このページは、2019年3月に保存されたアーカイブです。最新の内容ではない場合がありますのでご注意ください |
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静岡市葵区と岡部町にある宇津谷峠
北部には南アルプスが聳え、南側には
崩れまくりの海岸
と
この辺りに街道を通すにはここしかなかった訳だが、それでも少々険しい峠道であった。
かつて『伊勢物語』『新古今和歌集』にも登場したという初代宇津谷峠、別名『蔦の細道』。
豊臣秀吉の小田原攻めの際に開削された2代目峠。
そして、明治になり馬車による大量輸送を図るために2代目峠直下に隧道が突かれる事となった。
日本で始めて車両通行を前提として開削された明治宇津谷隧道。
ご覧あれ。
大正隧道へと向かう旧道の途中に明治隧道への分岐がある。 一応、車も入ってこれる車幅だが途中にポールゲートがあり歩行者専用の遊歩道になっている | |
現在はコンクリブロックにより舗装されているが、当然かつては砂利道。 両端の底溝も舗装時に追加されたものだ。 坂を登っていく途中に2代目峠への登山道が分岐されている。 この2代目峠は前述のとおり、秀吉の小田原攻めの際に開削されたものである。 初代峠があまりに狭路な為、大軍の行軍に適さなかったためである。 秀吉配下には土木工事のエキスパートが多かったからこういう仕事はお手の物だったろうな。 秀吉による天下統一後もこの新道がメイン街道となり、明治に隧道が出来るまで使用されたわけで、それだけ使い勝手の良い道だったのだろう。 ちなみに初代峠『蔦の細道』は現在の峠より、やや南側を通っており、こちらも歴史的な街道として保存されている。 | |
さて隧道へ到着である。 煉瓦製の非常に立派な坑口であるが、開通当初は素彫り隧道であったそうだ。 明治29年に照明用のカンデラの火が木枠に移り火災が発生。 そしてその火災が原因で隧道は崩落。 明治37年に復旧工事が終了し、現在の姿の煉瓦隧道として生まれ変わったのである。 ちなみに、この明治隧道は日本最初の有料道路でもあったりする | |
照明が煉瓦の坑内を煌々と照らしている。 これを「美しい」と言うか、「不気味」と言うかは人それぞれ。 明治天皇はこの隧道を通った時には『暗ッ!』とご不満のご様子だったらしい。 てか、この隧道より4倍もの長さを持つ(延長866m)『栗子山隧道』は平気だったのだろうか? | |
静岡側坑口。 ほぼ両側とも同じデザインの坑口だが、 こちら側の方が日なたという事もあって明るい印象を受ける。 この明治隧道、大正隧道ができて旧道になった際に 鉄道用に転用しようかと言う計画が持ち上がったそうだ。 かつて岡部町まで路線を延ばしていた藤相鉄道岡部線(後の静岡鉄道大手線)を 静岡市まで伸ばそうという計画である。 しかし計画は頓挫し、その伸ばそうとした鉄道も廃止されてしまった。 | |
比較的良好な状態で保存されているのも、お国からのお墨付きがあってこそ。 ばっちり有形文化財に指定されています。 同じ煉瓦隧道でも、 こちらの様 に放置プレイになっているモノとは大違いの扱いだ。 また、静岡が坑口付近はちょっとした広場になっており、ベンチもあることから観光客や地元民の休憩所となっている。 | |
さて隧道より先は急坂になっていて、転げ落ちるように山を降りていく | |
坂を下っていくと宇津谷の集落へと入り込む。 かつての街道筋そのものの町並みが残っていて、タイムスリップしたかのよう。 まあ、観光施設ではなく現に人が住んでいる所なので、パラボナアンテナが立ってたり、車庫にスカイラインGT−Rがあったり、ゲームミュージックが流れてきたりするのは致し方ないだろう。 | |
旧・国道一号(現・県道208号線)と合流して終了。 しかし、古道2つに旧道二つ、宇津谷の全ての道に今だ人の手が入っているあたり、やはり天下の東海道といった所か? |
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