このページは、2019年3月に保存されたアーカイブです。最新の内容ではない場合がありますのでご注意ください

急行「あおもり」乗車ツアー 2004 夏
part Ⅲ 「夜が明けると、そこは東北」

青々とした庄内平野
さすがに、敦賀を出てから北陸トンネル内を、
通常考えられない速度でのんびり走られると睡魔が襲ってきます。

で、目が覚めるとそこは鶴岡の手前でした。
急行「あおもり」は、庄内平野を相も変わらずのんびりと進んでいきます。

酒田では無事朝食もゲットでき、残りの5時間30分を
空腹に耐えることなく過ごせそうです。
手前が座席状態、奥が寝台状態
で、急行「あおもり」のクライマックスが、3段B寝台の解体です。
3段寝台だと、まともに座ることが出来ないので、
座席に作り変える作業が必要になります。

3人の作業員が乗り込んで…、
1.カーテン、シーツを外す。
2.寝台を上段・中段の順に上げる。
3.荷棚を元の位置に戻す。
…の作業を、手際よくやっていきます。

文で説明するのは難しいですが、実際に見ていると、
実に合理的な設計になっていて感心させられます。
青森到着〜!
12時53分、大阪から1023.4キロ、16時間14分の
長旅が定刻に終了しました。

降り立った人は少なかったですが、「駅長さん」の向かいにいた
親子連れは、これからさらに函館まで行かれるとのことで。

同じ鉄路でも、新幹線乗り継ぎより遅く(新大阪6:00発「のぞみ100号」→東京8:52発「はやて7号」→八戸12:16発「S白鳥7号」→青森13:15着)、寝台の居住性も「日本海」に劣る、急行「あおもり」の将来は明るくはないでしょう。

でも、こんな時代だからこそ、敢えてのんびり走り、しかも窮屈な列車に
揺られてみるのもまた、鉄道を趣味にするものの特権ではないでしょうか?
青森駅といえば、「青函連絡船」との乗換駅という歴史があります。
廃止から16年経っていますが、ホーム上にはいまだに
「連絡線」乗り場をあらわす標示が残っています。

昔は降りた乗客が、我先に連絡線乗り場にダッシュしたのでしょう。

この取り合わせもそう長くはないかも。
(実際は、京都・向日町の583系は国鉄時代に青森には来てないはず)

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