このページは、2019年3月に保存されたアーカイブです。最新の内容ではない場合がありますのでご注意ください

根室本線
旧金山トンネル 【前編】


 
道央と帯広、釧路、根室などの道東の都市を結ぶ幹線、根室本線
幹線と言っても、それらしき様相を呈しているのは新得—釧路間であり、札幌と道東圏を短絡する石勝線が開通してからは、滝川—新得間は閑散としたローカル線に成り下がった。
今回紹介する物件はそのローカル区間にある。

根室本線は北海道官設鉄道十勝線として建設され、1900年までに旭川—鹿越間が開通した。
開通当時のルートと現在のそれとの間には、多くの差異がある。
有名な所では旧狩勝峠
他にも野花南—島ノ下間の滝里ダム建設による線路付け替え、金山—東鹿越間の金山ダムのよるルート切り替えなどが知られている。

ただ…今回紹介する旧線は、非常にマイナーな区間であり、私は存在さえ知らなかった。
ダム湖水没による大規模な付け替えではなく、曲線緩和のための小さな線形改良である。
1900年から1930年まで30年間働き、ひっそりとその生涯を終えた鉄路。
短い区間でも、非常にアツかった!!




① 謎の痕跡





芦別での2つの隧道探索(それについては こちらこちら を終え、ホクホク顔で車を走らせていた私とzwiebel。
「北の国から」で有名な富良野市を抜け、南富良野町の国道237号線を占冠村に向けて南下していた。
根室本線に沿った平凡な直線道路。
橋を渡るとき、運転していた私はチラリと右手を見た。

次の瞬間に私の足はブレーキを踏んでいた。
何か・・・とんでもない物が見えたような気がしたのである。





国道の橋から見えたのは蛇行する空知川の流れ。
そしてその切り立った左岸(写真では右)をへつる、謎の痕跡。
目を凝らすと見える。

アーチ橋
そして隧道

画像にカーソルを重ねると拡大されます。



現在地は根室本線の下金山—金山間
私はこんな場所に、こんな物が眠っているとは全く知らなかったので、驚愕した。
何なのだろう、これは。

帰宅してから購入した 「鉄道廃線跡を歩くⅨ」 読んで初めて正体を知ったのだが、現地にいた時は非常に戸惑った。
根室本線の現線との位置関係から見て、旧線という可能性も考えたし、金山の森林鉄道かもしれないとも思った。
正体はあやふやであったが、アーチ橋、そして隧道を近くで見たいという思いは二人とも確かな物であった。





旧線跡を歩いていけば容易に隧道まで辿りつけそうであったが、藪が深く、しかも雨が降ったあとであったので、河原からアプローチすることにした。
ちょうど良い所にロープが設置してあったので、これを利用して橋の袂に降りた。
恐らく釣人が残していったロープであろう。







斜面を降りると、二本の橋を見上げる形になる。
手前は我々が車を走らせていた国道の橋。
奥は現根室本線のものである。





ゴロ石の河岸を歩き、崖に張りつく遺構を目指す。
穏やかな表情の川面と対照的に、険しい岩肌を覗かせる左岸。
現線のように、地形が穏やかな右岸へと渡れば良いように思えるが、旧線開通当時の技術では、蛇行する大河を串刺しにするような線形は難しかったのであろう。

現在では信じられないような場所に路盤が見えている。





遂に目の前に現れた遺構。
写真右から切り通しを抜けてきた路盤は、アーチ橋とその間の小橋によって崖を突破し、そのまま岩塊に突っ込んでいる。
なんてアツいルート取りなんだ!!

この往来するだけで寿命が縮まりそうなルート選定、そしてやたらコンクリート部分が多いアーチ。
時代を感じずにはいられない。
何しろ明治時代の遺構である。







河原から隧道をズームして撮影。
うーむ…、これでは納得がいかんのう。
貫通しているのかさえ分からんぞ。

何とかアーチ橋の上に立ち、隧道を潜りたいものだが…。




隧道の先にある路盤に目を向けてみる。
大々的に崩壊しており、路盤さえも無残に押し流されている。
こんな場所をかつては北海道の幹線としての役割を担う路線が通っていたというのだから、驚きである。

新線への切り替え後、この旧線は道路として利用されていたという記録が残っている。
ということは、この崩壊は道路になってから発生したものなのだろうか。

画像にカーソルを重ねると、路盤跡が表示されます。



 
② 路盤上へ





さて、どこから路盤へ上がるかが問題である。
河原と路盤は急な斜面で隔てられており、容易に路盤に辿りつくことができない。
国道まで戻れば、藪に覆われた路盤を歩いてこれるのだが、本日は何回も藪漕ぎをこなしており、なかなか気が進まなかった。

結局、アーチ橋から少し国道側へ戻った所にある写真の斜面を登ることにした。
斜面にレッツ・トライ。







案外ヒョイヒョイと登れるものだ。
ポツンポツンと生えている木に掴まりながら、落ち葉の斜面に足をとられないように注意しながら登っていく。





あと少しで路盤というところで見上げれば…。
石垣ではないか!!

明治時代から昭和の初期まで二本のレールを守り続けていた石垣は、苔に覆われながらも、斜面の一部と化しながらも、確かに現存していた。

そんな文化財級の遺構を踏みつけるのは恐れ多かったが、私は石垣を足がかりにして路盤の上に立った。







遂に路盤に立った我々。
あとは前進あるのみ!!
このススキが繁茂する小道の先には重厚なアーチ橋があり、未知なる隧道が眠っている!!



次回!!険しき崖の遺構と正面から対決!!

次回へ

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