開通して人の流れが鉄道の方移り、万世大路は殆ど人が通らぬ寂れた道となっていたようだ。
おそらくこの石碑を立てた人たちは、山形の地に『文明開花』をもたらした栄光の道を、風化させたくない一身で立てたのであろう。
記念碑建立から約15年後、昭和の大改修による車道化で再びこの道に日の目が当たるようになった。
一方奥羽本線は現在、新幹線が通るようになったものの板谷峠4駅には一日数本列車が停車するのみ。
かつての鉄路の宿場は色あせてしまっている・・・。
|
| 明治天皇休息地の石碑のすぐ傍に,もう一つ『明治泉』と刻まれた石碑がある。
この場所に湧水が湧いていた事から、休憩場として選ばれたのであろう。
しかし、初っ端から随分と史跡案内が連発するな。
何かもう、旧箱根峠とか熊野古道みたいな、フツーの歴史散策コースみたいだ。 |
| 路面も採石場までの状態と比べれば見劣りするが、林道クラスとしてはまずまずの状態だ。
普通車だって頑張れば入ってこれそうなほどフラットである。 |
| 橋を渡って2個目のカーブの所に怪しげな鉄隗が。 |
| 鉄隗は巨大な桶となっており、その中にとめどなく大量の水が注ぎ込まれる。
水は綺麗に透き通っており、何かの排水とかではなさそう。
一体何に使われている物なのであろう。
採石場の関連の何かの施設? |
| 巨大鉄桶を過ぎたとたん道の状況が悪化。
草ボーボーで路面もやや荒れ。
とは言え、まだ4輪も4WDなら入って来れるレベルである。 |
| 序盤の難関地点。
急坂、急カーブ、雨水による深い路面のえぐれ。
案の定、旋回時にバランスを崩し転倒一発目。
現役時はもうちょっとマシな状態だったろうが、よくバス等の大型車 曲がれたな。 |
| しばらくこんな感じの道が続きます。 |
| カーブを曲がって、ふと横を見ると『栗子森歩道』なる案内柱が。
なんかめっちゃ怪しい道なんですけど・・・。
いったい何処に続いてるの?
もしかして明治万世大路? |
|
福島側はかつての2車線道を留めている箇所が結構あるが、
山形側の殆ど区間で路面の半分が植物に覆われ、この箇所のように幅広区間は少ない。
また、序盤こそ遺構が連発したが本格的に旧道内に入ってからは
石垣の法面等の遺構が殆ど見当たらず、荒れた林道を走っているような気分になる |
|
写真を3枚あわせて『3段九十九折れ』を再現。
一段一段、標高を徐々に上げ標高885mに存在する隧道を目指す。 |
|
落ち着いた雰囲気の切り通し。
一旦この場所で一息つき、烏龍茶を一杯。
さてさて、此処まで多少荒れた区間もあるが、それほど苦労もせずこれた。
すでに半分近くの工程を過ぎており、体力的にも時間的にもまだまだ余裕がある。
このまま隧道までサクサク行っちゃうぞー。
とか、思っていたら・・・・。
|
|
此処より宇宙の法則が乱れます。 |