 | さすがに、敦賀を出てから北陸トンネル内を、
通常考えられない速度でのんびり走られると睡魔が襲ってきます。
で、目が覚めるとそこは鶴岡の手前でした。
急行「あおもり」は、庄内平野を相も変わらずのんびりと進んでいきます。
酒田では無事朝食もゲットでき、残りの5時間30分を
空腹に耐えることなく過ごせそうです。 |
 | で、急行「あおもり」のクライマックスが、3段B寝台の解体です。
3段寝台だと、まともに座ることが出来ないので、
座席に作り変える作業が必要になります。
3人の作業員が乗り込んで…、
1.カーテン、シーツを外す。
2.寝台を上段・中段の順に上げる。
3.荷棚を元の位置に戻す。
…の作業を、手際よくやっていきます。
文で説明するのは難しいですが、実際に見ていると、
実に合理的な設計になっていて感心させられます。 |
 | 12時53分、大阪から1023.4キロ、16時間14分の
長旅が定刻に終了しました。
降り立った人は少なかったですが、「駅長さん」の向かいにいた
親子連れは、これからさらに函館まで行かれるとのことで。
同じ鉄路でも、新幹線乗り継ぎより遅く(新大阪6:00発「のぞみ100号」→東京8:52発「はやて7号」→八戸12:16発「S白鳥7号」→青森13:15着)、寝台の居住性も「日本海」に劣る、急行「あおもり」の将来は明るくはないでしょう。
でも、こんな時代だからこそ、敢えてのんびり走り、しかも窮屈な列車に
揺られてみるのもまた、鉄道を趣味にするものの特権ではないでしょうか? |
 | 青森駅といえば、「青函連絡船」との乗換駅という歴史があります。
廃止から16年経っていますが、ホーム上にはいまだに
「連絡線」乗り場をあらわす標示が残っています。
昔は降りた乗客が、我先に連絡線乗り場にダッシュしたのでしょう。
この取り合わせもそう長くはないかも。
(実際は、京都・向日町の583系は国鉄時代に青森には来てないはず) |