◆城下町・弘前を歩く┃大鰐温泉→中央弘前…弘前 |
大鰐温泉の国民宿舎に泊まった後、翌日はまず弘南鉄道に乗って弘前へと向かった。弘南鉄道は中央弘前と大鰐温泉を結ぶ短い路線で、元東急の赤帯の電車が走っている。
車窓には単調な水田が続く。地元の人が何人か乗っているが、津軽弁のためほとんど内容はわからない。田んぼの中の小駅をいくつか過ぎ、30分ほどで中央弘前に到着。
弘前は津軽地方随一の都市で、町としてはだいぶ発展している。ここでは同行者のえんが君のリクエストにより、弘前城を訪ねることとした。しかし地図もないためとりあえずバスを待つことにしたが、なかなかバスはやってこない。そのうち近くのおばさんたちが尋ねてきた。
「あんた達、どこ行くの?」
「弘前城に行きたいんですけど…」
「お城?そんなら歩いていけるに。なあ......」
と隣のおばさんに話しかける。そこから先は再び津軽弁。よそ者には理解できない。早々に御礼を言って、歩いていくことにする。津軽弁は寒い地方なだけに、なるべく口数が少なくてすむようにということで生まれたのだという。地元の人でも理解できないことが有ると聞いたことがあるが、果たして...
しばらく西に歩くとお堀が見え、程なく弘前城に到着した。天守閣は小ぢんまりとしているが、美しい形をしている。庭園からの眺めも上々。江戸時代には津軽10万石のお城だったが、今ではだいぶのんびりとした観光名所となっている。
このあと我々はお城から郷土博物館のようなところを回り、津軽地方の著名人についてや郷土資料などを見物してきたが、長くなりそうなので省略する(パソコンは目が疲れるの)。弘前駅に昼過ぎに到着し、駅前のメシ屋で軽い昼食を取った後、昼時は一本しかない深浦行きの五能線列車に乗り込んだ。
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▲元東急の弘南鉄道
▲弘前市内の一通り
▲弘前城と画家(!?)のおじさん
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◆霧雨の中を、五能線┃弘前→深浦→艫作(へなし) |
海に囲まれた日本列島の中で、五能線は最も海に近い路線ではないかと思う。地図を見ればわかるように、これでもかというくらい海岸線に沿って走る。冬など荒れ狂う日本海が眼下に広がり、それは爽快な眺めらしい。いつか冬に乗ってみよう。
弘前に停車中の短い気動車に乗り込み、いざ五能線の旅に出発。りんご畑をひたすら進んでいるうちに、車窓に見える岩木山が雨にかすんできた。五所川原で多くの乗客が入れ替わる。ちなみに五能線の五は五所川原から来ている。(能は能代から。)
車内にはだんだんと高校生の声が響き始める。地方に行くとたいてい乗客の多くは高校生である。そんな彼らも途中の駅で全員降りてしまった。延々と続いてきたりんご畑が次第に少なくなり、代わって千畳敷駅付近から車窓の友となったのは日本海である。
千畳敷から先には高校がないのか、よくよく車内を見回してみると、乗客は観光旅行と思しき大学生の団体と我々だけであった。日本海の荒波にも負けず、断崖にトンネルを掘り進む難工事のすえ完成したこの路線も、ただの観光路線になってしまったかと思うと少しさびしい気もする。まあ自分も観光客のひとりなんだけど。
ここから先は右手に日本海、左手に白神山地を眺めつつひたすら進む。えんが君は私のデジカメでこれでもかというくらい海を撮り続けている。電池が心配だ。その中の何枚かを載せておいたので、ご覧ください。
弘前を出て数時間、次第に町が見えてきて、ほどなく終点の深浦駅に到着。ここですぐに接続列車に乗り込み、2駅目の艫作(へなし)で降りた。ここから「黄金崎不老ふ死温泉」という旅館に向かった。
この旅館(というよりホテル)はJR東日本のポスターにも登場するくらいで、茶色い湯の露天風呂があることで有名である。海の間近にあるひょうたん型露天風呂の茶色い湯に人が浸かっている様子はまるで味噌煮込みうどんのようである。まあ実際はそんなおいしそうではないが、湯としてはとても気持ちよいのでぜひ一度訪れてみてください。
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▲五能線の車窓から①
(撮影・えんがさん)
▲五能線の車窓から②
(撮影・えんがさん)
夕暮れの踏み切り
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- 2日目の旅の経路 -
大鰐→(弘南鉄道)→中央弘前…(市内観光)…弘前→(五能線)→深浦→艫作…黄金崎不老ふ死温泉 |