このページは、2019年3月に保存されたアーカイブです。最新の内容ではない場合がありますのでご注意ください

2006 5月 虹の絨毯

 

はじめに

4/28午後 オランダ入国(オランダ)

4/29朝 お祭りの朝(オランダ)

4/29午後 幹線を行く(オランダ)

4/29夜 すてきなレチさん(ドイツ)

4/30朝 ユトランド半島へ(ドイツ)

4/30昼 小ベルト海峡を渡る(デンマーク)

4/30午後 デンマークの鉄道博物館(デンマーク)

4/30夕方 コペンハーゲンの近郊電車(デンマーク)

4/30夜 海峡を渡ってスウェーデンに(スウェーデン)

5/1朝 ICEで朝食 (ドイツ)

5/1午前 ザクセン州を行く (ドイツ)

5/1午後 チューリンゲン州を行く(ドイツ)

5/1夜 夜行は満席(ドイツ)

5/2朝 ハンガリーの食堂車(ハンガリー)

5/2昼 ブタペスト市内を移動(ハンガリー)

5/2午後 経路が違う(ハンガリー)

5/3朝 水害の爪痕(ハンガリー)

5/3午後 ハンガリーの鉄道博物館(ハンガリー)

5/3夕方 罰金を取られてしょんぼり(ハンガリー)

5/3夜 夜行でまた移動(オーストリア)

5/4朝 スイスの朝(スイス)

5/4午前 アルザスの散歩(フランス)

5/4昼 ライン川を渡ると異国(ドイツ)

5/4午後 サッカーとベンツの街(ドイツ)

5/4夕方 高速列車で川下り(ドイツ)

5/4夜 スーパーで買い物(オランダ)

5/5朝 ライトレールと可動橋(オランダ)

5/5午後 未乗線区消滅作戦(オランダ)

5/5夕方 国境をまたぎに(オランダ)

5/5夜 北ドイツを行く(ドイツ)

5/6朝 また高速新線(ドイツ)

5/6昼 駅舎を訪ねて(オランダ)

5/6午後 乗りつぶしの終点(オランダ)

5/7朝 迂回と鉄ヲタ(オランダ)

5/7午後 最後も高速新線(ドイツ)

 

 

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0. 427日 はじめに

わだらんです。一年前に続いて、またまた欧州一人旅です。実はその間、今年の正月明けに4泊6日でオランダへ行っているので、オランダのみなら約5ヶ月ぶりとなります。今回でついに、オランダ鉄道(旧国鉄路線)完乗達成となりました。ドイツで代行バスに乗ったり、ハンガリーで罰金を取られたりと、またまた波瀾万丈。相も変わらず観光地巡りもせず、まともにレストランで飯も食わず、と大騒ぎな旅行になりました。そんな毎日の大きな出来事、ささいな事件、さまざまな思い、楽しさ、お笑い、そして感動。みなさんにそんな一端がお伝えできて、欧州の鉄道への理解を深めていただければ幸いです。

今回は4/27夕方関空発、翌4/28ソウル発同日アムステルダム着、5/7フランクフルト発、5/8ソウル着、同日乗り継ぎで、5/8夕刻関空着という出発、帰着日程です。もちろんアムステルダムへの直行、KLMオランダ航空の便がとれればそれに越したことはないのですが、残念ながらわだらんの手の届く範囲の空席がなく、大韓航空利用となりました。しかもソウルで往路一泊というおまけ付き。とはいえ、大韓航空でもわだらんの持っているマイレージは100%加算でとてもいい。また、韓国めしの大好きなわだらんには機内食はおもしろく、そしてソウルの地下鉄にも乗り、またそれでおもしろかったのですが、ここでは韓国の話は省略します。4月28日、日本時間の午後、ウラル山脈を越えて、ヨーロッパロシアに入ったところから話を始めましょう。機内食のビビンバ(うまかった)を食べ、ワインを3杯も飲んで、一寝入り後のお目覚めからです。では、おつきあいのほど、よろしくお願いします。

 

1. 4月28日 昼  さて、どこへ行こうか

再び欧州に出かけることになった。出かけることになった、などというと他人行儀みたいだが、もう少しで旧オランダ国鉄を完乗できるところまできたので、もう意地の固まりである。旅行に行きたいという欲望より、とっとと全線乗ってしまい、というそれだけの思いである。

もちろん、一年前に思い残した鉄道博物館の訪問もあるし、ドイツフランス国境付近のいくつかの街並みにも行ってみたいし、欲を出せばきりがない。どこを取り、どこをあきらめるか、かなり激しく悩む。よく旅行はプランを立てるときが一番楽しい、などと聞くが、わだらんの場合、最初の大まかな計画を立てる時は楽しいなどというのにほど遠い。苦渋の選択の連続である。

 

もちろん、前後の出発帰着の日程は動かせない。その範囲の中で、どれだけ有効に動けて、距離を稼いで、自分のポイントを押さえるか、大きな日程をたてていく。このときはあまり時刻表を見ず、だいたいこのくらいの時間で動けるだろう、と並べていく。そしてある程度動きが固まると実際に時刻表で適当な列車を当てはめていく。といっても、最終的な利用列車は当日その場で決めることも多い。

最近は、ネットで簡単に宿の予約が取れる。昔は朝宿泊したい街の駅について、すぐに観光案内所で宿を紹介してもらうのが常だったが、昨年の欧州旅行から必要な部分の宿泊を先に日本で予約してしまう。その方が宿を探す時間も省け、確実である。なので、まずはネットで取る必要のある日程と場所の宿泊を決めていく。

 

まずは旅行の途中、あまり深く考えずに、5/2にハンガリーで宿を取ることにした。出発前だというのに、なぜか集中して日程を組める時間がなく、ばたばたしていて、結局4/28のオランダの宿(これはいつものところだが)と5/2のデブレシェンの宿だけが

決まって、あとはすべて旅行中に決めていこうという、またずいぶんといい加減な出発である。まぁ、なんとかなるさ。オランダ鉄道完乗と、オランダの駅舎の訪問以外、別に何も決まった目的のある旅ではないからね。

 

 

2. 4月28日 昼続き  よし、流れは決まった

 

わだらんの乗ったKE925便、大韓航空ソウル発アムステルダム行きは既に5時間の飛行時間を過ぎ、シベリア大陸を飛んでいる。昼飯のあと、一寝入りして目が覚めた。そろそろまじめに旅行のざっとの予定を立てよう、いや立てなければならない状況になってきた。

とりあえず、4/29のオランダ・フォーアウトの宿、5/2のハンガリー・デブレシェンの宿は押さえてあるが、あとは全く予定が立っていない。オランダ鉄道の完乗と、「ヨーロッパ駅舎放浪記(栗進介著、成山堂書店)」に出てくるオランダの駅を回ってみたいなぁ、アルザス・ストラスブールに行ってみたいなぁ、ハンガリーのローカル列車に乗ってみたいなぁ、などと、ただ、漠然といきたいところの候補を上げてみる。

 

そのなかで、少しずつパターンを固めていって、おおよその移動日程を決めていく。鍵になるのは宿泊、しかも列車での移動である。5/2にハンガリーで宿を取ったので、5/1と5/3が夜行で移動、と簡単に決まるのではあるが、ならばどの列車を使うか、

と悩むところである。

最近の欧州の夜行列車はふらりと乗れる座席車、特に一等車が激減してしまい、夜行列車自体の削減とも相まって、自由度がずいぶん落ちている。アムステルダムを例に取ると、かつてはパリとベルリンに夜行が出ていたのだが、今はもうなくなっている。バーゼルからブリュッセルへの夜行もなくなり、オランダ周辺での列車での宿泊がかなり難しくなった。勢い、オランダ周辺での夜行となるとベルリン−ケルンやハンブルグ−フランクフルトだとか、バーゼル−ケルンなどのドイツ内列車利用に限られてしまい、自由がきかない。しかも悪いことに、アムステルダム−ケルン・フランクフルトのICEも、アムステルダム−ハノーバーのICも、深夜早朝に設定がなく、この区間の国境越えにまた制約を受ける。

オランダ国内にも夜行列車はあるのだが、夜行列車というより、終夜運転という言い方の方が正しく、夜間ずっと走っているわけではない。なにせ2時間もあればたいていのところには着く小さな国なので、スキポール空港の深夜到着客などを主な利用客とする、ロッテルダム=アムステルダム=ユトレヒトという主要都市間のみの快速列車である。ちょうど新快速が京都=大阪=神戸間のみ、深夜に1時間おき運転をしている、と考えられるようなものだ。なので、人の出入りも激しく、朝までずっと同じ席で睡眠できるわけではないので、宿泊の列車としては使えない。オランダ国内に泊まるときには、ホテルに宿泊するか、もしくはドイツのオランダに近い区間の夜行列車を使用するしかなく、列車を利用してオランダ国内で夜を明かすことはまず不可能である。

トーマスクックの時刻表やNSの時刻表を座席に持ち込んで、そんな条件を含みながら、あーだの、こーだのと時刻表をひっくり返しながら、日程を考えている。とりあえず、デンマークからベルリンへ抜け、旧東地区からミュンヘンへ、そこからハンガリーへ、戻って5/4〜5/7はオランダ・ドイツでうろうろかな。最後はICEでフランクフルト空港駅、と。デンマークからベルリンへは昨年と同じルートで少々面白味には欠けるが、列車自体が楽しいのでよし、としよう。そして5/4以降でオランダの未乗区間走破と栗さんの書かれたオランダの田舎駅への訪問をしていくことにしよう。と、おおよその流れは決まった。

考えているうちに既に機体はサンクトペテルブルグにほど近いロシア上空を飛んでいる。

 

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3. 428日 昼続き  オランダ入国
今日の機体には座席ごとのモニターはない。なので、映画を放映している間は、現在位置がわからない。しかも下界は雲に覆われて、全く欧州の地上の姿を見ることができない。
映画が終わって、少し雲が切れた。陸地が見えてきて、高速道路や街並み、海も見える。細い線は鉄道だな、などと喜んで眺めている。
不思議なもので、鉄道と道路はちゃんと区別できる。地上11000mからでもわかるというのは、鉄ヲタの特性だろうか。もっとも、最近は国土交通省だのGoogleなどで上空からの眺めを日夜楽しんでいるので、その練習の効果かもしれない。
機体は海岸線に沿って飛んでいる。なので、バルト三国のどこかだろう、と思っていた。ちょうど、ちょっとした大きな町が見え、大きな操車場も見える。しかも駅が海のすぐ裏手にある。でも、バルト三国のあたりでは上空から見て場所を特定することはできない。

ところが、その南側(たぶん)で、大きな一本の線が海を渡っている。とすると、さっきの大きな操車場とそこに続く駅は、マルメである。なるほど、対岸の陸地も見えるし(この時点でコペンハーゲン上空は雲に覆われて判別不能)、エールスンの上で間違いない。ちょっとでも知っているところの上を飛んでいるというのは本当に楽しい。
が、残念ながら、デンマークの上空でふたたび雲に下界の眺めを遮られてしまった。またしばらく雲の上を飛んでいく。晴れてさえいれば、リューベックあたりが見えているのだろうに、と残念がってみるが仕方がない。
結局雲は切れることなく、そのまま機体は降下を続けていき、雲を抜けると、もうすっかりアムステルダムに近づいている。ウイースプの町が見える。三角線の先に可動橋、そしてその先に大きな橋、とくればもう簡単。黄色の電車が走っていればもっと楽しいのだが、残念ながら電車には逢えなかった。
最近Googleサテライトなる強い武器のおかげで、やっとスキポールの滑走路とその進入方向がわかるようになった。広い空港で、しかも滑走路がいろいろな方向を向いているので、なかなか位置感覚がとれなかったのである。でも、上空からの写真のおかげで、もうばっちり。

などと思っている間に、ダイブンドレヒトの上空から、アムステルフェーンの街を眺めつつ、北向きに着陸。北からの南向き着陸だと、ハーレムかザーンダムの駅が見えるのだが、このルートでは線路がほとんど見えず残念である。
とはいえ、さて、オランダに着いた。がんばって電車に乗ろう、と思う。

 

4. 4月28日 午後  NSさんこんにちは
入国審査で、NL飛行機マークスタンプを押してもらう。どうせ日本人だとわかるのだから、最初からこんにちは、というと、審査官がこんにちは、と言ってくる。おまけに「どちらへ行きますか」などと日本語で聞いてくるので、「ライデンにいきます」、と答える。気をつけて、とまで日本語で言われるとこっちが参ってしまう。でも、そんな楽しいオランダ人が大好きで、オランダに通っているのだろう、と思う。

さて、入国審査から税関を通ると、晴れてEU圏、オランダの地である。税関を抜けてから駅まで徒歩1分もかからない。フランクフルトもミュンヘンも、あるいはヒースローも空港ターミナルの中に駅があるが、わだらん的にはスキポールが駅へ一番近いのでは、と思っている。

さっそくスキポール広場から駅へと向かい、まずは窓口でユーレイルパスの有効期限を記入してもらう。窓口氏がしきりに端末画面を見ているので、何でたかがユーレイルパスで端末を、と思っていると、窓口氏は端末でカレンダーを出して有効期日を数えているのだった。そういえば、NS窓口で有効期限を切ってもらうのは初めてのように思う。かくして手にはNSマークの入ったユーレイルパスができた。だからどうだ、というわけではないが、何となくうれしい。
(スキポール駅の様子はこちらから)
http://www.geocities.jp/yasummoya/europe05/NS/station/schiphol/schiphol.htm

ホームに降りると、4分遅れの普通電車がやってきた。ホームへの階段入り口にある表示は17時01分の快速表示だったのだが、普通電車が目の前にいる。ライデンまでなら抜かれることもない(途中に待避のできる駅がない)ので、目の前の普通電車に乗ることにした。もちろん日本のように「ライデンまでこの電車が先着します」みたいな案内は全くない。日本が親切なのか、欧州が不親切なのか。
かくしてオランダ、というか今回の欧州旅行の振り出しはドッグノーズ500の吊掛電車であった。この車、一等車で吊掛サウンドの聴ける楽しい車である。

次の駅、ホ−フドドロップ(Hoofddrop)には留置線があって、スキポール始発終着列車の折り返しに使われている。ちょうど1700ELがICR客車を牽いて出てきたところだが、この時間にそんな列車があったのかと時刻表を繰ってみるが該当するのが見つからない。アムスまで回送するとも思われないし、なんだろう?
しかし、最初の頃はほんとに付け足しのようだった留置線がだんだん大きくなって、今度はまわりに立体交差の線路が増えて橋脚に囲われて見晴らしがだんだん悪くなってきた。次からつぎへと変わっていくこのあたり、最後にはどうなってしまうのだろう?

留置線が終わるころ、高速新線が在来線から分離して、隣に複線で張り付く。もう架線も軌道もすっかり営業できそうな雰囲気なのだが、途中に高所作業車の一群が止まっていて、架線の整備をしていた。
ホ−フドドロップの次の駅、ニューベネップ(Nieuw Vennep)では、ちょうどホームから高速新線が見えるので、開業後はちょっとした写真を撮るにはいいところかもしれない。

注:旧オランダ国鉄、現在は民営化されましたが、Nederland Spoorwagen、略してNSと呼んでいます。

 

5. 4月28日 午後続き まずはライデン、そしていつもの宿へ

電車は水路で仕切られた田園地帯を順調に走ってライデン中央駅につく。反対ホームへ乗り換え。乗り換え列車までちょっとした時間があるので、銀行に行って1万円を両替。60ユーロにしかならず、かなりがっかり。1ユーロが140円台というのはわかってはいるが、実際目の当たりにするとかなりつらい。
と、まぁ思うものの気を取り直してホームにあがる。
ライデンの駅はいつもいつもお世話になるところで、銀行、カフェテリア、スナック屋といろいろなものが揃っていてありがたく使っている。もちろん主要なオランダ鉄道駅には共通の設備なのだが、たとえば銀行はアムステルダム中央やスキポールより空いているし、どっちにしろフォーアウトへ行くときには必ず乗り換えをするので、ありがたいところである。(ライデン駅の風景はこちらから)
http://www.geocities.jp/yasummoya/europe05/NS/station/leiden/leiden.htm

駅には大量のチューリップ。有名なキューエンホフ公園へはここからバス。その窓口にふさわしい出迎えかた。きれいに飾られたポットがかわいい。開園時期のみの直通バスもあって、バス→の案内板が何となく誇らしげ。でも今日は天気があまりよくないからぱっとしないような。
NSの鉄道案内所が屋台のような形で通路にでている。「自転車は借りられるか?」と聞くと、「表に出て左手に自転車屋がある」とむかしのおねえさんがちょっと機嫌悪く教えてくれる。何か変なこと聞いたかな?ともあれ、時間ができれば自転車を借りてゆっくりチューリップと電車の写真を撮ってもいいかな、と思う。
さて、まずは宿へ行く。いつもの普通電車に乗り換え、ライデン中央から一駅乗るとフォーアウト。いつもの宿である。普段はふらっと行って、部屋をくれ、というと問題なく泊まることができる。ホテルといっても7室のほんとにこじんまりとしたところだが、逆にそれが気に入っている。ただ、今回はちょうどチューリップの時期でもあるので、ひょっとして混んでいるようなら動きようがないと思い、事前にmailを入れておいた。
わざわざ電話をしなくてもFAXなどしなくても、mail一本で部屋を確保できるのだから、ありがたい話だ。
駅から宿へは徒歩1分。ちょっとした商店街の中を歩くとすぐに着く。一階はレストランとバーになっていて、夕方だがもうバーには客がいる。店にはいると、カウンター内のおにいさんが、「やぁやぁ、Comeback!」という。まぁ、わだらんも多少帰ってきた、という気があるので、そう声をかけてくれるとちょっとうれしい。
部屋の支払いを済ませ、鍵をもらい、自分の部屋に入る。シャワー部屋、洗面所、もの入れ、冷蔵庫に、ダブルベッド、テレビ、湯沸かし器。部屋は一間ながら比較的広くゆったりしている。わだらんの宿にはちょっと贅沢か。朝食込みで50ユーロ。アムステルダム市内でこの値段だと、もっと狭く、あまり感じのいい宿はとれない。

 

6. 4月28日 夕方 チューリップは咲いているかな
さて、大きなリュックを降ろし、さっそく子供リュックを作って、再度お出かけ、である。今回も大きなリュックと小さなリュックを持ってきた。普段は大きなリュックを一つ背負って動くのだが、宿に荷物を降ろしたときは、小さなリュックのみで動く。もちろん機動的には小さい方が便利なわけで、今は小さいリュックにオランダの時刻表、オランダの道路地図、三脚とデジカメ、パソコンが入っている。
フォーアウトに停車する普通電車は30分ごと。なので、駅を降りて宿へ行き、身支度して再び駅へと戻る、この一連の流れを30分以内にすませば、一段落としで次の電車に乗ることができる。支度が終わり、再び駅に行き、ハーレム行きの電車に乗る。北へ向かって、エンクハウゼンという港町まで出かけることにする。

ハーレムへの電車は途中チューリップで有名なリッセという村を通る。電車からもよくチューリップ畑の見える区間なのだが、何せチューリップは咲いている期間が短く、なかなか運良くきれいな畑にあえるかどうかわからない。が、そんな心配にもかかわらず、途中いろいろと花をつけた畑を見ることができ、まずはよかった。フォーアウトの次の駅、ヒルゴムの駅のすぐ裏手にもちょうど花をつけている畑があった。このままあと数日花をつけてくれていれば、自転車を借りずとも、駅を降りて写真を撮ってみようと思う。そういえば、ヒルゴムの駅にいつの間にかエレベータが付いている。オランダの小駅はホームに直接登れるスロープが付いているのが一般的で、このヒルゴムのような島式では踏切があるのが普通なのだが、えらく立派なエレベータである。もっとも小駅とはいっても、快速も貨物も通過する駅なので、踏切では危ないと判断されたのかな?でも対面式のフォーアウトにはエレベータもエスカレータも付くようには見えないぞ。

ところで、リッセはチューリップで有名なキューエンホフ公園があるところだ。キューエンホフの公園内からは線路が見えるが、電車からは森の中の公園が確認することは難しい。で、それほど近いところなのだから、公園開園期間中は臨時駅でも作ったらどうか、と思うのだが、なぜか駅を作る気は更々ないらしい。ライデンからでもハーレムからでも結構バスで時間がかかる。電車ならわかりやすいし、今でも待避のできる信号所があるのだが。

チューリップはこのリッセのあたりを中心として、オランダでも海沿いのところで栽培されている。なので、このフォーアウトを含むハーレムからライデンのあたりは一面のチューリップ畑、まさにオランダの春である。ところが、走っている電車から咲いた畑をいいタイミングで写すことができず、少々いらいら。目の前の景色がずっと花が咲いているだけになおさらである。まぁ、どうせこの区間は何度も乗るだろうし、などと自己弁護。赤や黄色は当たり前として、紫というのはあまり日本では見かけない(と思う)。いわゆるチューリップ、の形や、花びらが少し開いた形のもの、凝り出すといろいろ違いがわかるのだろうが、残念ながらわだらんに花の知識はない。
相変わらず雲量多く、夕方にもなって少し暗くなってきた。北の方で雨が少し降ったようで、ちょうどハーレムの方向に虹が出ている。地面も七色、空も七色、一瞬のできごとだった。

注:一定間隔でやってくる電車の次の電車(例えば、この例だと30分後の電車のこと)に乗務員が仕事に就いたり、車両を運用したりすることを一段落とし、といいます。

 

 

7. 4月28日 夕方続き ミニSLの始発駅
ハーレムで乗り換え、運河をくぐってアルクマールを過ぎ、ホールンへとやってきた。途中、アルクマールを過ぎると単線区間になる。途中オランダ風車が間近に見えたりするのどかな区間。駅ですれ違い。駅に止まるのはいいが、どうも近くに牛舎があるようで香ばしいにおいがする。田園地帯で、牛や羊が多いのは当たり前、ただ、駅に近い牛舎というのは気にしたことがない。放し飼いの牛羊ならいつも線路のそばにいるのだが。

ホールンの駅を写真に撮る。ホーム横に自転車屋があり、いかにもオランダらしい。2面3線の駅構内は踏切もあって、自転車でもそのまま駅前広場から向かいのホームに上がることができる。もちろん跨線橋もあるのだが、踏切があいていれば、わざわざ階段を上り下りする人間はいないわな。

このホールンというところ、かつては外港だったところで、ちょっとした観光地である。駅から港が歩いてすぐのところにあり、夏には湖で遊ぶ観光客で賑わうところ。また、ホールンから延びる観光鉄道があって、小型の観光用蒸気機関車もいて、駅の西側に小さな車体の客車が留置されているのが見える。春の季節はチューリップ畑の中を走る機関車として有名なものだが、あくまで観光用なので、わだらんの乗りつぶしリストには入らない。もちろん鉄道路線として興味はあるのだが、どうもわだらんは観光旅行が苦手である。

駅前にでて、駅舎の写真を撮ってみる。立派な駅舎なのだが、ほとんどの人は駅舎横の通路からバス乗り場や駅前広場にでてしまうので、あまり駅舎が活躍しているようではない。切符の自動販売機も外の通路にある。難しい切符を買ったり、売店に用事がある以外は直接ホームに出入りできる方が便利であることは間違いない。せっかく日本でもICカード乗車券が普及してきたので、ETCのスマート出入り口のような簡易改札があれば、わざわざ橋上駅で階段を上り下りせずにすむのに、などと思ってみる。

ここから港までは歩いてすぐ。街歩きもかねてのんびり時間があればいいのだが、とりあえず今は明るいうちに進まねばならぬ。なので、結局駅舎の写真を撮りに駅前広場に出ただけで、またホームへと戻る。
☆写真を撮りました
http://www.geocities.jp/yasummoya/europe05/NS/station/Hoorn/hoorn.htm

 

 

8. 428日 夕方続き 港の駅へ

再び二階建て通勤車に乗って、エンクハウゼンに向かう。このあたりは 通勤型二階建て客車DD-AR,74007800 が多いところだ。アムステルダムの近郊区間という形なのだろうが、周囲に家が建て込んでいるわけではない。かといって湖が見えるわけでもなく、よく言えば牧歌的な、悪く言えば退屈な風景である。
エンクハウゼンは瓦作りのおおきな駅。駅の前がすぐに湖である。ホームから湖も見えるし、船だまりも目の前に見える。多種多様な個人用と思われる船が多数停泊している。ここから、締め切り堤防が、対岸のレリスタッドと繋がっていて、アイセル湖を分けている。過去に一度、バスで対岸から堤防を通ってきたことがあり、当然この駅も通ったはずだが、駅の印象は全く残っていなかった。
が、いつの間にか堤防を走るバスはすっかり本数が減って一日3本になっている。昨年レリスタッドの駅で時刻表を見てびっくりした記憶がある。堤防の両側が湖という眺めのいい気持ちのいい区間なのだが、日頃の人の流れはないのかもしれないな。
ホームであったと思われる位置には今はレストラン。とはいえ、まだ春の入り口のしかも20時過ぎとあっては、全くひっそりとしている。夏の期間はさぞかし賑わうのであろう。
駅には留置線があり、始発電車が休む他に、ラッシュ時ピーク用の枠外列車の留置にも使われる。オランダNSのダイヤは基本的にそれぞれ30分おきの系統の列車が混じるパターンダイヤの繰り返しなのだが、ピーク時にはそのほかに列車が入る。大阪駅で、15分おきの新快速の他に、夜の大阪始発22分とか37分発の電車にあたるものである。基本的にそれらの差込系統に使われる編成はアムステルダムから夜ここにやってきて、翌朝また出ていく単純な運用。NSの終端駅や拠点的には留置線が多く、大きな車庫、というのはない。まとめて車両を収容するのではなく、いろいろな駅に分散留置させている。余分な回送がなく、無駄はないのだろう。とはいえ、その分散留置が車体落書を容易にさせている一因ではないか、とも思う。特に明日はお祭り(女王の日)で、既に今からあちこちで大声での騒ぎが聞こえてくる。間違いなく落書きの程度は昨年6月より悪く、おそらく今週末にかけて手が付けられなくなるのだろう、と思う。正直、落書きだらけの電車を見ると落胆する。
エンクハウゼンまで乗ってきたのは 7800 の重連、8両。が、折り返しは編成の相方をホームに落とし、前側1編成だけで帰っていく。列車の時間帯が遅くなっていくので、編成も短くなるのだが、その車両運用の方法が日本の電車の運用によく似ていて、笑えるというか、うれしいというか。
線路際の水路が他の水路と立体交差しているのを見かけた。はて?その高低差はなんなのだろう?と考えてみたがわからない。上の水路は船が通りそうだったが。風車への導水路かな?

さすがに帰路、アルクマールをすぎるとあたりは暗くなった。どうやら20時が写真の限界のようだ。6月だともう少し遅く、外を見るだけなら22時近くまで明るくなっている。
が、やはりさすがにこの時期22時は無理で、例えば車体表記を見るのは21時くらいが限界のようだ。アムステルダム行きの車内はもう遅い時間で静かなままである。
☆写真を撮りました
http://www.geocities.jp/yasummoya/europe05/NS/station/Enkhuizen/enkhuizen.htm

 

9. 428日 夜  大都市駅は苦手だ
アムステルダム中央駅にやってきた。この前まで地下鉄工事などで駅舎正面に大きな囲いを建てて工事をしていたのだが、いまは取り払われて正面から駅舎を眺めることができる。とはいっても、もうすっかり暗くなっているので、駅舎の写真を撮ることはできない。しかも、相も変わらず駅前広場は人がいっぱいで、凄まじいばかりの勢いである。どうしてこの広場にそんなに人がいるのか不思議なのだが、なぜかいつも人が多い。わだらんもオランダ駆け出しの頃は、よくこの広場で路面電車を見ていたり、ストリートオルガンの響きを楽しんでいたりしていたのだが、どうも最近は人混みが多いところは苦手である。結局まともにアムステルダム市内に入らず、そそくさと駅構内に戻る。
アムステルダム中央駅も立派なドームを持つ風格のある駅で、かつNSを走る気動車以外の車両を見ることのできる楽しい駅ではある。ただ、人が多く、駅構内が広いので、車両を追いかけてホームを走り回る、というのはなかなか難しい。ホームから南北自由通路に降りる階段も狭く、また通路は天井が低いので、ホーム上の背の高いドームの雰囲気に比べて、どうも駅舎内というか、通路はせせこましくてよくない。とはいえ、NSの駅の特徴であるホームを分割して2列車を同時にホームに停めるという技や、ホーム途中にあるシーサスで列車は発着させるという技は、やはり本数の多いこの駅で見るのが手っ取り早く、やはり鉄ヲタには落とせないところだろうと思う。この駅はホームのない機回し線というか、ホームに面しない通過線というべきか、多数の線路があって、その線路も通しで番号を振っているので、ホームの呼び名に欠番が多い。どことなく京都駅を想像して、楽しくなってくる。でも、人混みが最近苦手なわだらんは最近ゆっくりとこの駅にいたことがないのだが。

ところで、欧州の主要駅といえば、ホームが行き止まり式で、列車が頭を揃えて並ぶ頭端式がどうしても頭に浮かぶが、NSには頭端駅が少ない。というか、大きな頭端駅はハーグ中央駅だけで、他の主要駅はみな通過型である。ここアムステルダム中央駅は、線路が2階の高架駅で、地平はホーム間を結ぶ通路と駅コンコース、階段を上がった高架のホーム上にはドーム屋根、という形である。ここアムステルダム中央駅の他、ロッテルダム中央駅、ハーグHS(ホランド)駅などみな大きな高架通過型駅である。いずれも通路があまり広くなく、少し暗い印象を受ける。アムステルダム中央も、東側の南北通路はそれなりに広いのだが、天井が低く、人が多く、明るい印象ではない。
で、結局今日もわずかの滞在時間でアムステルダム中央駅を離れることとする。宿のあるフォーアウトへ戻るにはハーレム経由がここからなら近く、まずはハーレム行きを捕まえる。やってきたのはEL1700の牽くマーストリヒトからのIC客車編成。さすがに末端区間となるアムステルダム=ハーレム間では車内も空いていて、のんびりムード。もうすっかり暗くなってまわりは見えないが、明るければハーレム手前にある車両工場を見ることができる。台車の隊列や、台車のない車体や、編成からはずされた中間車など、げてものまがいがたくさんいるところだ。
跳ね橋を渡ってハーレムの駅に入る。そういえば、ハーレムの駅舎の中をよく見たことがなかった、とまた写真を撮る。高い空間のある大きなドームに絵画があって、いかにも昔の芸術的な駅舎、という感じである。今の無機質な駅舎には感じられない荘厳さがある。とはいっても、今時こんな駅舎が必要だとも思わないし、絵画や彫刻があるより、物販店の方が現実的には利用者のためになるわな。
☆写真を撮りました。
http://www.geocities.jp/yasummoya/europe05/NS/station/haarlem/haarlem.htm

 

10. 4月28日 夜  ビールでほろ酔い
もう夜も更けてきた。まだ初日である。あまり欲張らずに、宿へ戻ろう、とハーレムからいつもの普通電車でフォーアウトに戻る。チューリップ畑というのは日中見れば緑だの花の色だのできれいだが、夜になっては全くの暗闇である。人気の少なくなった駅を降り、歩けば宿はすぐだ。

宿にはいると、一階のバーはカウンターもテーブルも人がいて、繁盛している。軽くビールを引っかけてから、自分の部屋に戻るのがわだらんの勝手な習わしで、いつもの楽しみでもある。小さめのグラスで1.75ユーロ。カウンター内の顔なじみのにいさんが、いつもの手際よさでビールをついでくれる。

蛇足だが、オランダとドイツではビールのつぎ方が違う。ドイツは一度グラスにビールを入れ、泡が落ち着いてからさらにビールをつぎ足し、適度な量の泡をおく。ところがオランダでは、わざとグラスからビールをあふれさせて、泡が流れきったところでさっとグラスのてっぺんをへらで切る。すると不思議と泡が適度な量に落ち着くのだ。ドイツではビールを頼むと時間がかかるが、オランダでは頼むとすぐにビールが来る。手際の良さがオランダの得意技のようだ。

バーでビールを飲みながら、次の宿泊の予約をしておく。ざっと飛行機のなかで予定を組んで見て、結局4日と6日にオランダで泊まろう、と決めた。別にここフォーアウトでなくてもいいのだが、居心地も足の便もすこぶるいいので、結局この宿を確保しておく。ちなみに途中2日晩はハンガリーで既に宿を確保しているので、欧州内ホテル4泊、残りは車中泊、となった。

バーカウンターにいると、カウンターの隣でビールを飲んでいたおばさんが、あんた誰?みたいな話をする。ちいさな酒場で、お客は皆地元の人間である。私は日本人だ、と言うと、フォーアウトなどというこんな小さな町になんでわざわざ来るのか、と不思議でならないらしい。「駅にも近く、どこに行くにも便利だし、安くてきれいだよ」と話す。ホテルのスタッフは私のことを既にわかっているので、横で笑っている。わだらんにとってはこんなに便利な宿泊先をほかで探すのが大変なのだが。

さて、明日に備えて、部屋に戻ろう。でも、その前に夜食を買い出し。ホテルの向かいにはスナック屋があって、深夜までやっている。フリカンデル2本とフライドポテト(マクドナルドのような細めのもの)を買い込んで、部屋でリュックを作りながらしばしお食事。そういえば日本ではフライドポテトにマヨネーズをつける、とは言わないなぁ。これもいわばオランダ料理か。ビールの酔いも回ってきて、フリカンデルもポテトもなくなったので、そろそろ寝ることとする。

 

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11. 429日 朝  早起きせねば
教会の鐘の音で目が覚める。ちょっと早かったが、電車の始発は7:56、今日は金曜日。平日なのだが、オランダは祝日で、始発が遅い。ホテルの朝食にあるヨーグルトを食べ、残りのサンドイッチを作り、リュックに放り込む。今日からまたしばらくここに来ないので、身の回りのものすべてリュックに入れ、手短に身支度をして、リュックを背負い、駅へと向かう。
☆写真を撮りました

http://www.geocities.jp/yasummoya/europe06/food/food.htm

すると、遠目に踏切が降りているのが見える。あれ、この時間に電車があるか?とふと疑問に思いつつ駅に上がり、もう一度時刻表を見る。で、結果的に、ドジをした。時刻表の脚注の読み違いをしてしまい、早朝の電車が祝日運休と勝手に思いこんでいた。が、今日は祝日でも電車の運休対象にならない祝日なので、始発は6:56だった
ようだ。これならもっと早起きすればよかった、と後悔。ともあれ、フォーアウト7:56の電車でまずライデンに向かう。線路際にチューリップが花を咲かせている。今日もいい天気そうでなにより。

ライデンに着き、乗り換えの待ち時間に駅構内写真を撮る。白の骨組みに全面ガラス張りの大きな駅舎で、駅の中はとても明るく、広々と見える。ユトレヒトへ向かう1/2番ホームは、エレベータが駅コンコース中央に空中回廊のように張り出してアクセントになっている。エレベータホールから構内を見下ろすことができるので、写真を撮ってみる。しかし、ガラスでできた建物内に空調設備が閉じこめられているのはなんでだろう?空調設備とは室内機と室外機の組み合わせのはずだが、これではどちらも室内機ではないか?どう見ても空調設備のようだし、疑問が残る。
さらに言うと、駅入り口には扉があって、外気を遮断しているのに、4/58/9ホームへの階段は扉なしの吹きさらしである。同じホームでも1/2ホームは扉があって、ホームと駅コンコースを隔てている。中途半端なのか、中途半端だからいいのか、わだらんにはよくわからない。
ちなみに、ライデンの駅も通過線を線路呼称に含んでいるので、ホームの番号が飛んでいる。一番南はユトレヒトへの1/2番線、下り側線(3)、下りホーム両面4/5番、下り通過線(6)、上り通過線(7)、上りホーム両面(8/9)、上り側線(10)と並んでいる。ただし、本線のホームは中間で分割でき、4a4bという読み方をする。よって客扱い上は28線ということになる。3番線と4番線にはホーム中間にシーサスがあって、ホームに停まっている4a4bのそれぞれの列車がそれぞれ干渉せずに本線へ出入りができる優れものである。
今は通過線をタリスやブリュッセルへのICが通過しているが、高速新線ができるとその姿を見ることができなくなるので、ちょっと寂しいかな。もっとも時折通過線を貨物列車が通っていくのはご愛敬か。
☆写真を撮りました

http://www.geocities.jp/yasummoya/europe05/NS/station/leiden/leiden.htm
さて、ここからスキポール経由で、アムステルダム市内に向かう。やってきたのは6+4 IRM 。大きな車体が朝日を浴びてきらきらしている。今日は土曜日。乗客も少なく、落ち着いた車内である。スキポールを過ぎ、アムステルダムストローイック駅でIRMを降り、電車を乗り換えて、そこから北へ向かう。昨日のエンクハウゼンもかつて何度か乗っていながら、もう一回行ってみたところ。今日のデンホルダーも以前に何度か行ってはいるが、今回はきちんと終着駅の写真を撮っておこうと思うのである。

 

12. 429日 朝続き  高架の直交交差駅
スロターイック駅で乗り換え時間の間にこの駅の構造を見学。この駅は同じ直角交差駅ながら、ダイフェンドレヒトと違い、上ホームと下ホームの間にコンコースがある。つまり、線路が地上で、その上に橋上駅の形で駅舎が乗り、さらにその上に線路が乗る、というパターンである。イメージとしては北千住の東武/日比谷線と同じだが、1階と3階の線路は直角交差である。コンコースから見ると、3階(スキポール線)が駅舎の中に取り込まれて走っている。駅舎の中に列車が入ってくるのは北九州モノレール小倉駅と同じだが、ここの場合は線路がガラスで囲われているので、コンコースから見上げると、上の階にガラスチューブの中を走る列車が見える次第。
南北方向、ガラスチューブの中は12線で、南はスキポール、北はアムステルダム中央へ、東西方向は36線で西向きはハーレム、ザーンダムへ、東向きはアムステルダム中央へと向かう。アムステルダム中央へは上下どちらからでも行くことができるのだが、方向別にはなっていないので、十三の梅田行きと同じ状態。自分で時刻表を見て最適なホームに行け、という不親切さではある。スキポールからの線路はアムステルダム中央へ向けて大きく北側へ迂回して南から東へ向かう形になっているので、上下ホームの直交状態で同じ行き先になっている。アルクマールやホールン方向からスキポールへの乗り換えの利便を図って駅を設置したのだろう。
とはいえ、最近、ホールンからザーンダムを通って直接スキポールへ向かう電車もできて、乗り換え拠点としては少し重要性が薄れてきたのだろうか。空港へも市内にもすぐの立地で、駅周辺は開業時よりずいぶん賑やかになっている。上下に挟まれたコンコースから駅舎の外に出ると、そのまま駅前広場に繋がる。6本の線路をまたぐ形で大きな人工地盤になっていて、バス乗り場と電車乗り場があり、この地区の中心として大きく構えている。駅のまわりには新しいオフィスビルが並び、都会的な雰囲気充分。朝夕はさぞかし混雑するのだろう。
ところが、今日は祝日で、駅前はとても静かである。今日の大騒ぎに備えてであろうか、警官が2名、駅前広場を歩き回っているが、まだ警戒するような騒ぎは全く起こらず、わだらんがふらふらしながら写真を撮っていても、別に気にする様子ではないようだ。
駅前広場の先には、真新しい高架線が見える。ホールンからスキポールへの新しい短絡線の高架で、ちょうど電車が走っていった。昨年の新設系統で、わざわざ直通運転のために短絡線を作るという、なんともうらやましい話。
駅に戻り、下のホームに降りデンヘルダー行きを待っていると、ダイヤより遅れて DDM客車 がやってきた。EL1700に牽かれた全車二階建ての6両編成である。アルクマール、エンクハウゼンからアムステルダム中央を経由してアメルスフォールトあたりを中心とする列車に限定運用されているのだが、6編成しかない上に、もともと朝夕しか運用がないので、なかなかつかまえられない車である。せっかく逢えたのだが、同じホームなので形式写真を撮ることはできない。が、 DDM の特徴である車体の動物の写真は撮れたのでちょっとうれしい。チーターであった。結局この普通電車はスロタードイックで後のICに道を譲ることになった。やってきたIC IRM 、わだらんの乗るデンホルダー行きである。
☆写真を撮りました

http://www.geocities.jp/yasummoya/europe05/NS/station/stoterdijk/sloterdijk.htm

 

13. 429日 朝続き2   また港町へ
運河をトンネルでくぐり、なぜかザーンダムに停車して(本来のIC停車駅ではない)、電車は進む。アルクマールを過ぎ、途中から単線区間に入る。全く起伏のない平原の中を電車は淡々と走る。チューリップの絨毯があちこちに散らばり、いかにもオランダの5月である。畝に沿ってチューリップが並ぶのだが、なぜか畝の途中で色の変わるところがよくある。何で一直線に同じ色が並ばないのか、ちょっと不思議である。電車の窓からチューリップの写真を撮る努力をするが、なかなかきれいに収まらない。電車の速度も速く、かつ、畑ごとにチューリップの状況が変わる。きれいな畑の横にはすでに花のない畑があったり、突然きれいな畑が現れたり、とタイミングも根性もいる。まぁ、電車に乗っているだけ、車窓からこれだけ楽しめれば、それはそれでいいことだとは思うが。
☆写真を撮りました
http://www.geocities.jp/yasummoya/europe06/NoordHolland/noordholland.htm

デンホルダーに着いた。ここから海の向こうの島に船が出ている。駅前には船乗り場への道案内もあり、駅からつながる大きな通りには観光案内所もあって、夏は観光客でにぎわうところ。とはいえ、今はシーズンオフで、とても静かである。駅の中にはきれいな花屋。チューリップがところ狭しと並べられてとても華やか。駅舎は平屋のシンプルなもので、おそらく昔は大きな煉瓦の建物があったのだろうが、今は大きなNSマークが駅舎を表す以外、そこらの商店なんかと変わらない。ただ、大きな時計塔が駅舎横にあって、これは目立つ。折り返し時間を利用して、商店街をアーケードの端まで歩いてみる。細い通路に小さなアーケード。派手ではないが、こじんまりとしたかわいい雰囲気。ただ、土曜の朝とあって、人通りは少なく、まだ商店も半数は店を閉めていてひっそりしている。アーケードの端にはスーパーマーケットがあって、ふらりと入ってみる。なんとなしにおいしそうなイチゴがあって、おもわず買い物。船乗り場までもう少し散歩しながらゆっくりしてみたかったのだが、帰りの時間が気になって、そそくさと戻る。アーケードは駅まで直接つながってはおらず、商店街を抜けると、駅前の大きな時計柱が見える。幸いにもまだ少し時間があり、駅前広場(といえるのかな)をゆっくり歩いて駅まで戻る。

☆写真を撮りました
http://www.geocities.jp/yasummoya/europe06/DenHelder/denhelder.htm
駅は12線の行き止まり式で、ホーム両側に IRM が停まっている。デンホルダー=アムステルダム=アーネム=ナイメーヘンのICはほぼ間違いなくIRMで運転されていて、デンホルダー駅の日中の電車は、すべてナイメーヘンへのICなので、いつもIRMがホームにいるわけである。以前からIRMを見ていると、いつも6+4が多いので、10両が最大かと思っていた。が、1月にこの系統で6+6を見たので、なんだ、12両もできるがな、と発見したのである。ところが、何気なしにホームを見ていると、このデンホルダー駅のホーム有効長は10両のようだ。なるほど、それで6+4なのかいな、と納得。ホームの有効長で編成の長さが決まるあたり、高床ホームのオランダならでは、という気もする。そういえば、6+6の後ろ6両はアルクマール落としだったなぁ。

 

14. 429日 朝続き3   ネーデルランド
10:33発のIC3041列車、 IRM の二階の一等席に収まり、さっそく買ってきたいちごを中で食べる。感覚的には日本の1/3くらいの価格だろうか、ずいぶん安い。堅いのに水分が多く、大粒でとてもおいしかった。そういえば、欧州に春か夏に来るといつもいちごを食べているなぁ。
☆写真を撮りました

http://www.geocities.jp/yasummoya/europe06/food/food.htm
電車は10両で定刻に出発し、ふたたび南へと戻っていく。左側に市街地、右側は田園風景、と車窓の進む中、南デンホルダー(Den Helder Zuid)駅につく。ここからは両側とも田園風景となって遠くまで見渡せる眺めのいい区間である。少し走って線路が大きく左カーブをすると、桁を片方で持ち上げるタイプの可動橋がある。白い支柱が目印で、まわりに何もない田園風景の中で目立つ異様な構造物である。いつか写真に撮ってみようと思いつつ、なかなか行くきっかけを作れないでいる。この区間は単線なのだが、電化単線区間の可動橋は、割と例が少ないのだ。
次のAnna Paulowna駅でIRMと交換。二階席から対向列車の二階席窓を見るのはなかなかの迫力である。すれ違いならあっという間に過ぎてしまうが、単線区間の交換ではゆっくり対向列車を見ることができて楽しい。二階建てだけなら日本にもないわけではないが、E231の湘南新宿ラインでも東海道線でも単線区間でのすれ違いはないなぁ。宇野線マリンライナーの離合はどうだろう?
ところで、この駅には、第二出発がある。駅を出てもしばらく複線が続き、再び単線に戻るのである。宇野線内の有効長の長い交換駅と構造は似ているが、駅を出てすぐにも渡り線があるところがみそ。対向列車が遅れているときは複線の先端まで進んで待っていれば少しでも遅れを取り戻せるし、通常は駅を出てすぐに転線すれば分岐の制限を受けず、とろとろと走る必要もない。なるほど、と思う。今日は定時で問題がなく、乗った電車は駅を出てすぐに渡り線で転線して走り出す。そういえば宇野線の駅構内の有効長を長くした区間にこそ駅でてすぐに渡り線を設けて一線スルー化すれば、柔軟性が増さないかな?
しかし、このあたり、本当になにもない、広いところだ。ずっと先に地平線が見える。もちろん何もないわけでなく、羊さんも牛さんも、そしてチューリップもいっぱいあるのだが、まぁなんとものどかなところである。このあたり、各区画へ行く農道があまり見られず、農地の区画境はすべて水路である。きっとこのあたりの農家の方は一家に一台軽トラならぬ軽船を持っているのだろうな。水路の広がる、いかにも低い土地、ネーデルランドを実感できる、何となく気に入っている区間だ。

電車は、国鉄型23線のSchagen駅を過ぎて、また複線に戻った。可動橋を渡るとアルクマールの駅である。

 

15. 429日 午前  祭りの予感
またアルクマールに戻ってきた。さっきのチーターは既に留置線に入っている。ラッシュ時の挿入列車はアルクマール発着が多く、駅北側には7線ほどの留置線がある。形式写真を撮るには少々ホームから遠いのが難点であるが、南北に列車が停まるので、日中は順光。電車を眺めるにいいところである。
駅のバス乗り場を写真に撮っておく。バス乗り場からホームまで階段の一つもない、まさにバリアフリーな駅である。オランダの場合、自転車を電車に乗せるという、日本にはなかなか定着しない大きな視点があり、基本的にはホームにはスロープが付いて自転車を押して上がれるようになっている。
最近いくつかの地方駅で、高速化整備でホームにエレベータがついた例はあるが、田舎の駅はホームに直接上がれるタイプがほとんどである。改札がないので、構内の境もはっきりしないところも多いが、利用しやすければそれが一番なのだろう。幸いオランダの場合は高床でホームはホーム以外とはっきりと区別ができる。どうも日本は無理に機械に頼りすぎているような気がする。本当は構内踏切式で、かつ窓口駅員が踏切とホームで安全監視のできるもの、そんな田舎駅が一番乗客に優しい駅だ、とわだらんは思う。
☆写真を撮りました
http://www.geocities.jp/yasummoya/europe05/NS/station/Alkmaar/alkmaar.htm
しかしまぁすごい人である。今日はパレードだ、というので、各駅で電車に次々と人が乗り込んでくる。いつもの休日なら午前中の電車はきっとがらがらなのだろうが、今日はもう大騒ぎ。お祭り好き、がしいのが大好きなオランダ人、みんなオレンジの服を着たり、帽子をかぶったり。顔を塗った人間がみんなで歌っていたりして、とても電車の旅を楽しむなどという優雅なものには縁遠い。
大きなぬいぐるみをもちこんで、しかも中の綿をどんどん周囲に放り出すものだから、車内はゴミだらけ。事前に予想されたのだろうか、アルクマールの停車中に掃除のおじさんがゴミ袋を持って車内に入って行くが、どうも簡単にきれいになりそうにない。ぬいぐるみの中身を出すのは何か意味があるのだろうか?
とりあえずわだらんはここでハーレム行きに乗り換えるが、このアムス行き、途中で乗り残しを出しそうな勢いである。ちょっと怖いもの見たさもあるが、ミイラ取りがミイラになってもよくない。先を急ごう。

 

16. 429日 午前続き  街開き、駅開き
幸いにもアルクマールからハーレムへの電車は空いていた。朝通ってきた線路を戻り、今度はアウトゲストから別れて南へ降りていく。アウトゲストという駅もなかなか線路配置の面白い駅で、かつ田園風景のまんなかにある駅なので、上空からでも一目でわかる駅だ。ちょうどこのあたりはスキポールから日本への離陸コース上でもあり、空からこのあたりを見るのは何となく寂しく思う。

ベバイック(読み方あっているかな?)は多数の貨物側線のある駅。ここから港へ貨物線が伸びている。港湾設備に付帯する貨物線、昔は当たり前だったのに、今の日本ではほとんどなくなってしまった。ここでは貨物会社の機関車が停まっていて、いかにも貨物が元気です、と思わずにはいられない。北海運河をトンネルでくぐり、再び地上に出る。運河からハーレムまでは工場や事務所などが多数連なって、チューリップはほとんど見えない。ちょっとつまらない。

ハーレムの北では、都市化の造成をやっている。駅設置の工事もあるようだ。NSで新駅開業というと、ほぼ間違いなく新しい街開きである。牧草地などを造成してアパートや事務所などを造成し、そこに駅を作るといったものである。計画的な開発なので、無秩序に市街地が広がることを抑制できるし、一方で新規の住宅需要や事務所スペースの確保もできる。オランダの場合、土地はみんなのものという意識が強いので、個人の事情より公共の事情が優先していけるのだろう。おまけに新市街地に駅ができてNSの乗客が増えるようなら、ますます楽しみではある。もっとも、その分、車窓は多少つまらなくなるが。

突然電車が停まる。踏切の前で停まってしまい、踏切を悠然と車が通過している。何事?と思ったがわからない。前でも見えていればまだ状況がわかるのだが。しばしの停車後、やがて車が踏切に並びだし、電車は動き出す。北行列車とすれ違い。実は停まった場所はハーレム駅のすぐ近くだったようで、場内信号開通待ちだったようだ。ということは、あの踏切は場内信号に連動していたのかな?日本でも信号連動の踏切は数多くあるが、どちらかというとおおざっぱな印象の欧州の鉄道の中で、こんな細かい仕草を発見できるとちょっとうれしい。

そういえば、フォーアウト駅の南行ホームには信号があり、停車列車で見る限り赤現示、駅の先(南側)踏切は空いている。ということは、フォーアウトの信号は単なる閉塞でなく、出発信号機なのかいな?まぁ、それはハーレムで悩んでもしかたない。

 

17. 429日 昼  今度は北海
ハーレム駅に着いた。快速でハーグまで飛ばそうと思っていたのだが、すぐに来る電車がない。今日はどうもアムステルダム中心にはまともに電車が動きそうになく、何が来るのかよくわからないし、ぱたぱたもあてにならない。とりあえずなんでもいいから電車に乗ろうと思っていると、ザンドポート行きがやってきた。やってきたと言っても、車掌も運転士もホームでうろうろしながら無線で連絡を取って、やっとザンドポートゆきと確認した次第。ちなみに方向幕はホールン表示である。

乗った電車はドックノーズの2×2、ハーグ中央駅からフォーアウトを通る、いつも宿への足に使っている電車である。基本的にこのザンドポートとハーグ中央の往復運転なので、ちょっと張り込めば運用と使用本数はわかるはず。運用ヲタとしては、せめて半日、ずっと電車を見ていたいものだが、乗り鉄とは相容れないもので、どちらを取ってもどっちかを後悔する、厳しい選択である。が、今はとにかくオランダの全線を乗るのが目的の一つでもあるので、先へ進む。

ザンドポートは砂丘の上に広がる街で、駅は12線の行き止まり型。機回し線も残っているが、今は使われておらず錆びている。かつてはマーストリヒトからの客車IC編成がやってきていたのだが。

駅舎はホームより高いところにあり、ホームから階段を上って駅舎一階になる。砂丘の高低差だろうか、駅前広場がホームより高い位置にある。駅舎を出てそのまま歩くとすぐに海岸に出る。夏に来るとそれこそたくさんの人でにぎわっているのだが、いまは人もまばらである。それでも海の家は営業していて、犬の散歩などしているひとも見かける。ここの海岸はそれこそ夏に来るとおねえさんが元気に胸を出して歩いているので、目の保養になるのだが、残念ながら今日はその悩ましい姿は望めない。日は当たっているので、せめて風さえなければ波打ち際に降りるのだが、ちょっと寒い。

☆写真を撮りました
http://www.geocities.jp/yasummoya/europe05/NS/station/Zandvoort/zandvoort.htm

で、ちょっと海を眺めてから駅へ戻ったのだが、電車が目の前で出て行ってしまった。予期せぬところで段落とし。といっても駅で列車を観察できるわけもなく(何せ30分に一本電車がやってくる以外、駅は静かなのだ)、また海岸の堤防へと戻る。

堤防の歩道に屋台のフライ屋が出ていた。海辺なので当然シーフード。ここでとれたものかどうかは別にして白身の魚を中心においてある。たぶん鱈だと思うが、フライを一つ、野菜にソースの付け合わせも加えて4.50ユーロ。棚にはハーリングもある。正直青魚の生食があまり得意でないわだらんにとって、何がおいしいのか、理解に苦しむ。とはいえ、おねえさんがいかにも幸せそうにハーリングをつまんでいるポスターにはなぜか納得したりする。

☆写真を撮りました
http://www.geocities.jp/yasummoya/europe06/food/food.htm

時間つぶしのため、予期せぬ昼食を撮るはめにはなったが、おいしく楽しむことができたのでよしとしよう。駅に戻り、売店でコーヒーを買う。売店の壁には「コーヒーとパンがあります」みたいなポスターが貼ってあるのだが、某公共放送にでてくる、ダイヤさんとエチケットじいさんみたいでかわいい。NSのどこのKIOSKにも貼ってはあるのだが、ちょうど二人並んでのポスターだったので、写真を撮っておいた。結局予定より30分遅れの電車に乗って再びハーレムへと戻る。荒涼とした砂丘の上を進む区間は、ちょっとオランダには想像できないところだ。

 

18. 429日 昼続き  オランダの応援団

ハーレムに着いた。そのままハーグに向かえばいいのだが、何となく車両から降りてみた。停車時間があるのでホームに降りてみただけなのだが、降りてびっくり。次のアムス行きの入る1番乗り場はもうあれやこれやの大騒ぎ。こんな混んだNSを見るのは初めてである。あまりの騒ぎにホームへ行ってみると、みんな歌うは騒ぐはと大はしゃぎ。呆気にとられていると、ハーグからの快速がDD-ARでやってきた。ホームの群衆は一気に列車に吸い取られ、わだらんもまるで洗濯機の水流のごとくの流れにつられて乗ってしまった。よくサッカーやオリンピックでオレンジの集団の馬鹿騒ぎ(失礼な言い方で申し訳ない)を見るが、まさにその集団である。とにかく人が多いのに、それにも狭い電車の中で飛び跳ねるわ、歌うわ、そして雄叫び。電車に乗るマナーなどという言葉は宇宙の彼方に飛んでしまっている。

ホームの群衆をほぼ飲み込んで、列車は発車した。二階建て車の広いデッキは人で埋まり、どう見ても朝夕の御堂筋線梅田淀屋橋間の混雑の上を行っている。もともとNSの電車はそんなに混むわけではない。ある程度混雑はするが、それでも車掌が検札できる程度の混み方である。ところが今の電車は車掌が車内を動くことができないばかりか、途中駅で降りることは絶対に不可能である。で、結局次のハーレムスパーンワーデ駅では乗り残しも出る騒ぎ。もっともわだらん自体がデッキの中央で身動きがとれなくなり、編成の他の状況はわからない。

わだらん自身、背は低い方ではないが、まわりがあまりに大きすぎ、囲まれてしまうととても動けない。右を見ると、わだらんの目の横にはおねえさんの首筋が見え、前にはおねえさんの頭。もちろん男連中はわだらんよりほとんど背が高いので、もはやわだらんの視界に入らない。というか、体が動かず、視界が極端に狭いのだ。外も見えず、構内の分岐で左右に大きく揺られても捕まるものもなく、となりのおねえさんに倒れかけてしまう。が、そのおねえさん自身がよたよたと倒れかけている。とは言っても、車内は人であふれかえっているので、倒れかけてもせいぜいからだが浮く程度で、べたっと倒れる面積など全くない。

そんなこんなの苦行ののち、アムステルダム中央駅に着いた。列車を降りてみるとさらに驚く。とにかくすさまじい群衆である。オレンジの帽子をかぶったりマフラーを巻いたり、大騒ぎ。みんなが雄叫びしているので、駅のドーム屋根に反響してまさに競技場の雰囲気である。何となく恐ろしく、さすがにその雰囲気について行けず、ちょうど1番線にマーストリヒト行きがいたので乗ってしまった。結局アムステルダムの街には出て行けず、である。

12両編成の中間ほどにいる一等車に座る。ほかの乗客は誰もおらず、オランダ国民は一人残らず市内に繰り出したのかと思うほど。エンシュヘーデゆきICMと並んで出発。このICM3+3+3+312両編成。きっと普段の祝日なら半分だろう、と思う。

 

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19.  429日 午後 線路が増える
ユトレヒトへ向かう線路は、ダイブンドレヒトから南側を複々線工事中。既存の複線の横に新規に複線を張り付け、方向別複々線(おそらく)にするもの。途中水路との交差部分は既存線を破棄して線路が潜る新たな複々線となる模様。線路の周囲には塀もできている箇所があり、高速化対応だと思われる。わだらんがオランダへ通いだした頃はまだ普通のごくありふれた複線の線路で、牛や羊がすぐそばで佇んでいて、隣を流れる運河を眺めるのんびりした風景だったのに、最近急激に近代化が進んでいる。

 

ユトレヒトに着き、列車を降りる。ハーグ行きに乗り換えるつもりだったのだが、コンコースの大きなぱたぱた案内を見るとスキポール行きがある。あれ、もう運転が始まっているのだ、とさっそく乗って見ることにした。200511月からアインドホーフェン−スキポールに直通列車が走ります、とKLMのニュースで聞いていた。ところが、正月にきたときは短絡線が未完成だったのか、まだ運転されていなかったのだ。もっとも、ただ単にダイブンドレヒトの駅横を短絡線で通過するのが目新しいだけではあるが、わざわざ短絡線を新規に作ってまでの、直通列車の運転にこだわるあたり、いかにもオランダ的である。

オランダの場合、国内各地からアムステルダム中央、スキポール、ユトレヒト中央、ハーグ(CSまたはHS)、ロッテルダム中央の各駅へはほとんどの場合どの駅からも最低1時間に1本、乗り換え1回で行けるような列車体系になっている。なので、線路も列車も網の目の形になっている。たとえばアイントフォーヘンやフローニンヘンからは上記各駅へすべて直通列車があるので、南東部や北東部の各地からでも、とりあえずアイントフォーヘンなりフローニンヘンになり出れば、どこへもスムーズに移動できる。

しかも基本的に幹線系は1時間あたり2本の運転本数が確保されていて、かつ異方向への対面ホームでの同時接続が当たり前という極めて完成度の高いダイヤになっている。ホームの両側に列車が並び、互いに乗り換えができる光景はライデンでもユトレヒトでもアインドホーフェンでもどこでも見られる。パターンダイヤも覚えてしまえば簡単、区間だけ限ってみれば単純明快である。

 

もともとオランダの場合、アムステルダムがずば抜けて他の都市より大きいわけでもなく、どちらかというと国全体が一つの都市圏のような形である。このあたり、フランスの放射状線路網、パリ一点主義とは違う。そういえばフランスは長距離列車、たとえばTGVでパターンダイヤを入れないのはなぜだろう?ちなみにドイツ、スイスも複数都市間の等間隔ダイヤ、デンマークはコペンハーゲン一点主義か。だた、デンマークの場合は1時間おきの等間隔ダイヤではあるが。

 

20. 429日 午後続き 羊さんはお昼寝
スキポール行き電車は ICM 3両編成だった。平日はアインドホーフェン発着だが、休日はスキポールとユトレヒトの区間のみに短縮。休日に列車本数が半減するのはオランダでは珍しくなく、ユトレヒト=アインドホーフェン間も平日はこのスキポール系統もあわせて快速列車が時間4本あるのに対して、休日は2本となる。乗りつぶしするにはいささか休日ダイヤはつらい。いかにもこれから空港へ行きます、みたいなスーツケースを持った乗客も確かにいるのだが、全体には特別な列車という印象はない。もっとも関空特急はるかに乗っても、大荷物の乗客がすべてではないのだから、一般の電車ならこんなものかもしれない。わだらんは大リュックを持っているが、旅行者に見えるだろうか?
結局一等席はがらがらの状態でユトレヒトを出る。途中アムステルダム市内一駅停車なので、これ以上は混むこともなかろう。二等席はそれなりに乗っているが、それなりといっても座席が1/3ほど埋まっているだけである。ざっと見ただけで数えたわけではないが。
ハーグ・ロッテルダムへの線路をくぐり、建設中の車庫を左に見ながら広い構内を抜け、さっき見た複々線工事区間を再び戻る。白い道床の線路がやたら目立つ。このダイブンドレヒト=ユトレヒトのほとんどの区間で線路の敷設は終わっていて、あとは信号とか架線関係の工事のように見える。

線路切替もあるのだろうか、今度の週末もまた工事のようだ。昨年来たときも偶然そうだったのだが、また週末のドイツ行きICEは迂回運転とのこと。NSでの長距離列車の迂回運転にはもう慣れっこだが、しかしいろいろ迂回運転のできる経路を持っているというのはすばらしいことだと思う。もちろん日本でも迂回運転ができないわけではないが、オランダの場合、短い区間での迂回が比較的容易といううらやましい環境である。日本で言えば、たとえば中央線三鷹立川間の線路切替工事封鎖時間帯に特急が八王子から調布経由で新宿へいくようなもの。もちろん日本の場合は線路敷設の経緯もあって軌間もが違ったりターミナルが違ったりするのだが、オランダ(ドイツやフランスでもそうだが)では線路はみな繋がっているので、どこでも乗り入れができる。

ユトレヒトをでてしばらくは右手に運河、左手に高速道路と騒がしい車窓である。とは言っても運河の風景はなかなかのどかで、貨物船を追い抜いてみたりすると何となくうれしい。いや、船が遅いのがうれしいのではなく、行き交う船を見ながら電車に乗っていられることがうれしいのだ。いかにも水の国、と思える一瞬。あれ、そういえばさっきあの船見たな、と。でも考えてみれば、今は単純にユトレヒトへ行き、すぐ戻ってきているので、その間に川を上る船ともう一度すれ違ってもなんらおかしくはないなぁ。鉱石運搬船なのだろうか、船腹に大きな土?の山。オランダの国旗を誇らしげに掲げて優雅に運河を航行している。

運河が離れると広い牧草地がしばらく続き、水路で切られた区画ごとに牛や羊がいる。天気もよく、水辺でみんな揃ってごろごろお昼寝。まだわだらんがオランダに通い始めた頃はアムステルダム市内に入るまでずっと線路横に牛や羊の群が見えたのだが、最近はずいぶん都市化が進んで、田園風景がすこしずつ減ってきている。それでもまだ見晴らしは効くので、ずいぶん遠くからでもダイブンドレヒトの駅南側にある大きな競技場を見ることができる。大きな屋根付きの競技場である。

地下鉄が横に張り付いてくるといよいよアムステルダムも近い。派手に線路工事をしていて、競技場横には新駅もできるようだ。建設中のホーム横をかすめて分岐にかかる。

 

21. 429日 午後続き  高速路面電車
さて、いよいよ本線から分岐し、短絡線へとはいる。短絡線といっても日本の西枇杷島や西ノ口のようなゆっくりした通過でなく、立派な複線で、立体交差で本線をまたぎ、ダイブンドレヒトの駅を横目に見ながら結構派手に飛ばしていく。高架線上で眺めはよく、遠くにアムステルダム市内を眺めつつ、再び立体交差で本線に合流し、アムステルダム市内南部の雑木林の中を高速道路に平行しながらそのまま快調に飛ばし、やがて最初で最後の停車駅、WTC駅に停まる。

この駅は隣にシュネルトラムがいる。このシュネルトラムというのがまたいかにもオランダらしい乗り物で、地下鉄と路面電車の合いのこのようなものである。地下鉄で市内を抜け、そこから路面電車になって郊外へ向かうというもの。車体には地下鉄内の第三軌道用集電装置と路面区間用パンタグラフの両方が付いている。あえていうなら京阪800系に近いのだが、ここの場合は車体が路面区間用の小さいもので、イメージ的には地下鉄に路面電車がやってくる、いうもの。ブリュッセルやドイツ各都市の路面電車地下化に似ているが、ここの場合路面電車を地下に移すのではなく、路面電車網はそのままにしながら、地下鉄に乗り入れる路面電車もある、という点が少し違う。ここWTC駅では、シュネルトラムの軌道が南に降りてアムステルフェーンへ行く51系統と、アムステルダム市内西部に行く50系統に別れる。アムステルフェーンには路面電車の博物館があるので、早い時期に行きたいと思いつつ、実行できずに終わっている。車両展示のみでなく、専用の展示走行用軌道もあって、実際に電車が動き乗ることができるそうであるが。ちなみにアムステルフェーンはオランダ在住の日本人の多いところ、と聞いている。街歩きもしてみたいものだ。

WTC駅をでて、線路に沿ってそのまま直進する50系統は、その後右に分かれていき、今度はアムステルダム中央からスキポールへのNS線路に横付けになり、市内西部を南北に走る形になる。栗さんの本の中に、アムステルダムデルフトラーンという駅のスケッチがあるが、この駅はシュネルトラム50系統の開業に伴い、NSからGBV(アムステルダム交通公社)に移管されてしまい、NS上からは駅が無くなってしまった。栗さんの書かれた駅舎がそのままシュネルトラムの駅舎として使われているかどうかも不明で、行かなくてはならないと思いつつ、さぼっている。さて、ICWTC駅を発車し、再び快調に飛ばしていく。やがてシュネルトラムの線路が消えると、今度はアムステルダム中央駅からのNS線路が寄ってきて複々線となる。ここもできた頃は複線どうしの平面交差だったのに、ずいぶんと発展したものである。

しばらく高速道路を横目に見ながら快走。そしてトンネルにはいるとまもなくスキポールである。開業最初の頃は23線だったこの駅もいつのまにか36線に大きくなった。次からつぎへと線路の増える環境がなんともうらやましい。オランダの感覚なら、福知山線も大阪環状線もとっくに複々線、西九条は立体交差である。

 

 

22. 429日 午後続き オランダの幹線区間
ユトレヒトから一駅停車のみでスキポール。乗車距離はいままでのダイブンドレヒト経由とほぼ同じなのだが、乗り換えがなく、しかも停車駅が少ないので、ずいぶんと速く感じる。
駅構内を少し歩いてみたものの、変わったこともなかった。相も変わらず大きな鞄の旅行者がいたり、KLの水色制服のおねえさんがいたり、とにぎやかである。とはいえ、今日は買い物する予定もなく、さらっと広場を歩いただけで、ふたたび地下のホームに戻る。
やってきたのは遅れているハーグ中央駅ゆきの快速。二階建てIRMかと思いきや、やってきたのは ICM であった。わりと空いていて助かった。どうも世間のオランダ人はみんなパレードを見に行っているらしい。
スキポールからライデン経由のハーグへは何度となく乗っている区間である。スキポールを出てしばらくは湿地帯に近く水路の豊富なところを走り、途中には跳ね橋もある。そしてライデンを出ると複々線になって都市近郊の住宅と田園の混じり合った中を進んでいく。
ハーグ中央駅手前では線路の切替工事をしている。現在の電車区間をトラムに置き換えるための線路切替なのだろうか、ここは高速新線工事と縁のないところである。ランドシュタットレールという呼び方だったか、既存のNS郊外線をトラム化の上、市内に直通させよう、というものである。
ハーグ中央駅へやってきた。昨年6月にきたときも工事中、そして今日も相変わらず工事中。もともと屋根の低い駅なので、ますますホームの見渡しは悪く、暗く、写真映りは悪く、何とも中途半端である。

オランダのなかでは珍しい頭端駅で、構内にはいろいろと店舗も多く、本来はいろいろ出入りする列車を眺めていて飽きない駅なのだが、どうも長居には居心地悪い。工事が終われば、きっと垢抜けたきれいな駅になるのだろう。で、結局長居をせず、すぐの乗り換え。IRMで、ブレダに向かう。まぁ、今日は時間を気にする行動ではないが、先を急ごう。
ハーグHS駅はドームの中に古い駅舎が残る趣のあるいい駅である。高速新線から離れてしまうので、どういう列車体型になるのだろうか、ちょっと楽しみである。ここのあたりは高架で複々線、ちょうど普通電車をICがダイヤ上抜いていく区間である。
水路を潜ったところにある地下駅、レイスイック(Rijswijk)を抜けて、デルフト市内へとはいる。デルフト駅の前後は市街地に挟まれて複線のままなので、列車密度はかなり高く、なかなか大変なところだと思う。
が、そのためデルフトの駅は昔ながらの雰囲気なのだが、なにを隠そうわだらんはデルフトで降りたことがない。栗さんのスケッチにもあるので、近日写真を撮ってみなければ、と思いつつ、幹線区間ならいつでも来れる、などと言い訳をつけて後回しである。
デルフトの市内を抜けると、再び複々線に戻り、さらにホーランド港からの複線が張り付くとスチェダム中央駅(Schiedam Centrum)。ロッテルダムの地下鉄も入ってきていて、大きな屋根がホーム全体にかかったとても気持ちいい駅である。そして3複線での大きな可動橋を渡り、ロッテルダム中央駅へと入っていく。
ロッテルダム北側では、高速新線の乗り入れ工事で、線路の付け替えをしているし、留置線には DD-AR ICM が停まっていてにぎやかである。

 

23. 429日 午後続き2  目立たないけど大きな駅
ロッテルダムからも複々線が続く。駅を出てすぐに地下へと潜っていき、運河をくぐる。地下駅の一部は地上から吹き抜けになっていて、明るい日ざしが上から降ってくる。
そして大きな可動橋を渡ってドルトレヒト。この可動橋の写真をもう一回撮ろうと思うのだが、今日はまずこのまま進行。栗さんがツビンドレヒトなどというまた難しい駅を選んでいるので、旅の後半でもう一度ここに寄らねばならぬ。ツビンドレヒトというのは、ドルトレヒトの一つ前、普通電車しか停まらない、小さな駅である。せっかく通っているのでちょっと後ろ髪を引かれるが、まずは今夜ドイツに行って夜行に乗らねばあとが続かない。
ドルトレヒトを過ぎ、再び複線に戻る。市街地を抜けると、トンネルを抜けてきた高速新線が右に寄ってきて、大きな橋で平行してオランダ運河を渡る。高速新線は在来線より高い位置に架橋されて、より立派な橋に見える。
高速新線はアムステルダムからロッテルダム経由でベルギー国境までほぼ直線で突っ走るのだから、さぞ気持ちいいだろうな。この大きな橋も一気に駆け抜けてしまうのだろう。
わだらんの乗っている在来線もこのあたりは南北にまっすぐ延びている区間。ブリュッセルへの線路を分けると、右に高速新線が張り付いてきて、しばらく併走する。架線柱の構造が従来のオランダ型、門型でH鋼などの鉄材利用の架線柱でなく、単線型のものになっている。高速列車にはやはり上下線の架線柱を分けた方がいいのだろうか?架線柱だけで、いかにも速そうな感じを受ける。

よくこのあたりでの試験運転の写真がネットに流れている。この前はSLもやってきたらしい。高速新線とはいえ、軌間が同じで渡り線で在来線と簡単に出入りのできるのは日本の新幹線にはできない芸当である。もし大正末期、日本の鉄道を標準軌に変更していたら、どんな新幹線ができていたのだろう?
高速新線が南に分かれていき、その高架をくぐってロッセンダールからの線路が張り付いてくる。しかも、高速新線に南向きで出入りできる連絡線もできている。ブレダ発着のベルギー方面への列車もできるのだろうか?ひょっとするとアインドホーフェン発ブレダ経由のパリ行きタリスかな。
電車はブレダに着く。いったん電車を降りる。ブレダもNSの拠点駅で、ロッセンダールからズボレに行くICとハーグからアインドホーフェンへのICX交差接続もあり、またアムステルダムからのブレダゆき快速もある。ホームは大きな平屋根で覆われた近代的なもので、明るく広々とはしているが、悪くいえば最近のNS駅共通のイメージなので、ブレダの駅としての個性には欠ける。
駅構内の写真を数枚取り、駅の外へ出る。駅前は広場になっていて、多くの人が行き交ってとてもにぎやかである。高架駅で、地平に中央通路があり、駅前広場に面して商店の集まるビルが中央通路の両翼を囲み、駅入り口はちょっと窮屈そう。街中へと続く広い歩行者天国が駅前からまっすぐ続いている。大きな教会の尖塔も見え、街歩きをしたいと思いつつ、今日は我慢して駅へ戻る。
そんなわけで駅構外まで出て写真を撮ったものの、結局乗ってきた電車の停車時間中に戻ってきてしまった。同じ電車でさらに南へ進むことにする。
☆写真を撮りました
http://www.geocities.jp/yasummoya/europe05/NS/station/Breda/breda.htm

 

24. 429日 午後続き  接続確保には複々線
ボクセルからアインドホーフェンまでは複々線。途中運河を潜る小トンネルが新たにできて、少し都会的にはなったものの、基本的に林の中や田園風景の中をずっと走り抜ける。それこそ米原−野洲が複々線になっているようなもので、とても住宅密集地で列車本数の多いところにしかない日本の複々線とは感覚がまるで違う。おそらくだが、アイントホーフェンでの接続を組む関係上、どうしても同時に二方向に列車を発着させねばならない、というのが複々線になった理由に思える。つまりもとは複線並列、ただその距離が長く、一般的には途中駅分岐なのだろう。実際以前は複線でボクセル分岐だったし、あえて日本で近い例を考えれば、宇多津−多度津が複々線で、岡山行きと高松行きが多度津で同時発車するようなものか。もっともこのボクセル−アインドホーフェンの複々線はもっと長いが。
川を渡って、アインドホーフェン市街地に入る。留置線が見えてくるともう駅構内に入っていく。ここは某電機メーカーの本拠地で、アインドホーフェン駅の一つ手前にはその企業の名前を冠した大きな競技場もある。(ちなみにNSの競技場駅もある。)平日はユトレヒトからスキポールに向かうICがアインドホーフェンを起点として発着するのだが、なんとなくこの大企業の利用が発想の起点にあるような気がする。アインドホーフェンには、空港もあり、かつてスキポールへの国内線航空路もあったのだが、この直通ICの運転開始とともに廃止されてしまっている。
アインドホーフェンは高架駅ながら広い構内を持つ駅である。乗り換えでホームに降りてみるが、結局駅の外には出ず、すぐに隣のヘーレン行きICに乗ってしまった。ブレダとユトレヒトの2方向からのICX接続している。向かいのホームですぐに乗り換えできるのはありがたく、乗りつぶし、乗車距離を稼ぐにはもってこい。が、あまりの接続のよさについつい先へ走ってしまい、ゆっくりと駅なり街なりを見ようとする余裕が出てこない。

そういえば、昔、ここで安いホテルに泊まった記憶がある。といってももうずいぶん昔の話で、どのあたりにあったホテルか、いくらで泊まったのか、全く記憶がない。もちろんギルダーの時代である。
ここの駅はマドローダム(注)にもあって、いつも小さな乗客で賑わっている。なので、実際の駅の写真を撮ってみるが、ホームからの写真だけに終わってしまった。栗さんに「エントーフェン」と紹介されている駅である。いつかきちんと駅舎もゆっくり見たいのだが、今日は先を急ぐ。どうもロッテルダムといい、アイントホーフェンといい、いつでもこられると思うと、あまりまじめに訪れようと思わない。でもそんなのに限って、きっとずっとほったらかしなのだろうな。
アインドホーフェンの市街地を抜けると、再び広い田園風景が広がる。晴れた天気のもと、気分もよくなり、不覚にもちょっとうとうとしてしまった。
写真を撮りました
http://www.geocities.jp/yasummoya/europe05/NS/station/Eindhoven/eindhoven.htm

注)マドローダムはオランダにある建物や各種施設を1/25で展示してある遊園地です。その園内にはもちろんNSの鉄道も走り回っていて、IRMやドックノーズが目線の高さで走るのを楽しむことができます。アイントホーフェン駅も1/25で模型化されて、いつも列車が発着しています。

マドローダムのHP http://www.madurodam.nl/

鉄道展示物の案内:

http://213.206.66.146/pgs_content/main.php?callmode=1&language=1&sqlmode=4&submode=1&mid=65&cat=Trains and stations

 

 

25.  4月29日 夕刻  国境の街
分岐で左右に車体が振り分けられる振動で目が覚めた。いつの間にか電車はヘーレンに入ってきていた。トイレに行こうと思っていたのに機会を逃してしまった。オランダでは列車のトイレは無料だが、駅や市中のトイレは有料なのである。
次のアーヘン行き列車まで時間もあり、駅を出て、街を散歩してみる。ここヘーレンはオランダ南部になり、街中にはちょっとした高低差もある。全くの平面のオランダ北部の港町とは違った風情である。街の中心には広場もあって、広場周囲は飲食店なども並んでいるのだが、もう遅くなりほとんど店じまいしてしまい、道自体もあまり人が歩いていない。昼間のお祭り騒ぎで疲れたのだろうか?などと勘ぐってみる。
トイレに行きたいなぁ、と思いつつ、適当なレストランもなく、マクドナルドに入ってみる。店内はそれなりに客がいて、賑わっている。空腹のためでなく、小用を足すため(汚い話で申し訳ない)に入ったので、トイレにそのまま入るか、とりあえずどこかに座席に落ち着くか、ちょっと思案。今日はリュックを背負ったままずっと歩いているので。と思っている間に、だれかがトイレに入ってしまった。それで何か、急にトイレに行く気が失せ、マクドナルドから出てしまった。というか、日本と違って100円マックのようなものはなさそうで、セットメニューが結構高そうにも見えたのだ。
そんなわけで、結局トイレにも行けず、再び歩き出し、駅へと戻る。駅前広場にはチューリップがきれいに植えられている花壇があって、とっても華やかである。オランダ人はとても花が好きで、道に面した住居の窓下や玄関先には小さなプランターや植え込みをしている家がとても多い。そんな小さなところにきれいに花が植わっているので、眺めているとなにか気分がとても華やぐ。
☆写真を撮りました

http://www.geocities.jp/yasummoya/europe06/Heerlen_town/heerlen_t.htm

駅に戻ってくると既にDB643DC2編成連結で停車中。見た目4両編成なのだが、連接車なので正確には4車体、ということになる。いままで連接車体といえば、フランスのお株と思っていたのだが、いつの間にかこの640DCがドイツの至る所で増殖している。ドイツのみならず、フランスでもオランダでも、欧州各地へどんどん進出し、まるで世界を牛耳る雰囲気である。連接車が有利なのは台車数が少なくなるからだろうか?この640シリーズといい、電車423/425型など、ドイツのどこでも今や見られる都市近郊輸送の花形が連接車である。低床にするには連接車が有利なのだろうか。そういえば、ICEはずっと普通のボギー車である。TGVと違って。
停まっている車は赤のDB色ながら、この地域鉄道マークの入った車である。濃い青で部分塗装され、DB赤に白、そして青。オランダの国旗を狙ったのだろうか、ただ色の順番は国旗の通りにはなっていない。でもなんとなく親しみやすい色である。単なるわだらんの思い入れだろうが。

 

26. 429日 夕刻続き  ドリーランデンプント
643
DCの車内はとても広く明るく、きれいである。編成内貫通路部分も広く、車内も編成全体を見渡すことができる。しかも最近のDBのはやりで全面展望がわずかながら効く(運転士の後ろをのぞき込む形なので、展望車のごとくとまではいかない)ので、先頭車体の前よりボックスに陣取り、前を見ながら乗っていくことにする。一応、一等席もあるのだが、普通のボックス席で、二等とどこが違うのか全くわからないし、もとより二等で十分楽しめる。車内が空いているので、一等の価値はないのだ。ちなみにトイレはなく、再び我慢、である。

☆写真を撮りました
http://www.geocities.jp/yasummoya/europe06/DB/db_car_dc.htm
ヘーレンの次の駅、ランドグラーフ(Landgaarf)はまだオランダ。ここはケンクラーデへ行く線路とアーヘンに行く線路が駅手前で分かれてそれぞれにホームがあり、少し離れている。ドイツへの線路は単線非電化の田舎線。駅を出ると坂を下りて行き、ケンクラーデへ行く線路をくぐって進む。くぐったケンクラーデへの線路がしばらく高台上に見えていているが、こちらはドイツへ向け標高を落として川沿いを走っていく。ちょっとした谷を進んでいく形で、小さな川がドイツとオランダの国境になるのだが、実際景色が変わるわけでもなく、川の向こうとこっちで生活が大きく変わるとも思えない。昔、欧州統合前はどんな感じだったのだろう?こんな田舎でも国境検問所があったのだろうか?とはいえ、いくらでも国境を通り抜けられそうだ。川にはまさに生活道路のようないくつもの小さな橋があり、とても国境には思えない。
線路の各種標識がドイツに入ったことを知らせてくれる、が、しばらく単線のまま走り、次の駅Herzogenrathで、アーヘンからメンシェングラッドバッハへ行く線路に合流。複線電化になる。REが走る都市近郊路線であるが、風景だけ見ればとても都市近郊とは思えない。
昔、ここを乗ったときには、NS3100DCが単行で走っていた。車両も変わったが、何より単なるローカル線だったものが、地域鉄道整備でアーヘンの近郊鉄道ネットワークに組み込まれてしまった。エミリッチを通る区間は普通列車がなく、ICEが日中のみ約2時間おきなのに対して、このアーヘン=ヘーレンも、デュッセルドルフ=フェンロも1時間1本の運転がある。国境越えの狭間区間が、近郊路線として整備されるあたり、やはり欧州統合の効果なのだろうか。少なくとも地元密着の鉄道に関して、オランダはベルギー、ドイツと親密な関係であることは間違いない。
気動車は複線電化の線路を快調に走り、アーヘンに入る手前の大きな操車場が見えてくる。大きくCARGOと書かれた赤い機関車が見えたので、DB貨物の車かと思っていたが、近づいてみるとSBB460型だった。昔は機関車というのは国境で付け替えるのが当たり前だったのだが、最近は、特に貨物が分離され、国を越えた新しい貨物輸送会社も出ているので、入れるところにはどんどん直通してくるようだ。貨物新線が完成すると、きっとシーメンス製ELがスイスやオーストリアから直接ロッテルダムまで入ってくるのだろうな。
操車場が収束し、ベルギーへの貨物線が別れていく。この貨物線、しばらく進むとその先にトンネルがあるのだが、そのトンネルのほぼ真上に、オランダ・ベルギー・ドイツの国境点(ドリーランデンプント)がある。山の上(というより小高い丘かな)に杭のような標識が立っていて、そこをくるりと回ると三カ国一度に回ることができるというもの。その杭の横には展望台があって、登ると三カ国の風景を見ることができると同時に、下を通る貨物線も見ることができる。そんな山の上で晴れた日中をのんびりすごしたことがある。わだらんにしてはめずらしい、観光旅行だ。
オランダ政府観光局のドリーランデンプント紹介ページ
http://www.holland.or.jp/nbt/holland_monument_others_drielandenpunt.htm

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28. 429日 夜続き  すてきなレチさん

今日の夜はフランクフルトからハンブルグへの夜行列車を宿とする予定だ。なので、アーヘンからはケルンに出て、そこからフランクフルトへと進むことにする。

アーヘン=ケルンはラインリール地方の都市近郊区間で、ICICEの他に、多数の区間列車などがある。なので、トーマスクックの時刻表以外にケルン方面行きの何か地元の列車があるか、と期待したものの、結局適当なものは見つからなかった。

少し時間を待って、ケルン行きREに乗る。ICなりICEなりがあればもちろん乗るのだが、ちょうどの時間がなく、REがケルンまで先着。となればREで充分である。もとより特急ばかりのミーハーでなく、むしろ普通の電車に乗っている方が楽しい性分なので、十分である。

列車は真っ赤な二階建て客車の5連で、一等席は二階にある。わだらんの他にはアベックが一組。ところが、車掌の検札のあと、どこかに行ってしまったから、二等切符なのだろう。一等にいたのは知らずにいたのか、確信犯なのか、どうも後者のような気がする。

5両編成のうち、トイレが3つも故障中の表示。駅ではトイレの使用に金を取るのだから、列車の中くらいちゃんと使えるようにしてほしいと思う。結局ヘーレンからずっとトイレなしで、まぁ最後は男だから何とかなる、とはいうものの、やはり不便である。そう考えると、日本は程度の問題はあるが、駅や列車でのトイレ事情は最近とみによくなっていると思う。日本の場合、駅構内は改札内というはっきりした区切りがあるからわかりやすいが、それ以上に最近は公共のトイレもよくなっていると思う。公共のトイレや自動販売機が大量にあっても問題がない、というのはやはり日本が平和ないい国である、と自信を持て、ということか。

アーヘンに着いた頃はまだ薄明るく写真も撮れたのだが、もうすっかり暗くなった。この区間は高速列車通過用にいろいろと整備をされているはずだが、路盤の改良の姿も、線路縁のフェンスもよくわからない。おまけに周囲は丘陵地なので家々の明かりもほとんど見えない。こんな暗い風景では、とてもこのあたりがドイツの鉱工業の中心地近郊には思えない。ただ、淡々と列車は走っていく。

この列車の車掌は背が高くブロンドのきれいなすてきなおねえさん。どうもDBの(NSもそうだが)の女性車掌さんはでかく、おばさん、というイメージで、背が高くすらっとしたおねえさんにはなかなか出会えない。ケルンに着いてこそっと写真を撮ってみたが、ばれたかな?

☆写真を撮りました

http://www.geocities.jp/yasummoya/europe05/Aachen/aachen.htm

 

29. 429日 夜続き2  宿へと向かう

窓の外に家の灯りが増えてきた。Uバーンの駅が張り付いてくると、ケルンの市街地に入ってきたことがわかる。やがて列車は分岐器で左右に揺られながらのそのそと構内へ進入し、ケルン中央駅に着いた。21:42、定時着であった。ここでREを降り、ICEに乗り換えてフランクフルトへ向かう。今夜の宿はフランクフルト=ハンブルグのICである。

ケルン中央駅もずいぶん様変わりしていて、高架下の通路には所狭しと店が並んでいる。パン屋にフライ屋、寿司屋まである。オランダと違って、DB主要駅の商店は深夜近くまで営業していて、とても助かる。買わずとも食わずとも、見ているだけで十分楽しい。やはりパン屋やチョコレート屋は華やかだし、ビールの立ち飲み屋は夜になって繁盛している。

何より人通りが多く、とにかく活気がある。おいしそうなソーセージが並んでいる店があり、ハンバーガーを夜食に買おうかと思ったが、並んでいるととても21:54ICEに乗れそうにない。ホームへと上がる。

5番ホームに既はICE223列車が停まっていた。アムステルダムからのICE3型で、ケルンで乗客が入れ替わったようで、乗車の私ともう一人だけが先頭の一等車、21号車の乗客すべてで、車内は極めて静かである。

走り出せばトイレに行き、デジカメを充電し、机でパソコンをたたきながら、コーヒーを飲んでいる。まるで自分の部屋のようなものだが、ICE3型にはいつもすっかりお世話になりっぱなしなのだ。

今はアムステルダム=ケルンの国境越えは必ずICE3なので、愛着ある車でもあり、落ち着く車でもある。で、せっかくアムステルダムからやってきたICE3にケルンから乗るのはちょっともったいないかな、とか考えてしまう。この列車はアムステルダム19:07発なのだから、わだらんがオランダ内をうろうろして、ユトレヒトに夕方戻り、この列車を捕まえる、という手もよかった、とふと考えてしまった。

ちなみにこの列車、きょうはアムステルダム=ユトレヒト間は運休、ユトレヒト発。アムステルダム中央駅発では、まともに走らないという、予防線なのだろう。計画運休なのだ。もうこの時間、アムステルダム周辺の列車ダイヤの乱れは落ち着いただろうか?いや、大騒ぎ大好きのオランダ人故、そう簡単に騒ぎは収まらないだろうな。

その計画運休のおかげだろう、定刻21:54にケルンを発車。既にまわりは真っ暗になっていて、ライン川には堤防に沿ってライトが続き、とてもきれい。

やがて高速新線に入り、どんどん飛ばしていく。アップダウンとカーブの始終点は車体の傾きで、トンネルや築堤の境は走行音でわかるだけ。もともと人家のないところなので、灯りはほとんど見えず、高速走行なのだが、高速には見えない。ただ、走行音だけはやはり新幹線に似ていて、速いのだなぁ、と感じる。

しかしケルンからフランクフルト空港駅までわずか50分。恐ろしい世の中である。

☆写真を撮りました

http://www.geocities.jp/yasummoya/europe05/koln/koln.htm

 

30. 429日 深夜  まずは夜行一泊目

フランクフルトに着くよ、と車掌が起こしてくれた。空港駅までは起きていたので、わずかの間に寝てしまったようだ。何せ静かな車内である。まわりはすっかり暗闇になっている。ちょっと暗めの車内照明が何となく心を落ち着かせてくれる。デジカメの充電はわずか1時間で完全ではないのだろうが、ちょっとは復活してくれたと思う。

列車はホームに入る。もう23時だというのに、相も変わらずフランクフルト中央駅は人通りも多く、ドーム内の電照は輝き、ホーム入り口の商店街は周囲を明るく照らして、なんとも活気がある風景である。天井の高いドームはなんともいえない趣で、いかにも欧州にやってきたと思わせるに十分である。

大きなぱたぱたがかかり、と言いたかったのだが、前年ながらぱたぱたは電光表示になっていた。今のDB標準(と思われる)青と白の表示で、確かに見やすいのだが、音がでないのは何とも寂しい。

ソーセージ(ブロックボルスト)を屋台で一つ食べ、夜食用にビールとベーコンサンドイッチを買い込み、そんな紙袋を持ちながら、駅構内ををうろうろし列車を待つ。

今日の宿はハンブルグ行きICIC2020列車)。昨年はこの相手列車にハンブルグからフランクフルトまで乗っているが、今日はその逆、である。最近は宿にできる夜行列車がずいぶん減ってしまったので、どうしても同じような列車に乗ることになってしまう。

IC2020はフランクフルト中央駅23:44着。ドイツ内のみの夜行列車なので、一等車は空いていると過去の経験から確信はしているが、やはり心配である。入線時刻が近づくと、ホームでうろうろしてみるが、どうも落ち着かない。

やがて列車が入ってきた。降車客はあまりおらず、間を空けず車内に進む。コンパートメントの一等車は最後尾、案の定空いている。ありがたいことにコンパートメントを一人で占領。といっても以前のように椅子を引き出してフラットにできるわけではないので、三人がけを横にして使うのだが、まぁ考えてみればクシェットと長手方向の寸法は同じなので、体を横にするには十分ではある。

そんなわけで車内に落ち着き、すっかり寝る体制。そうだ、コンセントがある、と思い出してパソコンの充電を試みる。一等車の場合、ICE1/ICE2は一部の座席の壁際に、ICE3/ICT13席に2個、コンセントがある。この車のようなIC用客車の改装車はコンパートメントに2個のコンセントがある。デジカメだのパソコンだのに便利に使えてありがたい。ところが、パソコンの充電がどうもうまくいかない。ブレーカーが落ちるのか、どこかで「かちゃん」などという音がして電源が切れてしまうのだ。向かいのコンセントでも同じ。デジカメは充電できるのだが、パソコンをつないだ瞬間に電源が落ちる。しかたなく、コンパートメントを変わって、まず一カ所でやってみたがだめ。結局パソコンはあきらめ、別のコンセントでデジカメの充電のみしておく。車内が空いていてありがたい。

リュックを大小に分け、大は座席下に置き、貴重品入りの小リュックを枕代わりにして横になる。いちおうは盗難防止に気を使っていますよ、と。しかし、そんな警戒心はどこかへ飛んで、枕にしたとたんに眠たくなってしまった。車掌に二回検札で起こされたものの、あとは熟睡。どこを走っているとか、何が見えるとか、ハナからそんなことをしようなどという気がない。列車に乗って外を見るのが楽しいのだ、などと大見栄はっているわりに、このざまである。第一、ドイツきっての名勝ライン川沿いを走っているにもかかわらず、起きて外を見ようなどと言う気はさらさらない。こうやって宿にできるのはありがたいというか、平和というか。

 

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31. 430日 朝  将来の大阪駅?

目が覚めるとまわりは明るくなっていた。どのあたりだか全く見当がつかなかったのだが、既に6時半でまだしっかり走っている、ということは遅れているのだろう。しばらく外を見ているとハンブルグ・ハーブルク駅についた。およそ30分遅れである。今日は843分のデンマーク行きに乗ることにしている。速く走って始発の620分の列車に間に合ってくれるといい、などと勝手に思いこんでいるが、そんなわけにもいかない。どうせ時間つぶしがてらハンブルグ中央駅をぶらぶらしようと思っているので、多少の遅れなら問題にはならない。

ハンブルク市内の港に近いところを列車はしずしずと進む。貨物駅跡地のようなところが多数あって、寂しいかぎり。このあたり、googleの衛星写真で見ると、とにかく線路が多いのがわかる。埠頭や倉庫への専用線の今の利用率はどの程度なのだろう?日本では港湾の現役貨物線はほとんどなくなってしまったが。その点ロッテルダムはまだ港湾線が元気なのだが、わざわざ見に行くには遠すぎるし、足がない。ロッテルダム港は広すぎるのだ。ハンブルグの港巡り観光船にでも乗れば、臨港線や埠頭の引き込み線の雰囲気がわかるのだろうか?

ところで、ハンブルグに朝着くというのは、いままでのわだらんの欧州旅行にはない珍しいパターンである。今までの場合、ハンブルグは午後または夜着で、駅や街を散歩して、夜行で戻るというパターンばかりである。今日のように朝の駅を見るというのはあまり記憶がない。

そんなハンブルグ中央駅は大きなドームの中を見下ろすことのできる、楽しい駅である。ドイツ拠点駅にしては珍しい通り抜けの配線なので、比較的ホームの本数は少なく、ICEICが主に発着する列車線ホームは24線しかない。長距離列車の多くはハンブルグアルトナ駅を始終点にしているので、ハンブルグ中央駅での停車時間は短く、逆に次から次へとやってくる。その分、フランクフルトやミュンヘンのように駅に列車が頭を揃えて並ぶ姿を楽しむことはできないが。ホームを全体に見下ろす構造は逆に珍しい。将来大阪駅がそんな形になるようだ。大阪駅も今から楽しみである。

さて、列車は大きく左へカーブしながら、ハンブルグ中央駅に入ってきた。結局32分遅れである。少しひんやりとした空気が気持ちいい。とにかくよく寝ていたので、体調ばっちり。朝からエンジン全開である。

少し外は曇っているが十分明るく、駅構内ドームの中も写真を撮るには問題がない明るさである。多種多様な列車が相変わらず発着している様子に、心も体も踊っている。ちょうど時間もある。しばし駅と列車の観察ができる。

 

32. 430日 朝続き  ハンブルグ中央駅の商店街散歩

ハンブルグ中央駅の中はすっかり改装されて、ますますきれいになっている。というか、飲食店や物販店がならび、明るい雰囲気になっている。特に飲食店は早起きで、既に店を開けていて、朝食を取る客が多数。

まずは旅行センターへ向かう。以前構内にあった場所は改装中で、「移動しています」みたいな案内表示がたっている。矢印方向へ向かうと、一旦駅の外にでた。駅前広場の一角にプレハブ小屋があり、入っていくと窓口が5つほどある。まだ早朝で人はまばら、すぐに窓口の昔のおねえさんと話のできる順番がやってきた。

昨夜、座席で横になりながらふと思いついた。アーヘンで夜行の予約ができなかったのは、窓口の昔のおねえさんが「座席の予約」と思いこんでいたからではないかな?だから、最初からリーゲワーゲンと頼んでみることにする。すると、案の定、あっさり予約ができた。15ユーロでちょっとした出費だが、確実に横になれるし、船にも乗れるし、明日以降の流れもいいし、とまずはめでたし。今夜の移動が確保できたので、切符の心配も、お金の心配もすることなく、今夜はゆっくりぎりぎりまで電車に乗れる。

駅の構内は二階通路のみならず三階までぎっしり店舗が並んでいる。その三階には24時間営業のマクドナルドやスーパーもあって、夜の食料調達など便利に使える。その通路の先にはテラスがあって、駅構内を眺めることができる。前からこんなもの、あったっけ?二階の通路からとはちょっと違う視点で楽しい。

さっそく朝飯にハンバーガーをひとつ。某ハンバーガー屋のものと違って、サンドイッチの中身がハンバーグステーキのようなもの。ソーセージを挟むか、ハンバーグステーキを挟むか、店先であれこれ選べてとても楽しい。

切符もとれ、朝飯も食べて気分は上々。駅構内の写真を数枚撮りながらうろうろする。駅は大きな弧を描いていて、長距離列車が弧の内側を、地下鉄が外側を走る構造である。

ハンブルグの周囲には非電化の支線も多く、ローカル列車の多くはDLによる客車列車(しかもほとんどがプッシュプル)で、少々ドームの中が煙たい気がする。機関車は先頭にいるからかっこよく見えるのであって、後ろから押していく姿はわだらん的にはどうも絵にならない。上からDLを眺めてみたり、隣の地下鉄を見ていたりしながら、しばし時間を過ごす。

ここハンブルグはベルリンと2都市のみ、地下鉄UバーンがDBグループの一員になっている。地下鉄は次からつぎへとやってくるが、電車の形としては差異がないので、眺めるには少々つまらない。

☆写真を撮りました

http://www.geocities.jp/yasummoya/europe05/hamburg/hamburg2.htm

http://www.geocities.jp/yasummoya/europe05/hamburg/hamburg3.htm

そういえばこのあとはデンマーククローネになるので、食事ができなくなる、とサンドイッチを買っておく。ドイツには駅弁のようなものはなく、サンドイッチだのハンバーガーだのを持ち込む程度。ハンバーガーとっても、売店でハンバーグステーキをパンに挟んでもらったもの。

見た目はハンバーガーというよりコロッケパンみたいだ。でもなかなか姿はかわいい。確かに車内に持ち込める食事が少ない、つまり、欧州には駅弁がないわけだ。でもそれが故に食堂車が存続できているのもしれないのだが。

☆写真を撮りました

http://www.geocities.jp/yasummoya/europe06/food/food.htm

 

33. 430日 午前 200km仕様のローカル列車

 しばらくハンブルグ中央駅の構内をうろうろして、再び二階のテラスに行くと、ホームにDBの赤い車体に青帯をつけた、見慣れない塗装の客車がいるのが見えた。何だろうとホームに降りると、これから乗ることになるデンマーク行きの列車であった。もとはIC客車だったのか、最高速度200km編成のいわば高級快速列車である。青帯はデンマーク方面への列車の目印であるようで、地域間の快速列車として車体に大きくPRしている(注)。ちょっとわだらんの予想より早めの入線で、発車まで時間があるが、まずは乗り込んで座席を確保。

客車5両編成の中間に一等車がついている。座席は改装されたタイプのもので、車体中央の3コンパートメントの間仕切りをはずして15席のオープン室内になっている。中央の向かい合わせ席には大きなテーブルがあり、食事やパソコン台に最適。しかも壁際にはコンセントが付いている。いい座席をもらえたとわだらんは一人で大喜び。地方ローカルの快速列車ながら豪華設備で、ありがたい。

このコンセントには150wまで、と書いてある。夕べのIC客車は90wまで、とあったのでうまく充電できなかったのかな、と思う。車内は空いていて、結局15席にわだらんともう一人で出発となった。

市内中心部の池を渡り、市街地を進み、大きなテレビ塔の横をかすめる。ずいぶん前になるが、何度かここのテレビ塔に登ったことがある。眼下にDBの線路を間近に見ることができ、まるで模型列車が走っているような、とても楽しく不思議な眺めであった。そういえばその頃は中央駅から歩いていたが、今なら列車線にもドムトアー駅ができたので、すぐにテレビ塔にたどり着くことができる。 

アルトナ駅へと向かう線路を左に分けながら、デンマークへの列車は右カーブで北に向かう。ここは三角線構造になっていて、アルトナ駅からの線路が張り付くと、すぐに大きな車両基地が左手に広がり、ICEや客車が多数休んでいる姿を見ることができる。ケルンあたりではもうすっかりICEというとICE3なのだが、ハンブルグではまだまだICE1の姿も多い。が、やはりパンタが乗ったICE3と見比べると、屋根のつるんとしたICE1は機関車と客車の組み合わせなのだな、とあらためて思う。そういえばICE2は、機関車が後ろに付いて推進運転の時は最高時速200kmに制限されるそうだ。機関車が先頭なら280km出せるわけだから、なんとも運用上面倒に思う。もっとも280km出せるのは高速新線区間に限られるわけだから、新線区間をICE2の重連で走るよう運用を組んでおけばいいか。とはいえ、やはり電車型ICE3を見てしまうと、ICE1ICE2は何となく古くさく見えてしまうから不思議である。 

近郊列車はこの乗っている快速列車も含めてプッシュプル、つまり機関車が押していくこともある、のがほとんどのようだ。列車の折り返しに機関車の付け替えが必要なく、列車編成の進行方向のみが逆転するのだ。日本でも北勢線あたりで1M3Tが実際あるのだから、DBREなどの近郊列車も機関車+客車3両のプッシュプルも電車、と解釈できないこともなかろう。が、ここでは電車だの客車列車だのあまり区別をしないのだろうな。日本はどうも異形式連結が苦手なようだ。法令なりがうるさいのかもしれないが。

☆写真を撮りました

http://www.geocities.jp/yasummoya/europe06/SHE/she.htm

注)帰国後調べてみると、この区間はDBの中の地域鉄道、Regionalbahn Schleswig Holsteinというのだそうです。デンマークへの列車はこの鉄道の運営するSH-Expressという列車。

確かに撮った写真にもそのロゴがありました。 http://www.regionalbahn-sh.de/index.php です。

 

34. 430日 午前 小さな地域鉄道

ハンブルグ中央駅を出発してしばらくは地下鉄が横に張り付いていたが、その終点も過ぎると市街地をはずれる。またいつもの田園風景になって、ひたすら走っていく。軍港キールへ向かう線路でもあるので、かつてからの幹線のはずだが、特別な設備のようなものには気づかない。線路の状態はよいようで、120km/hくらいだろうか、どんどんと飛ばしていく。 

ニューミュンスター(Neumunster)という駅に停まる。2分停車で、ちょっとホームに降りる。向かい側ホームには、AKNと書かれた小さな車両が止まっていた。地域会社なのだろう、ぱっと見るかぎり車体長12mくらいの小型気動車が2連(連接車)である。小さな車体に2扉、しかも両開き外吊りという、まるでデンマークやハンガリーのローカル線にいるような小さな車である。この路線もクックの時刻表には載っていない。こんな小さな鉄道はドイツの至る所にあるのだろう。小規模でやっていけるのか、小規模だからやっていけるのか、いずれにせよおそらく行政支援があっての話だとは思うが、こういう地方路線が存続できるのは、今の日本から見ればうらやましい限りである。停まっているホームの反対側にもキールへの気動車がいたが、これも地域会社(Nord-Ostsee-Bahn)のものであった。

ニューミュンスター駅を出るとすぐの左側に客車が多数いるのを見かけた。IC用の白に赤帯車体の車が多数。他にもローカル用の青色の車など、本当にたくさんの客車がいる。中には窓のくりぬかれた車体のみの物があったり、イタリアFSの車もあったりする。トラバーサーも3基もしくはそれ以上あるようで、客車の近代化工事を主にしているように見える。これからもドイツでは少しずつ電車化や気動車化が進んでいくだろうから、客車の需要は減っていくだろうが、それでもまだ地方では客車も必要だろうし、たぶん旧DRの地方線にはまだまだ古いものも残っているのだろう。ICEに取って代わられたり、既に電車化・気動車化で捻出された車両が近代化工事を受けて転出していくのだろう。あるいは他の国に売却されるものもあるかもしれないな。昔はローカル客車といえば銀色車体の客車、というイメージだったが、今では赤い車体の車がドイツの隅から隅まで走り回っている。

AKNについて帰国後調べてみたところ、一部はDBに乗り入れて、ハンブルグ中央駅まで来る列車もあるようだ。ということはあの小型車体がハンブルグ中央で見ることができるわけで、並み居る大型車体の並ぶ中を小さな車体がちょこんといるのはさぞ楽しい光景だろう。が、そんな光景が可能になるインフラと政策が本当にうらやましい。井原鉄道の車両が岡山駅まで直通したっていいよなぁ)

 

 35. 430日 朝続き2  運河を越えて

 あちこちに発電用の巨大な風車がそびえている。まるで林のようだ。ドイツ全土至る所に風車はあるが、特に北ドイツ、オランダからデンマークにかけての北海沿岸には風車が多い。日本でも風車の群生しているところが少しずつ増えてきたが、そのほとんどは山岳地帯、山の上だ。オランダやドイツ、デンマークのように、田園地帯や民家の周囲に大型風車のある光景は日本では見ることができない。そんな風車の林をのんびり眺めていると、いつのまにか列車は大きく右カーブを描きながら築堤を上がってきている。とまもなく先の方に大きな橋が見えてきた。今日の目的の一つである、大鉄橋とループ線にさしかかってきたのだ。 

レンスブルグ(Rendsburg)の駅南側には大きな鉄橋があり、橋の北側はループ線になっている。ハンブルグからやってくる(北行き列車)場合、築堤を駆け上がり、鉄橋を渡り、ループ線をまわりながら降りてゆき、レンスブルグの駅に着くという順番になる。北海運河を越えるために高さをクリアする必要があり、平地でありながらループ線という、珍しい構造のところである。市街地を囲むように線路がくるりと輪を書いている。山岳地帯ではないので、ループ線の全体の見通しがきき、ループ線とはこういう構造なのだ、という実にわかりやすい見本である。なので、日本の鉄ヲタにもっと紹介されていいところだと思うが、いかんせん幹線ルートではない(実際には北欧と大陸を結ぶ幹線上なのだが、観光ルートとしてはいささか力不足である)ので、なかなか知名度がないのは残念である。 

いよいよ鉄橋になる。運河の上なので、水面は静か。バルト海に抜ける大きな船も通るのだろう、ループ線にしなければならない高さがやはり感じられる。キールは軍港と聞いているので、北海からキールに行く艦船も通るのだろう。わだらんは軍のことは全く無知なのだが、軍板にいる人間なら承知のことなのだろう、と思う。

運河を渡りきると今度は高架橋でループ線を降りていく。高架橋といっても鉄橋の続きで、音の迫力十分。ただ、運河の上と違ってトラスがないので、見通しはきく。坂の途中で徐行になった。橋脚の工事をしているようだ。日本なら耐震工事とでもなるのだろうが、この大陸ではどうなのだろうか?あまり地震の話は聞かないし、安定した地盤なのだろうなぁ。対向のRB列車とすれ違い。こちらが坂を下りるとほぼ同時に相手は橋にさしかかっている。当たり前だが、橋の上から上がってくる列車が見えていたので、当然こちらが坂を下りれば向こうは登り切るわけで、複線ループの楽しいところ。でも日本には複線ループはないなぁ。 

ぐるりとループ線を降りるとレンスブルグの駅に入って行く。駅から鉄橋が見えている。橋のたもとまで歩いていけそうなのだが、さすがにこのコンデジでは写真にならないだろう。いい機材があれば写真に挑戦してみたい、いつの日か。 

☆写真をとりました

http://www.geocities.jp/yasummoya/europe06/Rendsburg/rendsburg.htm

 

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36. 430日 午前  北欧の入り口

列車は終着駅、Padborgに着いた。国境である。ホームで立ち話をしていた係官が二人、私の顔を見ると「パスポート」と言って寄ってきた。大男なので迫力満点。まぁ笑っているので威圧感があるわけではないが。で、わだらんがパスポートを渡すとちらちらと中を見るだけで、そのまま笑って返してくれた。スタンプはないのか?と聞くが、ない、といわれた。まぁ非欧州の外国人がこんな地元の電車で国境越えをすることはあるまい。第一、国境でのパスポートチェックだ、といってもラッチがあるわけでなく、ホームは繋がっているし、向かいの列車に乗るだけ、まるで隣町の感覚である。が、とにかくデンマークに入った。手持ちのデンマーククローネはない。これからしばらく、お金を払って飲まず食わずはできない。 

国境からの列車は小さな気動車、MD型の2両編成。この区間は電化区間ではあるが、その他のこの周辺路線にも使うローカル線用車両なのだろう。一等席もなく、このあたり、デンマークの中では首都から離れた地方路線、ということになる。悪く言えば辺境の地である。実際、今でこそドイツ=北欧が陸続きになって、ここは貨物や夜行列車の走る幹線になったものの、かつては単なる地方路線だったわけで、電化されてそんなに間がたっているわけでもない。とはいえ、貨物列車がすれ違っていくあたりはやはり動脈、と思わせるに十分。大陸側から見れば、北欧への入り口になるのだ。 

車内は空いていて、のんびりしている。ボックス席はゆったりしていて、わだらんも足を伸ばしてくつろいでいる。一等席はないものの、座った感じは十分一等席。わだらんは経験がないが、昔の並ロ程度なのだろうか、とても気分は優雅である。車窓も広い田園風景や雑木林が続くのみで、代わり映えがしない。のんびりとした国境越えの各駅停車の旅である。ハンブルグをもう1時間後に出る直通のIC列車なら乗り換えもないし、列車は速く所要時間は短いものの、国境通過だの、ローカル専用車両の乗り心地などを味わうことはできないので、今日のこの列車選定はなかなか正解、と一人で喜んでみる。

一般的には、ハンブルグ−コペンハーゲンはピットガルテン経由のフェリーを介したルートである。もちろん、わだらんもそのルート、いわゆる渡り鳥ルートは何度となく利用しているのだが、そのフェリー航送が面白いので、一般の旅行者はもとより、鉄ヲタも当然そのルート利用であろう。それはそれで否定できない話なのだが、この陸上国境ルートも地上のループ線だの、海峡大橋だの、と魅力十分で、相手が強力すぎてかわいそうに思う。 

いくつかの小駅で少しずつ客を拾いながら列車は北上を続ける。車内にもう一人旅行者?がいる。さっきハンブルグからの列車で一緒だったアメリカ人?イギリス人?で、大きめのバッグを持って一人ボックス席に座っている。その旅行者と、わだらん、そしてわずかの乗客だったこの列車の車内も、いつの間にかほぼ座席は埋まってきた。まわりは子供も多く、わいわいがやがや。もちろんデンマーク語などわだらんがわかるわけはなく、楽しそうな子供の会話も何話しているのか全く見当が付かない。

☆写真を撮りました

http://www.geocities.jp/yasummoya/europe06/Padborg/padborg.htm

 

 38. 430日 午前続き  車掌の放送は万国共通?

 車掌が次駅の案内放送で、コペンハーゲン云々と言ったような気がして、もう一度時刻表をよく見る。トーマスクックのデンマーク索引地図で、Fredericiaまで行けばいいと思っていたのだが、時刻表上では地図上の駅でなく、手前の駅、つまり次の駅、Koldingで乗り換えることになっている。地図が不正確なのだろうか、まずは列車を降りてみることにする。どうせ今日は夜マルメに行けばいいので、時間を気にする行程ではない。

しかし、偶然というか、「コペンハーゲン」という言葉がわかってよかった。車掌のアナウンスは万国共通か?実際、次の停車駅は○○△△方面はお乗り換え程度の簡単なアナウンスだし、それ以外に車掌がアナウンスすべきこともあまりないのだろう。韓国ソウルで地下鉄に乗っても、結局この次駅と乗り換え案内だけだったので、その程度なら苦労しないでどこでも行ける。結果的にはあとからわかったことだが、ここで乗り換えできたので、時刻表による案より1時間早くオーデンセに着くことになった。

Kolding駅に着く。結構な降車があり、わだらんもその列に続く。23線のこぢんまりとした、かつ地方の拠点駅のようで、なかなか趣のある、どことなく昔の日本の国鉄駅を思わせるような雰囲気である。駅舎のあるホームへは地下道をくぐっていくのだが、その地下道への階段がどことなく昔の日本に似ている。そういえば今はなくなった旧米原駅の北陸線上り、4/5番ホームがこんな感じだった。ホームシックには無縁のわだらんであるが、何か日本の雰囲気を感じるのはほっとする。屋根もとんがりタイプのかわいいものが付いている。 

わだらんの乗ってきた気動車からの降車客で、そんなに広くないホームはにぎやかになった。ホームにはテレビ式の発車案内。デンマークDSBにはぱたぱたがなく、ほとんどの駅はテレビ式である。そのテレビ画面表示は東港(Oesterport)駅ゆきになっていて、コペンハーゲンゆきとは書いていない。とりあえず今の目的地はーデンセなのでコペンハーゲン中央駅行きでも東港行きでもどちらでもいい。とはいっても、どちらでもいい、というのは、昨年東港駅を通っていて、周囲の駅との位置関係の感覚をつかんでいるから分かる話である。ちょうど筑肥線の電車が博多を通り過ぎて福岡空港へ直通運転し、行先に博多と表示しないようなものだ。わだらんは、昨年の経験から何も苦労しないのであって、もし行き当たりばったりなら、あるいは初心者なら、コペンハーゲン行きがない、と騒ぎになるだろう。 

しかし、なるほど、いつの間にか、オーデンセ方面からの一部列車は中央駅を通りすぎ、市内を貫通して東港まで行くようになったのだな。中央駅の列車整理上、通り抜けが手間が少ないとか、中央駅西方の操車場が整理縮小されたとか、などといろいろ運転上の理由はあろう。あるいは市内を貫通することによる乗客の利便を図っているのか。なにせ、コペンハーゲンの地下鉄は、中央駅を通らない。西・南からの列車が中央駅止まりでは、地下鉄に乗るのに一旦中央駅で他の列車なりSトークに乗り換えを要求されてしまう。都市圏の鉄道整備が進めば直通運転が増えるのだろう、ここコペンハーゲンだけでなく、さらにこれからもいろいろなところで。最たる例が湘南新宿ラインなのだろうが。

ちょうどお昼である。雲量が多く、決して明るい空ではないが、雨が降ることもなさそうだ。せっかく海を渡るのだから、いい天気で景色を眺めていたいと願うのだが、さてどうだろう。

☆写真を撮りました

http://www.geocities.jp/yasummoya/europe06/Kolding/kolding.htm  

注)デンマークの地名の読み方に自信がありませんので、現地名をそのまま書きます。

 

 39. 430日 午前続き  小ベルト海峡を渡る

 ホームで待っていると、ゴム顔のIC3MF型気動車がやってきた。3両編成で、一等席は編成最後尾だ。ホームにいた乗客はほとんどがこの列車に吸い込まれ、わだらんもとりあえず車両に入り込むと、比較的短い停車時間ですぐに発車となった。列車は進行方向が変わらず、先ほどまでと同じ方向へそのまま進んでいく。このあたり、トーマスクックの時刻表の地図はかなりいい加減である。地図にはないが、結局三角線があって、南からも、北からもフェン島への橋へ直接入ることができるのだろう。 

右手先の方に橋の白のトラスが見えた。と思うと線路が左右に分岐していく。列車は右へと進路を取り、いよいよ小ベルト海峡を渡る。陸地が比較的海面から高いところにあって、さして大きな築堤を通らずに直接橋へ入っていく。名の通り小さな海峡なので、橋自体は大きいものでなく、あっさりと渡ってしまっておしまい。ただ、海面高い位置に線路があるので、遠くまで海が見渡せる。かつて一回、ここを通ったはずなのだが、全く記憶にない。ということはたぶん居眠りをしていたのだろう。橋はトラス橋である。せっかくなので、海の上を走っている写真を撮っては見たものの、ほとんどが画面にトラスが映ってしまい、まともな写真にならない。それでも撮っては消せ撮っては消せるデジカメのありがたい機能のおかげで心おきなくシャッターを押すことができる。もちろん、今はわずかな時間なので、まずは次からつぎへと写真を撮って、後から消せばいいのだ。 

海峡の前後は海面から比較的高い平原である。海を川と見立てれば河岸段丘上のイメージなのだが、どうして海峡が深いのかはわからない。土地が隆起して高くなった一方海は浸食で深くなったのだろうか?まぁ、海は狭いので、海峡といってもあまり大げさなものでもないのは確かだ。 

橋を渡って、列車はフェン島に入る。一面に田園の広がる風景で、遠くはるか先まで見通せる感じがする。近くには小ベルト海峡の高速道路橋、吊り橋の高い支柱が見える。同じ海峡を東西に連絡するのに、鉄道橋は南北方向、高速道路は東西方向に橋が架かっているのは、やはり架橋の年代によるものか。南北に渡る鉄道は橋の前後で大きくカーブしていて、逆にそれが橋の全体を見渡せる車窓のポイントになっているが、橋の長さを短くするために前後にカーブがあるようだ。他方、高速道路は橋が多少長くても、一直線で海を渡り、東西を結んでいる。車窓がいいより所要時間の短い方がより多く支持を受けるだろうから、なんとなく遠回りの鉄道は損な役回りに思える。カーブしながら進んでいくと、見通しのきく遠い先の方に白い塔が見える。グレートベルト海峡橋の支柱かと思ったが、結局その後線路は曲がり、塔の姿は見えず、確かめることはできなかった。

 DSBIC列車の一等席にはコーヒー、ジュースのサービスがある。ミネラルウオーターのペットボトルもあって、今夜の夜行列車のために1本いただいておく。せこい話だが、いまは金を出して飲み食いができない(カードなら持っているし、ユーロなり日本円を崩せばいいのだが)ので、コーヒーを3杯も一気に飲んでしまった。他に3人がいるだけの室内は極めて静かで、わだらん一人がコーヒーをもらいに何度もうろうろするのは顰蹙ものに近い。なので、静かに静かに。 

車掌さんがやってきた。大柄のおねえさんで、珍しそうにユーレイルパスを覗いている。もちろん、こちらは正当な切符だ、と自信を持っているので、べつにびくびくする必要はないのだが、あんまり熱心に見るので、ちょっとたじろぐ。結局しばしの沈黙ののち、おねえさんは切符を返してくれる。何が気になったのだろうか?前方の二等席がざわつき始めた。もうすぐオーデンセだ。

☆写真を撮りました

http://www.geocities.jp/yasummoya/europe06/DSBIC3/DSBmf.htm

 

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39. 430日 昼  デンマークの鉄道博物館

オーデンセに着いた。前々から行ってみたいと思っていた鉄道博物館へ、これからおでかけ。

鉄道博物館は扇形機関庫を利用したもので、駅の裏手にあって、ホームからも見える。裏口(という言い方が正しいとも思えないが)自体がかつての線路跡地のようで、博物館に本線から線路が繋がっている。駅側からは扇形機関庫の壁が見えている形である。裏口(相変わらず失礼な言い方だ)から徒歩1分?バス停を挟んですぐのところに入り口がある。あまりにひっそりしていて、休館日かと一瞬焦ったが、ちゃんと開いていて助かった。デンマーククローネを全く持っていないので、クレジットカードで入場券を買う。ユーレイルパスを出して、なんぼか安くなるのか、と聞くと、窓口の若いお兄さんはいままで聞いたことがないようなそぶりでマニュアルをしばしめくって、面倒くさそうに発券する。おまけにカードなので、ますます面倒である。確かに、たかが大人ひとりの入場券ごときでカードを使うな、と怒られそうではある。ついでにパンフレットなり解説書はないか、と、聞くと、簡単な地図をくれた。本当に簡単な、紙一枚の地図である。英語版はないかと聞くが、ない、とあっさり断られてしまった。入り口のお兄さんにはよほどめんどくさい客に写ったに違いない。

とにかく入場券を買い、中へはいる。平日なので、とても空いている。玄関の先の扉を入ると、扇形機関庫の中に入っていき、博物館入場となる。機関庫の中に車両が展示されている形で、車両以外の各種の展示物が豊富にあるわけではない。なので、鉄道博物館というより、車両展示館といった雰囲気で、交通博物館よりむしろ梅小路機関車館に似ている。扇形機関庫の中に、SLや客車、DLなどいろいろといる。アメリカ型DLはカットモデルになっていて、機関車内の各種機関が見えるようになっている。電気式DLで、エンジンとそこにつながる発電機のタービンがはっきりわかる。さすが海に囲まれた島国デンマーク、機関庫から独立した展示室に、鉄道連絡船の模型コーナーもちゃんとあり、車両甲板や可動橋もよくわかる。陳列の模型船をお尻から見ると、赤い客車が船の中にいる。所要1時間程度の連絡船といっても、結構な大きさなのだな、と改めて思う。

☆写真を撮りました

http://www.geocities.jp/yasummoya/europe06/DSB_mu/dsbmu.htm

http://www.geocities.jp/yasummoya/europe06/DSB_muo/dsbmuo.htm

 

40. 430日 昼続き  続・デンマークの鉄道博物館

デンマークも王立の国である。貴賓車がそのままの什器を載せて展示されていて、ホームの高さから窓越しに室内の様子を見ることができる。落ち着いた雰囲気と、優雅な内装は、やはり貴賓車にふさわしい、と思えるから不思議だ。ただ、こういった作りの客車を見ていると、やはり鉄道車両の最初は馬車から発展したのだな、と妙に納得してしまう。ちなみに、ここの博物館内には最近の車両はない(というか、博物館には現役車はいないわな、普通は)ので、昔はこんなものだったのか、と考える程度で、進歩なり発展なりというのを感じるのは難しい。今の技術と風土で貴賓車を作ったらどんなものになるのだろう、そういえばNSには現役の貴賓車がいたはずだが。

コペンハーゲン近郊の国電のはしりになった電車、戦前の大型蒸気機関車、乗合バス、車両展示の種類は多い。ちょっと雑多な気もするが、車両展示がメインなら致し方あるまい。 

とはいえ、鉄道博物館にしてはちょっと展示品がもの足らないような気がする。車両展示の隙間に、信号関係の展示が、駅の信号てこ扱い器などで紹介されているものの、軌道や電気、あるいは土木関係の展示はない。弁天町やかつての万世橋だと、トンネルや橋、駅や台車の模型などが結構あって楽しいのだが。せっかくなので、グレートベルトなり、エールスンなりの海峡大橋の模型があってもいいのにな。ちなみに、日本で人気の運転シミュレータなるものはない。 ちなみに、展示物に付けられた解説文はすべてデンマーク語である。なんとなく書いてあることはわかるのだが、細かいところはわからない。とはいえ、もともとDSBの車に詳しいわけではないのから、些細なところがわかってもあまり役立ちそうにない。個人的には現役車の詳細な情報が入手できる方がうれしいな、と思う。

 平日ともあって、庫内は静か。小さな子供連れが10家族くらい?の入館者。庭に模型のレイアウトがあって、有料で電車を動かせるセットがある。わだらんは残念ながらデンマーククローネの持ち合わせがなく、何もできず。が、入れ替わり立ち替わり誰かが動かしてくれるので見ているのはおもしろい。ICE3がモデルの電車がいるのだが、ロゴを隠して正体不明の電車になっている。まぁ子供相手ならその方が夢があっていいか。

そのまま機関庫外をふらふら。貨車のホーム(おそらく現役時代の貨物ホームそのままだろう、と思う)があって、線路がそのまま外につながっている。さらに回ってみると、扇形機関庫の線路はそのまま扉の外に続いていて、転車台から外へつながっている。線路の先はオーデンセ駅の構内に続いているので、博物館の車両をそのまま本線に出し入れできるわけだ。そういえばデンマークにはSLの保存運転とかはあるのかな? 

再び展示館内に戻る。入り口では気づかなかったのだが、二階に上る階段があって、上がってみると、テラス形式で、ちょうど展示車両を上から見ることができる形であった。他にも二階部分には模型の展示スペースが用意されているが、展示ケースの中は何もなかった。しかも、二階の一部は建屋改装中のようで、各種の模型車両が隅っこに押しやられて非展示状態。せっかく幅広Sトーク模型が飾ってあったりするが、ぽつんと一人きり、他の車両模型は間近で展示物を見ることができない。かなりがっかり。入り口真上に当たる部分にはカフェテリア(というか、売店か)がある。が、今日は休み。なぜかそこに数台あるパソコンで、子供たちがゲームに熱中していた。 

 帰り際に博物館の売店を覗く。DSBの車両図鑑みたいな本があって、思わず買ってしまう。しかし中身はデンマーク語なので、まるでわからない。数字だのはおおよそ見当が付くので、まぁ参考書にはなると思う。ダイカスト(たぶん)の電車のおもちゃをみつけた。幼児用のおもちゃである。しかし、どう見ても新幹線300系と成田エクスプレス253系。中国製おもちゃなので、おそらく日本向けになにかおもちゃを作って、その金型流用だろうと思うのだが、もちろんどこにも「承認済」の文字はなし。このおもちゃで遊ぶデンマークの子供はモデルになった現物を見ることはないだろう、きっと。

 

41. 430日 昼続き  駅ビルは珍しいよね

 駅へ戻る。駅北側にはバスターミナルがあって、列車ホームにも直接出入りができる。改札がないので、どこが駅でどこが道路だ、なとど難しい境界はない。昔の日本の地方駅では、荷扱ホームは外との境界がはっきりしていないところも多かったが、欧州の駅の中小規模駅では構内と構外、ホームと周囲の区別がつきにくい。オランダのようにホームが高いとまだそれなりに境界ができるのだが、デンマークはホームが比較的低く、はっきりしない。 

地下通路を通って、駅の表に出る。ここオーデンセの駅は栗さんのスケッチに取り上げられている。(ちなみに本ではなぜかオランダの駅になっているのだが)が、残念ながらスケッチに描かれた駅舎は、今は駅舎としての役目を果たしておらず、駅のシンボルとしてのみ残っているようだ。中はがらんどう、というか通路になっているだけであった。

せっかくなので、駅舎の写真を撮る。駅舎の前の道路を隔てて公園になっていて、遠目から駅舎を見るのに好都合である。何より公園に花が咲いていて、とても気分がいい。地元の人なのだろう、犬を連れて散歩など楽しんでいる。

実際のオーデンセの駅舎はホームの上に立っているビルであった。駅の機能部分だけ見ると橋上駅の形なのだが、その他商店などがビルに入って大きな駅ビルになっている。道路に面した入り口から中へ入り、花屋やコーヒー屋が並ぶ一階からエスカレータを登ると、二階のコンコースに出る。その二階通路に出札窓口や各種店舗が並んでいるというもの。もちろん改札がないので、エキナカとかラッチ外という概念はないのだが、ビルを建ててその中に駅窓口機能と各種店舗が入る、いわゆる駅ビルというのは欧州では珍しいのではないのかな?大きな駅舎の中に店舗がぎっしりというものはあるが。それにしてもコンコースは人が多く混雑していて、周囲の飲食店も繁盛している。何か食べたいとは思うものの、デンマーククローネの持ち合わせはないので、飲まず食わずの辛抱である。 

駅ビルからホームへは階段を下りることになる。階段の入り口にはドアがあって、ビル内は空調が維持できるようになっている。なにせ、ホームは屋根があるものの、周囲は吹きさらしである。冬はさぞかし寒いのだろうな、と思う。列車の来る直前まで駅ビル内にいろ、なんか食ってろ、てか。親切だかお節介だか。まぁ、それでも時間つぶしにはこの駅ビルのコンコースは利用できるだろうから、待ち時間の間に何か、と思うのは自然だろうな。わだらんはお金がないから何もできないが。 

今日は雲が多いものの、寒いわけではない。商店街にいても、何も買えないわだらんは早めにホームに降りてうろうろ。ちょうどコペンハーゲン行きICが増結作業中で、遠くからだが、写真を撮ってみたりする。停車中、客扱いしている増結編成に後ろから到着した編成がこん、とくっついて連結終了。もとより幌が車体についているので、あとは運転台を畳んでおしまい。あっけないものだ。この編成、編成前部にあたるオーデンセ増結は電車、以遠からやってきた編成後位は気動車である。電車だの気動車だの客車だの区別しないのがデンマークや欧州の常識なのだが、やはり日本的常識のわだらんには奇異に映る。

☆写真を撮りました

http://www.geocities.jp/yasummoya/europe06/odense/odense.htm

 

42. 430日 午後  海の上を行ったりきたり

 オーデンセはアンデルセンの生まれた街で、いろいろと名所があるらしい。といっても、わだらんにはそんな名所の知識は全くなく、時間があるので、それまでまた列車に乗る。まったく観光には無縁である。この後は、深夜マルメに行けばいいので、もう一度海を渡ろう、と再びさっき乗った線路を戻ることにする。鉄道博物館内では意識的にまったく時計も見ず、時刻表も気にせずで動いたのだが、ここからはまた時刻表とにらめっこしながら列車の旅である。

下り方向に来るのは、LYNICよりさらに上位の列車種別だが、車は普通のMF型ゴム顔気動車。特別な設備があるわけでなく、わざわざ種別を分けたのはなぜなのだろう。特に指定など取るわけでなく、いつものようにふらっと列車に乗って、一等席に座っている。 

列車は小ベルト海峡を再び渡る。道路併用橋なのだが、今は近くに高速道路ができたためか、車はあまり通っていない。列車も速度を落とさず、結構なスピードで一気に渡ってしまう。で、渡り終えると、複線どうしの平面分岐があって、今度は三角線を北へ上がる。

分岐してまもなくドイツからの線路がやってきて合流しFredericia駅に着く。クックの時刻表地図にはこの三角線が描かれていないので、乗ってみないとわからない。というか、一般の外来旅行者がこのあたりでわざわざローカルの列車に乗ることもないだろうから、記載自体はこの程度でいいのだろうと思う。わだらんの移動が細かすぎるのだろう。

☆写真を撮りました

http://www.geocities.jp/yasummoya/europe06/DSB_bridge/belt.htm

次に停まるVejleという小さな駅でLYNを下車。ここでコペンハーゲンに向けて逆戻りする。手前のFredericiaでも、ここで戻っても戻りの列車は同じ。本当は大きな駅Arhusまで行きたいのだが、そこまで乗ると、ここで折り返すのと比べて1時間遅れになるので、ここで手を打つ、という単純な理由である。駅舎はきれいな建物に改装されていて、駅出札窓口はカウンター形式。DSBは売店が直営(子会社?)なので、小さな駅では売店兼切符売り場みたいなところも多いが、この駅はちゃんと窓口があるので、中規模駅とするべきか。ちなみにホームへは地下道形式で、DSBは構内踏切をあまり見かけない。そのカウンター脇に時刻表が置いてあった。各方面を系統ごとにまとめた小冊子で、10種類ほどある。あるものすべてもらっていったが、カウンター中のおねえさんはきっと怪訝な顔をしているだろう。リュックを背負った東洋人がこんなところにきてしかも時刻表を持っていくのだから。

 

追記)帰国後調べてみたところ、正確な完成時期はわからないものの、このリトルベルト橋は全長3866フィート(=1160m)であることがわかった。橋の構造が http://library.jsce.or.jp/Image_DB/mag/dokai/pdf/15-08-0093.pdf に載っている。

 

43. 430日 午後続き  グレートベルトを渡る

コペンハーゲン行きは3両(3車体)×2でやってきた。一等席が編成前後で泣き別れになっていてどうするべきか悩むところだが、結局最後尾に乗ることにした。空席があるのは間違いないとしても、前向きの編成左側がうまくとれるかどうかが分かれ目である。やはり自分の狙った席があればうれしいし、なければ残念、楽しみ半減である。が、幸いにも狙い目の席があり、かなりうれしい。

駅を出た列車は海沿いを走る。海と行っても長い湾で、対岸が見える。Vejleの街は海から深く入り込んだ湾の先端にあり、線路はΩのような形で北へと繋がっている。今はそのΩ型の半分を往復しているわけだが。湾沿いを走っていると、高速道路が湾を一気に渡る橋が見え、なんとなく尾道の因島大橋のような感じ。といっても橋の周囲は市街地ではないので、あの迫り来るような家の建て込みはない。相変わらず雑木林が続いている。幸いにも車内は落ち着いていて、相も変わらず無料のコーヒーを飲みながら、再び小ベルト海峡を渡り、オーデンセを通っていく。二等席はかなり混雑しているようだが、一等席はオーデンセでもあまり乗車がなく、ゆったり。とはいえ、もうほとんど空席がない状態なので、やはり3列シートで生まれる広い空間がゆったり感を作るのだろう、と思う。

右に大きくカーブしながら築堤を登り、再び左カーブを曲がり終えると、いよいよグレートベルト海峡を渡る。昨年も来ていて、目新しいわけではないのだが、やはり海の上を走っていくのは気持ちいい。瀬戸大橋も楽しいのだが、頭を道路に押さえられて暗い。ここではそんな障害物が頭の上にはないので、天気がよければ本当に海の上を飛んでいる気分になれる。今日も雲量多いとはいえ、何とも気持ちいい。飛んでいくように海を駆け、一気に潜って海底を進む。昔はここも列車が船に乗って移動する楽しい航送区間だったのだが、線路が繋がるとあっさりとしたものだ。船で1時間かかっていたのに、今は10分くらい?トンネルを抜けてから、きちんと所要時間を計っておけば、と反省することしきり。時間短縮のイメージは瀬戸大橋に似ているかな。もっともここは騒音防止による減速はないので、とにかく走り抜ける、という印象だが。

トンネルを抜けるとシェラン島。田園地帯であることには変わらないが、少しずつ家も増えてきたようで、ハンブルグからの線路と合流するRingstedを過ぎると、すれ違う列車も増える。

☆写真を撮りました

http://www.geocities.jp/yasummoya/europe06/Vejle/vejle.htm

 

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44. 430日 午後続き  大きなおなかのムカデ電車

DSBといえば連接電車、連接電車といえばDSB(ちょっと大げさか?)である。せっかくデンマークにきたからには、連接電車に乗っておかねば、と思う。

で、当初は、コペンハーゲンの手前、Hoje TaastrupICを降り、そこから近郊電車に乗ろう、と考えていた。オーデンセやハンブルグへのICで何度も乗っている区間で、平行する近郊電車を何度となく見ていたからである。ところが、さっきの駅で細かい時刻表を入手したとたん、せっかくなので近郊電車の路線に乗ってみたい、とまた欲がでてきた。今までトーマスクックの時刻表などで読み切れない郊外電車、とあきらめていたのだが。

まずはとにかく中央駅まで飛ばして、そこから近郊電車に乗ることにした。目的地はなく、ただ、例のSトーク(とわだらんが読み方を勝手に思いこんでいる。正確な読み方をご存じの方、是非ご教示賜りたく)の幅広電車に乗れればいいのだ。

時刻表の地図を見ると、なんとなく街の北東方向への電車がよさそうに思える。A,B系統の路線がコペンハーゲンの市街地を抜けての郊外への路線のようで、かつ列車線が平行していないので、純粋な近郊電車駅だと思われる。そして戻りには東港で列車線に乗り継ぎ、マルメに向かう案が立った。こういった乗り方は、何度かきてみないと事情がわかってこない。同じところの鉄道に乗るといっても、そのたびごとに乗り方も見方も変わるのだから、何度来ても興味は尽きないし、飽きることはない。ましてやこれからも列車ダイヤや車両は次々変わっていくだろうから、結局無限ループみたいなものである。

グレートベルトを渡って、ICは順調に走っている。Hole Taastrup駅を通り、近郊電車が並行するようになると、例の幅広電車もよく見かける。すれ違ったり、追い越したり、折り返し駅の電留線にいたり、と。方向別複々線なので、高崎線の列車から京浜東北線の電車を見ているようだ。近郊電車は本数多く、もちろん幅広電車以外のものもよく見るのだが、どうしても幅広に目がいってしまう。

 コペンハーゲン中央駅に着き、そのまますぐに近郊電車ホームに移動して電車を待つ。駅の西側にある電車線は24線を持ち、次々と電車を捌いていく。しばらくは、電車を観察する時間だ、と思っていた矢先、乗るつもりでいたA系統の電車がお目当ての幅広電車ですぐにやってきた。何度見ても不思議な車体、不思議な電車である。昨年短区間で乗ったことはあるが、ゆっくり乗るのは初めてである。乗り心地は普通の電車と同じ、ただ、ジョイントを刻む音がちょっと変わっている。一軸なので、タンタン、と音がする。が、隣の車輪の音も混じって、間近の車輪の音がよく聞き取れない。ちょっと口まねするには難しい。何度か乗って見ればわかるだろうが、まぁ不思議な車であることは間違いない。話は大きくなるが、最近の欧州の車はこの一軸台車や、多車体路面電車の台車なし車体とか、いままでのボギー車のみでは理解できないものが多い。ドイツでも連接車体の近郊電車が大繁殖しているし、日本の常識は狭いのだろうか?そういえば日本にも一時期一軸台車の高速貨車試作があったが、定着しなかった。もし高速貨物の車扱が元気ならば、日本の展開も変わったのだろうか?

幅広電車は片側3人がけの大きなシートである。最混雑時でない限り、3人びっちり座ることはなさそうだが、逆に混雑時は3人座ってくれそうだ。日本の中距離電車でも思い切って多扉クロスシートにしてみれば、座席定員の増加と、乗降時間短縮の一石二鳥と思うがどうだろう。大きな車体、大きな窓、見通しのきく車体、何となく不思議な空間である。欧州の路面電車はこのような編成前後全部が見通せるの車内が多いので珍しいわけではないのだが、8車体の長い編成でガラス仕切のたくさんある空間はやっぱり不思議に見える。座席の色が紺色でしかも柄入り、明るい模様でとてもきれい。日本の電車にはこういった色使いも空間もないなぁ。 

コペンハーゲンは北欧の大都市である。とはいっても規模は小さく、中心地を離れると周囲は深い緑になる。まさに近郊電車といった雰囲気で、都市郊外の住宅地を走っていく。で、今回の目的地、Holteに着く。電車はもう少し先まであるのだが、ここで折り返しておく。終点Hillerodまで行くと余計に40分遅れとなり、マルメがぎりぎりになってしまうからだ。この駅はB系統の終点でもあり、ここから電車の本数が変わる。幅広電車がこない時に備えて、電車の選択肢の広い方がいいだろう、という狙いもある。

 

注)欧州では日本のようにxx線というような呼び方をしません。従って、都市近郊路線では鉄道線でも日本のバスのような系統番号をつけたり、A,B,とアルファベットや数字を機械的に運転系統に振ることが一般的です。コペンハーゲンの近郊電車Sトークも、AからHまでのアルファベットの系統で運転路線を表記しています。

  

45. 430日 夕方  近郊駅で電車の見学

Holte駅は近郊の小さな駅で、小さな売店が切符も扱う、こぢんまりとしたなかなか好印象の駅。23線で、B系統が折り返しのため中線に入り、両側とも扉扱いのできる構造になっている。駅舎へは地下の地下道でつながっていて、ホームと地下道の間には扉がついている。冬はやはり寒さや風雪が厳しいのだろうか。

駅舎は大きな建て屋と小さな建て屋がつながった構造で、鉄道の営業機能は小さな建て屋にある。売店というか、日本でいうコンビニ程度の広さの店なのだが、DSB直営(または子会社かもしれない)のものが入っている。大きな駅舎はかつてのものなのか、あるいは運転関係のものか、よくわからない。売店横のトイレに入ろうかと思ったものの、扉が開かない。あれ、有料になったのか?と売店で聞くと、無料です、とおばさんが返答する。おかしいなと思ったが、結果的に押す引くをわだらんがわからなかっただけだった。一般的にトイレは駅設備であっても有料のところが多い中、北欧はトイレが無料でありがたい。物価は高いのかもしれないが、なくともDSBの一等車ではコーヒージュースが飲み放題で、ありがたいことだと思う。駅の西側を散歩してみる。駅の通路を駅舎と反対側に抜けると、通りに出る。その通りの向こうには池が広がり、とても都市近郊には見えない。ちょうど初老の紳士が池の畔を犬を連れて散歩していたが、またそれが絵になる、いい風景である。税金も高いが、いい生活もできるのかな。

☆写真を撮りました

http://www.geocities.jp/yasummoya/europe06/Holte/holte.htm

折り返しの電車も幅広電車だった。のどかな近郊の景色を見ながら、電車は飛ばしていく。この区間は複線の線路上をA系統とB系統の2系統の電車が走っているところで、遠くまで走るA系統は小さい駅を飛ばしていく、いわゆる遠近分離の快速運転になっている。A系統、B系統とも早朝から深夜までずっと20分間隔で走っている。

戻りの途中、Hellerupという、コペンハーゲン市内のはずれの駅で降りる。コペンハーゲン市内を南北に抜ける複々線は東側に列車線、西側に電車線という構造で、その北側終点に近い駅である。駅構内の東側に列車線用22線の対向式ホームがあり、一方電車線は分岐駅なので、24線の構造になっている。電車線と列車線の間には側線が数本。ちなみに列車線はもちろん電車も通るが、最近電化されたので交流電化である。一方電車線は直流電化なので線路は繋がっているものの、直通でまたぐ列車はない。ただ、貨物列車はDL牽引でありそうなのだが、残念ながら直流電化の近郊線を乗っている間に、貨物列車とすれ違うことはなかった。

列車線にはちょうどER型(ゴム顔の長距離用電車)がやってきてくれたので、写真を撮ってみる。電車と気動車の区別がほとんどつかない、いかにもデンマークの車両である。DSBJR北海道が技術提携しているが、JR北のDC201系とEC731系もこんな感じなのだろうな、なにせ実車を見たことがない、というか、デンマークにはこの数年で3回も来ているのに、北海道はもう20年近く行っていない。今度行けるのはいつの日だろう、でも時間があったらきっとまた欧州に来ているだろうな。せっかくDSB車両図鑑も買ったし、DSBの車両たちにまた逢いたい、と思う。

☆写真を撮りました

http://www.geocities.jp/yasummoya/europe06/DSB_sa/DSBsa.htm

http://www.geocities.jp/yasummoya/europe06/DSB_er/dsber.htm

 

 46. 430日 夜  国境は海の上

再び電車に乗り、コペンハーゲン中央駅を通り越し、カストラップ駅で降りる。空港ターミナルに直結の駅で、ターミナルと駅の距離はフランクフルトより近く、スキポールと同じく、ターミナル内に駅を作った格好である。いや、正確には、スカンジナビア航空を中心とする星組グループが利用するターミナル3が近いだけで、外様航空会社は少し歩かされるのが難点ではあるが。とはいえ、この空港と空港駅にはたびたび世話になっている。KLM利用だと、アムステルダムに着いてそのままここコペンハーゲンまで飛ぶことが多く、ユーレイルパスのバリデイトもここでしてもらうことが多い。そういえば、バリデイトにあたるいい鉄道用語はなんだろう?

ホームで数本電車の写真を撮ってみるが、掘り割り式ホームで、かつ多少時間も遅くなってきているので、暗くてうまく撮れない。あきらめて橋を渡ることにした。まだ外が見えるうちに海を渡ろう。ちょうどマルメ経由の電車がやってきた。

☆写真を撮りました

http://www.geocities.jp/yasummoya/europe06/CPH/cph.htm

一旦空港の下をトンネルで抜け、再び地上にでるとエールスン海峡大橋である。コペンハーゲンから進むと、まずはトンネルに入って海峡中間の人工島まで進み、そこから橋で海を渡るのである。トンネルの間はやはり退屈なのだが、橋に入れば気分も上々。ただ、瀬戸大橋と違って橋の周囲は島も何もなく、ただ広い海があるだけだが。

橋を渡り終えるとスウェーデン。将来副都心になるのだろうか、開発中の広い土地を横目に見ながら進む。途中にある南マルメ駅は、拡張しますよ、と言わんばかりに長い跨線橋を持っている。将来は複々線とか、あるいは大きな駅前広場などができるのだろうか。南マルメをでてしばらくすると、いかにも将来分岐の線路ができますよ、と見える立体交差のしかかりも見えるし、スキポールがどんどん大きくなったように、ここの海峡を望むあたりも再開発や都市化が進むのだろう。

そういえば、カストラップ空港には近日地下鉄も入ってくるらしい。マルメからコペンハーゲン市内まで、カストラップ乗り換えで簡単に入ることができるわけで、国境とかなんとかなどというものはもはや意識してはいけないのかもしれない。そう、フェリーで国境越えをしているときには船内に銀行や免税店もあってそれなりに楽しめたのだが、この橋を電車で通っても、両替所はない。マルメの人々は、きっとデンマーククローネの財布も別に持っているのだろうな。

 

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47. 430日 夜  スウェーデンでお買い物

車窓の両側が線路であふれかえるようになると、マルメ駅構内である。SJ(スウェーデン国鉄)の近郊電車がお休みしている横を電車は進み、駅ホームへと入る。マルメの駅も頭端駅で、煉瓦作りの重厚な駅である。エールスン海峡大橋のできる以前は全く縁のない駅だった(スウェーデンへはもっと北のヘリシンボリをフェリーで渡っていた)のに、橋ができてからはまるで当たり前のように来るようになった。以前もデンマークとスウェーデンはフェリーで20分の距離、そんなに遠いところではなかったが、やはり電車で直接来ることができる、というのは何となくうれしい。というか、今まではスウェーデンに行く、ストックホルムまで出かける、という目的でしか海を渡ることがなかったのだが、最近は時間があったら海を渡ろうみたいな実に軽い気持ちである。でも本来橋で繋がるというのはそういう心理的な面が大きいのだろう、と思う。

そんな近い距離ながら、不思議なもので、スウェーデンSJの車両はどう見ても重装備に思えてしまう。X2000もスタイルいい車だとは思うのだが、何となくICEの方が身軽に思える。北欧の車だ、という思いこみから来るのだろうが、屋根上も床下もがちゃがちゃしているような。実際にはそんなことはないのかもしれないのだけれど。

そういえば、昨年通ったときにマルメ=イエテボリ間で新線切り替えを含む線路改良工事をしているのに気がついていたのだが、いよいよその新線が開通したようだ。イエテボリとの列車が時刻変更になっているし、昨年も乗ったマルメ発のストックホルム行き夜行がイエテボリ経由になっている。新線開通で時間短縮になったためか。これでわだらん的にはストックホルム=イエテボリ間の夜行列車復活、となるわけで、次の機会にホテル代わりにつかってみたいが、さて、いつだろう?

 

ホームで乗ってきた電車を観察。この電車、DSBSJが同じ電車を保有し運用している。DSBならET型、SJならX31型と呼ばれるものだが、車体に大きなロゴがなく、どっちの車かよくわからない。DSBのゴミ袋があるところからすると、車両の管理はDSBがまとめてやっているのだろうか。DSB24編成、SJ18編成、というのは知っているが、所属ごとの車両番号はわからない。どこかに所属表記があるか、と車体の裾や妻面を見ながらきょろきょろ。すると裾に4533SJX31の表記を発見。そうか、この車はSJ車か、とわかって小躍り。

窓からわだらんの姿を運転士が覗いていて、不思議に思ったらしい、前へ回って車両の前面を撮ろうとしたら声をかけてきた。何しているのか?みたいな雰囲気。そこで、DSBSJかどっちかな、と見ていたのですよ、と英語で言ってみる。すると、運転士氏は、まぁ、写真でも撮れ(たぶん)、と手招きしてくれて、わざわざ窓を全開にして運転台の写真を撮らせてくれた。ありがたくうれしいことで、思わずサンキューを連発。そういえば、この電車には乗務員扉がない。同じゴム顔のMFET型には乗務員扉があるが、この車にないのはなぜだろう?ちなみに運転士の言葉がスウェーデン語かデンマーク語かはわからない。 

さすがにまともに食事をしていないので腹が減ってきた。駅の周囲に何か適当なものはないか、と思って駅の外を少し歩いていると、スーパーが見つかった。ちょっとおなかの足しになるものを買い物しよう、と。昨年の残りが120クローネあって、それを今回念のために持ってきたので、そこから、バナナとチョコレートで20クローネ払う。せっかくなので小銭を作ることなく20クローネになるよう商品を選んだのだ。結局今日は朝ハンバーガーとサンドイッチを食べ、昼間抜きで、晩はバナナとチョコレートでおしまい。ところが、このスーパー、後から気がついたのだが、駅構内にちゃんとつながっていたのだ。わざわざ駅の外へ出て店を探したのがちょっと悔しい。

 

 48. 430日 深夜  今夜の宿は船の上

駅へ戻ると、ベルリン行き列車はすでに入線していた。が、見て驚いた。機関車に牽かれた客車は2両である。寝台とクシェットの各1両。昨年6月に乗ったときは3両だったので、やはりまだオフシーズンなのだろうか。

車内に入ると既に数名の乗客がいて、身支度や寝台の用意などをしている。ハンブルグで確保したベッドは54番なのだが、50台の区画(下段注)にはすでに3人いる。とりあえずとなりの60台区画には誰もいなかったので、そこにしばらく座っていることにした。SJの車掌がやってきたので、本当はここではない、と告げたのだが、車掌氏は「別に問題ない」と軽くかわす。

そのうち列車は動きだし、結局60台区画を独り占めである。なにかせっかくクシェットをとったのに、コンパートメント一人占めではもったいない気がする。もっとも一人だから他人を気にせず寝られるということはあるが。乗船名簿に記入しろ、と車掌がやってきた。かつての青函航路のような一人一枚でなく、6人まとめて書ける用紙である。コンパートメント単位で用紙を配っていて、結局この紙はわだらん一人で終わった。

やがて列車が停車した。トレレボリ駅である。ここから船の上となる。本線機関車を切り離し、入れ替えDLロコが一度ホームから列車を引き上げ、船内へとはいる線路に転線し、そのまま船の中へと突っ込む。機関車が直接車両甲板まで入ってくる形で、控え車はない。わだらんの乗った客車はあっさりと船の中に落ち着き、車両の固定が終わってドアの下に踏み台を置くと、一旦鍵をかけていたドアの開放を車掌がする。で、わだらんも船へ出かけることにする。列車が2両なのには驚いたが、さらに船はもっと空いていた。昨年6月に乗ったときには車両甲板いっぱいにトラックと自家用車が止まっていたのだが、今日は鉄道車両だけ、という本当の車両甲板である。がらんとした甲板内で発見したのだが、線路に釣具用の引っかけが無数にある。自動車からすればがたがたして走りにくいことこの上ないと思うのだが、いままで、例えば昨年乗ったときにはどうだったのだろう、気がつかなかった。それでもがらがらの甲板のおかげで車体の止め方などよく観察できる。引っかけ釣り具にチェーンをかけ、チェーンの反対側は車両のわっかにかけてある。それが片側2つ、1両に4つついて、チェーンが車両を引っ張り支えている格好である。これを各車両ごとに行うわけで、確かに手間はかかるな、と思う。長い編成になればなるほど時間もかかるわけで、やはり車両航送というのは手間のかかるものなのだな、と改めて思う。

客車のまわりを一回りしてから、人気のない、車もない車両甲板から船内(いや、今も船内だろう!)へと入る。大きなスライドドアがあって、横に黒い押しボタンが付いている。押しボタンといっても日本の電車についている扉開閉用のかわいいボタンではなく、よく早押しクイズなどで使われるような大きなボタンである。で、そのボタンを押すと、ドアが開く。エアーシリンダのようで、シューっと大きな音を出している。そのドアも昔の貨車、ワム90000についていたような大きな一枚扉である。

さて、ドアを開けて船内上層への階段を登る。8階建ての大きな船で、階段には汽車やトラック、シャワーや買い物かご、サンデッキなどが絵で案内表示してある。もちろん救命ボートの絵もあるが、これらの案内はすべて絵だけ。とはいえ、その方がわかりやすいことは間違いなく、親切である。ナイフとフォーク、ワイングラスの絵は7階、遊歩甲板に出る。ところが、レストランは閉店している。バーは開いているが、客は少なく手持ちぶさたの様子。昨年乗ったときにはレストラン横の広間などに乗客がごろごろしていたのだが、今日は人影まばら。やはり5月は北欧のシーズンではないのだろうか。

結局船の中も目新しいものがなく、そそくさと列車に戻る。せめて免税店でも開いてくれていれば、何かひやかしで見てみるのだが。

☆写真を撮りました

http://www.geocities.jp/yasummoya/europe06/Stena/scand.htm

注:クシェットはコンパートメントの各区画に左右3段づつ、計6人のベットをおいたものである。つまり、日本のB寝台車(☆1つの3段式)で、かつ部屋ごとに扉をつけた、と思っていただければよい。座席(ベット)の番号は、コンパートメントごとに振られていて、1116が一つの区画、同様に2126、と続き、今回乗った車の例だと10区画、101106までとなる。わだらんの当初の席は54だったので、5番目のコンパートメントの右側中段、ということになる。

 

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49. 51日 早朝  32の国旗

今日はICEの日。船の中で適当に7:35のブダペスト行きECに乗ればいい、と考えていた。この列車、確かハンガリーMAVの食堂車があったはずで、ハンガリー料理が食べられる。で、食堂車で朝を過ごし、ドレスデンへと向かい、そこからライプチヒ、エアフルトと回って夜ミュンヘンに入り、夜行でそのままブダペストへ、という予定である。ドレスデンやライプチヒのどでかい駅舎と、エアフルトの路面電車を見たいな、と思っている。そしてミュンヘンに23時に着けばいい、とまったく利用する列車も時間も考えず、ただ漠然と流れだけを決める。あすの晩はハンガリーの田舎のホテルを押さえてある。なので、このブダペスト行きECでハンガリーへ行くのも手ではあるが、チェコとスロバキア領内はユーレイルパスが効かないので、ドイツ国境からハンガリー国境までの乗車券を用意しないと行けない。そこで、今日はドイツ内で過ごし、夜行でハンガリーに入る計画である。もちろん宿代を浮かす意味もある。

結局、昨夜は船の中で車両に戻ってからは熟睡してしまい、気が付いたときには既にベルリン市内に列車は入っている。リュックの詰め直しをしている間に、ベルリン東駅に到着である。しかも列車は早着。まだ6時前である。さすがに735分まで待つのはちょっともったいないか、とホームの時刻表を見ると、ライプチヒに行くICEがある。そこで急いでトーマスクックの時刻表を開いて探してみると、ライプチヒ先回りでドレスデンへ、さらに田舎線でICを利用してエアフルトに向かう列車がつなげることがわかった。ならば、と予定が決まった。このあたり、計画は変わるもの、である。

 

ベルリン東駅は昨年6月も同様にこの列車でマルメからやってきて、朝のひとときを過ごしたことがある。パン屋にソーセージ屋、カフェにケーキと様々な店が並んでいる。朝食に合わせて、ほとんどの飲食店は既に店開き。花屋も開店準備の真っ最中。天井にはおおきなワールドカップの旗と各国国旗が下がっている。日本ももちろんあるし、韓国もブラジルも、そしてオランダも。

駅前広場に出てみた。まだ朝早く、街並みは静かだ。しかも何となく東駅のあたりは市内の少しはずれという印象で、どことなくのんびりしている。が、駅自体はずいぶんきれいになって、駅正面は青いガラスばりのとても近代的な形である。最近のDB駅舎はガラスで覆うのがはやりのようで、吹き抜けがきれいなフランクフルト空港駅しかり、ケルン中央駅の屋根延長部分しかり。今度のベルリン新中央駅も大きなガラス屋根のようで、さぞかしきれいなのだろう。
☆写真を撮りました

http://www.geocities.jp/yasummoya/europe06/Berlinost/berlinost.htm

ミュンヘン行きのICE14両編成のICT(411)2編成連結。後編成の前側が一等席、つまり展望席に座ると、前編成のおしりが目の前にある。朝早いこともあろう、一等車内は空いていて、相変わらず静かな空間である。つい少し前まで、ドイツの鉄道といって真っ先に浮かぶのは黄色に縁取られたオープンタイプのIC客車だったのだが、最近はまず黒革ばりのICEの車内が浮かぶ。慣れもあるだろうが、慣れても快適で気持ちよく過ごせること、その期待を裏切らないこと、ありがたい話である。

列車は既にベルリン市内を通ってきていて、東駅を出ると市内の東縁から南へまわり、そのまま市外へと進む。空港駅を出ると、周りは一気に開け、遠くまで見通しのきく田園風景になる。橋を渡り湿地帯を抜けていく。日が当たってきらきら輝いている。

ビストロカフェで朝食。クロワッサンにコーヒーがついて2.60ユーロ。ビストロのカウンターで頼むと、コーヒーをカップに入れ、クロワッサンは暖めた上で、お皿に載せて出してくれる。クロワッサンはなかなか大きいもので、食べ応えがある。が、わだらんはどうも食べ方がへたで、ぼろぼろとパンのくずが落ちる。どうもおフランスのイメージはわだらんには似合わないようだ。

☆写真を撮りました

http://www.geocities.jp/yasummoya/europe06/dining_06/diningcar.htm

 

50. 51日 朝  巨大な駅、巨大な商店街、小さな展示場

コーヒーを飲んで一息入れると、もうライプチヒに着く時間である。そそくさと荷物を持ち、下車準備をする。静かな車内は快適で、もっと乗っていたい気もするが、それはまた別の機会にしよう。

ライプチヒ中央駅に到着。アーチが6連並ぶとにかく大きな駅だ。ミラノ中央もミュンヘン中央もたいてい大きくて感激するが、ここがわだらん的には一番大きく、しかも好きな駅である。駅舎内は大改装されて、たくさんの店が入り、完全な商店街になっている。駅ビルを建てずとも駅ビルになってしまう、昔の駅舎を建てた人に感謝しなければ。でも、そう考えると、昔駅舎の中には何があったのだろう?

一番西側のアーチ下はホームの改造中で閉鎖されているが、それでもたくさんのホームにいろいろと列車が入っている。ざっと見るとやはり赤い車体の近郊列車が多いが、そのなかでも白い車体のICEがきらりと光る。が、実はここのICEはほとんどがICEでなくICT411または415型の振り子の車なのだが、列車種別はICEと大きく案内表記され、車体の外形もICE3にほぼ同一なので、一般人には区別しにくかろう。車体の裾で区別はできるのだが、やはりわだらんとしても判別には少し注意が必要である。(ちなみにICTは最高速度230km/hで、ICEより足は遅い)

ここも欧州に数多い端頭式のターミナル駅で、横にずらりとホームの並ぶ姿は壮観である。まずは端から端まで歩いてみよう、とうろうろしていて気がついた。駅に6つあるアーチ屋根のうち、一番東側のアーチ下は2本の線路を埋めて、駐車場になっている。いわゆるパークアンドライドなのだろうが、ホーム横に直接車が入れる大都市駅、というのも何か楽しい。小さな駅では使わなくなった貨物ホームを駐車場に転用するケースは欧州でも日本でも珍しくないが、このライプチヒのような大きな駅でのホーム駐車場はあまり聞いたことがない。

さらに、その駐車場の横、駅から見ると一番東のはずれのホームにSLELほか古典的車両が並んで展示されている。大型の52SLなどは写真では見たことがあるが、現物を見たのは初めてでちょっと感激してしまった。他にも戦前の気動車やかわいいレールバスなど、ずらずらと停まっている。それぞれに簡単な説明文を添えてあり、ちょいと停めておきますよ、自由に見てくださいね、という感じである。営業運転では動くことはないのだろうが、何かの機会に展示運転とか行うのだろうか。もちろんホームの線路は外にそのままつながっているので、連れ出しは容易に見える。

日本ではホームが余るという例はあまりないし、余ってしまえば商業施設になってしまうが、こんな簡易展示場にできる欧州の鉄道施設のインフラのすごさに改めて感動する次第。上野駅のホーム撤去も何か形あるもので残せれば、と思う。

☆写真を撮りました
http://www.geocities.jp/yasummoya/europe06/leipzig/leipzig1.htm

http://www.geocities.jp/yasummoya/europe06/leipzig/leipzig2.htm

http://www.geocities.jp/yasummoya/europe06/leipzig/leipzig3.htm

 

51. 51日 朝  続、巨大な駅、巨大な商店街、小さな展示場

ライプチヒ中央駅の中の商店街を歩いてみる。ホームと同一平面にはあまり店がなく、その下の階とさらにその下の階に店がいろいろと並んでいる。ホームは駅舎正面から入ると3階に位置していて、その下に商店街がある。ホーム階の一部は吹き抜けになっていて、下の商店街を見下ろすことができる。さらにその2階の商店街も一部が回廊式の吹き抜けになっていて、その空間にガラス張りエレベータが上下を貫いて、まるで、吹き抜けに浮いているような形に見える。

エスカレータでホーム階から商店街に降りていくと、ずっと先の方まで店が続いていて、とても大きく感じる。その雰囲気が出せるかな、とエスカレータ途中から写真を撮ってみるが、全体に暗いのと動いているので、うまく写真が決まらない。どうしてもぶれてしまう。まだ時間が早く、人通りが少ないので、エスカレータを降りては上がり、と3回ほど繰り返してみたが、結局まともな写真は撮れなかった。

そんな朝早くなので、ほとんどの店はまだ開いていないが、コーヒー屋やパン屋などが店を開けていて、いかにもおいしそうな雰囲気を出している。もともとの駅の規模がでかいので、商店街も長く大きく、日本の巨大SCのよう。お昼時になってにぎやかになればさぞおもしろいのだろう、と思う。日本の駅ビルは最近一部を除いてあまり元気がない。駅ビル自体が集客できるようなものはできないだろうか。そういえば栗さんもこの駅を描いている。おそらく栗さんがこられたときにはまだこんなに商店がなかったのだろう、割と閑散としたイメージのスケッチである。今のショッピングモールの状況だったら、どんなスケッチになるのだろう。 

商店街を抜けて駅前に出てみる。階段を下りて駅舎の外へ出るので、ちょうど新大阪駅で新幹線を降りて一階正面にでるのと同じ感覚である。駅舎の写真を撮ってみるが、横に広すぎて上手に収まらない。かといって駅から離れると今度は駅舎が小さくなってしまう。広角レンズでもあればいいのだろうが、所詮コンデジでは限界か。とはいえ、このデジカメのおかげで、まさにさまざまな記録が残せるのだから感謝をせねば。人間は自分の目でいかようにも見ることができてたいしたものだと思う。で、結局まともな駅舎の写真は撮れない。あきらめよう。

駅舎には大きく「中央駅プロムナード(たぶんそう読むのだろう)」と大きく書かれている。駅ビルに来てくださいね、と言わんばかりに大きく黄色い字で目立つ。実際わだらんが見ても驚くのだから、開業したばかりの頃はさぞかしライプチヒ市民に受けたのだろう、と思う。東西統一から15年がたち、すっかり新しいイメージになっているようだ。とはいえ、わだらんには経済格差や人々の意識などわかるべくもないが。

駅前にはトラムが元気に走り回っている。電停の屋根は最近付いたのだろうが、スマートなタイプで、鉄道駅に較べると華奢ではある。結構長い有効長があり、長編成が二編成縦に入ってまだお釣りが来るほどのもの。そのホームにはコンビーノも昔のタトラもやってくる。連接車の新車ですっかり影の薄くなった電動車+付随車の2両連結もまだ走っていて、何か懐かしい。電車は次々やってくるのだが、写真をうまくとれる場所とタイミングが合わず、いらいらする。市内中心部にでれば、もう少しいい写真が撮れるかな?せっかくライプチヒにやってきたので、市内電車を一日乗りつぶすくらいの余裕が欲しいと思うが、どうもすぐに列車に乗って距離を稼ぐ癖がついてしまってよくない。

で、結局ライプチヒの電車には乗らずじまい、時間が気になって駅に戻る。

☆写真を撮りました
http://www.geocities.jp/yasummoya/europe06/leipzig/leipzig4.htm

http://www.geocities.jp/yasummoya/europe06/leipzig/leipzig5.htm

http://www.geocities.jp/yasummoya/europe06/leipzig/leipzig6.htm

 

52. 51日 朝続き  またクロワッサンで朝ごはん

ドレスデンへのICEは空いている。朝早くにフランクフルトを出てきた列車なのだが、さすがに朝早すぎるからだろうか。しかし、朝5時すぎから特急が走り出しているというのは、やはりドイツの勤勉たる技のおかげか。ドイツは、そしてオランダも、北欧も、みんな朝が早い。にもかかわらずこの列車が空いているのは、まだ早朝の出張なりなんなりの需要が少ないのかもしれない。何しろ、このあたり、つい10年前くらいまでは列車の本数もいまよりずっと少なかったのだから。

ビストロカフェで朝食。コーヒーにクロワッサンをつけて2.60ユーロ。って、これはさっきライプチヒに来るまでにICEの中で食べただろう、と。また同じものを食べている。まぁ、クロワッサンが死ぬほど好きと言うほどでもないが、食堂車を安く味わえるものなので、結局同じものばかり食べている。クロワッサンは暖かいし(レンジかオーブンで暖め直ししている)、もちろんコーヒーもおいしいし。ただ、この車のコーヒーマシンがいまいち不調のようで、何度ががちゃがちゃしているうちにあきらめて、出がらしというか、前に落としたものをカップに入れる。昔のおねえさんが「これでもいい?」(たぶんそういっているのだと思う)と出してくれたのであった。

と、コーヒーをすすっていると、車内清掃(たぶん)のお兄さんが、座席用の時刻表を持ってやってきた。ICEなどDBの優等列車は、座席にその列車の停車駅や到着時刻、接続する列車などをまとめた時刻表を配っている。この列車はもうすぐ終点である。ということは、この列車の折り返しがわかるのだろう、と運用ヲタとしてはにわかに興味がわき上がる。で、そのおにいさんに「くれ」と頼むのだが、「あげない」と断られる。この列車の時刻表でないから、というのが拒否の理由なのだが、この列車のものでないことはわだらんは百も承知で頼んでいるのであって、「見たいからくれ」としきりに言うのだが、どうも運用ヲタは世間では通用しないらしい(まぁ、あたりまえか)。結局「何でもいいから見せてくれ」を押し通して、とりあえず見ることだけはできた。やはりそのまま折り返しで、わずか20分後にはウイズバーデンへ向けて折り返して行く、結構ハードな運用であった。ちなみにこのやりとりはわだらんとカフェのおねえさんとの英語のやりとりで、きっとこのおねえさんはわだらんのことをずっと不思議に思っていることだろう。

ところが、何のことはない、座席に戻るとその時刻表が置かれている。てっきりドレスデン到着後に配布するのかと思っていたが、既に折り返しに備えて配布しているようだ。ならば別にあーだのこーだのやりとりしなくてもよかったな、とちょっとがっかり。まぁ、それはそれでよしとしよう。

ライプチヒから乗ったこの列車、ICE1553列車と名乗ってはいるものの、高速新線を走るわけではなく、ひたすら在来線を走る。小さな駅を次々飛ばしていくのは在来線の楽しみ。一等車は最後尾で、流れる景色を展望席にのぞきに行ってみる。緑多い田園地帯を左右に曲がりながら列車は進む。116km53分、日本のレベルで考えると決して遅くないのだが、流れる景色はゆったりして、朝のすがすがしいひとときであった。ただ、地理に全く疎く、途中で合流してくる線路や、近くを平行するように走る線路が見えても、それがどこへ続く線路なのか、全くわからないのが少し残念ではあるが。

やがてドレスデン市内に列車は入ってきた。ドレスデン−ニュースタッド(Neustadt)駅に停まる。訳せば新市街駅、となるのだろうか。ここもドームのある立派な駅。昔、確かミュンヘン行きだったか、ここが始発の夜行があって、時間つぶしもかねて駅でうろうろした記憶がある。まだ、ユーレイルパスで旧DR(東ドイツ国鉄)が乗れるように間もない頃で、幾分先入観もあろうが、どうも薄暗い、という印象であった。今、車内から見る限り、駅の表記類などは一新されてとてもきれいになっていて、昔の薄暗いイメージが嘘のようだ。

そういえば、まだわだらんが旧東ドイツ地域を乗り出した頃はまだまだたくさんの旧DR車両が走っていた。上半分がクリーム色で旧DBと似た色だが、腰回りには緑をまとっていた。一般客車も、二階建て車も、そういえば二階建ての連接車もあった。今や古めかしいDR色はすっかり姿を消し、深い赤の新DB色の車が走り回っている。ドレスデンもSバーンの整備が進んでいるようで、いつのまにか、新市街駅と中央駅の間に駅ができている。人口50万の規模、と聞くと日本では珍しい規模ではないが、50万のわりにはずいぶん大都市のような感じを受ける。

 

53. 51日 朝続き  世界遺産の窓口

エルベ川を渡って市街地を進む。昔きたときに、ドレスデンの市街地をぶらぶらと宮殿まで散歩したことがあった。世界遺産に登録されている、とても荘厳なバロック様式作りで、外から見ただけではあったが、充分威厳を感じることができた。最近はどうも列車に乗ってばかりで見識が狭いような。とはいえ、乗っていればまたそれでいろいろと発見も多く、要は何していても忙しい、ということだ。 

列車は定刻にドレスデン中央駅に到着。ここの駅は少し構造が変わっていて、頭端構造の地平ホームを高架の通り抜けホームが挟んでいる。ドーム屋根は高架ホームも含めて一体にかかっているので、高架ホームから見れば同一空間内に地平ホームを見下ろすことができ、地平ホームからは高い天井と、高架ホームを見上げることができる。ところが、駅舎内は工事中。昔、1991年に来たときも、2000年に来たときも工事中。きっとずっと工事中ではないかと思うほど。おそらく駅舎内にいろいろと店舗を入れるのだろう。次にくるときはきれいなショッピングモールになっているのだろうか。

駅舎の外にでる。外装工事が終わったのだろうか、すっきりときれいな外観になっている。市街地側にでると、目の前には路面電車の線路と電停がある。駅と電停の位置関係で何となく京阪山科駅を思わせるが、電停の構造はとてもあか抜けしていて、ガラスの屋根が何ともいえない美しい乗り場に見える。日本でも広島電鉄あたりだと、こんな感じの電停もでてきているが、もしせめて新岐阜駅前の乗り場にこんな屋根がついていたら、岐阜の電車も状況が変わっていただろうか。

そんなおしゃれな電停には、これまた明るい黄色のコンビーノがやってきて、またでていった。ひっきりなし、とまでは行かないが、次々に電車はやってくる。欧州の路面電車駅にはたいがい次の電車が何分後にやってくるかの案内があって、なかなか親切である。日本でもバスロケーションシステムで、バスがどこまでやってきたかを知ることはできるが、そのバスがあと何分で待っている乗り場にやってくるかはわからない。そういえば、今の電車はみんな長い連接車だ。もうタトラ(注)の電動車が付随車を従えてやってくることはないのだろうか。今のきれいな電停にはタトラは似合わないなぁ。タトラはタトラで結構かわいいとは思うのだが。

電停の先には歩行者天国(もう言い方が古いかな)が延びている。市街地の散歩をしようか、とも思ったが、あまり時間もないので、再び駅へと入る。今日はこの後エアフルトへ行きたいと思っていて、乗ってみたいIC10:17を逃すと2時間後になってしまう。

☆写真を撮りました

http://www.geocities.jp/yasummoya/europe06/dresden/dresden.htm

http://www.geocities.jp/yasummoya/europe06/dresden/dresden_tram.htm

(注)タトラとはまだ共産圏の時代にチェコで作られた路面電車で、東欧諸国にはどこにでもいるタイプの路面電車です。最近のバリアフリー対策電車の浸透で、急速に姿を消しつつあります。

 

54.  51日 朝続き  国際列車

再び駅舎内に入ると、上の方で音がする。首を上げてみると、ちょうど高架ホームにベルリンから乗るつもりだったEC171列車が入ってきている。急いで高架上のホーム、もちろんEC171列車の対面のホームへ駆け上がってみる。そのときわかったのだが、高架ホームへの上がり口や階段は結構狭く、人の流れがよくない。改装工事もそのあたりを手直ししているのだろうか。

うまい具合に、EC171列車はドーム屋根をはみ出し、明るい空の下に停まった。予想の通り、列車はハンガリーの客車、ハンガリーの食堂車だったが、牽いているのはチェコの機関車。ドイツの駅、チェコの機関車、ハンガリーの客車。いかにも国際列車である。光の加減もよく、機関車や客車の写真を撮って一人で大はしゃぎである。

EC171列車が出て、間をおかずに今度はEC178列車が同じホームに入ってきた。プラハ発のハンブルグ行きで、チェコCDの客車編成であった。今度は編成後方がドームからはずれて青空の下。オープン席の一等車が2両、編成最後尾につながっていて、その前には食堂車。CDの食堂車を見るのは初めてかな?チェコの料理ってどんなものだろうか。

と編成を眺めていると同じホームに二階建て客車がやってきた。残念ながら、ドーム内に停車したので、ちょっと暗く写る。でも、間近で見るとやっぱり大きな顔だな、と思う。乗降用扉は一階床と同じ高さで、扉の上にも二階の座席がある。日本ではホーム高さの関係で扉を一階に置くことはできないが、この形なら二階席の床面積も長く取れそうだ。ただ、車内に入って二階席に行くには階段を二回上がる必要があるが。きれいな車内で、二等席でも東京ならグリーン席で通用しそうだ。

高架ホームからは駅の外もよく見える。さっきの駅前電停の先、ちょうど高架ホームをくぐってきた線路と電停からの線路が十字型の分岐交差になっていて、電車が横切ったり曲がったりと、次々とやってくる。道路と併用ではあるが、車道とは分離されていて、専用軌道だ。でも、センターポール式の架線柱が、路面電車ですよ、と主張しているようで、何となくかわいい。

さて、再び地平ホームに戻らねば。まもなくIC2064列車の出発時刻だ。と通路を歩いていると、やたら大きなソーセージの並ぶ店があり、ついつい釣られて、ソーセージを買ってしまった。パンとマスタードもついて、それはまぁおいしそうでよかったのだが、買ってから気が付いた。これを持ったまま写真を撮るのは無理だ。しかもとろとろしている間にICの発車直前になった。駆け込み乗車、ソーセージを片手に持ち、走る走る。でもみっともない。

 

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55. 51日 午前  東の丘陵地帯

やっとの思いで無事にIC2064列車に乗る。適当な一等席がなく、ビストロの後ろに陣取る。テーブルが大きく、コンセントもあって、窓も大きく前向き席で、楽しい時間になりそうだ。結局買ったソーセージはすぐにおなかに入ってしまい、車窓を楽しみながら、などという風流な旅行はできない。

☆写真を撮りました

http://www.geocities.jp/yasummoya/europe06/food/food.htm

ドレスデンを出て間もないのに、列車はちょっとした谷間を進んでいく。さっきライプチヒからきたときもベルリンから来たときもこんな風景には出会わなかったので、ハンガリーの食堂車には乗れなかったものの、先にライプチヒを回っていてよかった、ということになる。今日はのんびり電車に乗っているだけなので、新たな路線に乗れるのはいいことだ、と思う。そういえば、ドレスデンからチェコの方向へは山の谷間を走って行くそうだ。なので、ドレスデンも結構山に近いところなのかもしれない。地形図が手許にあればもっと旅も楽しいのだろうが、残念ながら地形図はおろか、道路地図すらない。風景を頼りに楽しむだけである。

そのドレスデンから間近の山の中を通り抜けて行くが、さすがに近郊区間なのだろうか、駅も比較的多くあり、谷間といいながら住宅も多い。もちろん宝塚のように山に向かって家がある、なんというようなところではないが、こんなところにも住宅がある、とちょっと意外な感じを受ける。が、時間もたつとやがて谷間を抜け、丘陵地を走っていく。まわりはすっかり田園風景で、畑や牧草地、そして雑木林が点在する中を列車は走る。ただ、丘陵地でアップダウンがあるのだろうか、線路は右に左にと曲がって続き、列車も高速でびゅーびゅー飛ばす、とまではいかないようだ。

 フライブルクという駅に停まる。環境都市で有名なフライブルクではないのだが、ドイツにも結構同じ地名があるものだ、と思う。こちらは地方都市というより町という感じである。IC列車が2時間おきの路線なので、佐用とか智頭のイメージだろうか。ちなみに駅名板にはFreiburgSachs)とある。

それにしてもこの列車、結構な時間をかけるものだ。カールスルーエに着く頃にはすでに日が傾くころになる。と改めて座席の時刻表を見ていてあれ、と思った。何気なしに乗った列車、昨年乗ったカールスルーエ=ニュールンベルグのICの対になる区間を走る。ちょうどドイツ中央の亜幹線で縦断するようなものだ。

さて、ドイツに行ったら、ICに乗ったら食堂車。とはいってもかつての全室食堂車ではなく、半室タイプのもの。ICEのビストロにはいわゆる食堂のテーブル席もあるが、今のICはほとんどがこのタイプ。調理場兼カウンター、食堂部分、コンパーメント2部屋と続く。食堂部分といってもテーブル席でなく、カフェタイプのもので、雰囲気はとてもカジュアル。日本流であえて言えばビュッフェ、となるか。

せっかくだから座っていたビストロの後ろの座席から、と食堂の楕円テーブル座席に移動する。何かいいものがあるかな、とメニューを見てみると、クリームスープの写真があり、さっそく頼んでみた。「クリームズーペ」としゃべってみるが、やはり発音がおかしいのだろう、理解してくれない。そこで、カウンター上の写真を指差すと、おねえさんが見に出てくる。これだ、というとわかってくれて再び調理室兼カウンターに入っていく。

カウンター奥でおねえさんが冷凍パックを切っているのが見えたが気にしない。で、出てきたのはホワイトアスパラのクリームスープだった。アスパラガスは初夏の風物詩だそうなので、季節感あふれる、などと一人で納得。パンも暖かくて柔らかくおいしいい、天気もよく、野を越え山を越え、なんとも贅沢な時間である。
☆写真を撮りました

http://www.geocities.jp/yasummoya/europe06/dining_06/diningcar.htm

 

56. 51日 午前続き  初めての路線、初めての駅

ケミニッツ(Chemmitz)という駅に停まる。来て初めて知ったのだが、ここもドームを持つ大きな駅だ。構内も広く、昔からの拠点駅だったのだろう。何せ初めての路線、初めての駅である。もともと旧東ドイツ地域なので縁遠いと言えばそれまでだが、このあたりもうろうろすればきっと発見だらけでそれこそ卒倒してしまうかもしれない。少なくとも今日は駅を通るだけだが、こんな駅がある、とそれだけでもう満足、おなかいっぱいである。このケミニッツ中央駅はなかなか面白い構造で、頭端式のホームが串刺状に並ぶ横に、通り抜け可能なホームがある。まだこのあたりには旧DRの車両がいるのだろうか?全体のホームが見渡せず、ちょっと残念。確かSLの動態保存がドレスデン近郊にある、と読んだことがあるが、このあたりを走るのだろうか。何しろ、このあたりの線路も都市も全く不勉強である。ケミニッツという駅がこんなに大きい、などといって驚いているようではこの先何がでてくるかわからない。

市街地を抜けると、再び丘陵地帯を右に左に曲がりながら進んでいく。といっても急カーブではないので、心地よい左右への振り分けである。もっとも客車列車に乗っているのでそういう感じを受けるという、先入観から来るものであって、これが近い将来ICTに置き換えられれば、同じ区間を振り子でびゅんびゅん、ということになるのだろうか。

☆写真を撮りました

http://www.geocities.jp/yasummoya/europe06/Sachsen/sachsen.htm

グラウハ(Glauchau)という駅。何せ初めての路線なので、時刻表なり駅名表示を見て、そういう駅か、と思う次第。ここの駅には側線に車運車が大量にいる。もちろん車の乗っているものも多い。新車のようなので、近くに工場があるのかな?と思っていたが、駅を出発後しばらくしてフォルクスワーゲンの工場があった。工場には引き込み線もあって、完成車を積み出すのに使っているようだ。

かつて日本にも北野桝塚に大きな積み出し側線があったが、残念ながら今は放置である。三河田原から新線をひいて、北野桝塚から豊橋港へ貨車で完成車が運べれば環境にやさしいなどと脚光を浴びるのだろうが、今の情勢では難しいだろうな。渥美線は単線、現状は容量一杯でとても貨物列車が入る余裕はないし。

と旧東ドイツ、ザクセン州の田園地帯を走っているうちにツビッカウ(Zwickau)駅に着いた。ここでIC2064を降り、田舎列車に乗り換える。乗り換えまでにおよそ30分あり、少し駅前を散歩してみることとする。

駅前へ出てみて驚いた。まったくわだらんの知らない街だったのだが、ここにも路面電車がある。駅前の案内地図で見ると3路線あるようだ。ところが駅に来る1系統は土曜休日運休。今日は祝日なので、しばらく待ってみたものの電車は来なかった。

大きな駅舎を持つ立派な駅の中はどことなくDRの雰囲気が残っている。もちろんDRの現役時代を知っているわけではないから、雰囲気であるが。やけに広い天井空間、石造りのコンコース、ミトロッパのレストラン(閉まっているのが祝日だからなのか、それとも店を畳んだのかよくわからないが)や、駅の通路がどことなくDRのイメージである。あくまでもわだらんの個人的な印象だが。

☆写真を撮りました

http://www.geocities.jp/yasummoya/europe06/zwickau/zwickau.htm

 

57. 51日 昼  ここはどこ?

乗り換え後は、RE3660列車のお世話になる。いわゆる田舎のREだ。EL牽引の4両編成、プッシュプルで、先頭は制御客車。あまり見たことのない顔つきで、最近改造されたものなのかな、と思う。一等席は車両の中央、扉間に設けられた昔からのもので、窓の開くタイプ。乗り出して写真を撮ったりできるので好都合ではある。いわゆる田園風景なので、どう、と特別に印象に残る車窓ではないが、天気も良く気分は上々。ただ、コンパートメント車で、左側通路なので座ると窓から複線の相手側の景色が見えない、というちょっと残念な話ではある。

ゴスニッツ(Gossnitz)駅に着く。トーマスクックの時刻表上では、ここでケミニッツからきたREと連結し進むことになっている。しばらく停車なので、ホームに降りようかとも思ったが、何かホームには他に列車もなく、のんびりを通り越した退屈な雰囲気である。なので、窓を開けて車運車や隣に入ってきた642DCの写真を撮ってみたりはしたが、駅舎に出ることはなかった。思えば、ここで駅舎を見ていれば、状況が変わったかとは思うのだが。

ホームは昔のドイツ駅のイメージそのものである。最近のDBはガラスを多用した透明なイメージなのだが、ここは昔ながらの重厚な屋根である。もとは旧DRなので、まだこのあたりまで改装の手が回らないのかもしれない。くるくる方向幕式の発車表示器である。

発車時刻になっても列車は出ない。どうしたものかと思っていたが、しばらく停車した後、列車は反対向きに動き出した。線路配置も、この先の方向も全くわかっていないので、列車がどう動くか、出たとこ勝負である。駅で列車の進行方向が変わるのは日常茶飯事で、深く考えずによかった、これで複線反対側になったと喜ぶ。窓を開けて、風を入れながらのんびり風景を楽しんでいたが、あまりに天気がよく、ちょっと退屈な景色で、うとうとしてしまった。

ところが、ところが、である。目が覚めてみるとどうもおかしい。見たような景色が続いているように思えるのだ。やがて操車場が見えてきたので、またここにも?と思っていると、さっき見た構内風景なのである。おい、どうしたことかと思っていると、やがて列車はホームに着く。降りて改めてびっくり。やはりさっきのZwickau駅である。今まで乗った列車が思いと違う方向へ走り出したことはちょくちょくあるが、戻ってきたのは初めてである。

これは困った。いったいどうしたものか、とにかくここにいても仕方ない、と掲示の時刻表を眺めてみるが、遠くに行くような列車はなく、2時間後のICか、はたまたドレスデンへのREか、ぱっと浮かぶ地名もなく、簡単にこの駅を脱出できる電車もあまりなさそうで、一気に気分がめいってしまった。オランダあたりなら仮にこんな場面に出くわしてもどこかにさえ出ればあとは何とでも動ける自信があるのだが、このあたり、仮にどこかにでても、そこからどうやってわかるところに出るかすら見当が付かない。トーマスクックの時刻表や検索地図にはホームのRE列車の停車駅など記載もないし、また2時間もかけてドレスデンに戻るのかと、頭を抱えてしまう。

 

58. 51日 昼続き  ちょっと不安、かなり心配

とにかく待ち時間が少なくしたい、と次に来る列車を調べると、ドレスデン行きREがあったので、それに乗り込む。最悪ドレスデンまで戻って夜行でウイーンに行くとしよう、明日はハンガリーの田舎に宿を取っているのである。やってきたREは二階建て客車であった。二階部分が一等席で、天気がよく、空いているのがせめてもの救いである。気分は天気と裏腹にどんより。どうしたものか。

列車の中でもう一度トーマスクックと格闘し、グラウハで降り、そこからエアフルトに行く列車に乗ることにしよう、と思った。結果的には、最初に乗ろうとした列車の2時間後になる列車で、ケミニッツ発のREである。それなら最初からケミニッツで降りて、列車を乗り換えればよかった、と思ってみても後の祭りである。が、少なくともIC2064列車の配布時刻表には、ケミニッツでのこのRERE3660列車にあたるはず)の記載はなく、ツビッカウで乗り換えることになっている。検札にきた車掌に、エアフルト、と聞くと、確かに乗り換えろ、ただし途中はバスだ、みたいな話し方である。もちろんドイツ語で、詳細が聞き取れないが、イメージはそんな筋に聞こえた。しかし、バスとかって大丈夫なのかな?ますます不安になってくる。

グラウハ駅に戻ってきた。さっき車運車が大量にいたところである。煉瓦作りの立派な駅舎はあるが、なかはがらんどう。ホームはガラスの屋根、ガラスの風よけ、ととてもきれいで、最近の駅そのもの。改装されたばかりなのだろう。

駅の外、駅前広場に時刻表とお知らせ告知用の掲示板が立っている。掲示板は何も珍しいことではなく、どこにでもある至極一般的なものなのだが、おしらせ掲示板にある案内は工事マークのようだ。もとよりドイツ語は全く理解できないのだが、どうも鉄ヲタの感覚で行くと、工事運休と列車代行と書いてあるようだ。

エアフルトに行く列車の時刻の記載があり、一部区間がバスマークで欄を分けて書いてある。どこかで乗り換えて行けばいけるだろうとは思われるが、実際地理の不安なところでうまくいくかどうか、まったく自信がない。とはいえ、ここにじっとしているわけにも行かず、まずはエアフルトへ向かう(と思われる)列車に乗る。

 やってきたのは642DCである。車内はそれなりに乗っている。列車はさっきと同方向に走り出した。そのままずっと同じ線路だとそれも困るが、幸いにも途中で分岐し、単線の区間を進んでいく。車掌が検札に来たので、エアフルト、というと、乗り換えのような手振りをする。まぁ着いていけば何とかなるだろう、と思う。丘陵地を列車は進んでいく。緑豊かな気分のいいところである。
☆写真を撮りました

http://www.geocities.jp/yasummoya/europe06/Glauchau/glauchau.htm

59. 51日 昼続き  ドライブ日和

小さな駅に着いた。ホーム一本の棒線駅で、いかにも村の中の小さな駅ですよ、といった感じのところである。が、車掌が降りろ、という。ちなみに後からデジカメの記録を見ると、Meeraneというところのようだ。やはりポスターの記載は予想通りで、ばたばたとせかされて、駅前にいるバスに乗り込む。列車にいた乗客も、車掌も運転手もバスに乗ってきた。別に車掌業務とかするわけではないのだが、要は代行であっても乗務区間ということなのだろう。もちろんバスにはドライバーが別にちゃんと乗っている。

わだらんは先頭の座席に座ることができて大喜び。といってもかなり不安な様子を見せていたようで、まわりの人間がこっちだ、などと手招きしてくれてバスにもちゃんと乗れ、先頭の席を確保できた。親切なみなさんに感謝、である。もっとも、こんなところを通る日本人なとというのはそうめったにいるものではなかろう。不安そうにしていると、通路を挟んで隣に座っていたおじさんが英語で声をかけてきた。日本人だとわかってくれていたようで、まぁこんなところによく来たね、と。これから、途中までバスで行くと列車が待っているよ、と解説してくれる。何の工事か聞いてはみたが、おじさんも内容まではわかっていないようで、具体的な話は聞けなかった。ただ、このおじさん、日本に2ヶ月ほど滞在したことがあって、かつ高山だの長野だの日本の田舎にもそのとき出かけたとのこと。やっぱり田舎を回る外国人って不思議に思う。わだらんも地元の方にそう思われているのだろうか。

駅前から村の中を抜けたバスは、国道4号を西へと向かう。さっきみた工場があるなぁ、と思ったのだが、帰国後に地図を見ると、確かにGossnitzへの線路と直交している箇所があったので、そのあたりなのだろう、と思う。アップダウンの連続であるが、本当に野を越え山を越え、で天気もいいし、遠くまで見通しがきくし、気分はすこぶるいい。結果的に時間は食ったが、いい経験である。丘の上で、遙か彼方まで見通しがきき、気分も大きくなれる。さっきまでの不安はどこへやら。道路のすぐそばに小さな飛行場があり、軽飛行機がちょうど青空へと飛び立つところだった。

☆写真を撮りました

http://www.geocities.jp/yasummoya/europe06/Gera/gera1.htm

アウトバーンを順調に、本当に気持ちよく走ったバスは、やがて街の中へと入り、ゲーラ(Gera)駅に着いた。駅前広場に入る直前、路面軌道を見つけた。駅について、市街地の案内地図を見ると2系統の電車があるようだ。といっても軌道が中央駅前に来ているわけではなく、何となく本数も少なそうで、ちょっと電車の写真を撮りたいなどと気楽に考えるのはだめなようだ。

ゲーラ駅は派手に工事中。壁は剥がされてベニヤ板でふさがれているし、通路は掘り返されて土が見えているし、駅前広場は封鎖されて細い誘導路があるだけ。完成の暁にはきっとおしゃれな駅になっているのだろう。しかし、意外などというと失礼だが、ずいぶん立派な駅である。

広い構内にはドーム屋根のかかったホームがあり、地下通路で駅舎と繋がっている。駅舎の中にはさまざまな店舗が並び、商店街の様相。もちろん、ショッピングモールなどといったしゃれたものでなく、どちらかといえば露天商の集まりみたいなもの(ちょっとたとえが失礼か)である。が、工事で狭くなっている通路は人が多く、にぎやかである。これだけ人がいるのは、それだけおもしろいものがあるからなのだろうか?確かにスーパーマーケットみたいな店も、スタンド形式の飲食店も、理容店やシャワー屋まで、各種取りそろえている。今は接続の列車に乗らねばならないのであまりゆっくりもしていられないが。

偶然、線路工事で代替バスに乗ったがための駅見学にはなったが、いい経験をさせてもらった。おそらく列車で通っただけなら、こんな楽しい駅構内であることはわからなかっただろうから。昨年のメンシェングラッドバッハにしろ、このゲーラ駅にしろ、ICEが通らないから知らないだけで、地方には味のある路線や駅がいっぱいあるのだろう。駅舎も駅前広場も、そして駅構内の線路も至る所工事中なので、きっと次に来るときにはすごいことになっているのだろう、と思う。次がいつか、もうないかもしれないが。

カバブの店でサンドイッチを買う。もとはトルコ料理だったか、肉を平たく積んで大きな串に刺し、立てて火の横に置き、回転させながら焼いている。注文すると、焼けた部分、周囲の肉をそいで、たっぷりの生野菜とともにパンに挟んでくれる。ボリュームがあっていかにもおいしそう。でも、今は食べずに、まずは車内まで持ち込むことにする。

☆写真を撮りました

http://www.geocities.jp/yasummoya/europe06/Gera/gera_st.htm

 

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60. 51日 午後  地図を読む術

発着の案内表示にはRE3662とあり、結果的には代替バスが同じ列車の間をつないでくれたことになる。ただ、このゲーラ駅で少し乗り換え時間に余裕があったことからすると、バスの方が途中駅を飛ばした分、所要時間が短い、というわけだな。駅構内の線路も一部が剥がされて、路盤工事をしている。ドーム屋根のあるホームもあるのだが、そのホームに入る線路も工事中。要はとにかく線路工事中で、列車が入れません、バス代行です、ということか。完成すると、きっと立派な線路になっているのだろう、と思う。

ホームには深紅の車体の612型気動車がいる。編成最前部に黄色の帯の部分があり、入っていくと2-2配置ながら、ちょっとシートピッチが広いと思われる一等席が並んでいる。いったんリュックとカバブを置き、ホームに降りると、ちょうど運転士がホームに降りてきた。こっちへ進むのか、と指さしながら英語で聞くと、そうだ、と教えてくれる。もちろん席の確保の都合もあるが、やはり進む方向すらわからないのはちょっと不安だからだ。

やがて列車は発車する。構内をはずれると、築堤の上を単線で抜けていき、やがて森の中へと入っていく。幸いにも前が見えるので、かぶり付きほど視界がいいわけではないが、時折首を出して、前面展望を楽しむ。

振り子車体(日本の振り子とちょっと異なり、車体傾斜というのが正しいようだ)で、確かにカーブにさしかかると車体が傾いているように思えるが、それはわだらんが612型と知っているから先入観でそう思うだけかもしれないし、一般人では気づかないかもしれない。スーパーはくとや南風の振り子の方がはるかに傾く。

その振り子制御のせいかどうか、列車は快調に飛ばす。森の中を走ったり、ちょっと開けて村の中を走ったり。土地には適度な勾配があって、丘あり谷あり、といった感じなのだが、森は結構深いところもあって見通しがあまりきかない。かといって山岳路線というわけでもなく、中途半端といえばそうなのだが、ただ、単線区間と複線区間とが交互に出てくる。単線といっても路盤が複線分確保されていて軌道工事中だったり、路盤工事中だったり。このあたりは派手な線路改良工事中、となるのだろう。

 イエナという街に近づく手前、窓の外に小さい複線軌道が見えた。センターポールなので、路面電車だろうと思っていると、反対側の窓側に車庫が見えた。気づいたのが遅かったので、詳しく見ることができなかったのだが、二軸単車とかもあるようだ。さっきのツビッカウも、そしてゲーラもそうだが、どうも旧東ドイツのこのあたり、小さな路面電車がたくさんありそうだ。

複線の電化線路が寄ってきて、ちょうどICTが通過していく。ところが、それからしばらくすると、線路が再び分かれて、乗っているRE3662列車は再び田舎線へ。Jena-West駅に着いたのだが、このイエナという街は、さっきのICTの通る幹線とは駅がいっしょではないのだ。クックの時刻表(索引地図)では乗り換えられるように見えるが、実際には違う。来てみて初めて知ったのだ。デンマークの時もそうだが、どうも細かいところを乗り出すと、クックの時刻表では、やはりもの足らない。まぁ、今回の場合実害があるわけではないし、一般人はそんなところまで乗らないのだろうから、どうこういっても仕方ないが。ちなみにICE路線時刻表(Table851)の本文駅名欄には細かいながらJena Paradiesと書かれていて、別の駅だとわかる。そんなもの、事情がわからないと意味が取れない、と一人で突っ込んでみる。

やがてライプチヒからの線路と合流すると、ワイマール駅。立派な機関庫がある。旧DRのちょっとした駅は今でもかなりの線路や設備を持っているようだ。ここも駅としてはきっとおもしろいのだろうな、探検してみたい気もする。しかし、こういった機関庫なり側線なり転車台なりがあちこちに散らばっているのは、今となっては贅沢というか、もったいない、というか。

☆写真を撮りました

http://www.geocities.jp/yasummoya/europe06/Gera/gera2.htm

 

61. 51日 午後続き  連休最後の日

とにかくエアフルトに着いた。本当は街中まで、トラムの写真もいっぱい撮って、の予定がまぁ大はずれである。次のICEがもう10分後、のんびり散歩をしている時間もなく、駅前で適当にトラムの写真を撮り、駅舎の写真を撮ってもうおしまい。列車は少々遅れているようで、あとの行程がちょっと気になるが、気にしてもしかたがない。

駅は大改造中。どこもここも工事だらけでちょっとうんざり。とはいえ、ホームは最近改装されたようで、とてもきれい。ホーム中央にはホーム二本分をまとめての大屋根がかかっていて、大屋根からはずれる部分は各ホームにガラスの上屋が付いている。いい雰囲気、とちょっと感動。ホームからはガラスでできた大屋根支持の壁を通して外の姿を見ることができる。

駅前広場には路面電車が。大きな通りではなく、小さな通りに路面電車の線路があって、まるで舗装された専用軌道のようだ。駅前といえば、どうしても大きな広場を考えてしまうが、ほとんど車のいない、入ってこない駅前広場というのはまたいいものだ、と思う。日本にしても、駅の両側に車が入る必要はないわけで、例えば京都などは自家用車はまとめて八条口へ移動すればかなり変わると思うのだが、どうだろう。

☆写真を撮りました

http://www.geocities.jp/yasummoya/europe06/Erfurt/erfurt.htm

駅前から見るエアフルトの街はのんびりとした昔の風情たっぷり。ゆっくり街歩きをしてみたいが、とにかく今日は先を急がねばならぬ。というか、別にここで時間をつぶしてもいいのだが、ミュンヘンに少しはやめに着いておきたい、と心理的に思う。ミュンヘン発が遅い列車なので、逆にそれに乗り遅れるとあとがなくなる、という不安になる。

しかし、連休最後の日だからであろうか、とにかく客が多く、ホームには列車を待つ客があふれている。10分遅れで入ってきたICEは大量の客を飲み込むものの、かなり客扱いにてこずったようで、結局12分遅れで出発である。一等車もかなり埋まっていて、かろうじて前向き席は確保できたものの、複線側でなく、ちょっとがっかり。二等車は人が通路まであふれていて、食堂もかなり混雑している様子。ここはあきらめて自席で静かにしていよう。途中の停車駅も多く、これだけ人がいては充電中のデジカメを放って席を離れるのもちょっと怖い。

 そんなわけで、自席でしばらく車窓を楽しむ。ちいさな山をいくつも過ぎる、山岳地帯でもないが、見通しのきく区間でもない、なんとなく関ヶ原のような景色である。オペルの工場が見えた。大きな有蓋車が多数停まっているので、いわゆる裸の車運車でなく、有蓋車の中に入れて運ぶのかもしれない。たしかにその方がほこりもかぶらず汚れない。出し入れはちょっとめんどくさいかもしれないが。

山をいくつか通り過ぎる中で、ふと見ていると、ボタ山らしきものがある。何か鉱山でもあって掘り出しているのだろうか?山が白かったので岩塩でもでるのかな?でも岩塩だと周囲に溶け出すとよくないだろうから、ボタ山にはしないかな?ちょっと気になる。

 

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62. 51日 夕方  思わぬ街歩き

結局10分遅れで走ってフルダに着いたが、接続列車で乗るつもりにしていたミュンヘン行きは既に出発してしまっている。1時間後の列車まで待たねばならない。これなら、エアフルトで一列車遅らせても一緒だった、とちょっとがっかり。でも気を取り直して市内の散歩に出かける。こういっては失礼だが、フルダという街、こんな乗り換えに失敗しない限り、わざわざやってくることもない、と思う。

市内といっても小さな街で、駅前からまっすぐ広い歩道を持った道が続いていて、しばらく歩くと百貨店だのレストランだの多数店の並ぶ一角に出る。街の中心には教会があって、静かで厳かな雰囲気を出しているが、静かなのは教会のせいではなく、人が歩いていないからだ。連休最後の夕方とあって、人通りも少なく、もちろん商店は既に店を閉めているし、レストランも半分程度は店じまい。商店街に人がいないのは寂しいものだ。

☆写真を撮りました

http://www.geocities.jp/yasummoya/europe06/Fulda/fulda.htm

さて、長かったザクセン、チューリンゲン州の田舎巡りもなんとか無事に終わって、いよいよ本日の最後の列車、ミュンヘン行きICEに乗る。多客の影響だろうか、どの列車も遅れを引きずっていて、ホームは常に満線状態。ライプチヒからのICTがやってきたが、すぐ後ろにはREが張り付いて入線待ち。ほとんどホームにかかっているのだから、客扱いできそうなものだが、そこは正規の位置でないからか、ドアを閉めたままじっと我慢。とはいっても、たぶんこの手のRE客車は停車中はドアが開けられるはずなので、車内で「もう少し待て」みたいなアナウンスがあったのだろうか。

やがて10分遅れでミュンヘン行きがICE2の重連でやってきた。機関車が両端に付いた編成になっているので、一等車は編成の前後に泣き別れの形である。とはいえ、もともと編成間の移動ができるわけでなく、原則は座席予約での乗車なのだから、泣き別れだといって騒ぐのは予約をしないわだらんくらいのものだろう。一般人には別に問題はない、わな。

しかしよく混んでいる。二等は通路まで人が入っていて、食堂車もいっぱい。かつて新幹線で座席が取れなかった客が食堂車に居座り、客の回転が落ちた、などといった話を聞いたことがあるが、ICEではどうなのだろう?ドイツの場合、主要駅で軽食類スタンドはパン屋やソーセージ屋、寿司屋にカバブ屋と様々にあるが、車内に持ち込んで食べるようないわゆる弁当類はない、なぁ。

一等車もかなり混んではいたものの、なんとか席を確保し、デジカメの充電をする。ICE3ICTで当たり前の座席コンセントが、まだICE2では当たり前でない、というか後付のようで、コンセントの利用できる席は限られている。最近は車内でパソコンを叩く人間も多いので、そんな席はほとんど埋まっている。幸いにも左側の席が取れて、ちょっとゆっくり。

食堂車への行くタイミングを計っていたが、なかなか席が空かない。ただ、手持ちにユーロがあまりなく、かといってせっかくなので何か食堂車で飯も食いたいし、としばらくしてからカウンター側の窓口でスープを注文する。カードで、と頼んだら、懐かしい複写式の利用明細をくれた。食堂の席は相変わらずよく埋まっているので、自席で食べることにした。昔、わだらんがまだ若かった頃は、ICの一等車でよく車掌が料理を運んでくるのを眺めていたものだが、自分が席で飯をくうなどというのは、ちょっと贅沢か。まぁわだらんの場合、席まで自分で持って行くところがかわいい、から許してもらおう。

ところで、朝のICEに乗っていてちょっと驚いたことがある。終点ドレスデンへあと少し、のところでコーヒーを飲んでいたところ、特に営業を終了する様子もなく、どうやらそのまま折り返しで続けて営業するようだ。今朝の場合、車両はドレスデンで約30分の折返しの後、カールスルーエへの列車になるのだ。新幹線の場合、東京で一旦営業を終了するので、ホームでの折り返し列車であっても、東京出発後、早くても新横浜を過ぎなければ食堂車の利用はできなかったが、ICEの場合、極端なことをいうと折返しというか始発駅停車中からでも利用ができるようで、それだけ回転がいいのかもしれない。営業会社がDBサービス一社で、什器はそのまま継続使用できるのも大きいのだろうが。

☆写真を撮りました

http://www.geocities.jp/yasummoya/europe06/dining_06/diningcar.htm

 

63. 51日 深夜  今夜も熟睡

さすがにミュンヘンに近づき、食堂車も客がいなくなった。列車の中も落ち着き、森に囲まれた暗い夜道を列車はひた走る。やがて、ミュンヘン中央駅に着いた。本当ならもう一時間早くミュンヘンについて、市内を散歩したり、ミュンヘン南駅へ行ってみたりかったのだが、それもちょっと時間的にしんどい。まぁ、駅の中でうろうろしていれば時間もたつだろうと。

 ミュンヘン中央駅も大きく、列車も多く、時間つぶしには事欠かない。何かと立ち寄りをすることの多い駅で、昔から何度となく来ているので、初めての訪問という感動は全くないが、逆にまた来れてよかった、みたいな安堵の雰囲気は味わえる。駅構内はとても広く、大きな屋根をかぶった多数のホームを端っこから見ているだけで、旅行気分になる。

とはいえ、さすがに23時を回って、人通りは少なく、店舗も既に閉まっているものも多い。ホーム端の屋台式の店はまだ明るく、パンだのビールだのフルーツだの各種の店が営業中。ガラスの多用された店舗は明るくてとても輝いて見える。ミュンヘンの地名入りワールドカップの記念品がないか、と雑貨店を覗いてみる。ペンとか、ノートとか置いてはあるが、ミュンヘンの地名の入ったものはない。ちょっと時期がまだ早いのだろうか?結局持ちやすくて特徴あるものを見つけることはできなかった。

おおきなぱたぱたは夜行列車の表示を出している。旧東欧やイタリア、そしてドイツ国内各地。夜行列車は欧州でも減少傾向に歯止めがかからないが、こうやって発車案内に何本も表示が並ぶのはなんとなくうれしい。

結局駅構内をうろうろするだけで時間は過ぎてしまった。そろそろ列車に乗らねば、と、ハンバーガーとソーセージ、ビールとリンゴジュースを買って、これからの夜行に備えた。と、それまではよかったが、あまりにうろうろして、のんびりと構えていたので、いつの間にか列車は入線していた。

しかも意に反して、ブダペスト行きの夜行は混んでいた。寝台、クシェットはほぼ埋まっているようで、二等座席も各コンパートメントに一人以上はいる。一部屋独占などと楽観視していたので、かなりショックである。とりあえず空いていた一部屋に入っていたのだが、まもなく予約席だ、と初老の夫婦に割り込まれ、さらに若者が一人きて、四人で出発。さらにオーストリア内で二人乗車してきて、コンパートメントは満席になった。わだらんの隣にはブロンドのきれいな背の高いおねえさん。とはいってもわだらんは結局熟睡してしまったし、隣が極端な大男でない限り、誰が来ても一緒なのだ。

 

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64. 52日 朝  また食堂車

列車はわだらんが熟睡している間も快調に走り、ウイーンに着いた。件のお姉さんも含め三人が降りて、コンパートメントは老夫婦とわだらんの三人になった。六人から見ればずいぶん楽になったので、なんとなく安堵の気分。夜行列車とはいえ、ウイーンを朝6時過ぎに出れば、もう日中の列車の雰囲気。国境越えの都市間列車である。

ハンガリーの係官がまずやってきて、入国スタンプ。しばらくしてオーストリアの係官がやってきて出国スタンプ。さらにハンガリー国鉄(MAV)の車掌氏がきて検札。刻印機を持ち合わせていないようで、手書きで日付と列車名を記入してくれる。途中大雨でも降ったのか、線路の周囲が冠水しているところを通る。列車も少し徐行しているようだ。しかし客車列車のくせに減速度が高く、ブレーキをかけると、前につんのめりそうになる。でもまぁよく走る、のが手に取るようにわかる。

食堂車へ行く。編成先頭という不便な位置だが、どうせブダペストで編成替えだし、ウイーンでの連結の手間など考えると仕方ないか。車内は一組以外客がおらず、おにいさんもわだらんが入ってきたのにのんびり携帯電話などしている。ハンガリアンスープがあって、おいしかった。7.5ユーロはちょっと高い気もするが、もともと食堂車でスープを飲むのが目的なのだからそれはそれであきらめよう。ものはおいしく、楽しんだのだから。

食堂車の戻りに、編成内に一等座席車があるのに気がついた。夜行の間は二等座席車だったので、これ幸いにと一緒だった老夫婦に別れを告げ、座席を移動する。OeBBの一等座席車で、コンパートメントの一部はビジネス席として4席+パソコン台のゆったりした空間。さっそくそこへ移動し、デジカメの充電をしておく。ゆったりとした座席はまるで応接間、コンパートメントなので、車窓を見るにはちとつらいところもあるが、優雅な時間である。

そんなゆったりした時間を過ごすのち、列車はブダペスト市内に入ってきた。ケレチ駅の一つ手前、ケレンホールドと読むのだろうか、Kelenfold駅に停まる。広い構内は貨物列車用だろう、ホームのない側線が多数ある。トラック列車の横に停まる。大型トラックが無蓋貨車に積まれて、長い編成を組み、最後尾にクシェット一両。クシェットは運転手用なのだろう、まるで線路を走るフェリーボートのようだ。そういえば、車内でパスポートチェックを受けたところの少し先で、トラックが道路に列をなしていたところを見かけたが、よく考えると国境検問所だったのかな?このウイーンとブタペストの区間は途中貨物列車にもよくすれ違い、東西物流の大動脈なのだな、と実感する。

 と思っている間に列車は市街を大きく迂回し、ケレチ駅に入ってきた。9:09、ほぼ定刻である。二軸単車のかわいい気動車と並んで入駅。昨年は初めての国でそれなりに緊張していたのだが、さすがに二回目となるとちょっと余裕。

 

65. 52日 朝続き 自分の目で確かめないと

ケレチの駅構内は相変わらずにぎやかである。降りたホームの向かいにいたドルトムントへ向かうECを見送ってホームの端、駅の頭に出る。大きな発車案内のぱたぱたを見ると、9:30ICがある。急いでクックの時刻表を繰ってみると、一時間強乗って、田舎線に乗って、またブダペストに戻ることができて、かつデブレシェンに18時前に着くことができる。これはいいプランだと自画自賛。ただ、IC列車なので基本的に予約がいるはず。かといって以前の経験でとても窓口で予約をしている時間もないと思われ、とりあえず飛び乗る。車掌にいわれたら追加料金だな、と開き直り。ちょうどホームに両替があり、5000円をフォリントに。5000円が7300フォリントほど。日本円×0.7程度で換算すればよさそうだ。

さっそく食堂車に陣取り、発車前からまずビール。適当にいわれたビールを飲んだが、あとから何となくメニューを見るとちょっと高いビールを勧められたようだ。出されたのはデンマークのチボリビール、ハンガリーのものではないのだから。まぁ、この後また食堂車には行くし、それはそれでよかろう。で、さすがに朝からビールも次々飲めないので、コーヒーを頼む。230フォリントのエスプレッソであった。おいしいのだが、何せ量が少なく、すぐ終わる。かといって、座席指定を取っているわけでなく、結局食堂車に居座ることとする、景色を楽しむにはいい場所だ。

列車も既にケレチ駅を離れ、市内を南に向けて走っている。列車は速く走ったり遅く走ったり。途中あまりに揺れる低速区間があったのだが、おそらく路盤なり軌道なりの工事中だったのだろう。そう考えると、ウイーンからの線路は状態がとてもよく思える。やはり幹線中の幹線なのだろう。ブダペストを離れると広い大地は広がる。晴れていればもっと見通しがいいのだろうが、残念ながら曇り。とはいえ、明るい天気で救われる。

ブダペストを5分ほど遅れて出発したし、途中徐行などもあって多少遅れているだろう、とのんびり構えていたのだが、どうも様子が変になってきた。いつになっても駅に停まらないのである。さすがに気になってきたのだが、列車はただ淡々と進んでいく。既に単線区間になっていて、家もほとんど見えず、なんとなく不安になってきた。とはいっても、食堂車には人もいるし、まぁどこか恐ろしいところに行くわけでもないのだろうが。

☆写真を撮りました

http://www.geocities.jp/yasummoya/europe06/dining_06/hu/diningcar_hu.htm

 

66. 52日 昼  思わぬ遠出

で、結局次に停まった駅は、計画していたところ(Sarbogardという駅で降りるつもりだった)のさらに先、ブダペストから164kmも離れた駅、Dombover(ドムボバーと読むのかな?)だった。まぁもともと目的があって列車に乗ったわけではないのだから、別にどこまで行こうと問題ではないのだが、ただ、予想外のところに来てしまい、少々たじろぐ。土地勘もなく、さてどうしたものか。

とリあえずはブダペストに戻らねばならぬ。ホームに立てかけてある看板形式の時刻表を見ると、すぐにさっき降りようとしていたSarbogard駅行きの普通列車がある。で、近くにいた検車掛(と思われる)人にブダペスト、と聞くと、列車を指差し、これだ、という。で、その列車近くにいた車掌に「ブダペスト」、というと、乗れ、乗り換えあり、みたいなジェスチャーをする。で、まずは乗り込む。

車両はかつて一等車であったかと思われる、1-2列配置、ソファータイプの椅子を持つ、ゆったりとした座席の車であった。列車は4両編成。車内は空いていて、のんびりはできる。これがよく知った区間なら、それこそ心地よく車窓なり車内設備なり楽しめるのだが、なにせ訳も分からず列車に乗っているので、不安の方が先に立ってなかなか旅を楽しむ、という雰囲気にはなれない。それでも、さっき見た景色が出てくるので、戻っていることは間違いなく、それが救いである。

 単線区間を走ることしばし、そして終着と思われる、問題の駅Sarbogardに着く。ここに限らず、ハンガリーの駅はホームに駅名板がなく、どこの駅だかよくわからない。もっとも、ホーム自体がほとんど高さがなく、駅の途中で停まっても駅に停まっても、ホームがあるのかないのかわからない。この列車は終点のはずで、乗客みなが一斉に降りる。が、乗りこもうとする客もあり、どうもせわしないというか、落ち着かない。なんで終点で乗ってくる客がいるのだ?ここで降りて大丈夫なのだろうか?が、少なくともブダペストには近くなったはず、まずは降りてみる。降りて駅のまわりを見て思い出した。確かにさっき通ったところ、上りIC列車とすれ違った駅だ。

で、あわててクックの時刻表を見てみると、10:50にこの駅ですれ違うようになっている。ということは、往路のIC列車は定刻に走っていたわけで、運転停車だと思っていたのは、ちゃんとした停車駅だったわけだ。往路の時は、片側に上りIC列車、もう片側に貨物、と乗った列車が挟まれていたし、案内放送もなく、とてもIC停車駅に見えなかったのだが、実際に降りてみると、確かに広めの構内を持つちゃんとした駅であった。

駅構内に入り、掲示してある詳細の路線時刻表を見る。乗り換えで行く普通列車はあとからのICより10分早くブタペスト・デリ駅に着くようだ。あえてICに乗る必要もなく、その普通列車に乗る。

発車前に扉から外を見ていると、さっきここまで乗ってきた普通列車は前2両をホームに残したまま、後ろ2両に先頭機関車がついて折り返して出ていった。この間わずかの間で、客車列車のわずかな時間での折り返しにはちょっとびっくり。

☆写真を撮りました

http://www.geocities.jp/yasummoya/europe06/Dombovar/dombovar.htm

 13:11、普通列車は定刻に出発。今度ももちろん相変わらず客車列車で、ドアは手動、走行中も閉まらない、いわゆる旧客である。ここまで戻ってくるときの車は格下げ車と思われるものだったが、今度の車両は一般的なボックスタイプ。オハ35のようなものだ。ちなみに窓側には肘掛けがないので、スハ43系ではない。

☆写真を撮りました

http://www.geocities.jp/yasummoya/europe06/MAV/mav_car.htm

 さっき通った景色のところもまた戻っていく。といっても初めての路線なので、右左それぞれ興味の対象で、決して飽きるわけではない。どことなく気持ちに余裕ができて、外の風景を楽しめるようになった。

ブダペスト市内に入ってきた。駅のホームは地方の駅と変わらず、ほとんど平らなホームで、かつ線路を横切って駅舎に行く形、とても都市型駅には見えないが、広い道路に車がひしめいていたり、アパートの建ち並ぶところだったり、と駅の周囲は都会の様相である。取り残されたとまでいうと大げさかもしれないが、列車は手動ドアの客車、日中も1時間1本程度の列車密度。日本のかつて仙台や金沢で都市化が進みながら旧客が走っていた、そんな頃のようだ。きっとそのうち電車化の波が来るのだろうが。

と思っていると、小さな駅(Budafok-Haros)に停まった。駅の前には立体駐車場。どうやら巨大なショッピングセンター。まるで佐世保線大塔駅である。とはいえ、大塔はいまや短編成化、高頻度運転に変わってきているが、ここはまだまだ客車列車ががんばっている。

 

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67. 52日 午後  青天井

デリ駅に着いて驚いた。駅に屋根がないのである。正確にはホームに上屋がない、ということだ。ドイツで大きなドームのある駅ばかり見てきたので、まさかこんなところでこんな空の広い駅を見るとは思わなかった。駅の出札窓口や商店のあるところには屋根があるし、ICの発着するホームには屋根があるが。しかし、雨にさらされるぱたぱた表示器とは初めてだ。

ホームはドン突きの頭端式、その先には駅舎、というか駅ビルがあり、中には出札窓口、案内所に各種店舗が並ぶ。といっても国際列車が出るわけでもないので、店の並びは特別なものではない。普通にパン屋やお菓子屋、ビールの立ち飲み、雑貨など。土産物屋や観光案内所は気がつかなかった。普通の駅前の商店街がホーム横にあると行った感じである。ただ、駅舎の中は暗く、逆に外が明るいので、写真がうまく撮れない。車両の写真を撮っている日本人に出会った。聞くと短期出張で3日間の滞在だそうだ。スーツ姿でいかにも片手間で、というのはわかるのだが、何でケレチでなく地味なデリなのだろう?ひょっとすると鉄道の専門家?ちょっと不思議。

地味ではあるが、人通りは多く、列車の発着も多く、見ていて飽きない。ただ、国際列車はなく、出入りがMAVの客車列車ばかりなので、華やかさには欠ける。

出札窓口の行列は短い。そこでこのあとのデブレシェンまでのICの座席を確保しておく。一人待つだけで自分の順番がきた。トーマスクックの時刻表を見せながら、「デブレシェンまでこの列車」と頼んで、あっさりと座席を確保できた。
もしケレチで並んでいたら列車に乗れるかどうかもわからないから、いい買い物をした、と一人で喜ぶ。

そういえば、朝食堂車でスープを飲んでから何も食べていないので、少々空腹感が。日本なら、うどん屋にとなるのだが、当然うどん屋はなく、適当な食べ物屋がない。サンドイッチを売店で買って、立ちながら食べておしまい。大きな駅にしてはちょっと店が寂しいな、とも思ってみるが、新宿や品川をベースに考えれば、どこの駅も貧弱になってしまうから、それ以上は考えないでおこう。

駅の外へ出てみる。路面電車が走り、写真を撮ってみる。ケレチまで路面電車で市内を縦断するルートも可能だとは思うのだが、今日はこの1時間あとの列車に乗らねばならないので、地上でケレチへ行くことはあきらめる。駅舎を外から見て気が付いたのだが、駅の外側に、大きな改造計画の絵が掲示されていた。やはりブタペストの中心駅ということで、今の自然に満ちた駅の改造計画はあるようだ。2010年には、大きな屋根を持つ駅に変身するようで、着工直前の駅の姿を見ることができたのはよかったのだろう。屋根のない大きな駅というのは貴重な気がするが、乗客の立場で言えば、降りたとたんに傘をささねばならないというのはやっかいなのだろう。

☆写真を撮りました

http://www.geocities.jp/yasummoya/europe06/Deli/deli.htm

 

68. 52日 午後続き 地下鉄東山線

しばし列車を眺め、一息ついた後、地下鉄に乗る。ケレチ駅までは地下鉄2号線で乗り換えなし一本でいける。ホームに電車がいたので飛び乗ったのだが、ケレチ駅に着いて、写真を撮っていたらすぐに次の電車が来た。運転間隔がかなり短く、3分以内程度に思える。4扉で、扉間ロングシート6人がけなので、車体長17mくらいだろうか、5両編成である。車内の印象は名古屋の東山線あたりの比較的小さな車両の雰囲気そっくりで、日本とあまり変わらない。少々車内が暗いこと、運転感覚が短いのに車内が混んでいること、が印象に残る。ただ、驚いたことにつり革が固定されていないのだ。つまり、つり革を持っていても、電車が揺れると、つり革が動くのだ。これでは何のためのつり革なのだろう?

昨年来たときにはちょうどこの2号線は工事運休中だった。その工事が終わった後だからだろうか、駅はどこも小綺麗にされていて、柱は白く、照明は明るく、駅名や出口方向の表示もわかりやすい。天井が低いのでいささか圧迫感があるのと、駅全体の見通しがきかないのが難点だが、とにかく雰囲気が明るく、快適な乗り物だと思う。ホームが深いので、エスカレータにはいささか長く乗らねばならぬこと、そのエスカレータの傾斜がわりときついので、ちょっと不気味ではあるのだが。さらに言えば、電車の車内がもう少し明るければいいな、と思うのだが。

デリ駅で乗るときに、7駅目だ、と出発し順番に数えていたのだが、途中で、駅名表示がわかりやすいことに安心し、駅数を数えるのをやめてしまった。車内には路線図もあり、容易に自分の位置を確認できる。次の駅の案内放送もあり、安心する。さすがに車内にLEDで次駅案内を流すまでにはなっていないが。余談だが、オランダ・ドイツでは次の駅の案内放送があるのが当たり前になっていて、欧州の列車は案内放送がないという認識はわだらんの意識の中では既に時代遅れになっている。それが故、さっき降りすごすという失態をしてしまったわけだが。

☆写真を撮りました

http://www.geocities.jp/yasummoya/europe06/Bkv/bkvm2.htm

 

69. 52日 夕方  再びケレチ駅

ケレチ駅に着き、地上へ上がる。地下鉄駅のエスカレータを上がると、広場になっていて、その広場がケレチ駅の地下コンコースに繋がっている。そこからさらに階段を上がると、ケレチ駅のホームに出られるのだ。駅構内では例によってしきりに何かアナウンスしているが、全くわからない。車内で到着案内をしないのに、なぜか駅ではよくしゃべっている。結構うるさい。というか、切れ目なしにしゃべっている。ハンガリー国鉄では、駅では何かいろいろアナウンスがあるが、列車内では停車の案内はなく、かといって駅に大きな駅名板があるわけでもない。不親切なのか、自分が甘いのか。

ホームには駅名が表示してあり、長いホームでは複数の駅名表示がある、のがわだらんの常識である。が、ハンガリーのほとんどの駅は駅舎に駅名の表示があるだけ。そもそもホームが低く、駅の範囲すらはっきりしないので、駅舎が列車の反対側だと、どこの駅かわからない、ということも多い。

駅の放送では、ジングルというか、チャイムがある。そのメロディが3つほどあるようで、そのうち一つは童謡赤トンボの「夕焼けこや」(けまでいかず、こや、で切れる)の部分のメロディにそっくりである。何度も繰り返し聞かされているうちに、頭から離れなくなってしまって、何かずっとそのジングルが頭の中で流れている。困ったものだ。

発車前にホーム横にある観光案内所を覗く。日本だと、駅の観光案内所は自治体がやっているところがほとんどなのだが、ここブタペストケレチ駅の案内所はどう見ても民間業者である。小さい規模も個人業者のようなのだが、実際のところどうなのだろう?広義に取れば、ホームで客引きしているおばちゃんたちも独立自営の観光案内所か?まぁ、各国の事情なのだから、それをどうこういえるわけではない。で、2名ほどでやっている観光案内所で、鉄道博物館の情報を聞いてみる。鉄道博物館の独自のパンフレットはなかったが、ブダペストの観光名所案内小冊子の中に鉄道博物館の案内があった。小冊子といっても100ページ近い立派なもので、わだらんが必要とするのはそのうちのわずか1/4ページなので、わざわざ荷物を増やしたようなものだが。まぁ、そのくそ重たい荷物のおかげで、入場料が700フォリント、明日は営業日、ということはわかった。

と、わかったところで、列車に乗り込む。デブレシェンまで停まらない、ICRInterCityRapid)という列車である。例によって客車列車で、ELに続いてロザ、シ、ハザ×3と繋がっている。ずいぶん小単位の列車だが、ハンガリー国内列車では最上位の列車(だよな)で、速度維持のためかもしれないし、あるいは途中デブレシェンのみの一駅停車の列車なので、多くの乗客がいないのだろうか。やはりというか、あるいは偶然なのか、列車はことのほか空いていて、一等車はざっと10名程度しか乗客がいない。もちろん指定された席は空いているのだが、向かい合わせの後ろ向きで、居心地が悪そうなので、適当に席に座る。1-2列のゆったりとした座席配置で、かつ座席自身も大きめで、心地よい。発車してまもなく車掌が来たが、指定券を見ても席と違うことにはおとがめなし。要はちゃんと有効な切符を持っていればいい、ということなのだろう。何せ、ブダペストを出ると、デブレシェンまで停まらないのである。一旦切符を持って乗ってしまえば、約2時間半、好きにしほうだいである。

 

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70. 52日 夕方続き  また向かう先が違う?

食堂車に行って、パキスタンカツレツを食べる。昨年も食べたのだが、ハンガリーはカツレツが名物のようで、今日も揚げたてのカツがインディカ米の上にのっている。特に味のない白ご飯だったが、揚げたてのカツはおいしく、カツレツの油とこしょうの味でそのままおいしく食べてしまった。ちなみに何でパキスタンなのかはわからない。食堂車もあまり客はおらず、検札の終わった車掌と食堂のおねえさんがずっと携帯電話の見せあいっこなどで雑談している。日本では職務怠慢などと告げ口されそうだが、ここではそんなおとがめもなかろう。おねえさんは若く、背が高く、細く、かつ出るところの出ている、まるでモデルのような体つきである。といっても、ハンガリーにはそんなおねえさんが至る所にいるので、驚くことでもないのだが。

☆写真を撮りました(以前のページに追加しています)

http://www.geocities.jp/yasummoya/europe06/dining_06/hu/diningcar_hu.htm

食堂車でゆっくりして、また自席に戻ってのんびり。が、ずいぶん乗っているような気がする。デブレシェンには昨年来ていて、雰囲気はわかっているつもりなのだが、どう見ても景色が違う。またまた不安になってきた。さっき、フセサボリと読める駅を通った。昨年、快晴のもと、ハンガリーの車両とまさに戯れていたところである。が、経路が違うので、きっとそう読める別の駅だと思っていたのだが、やはりおかしい。既にデブレシェンに着く頃なのに、ちっとも停車する、というか大きな街に着く気配がない。大きな機関区や操車場のある駅を通過してしばらく行くとついに単線区間に入ってしまった。昨年来たときには単線区間には入らなかったぞ、とますます不安になる。

デブレシェン到着予定をずいぶんすぎたところで運転停車。Tokajという駅のようだ。車掌を捕まえて、デブレシェン行きかと聞くと、そうだ、という。で車内にあった乗客用雑誌の地図を見せて今はどこか?と聞くと、思わぬところを指差す。大雨で、本来の運転経路が使えず、大回りしているのだそうだ。ブタペストを京都、デブレシェンを米原と見立てる(実際、琵琶湖が少し横に寝たような形である)と、本来東海道線(琵琶湖線)まわりでまっすぐ行くべき列車が、湖西線から近江塩津経由で米原にいくようなものである。実は飛行機のなかでトーマスクックの時刻表を見ていて気づいていたところで、もともと明日大回りをしてみようかと思っていた。が、まさにその経路を期せずして走っているのである。それなら、最初から大回りします、ってわかっていればもっと景色が楽しめたのに、とちょっと残念に思う。むろん、駅構内などではきっと案内していただろうから、マジャール語が理解できないわだらんの自業自得とは十分わかっているが。と、とりあえずは落ち着き、座席に座ってみるものの、ホテルへの入りがかなり遅くなるのに気がついた。今度はホテルがあるか?予約を勝手に消されないか、と心配になってきた。もっともホテルに連絡する方法はないし、悩んでもしかたないのだが。

 

71. 52日 夜  遠回り

本来終点である駅(Nyiregyhaza−なんて読むのだろう?)に先に到着し、停車する。本当にデブレシェンまで行くのかどうか、また不安になったが、乗客がまだ車内にいるので、終点ではないことはわかった。車掌もまだ行く、みたいなジェスチャーをする。やがて再び列車は動き出した。再び複線になり、列車は快調に走る。

やがてまた大きな駅構内に入ってきた。列車は速度を落とし、見覚えのあるホームに入る。やれやれ、なんとかデブレシェンに着いた。まわりはかなり暗くなってきていて、当初はホテルに着いたあと街歩きをしようと思っていたのだが、この時間からではちょっと無理か。結局当初の予定より3時間近く遅れた形である。ただ、結果としてみると、途中で一駅運転停車をしただけで、迂回運転の割にはスムーズである。ということは、もともと迂回運転のスジが入っていて、そのスジで定刻に走ったのだろうか。ひょっとすると、ブダペストで、迂回運転の案内をしていたのだろうか。まぁ、マジャール語が理解できないわだらん、だからこそとも言えるのだが。若い男性が、これからどうするのだ?と英語で話しかけてきた。東洋人がリュックを背負って、こんな田舎町に来たので驚いたのだろうか?ただ、田舎町といってもガイドブックによればハンガリーで人口二番目の大都市だそうだ。ここの周囲は果てしない平原なので、確かに大都会ではある。話しかけてきた若い男性に、e-mailでの予約記録を見せると、電車に乗れ、のりばはこっち、と教えてくれる。昨年来たときに、ざっと駅前の様子は見ているのでわかっているつもりではあるが、まぁ、そう言って声をかけてくれるのはありがたい。やはり東洋人が不思議に思えたのだろうか?

が、乗り場まで行って、ふと思った。明日の列車はあるのかな?路面電車に乗る前に、明日の時刻を確認すべく出札窓口をのぞく。「明日の朝のブタペスト行き」と窓口のかつてのおねえさんに聞くと、4:50で...と言い出す。やはり豪雨の影響なのだろうか、と思いつつ、もう一度、「いやいや、そんなに早くなく、9時か10時くらい発」と聞くと、9:51発がある、とメモを書いてくれる。ブタペストまで直通列車だそうだ。ちなみに、どうも駅の告知ポスターによれば、ICは全面運休(マジャール語は全くわからないので、あくまで鉄ヲタ的勘である)で、各駅停車のみ運転、という雰囲気である。ただ、とりあえずブダペストへ帰れればそれでいい。別に急ぐものでなく、時間が決められているわけでもないので、気楽なものだ。

 

72. 5月2日 夜  ネットワークなしの路面電車

さてと、明日の見込みも立ったところで、ホテルへと向かう。あまり駅で長居をしていて、ホテルが予約客未着でキャンセルにでもされたら行き場がなくなってしまう。

まずは路面電車に乗って、デブレシェンの街を進んでいく。地図で見ると電車は市街地を貫通して北に進み、予約したホテルは街の北側の公園内にあるようだ。電車に乗って車内を見渡すと、路面電車とトロリーバス(たぶん)の路線図がある。路面電車は1系統、トロリーバスが2系統。こぢんまりとした街なので(ハンガリーのガイドブックによると人口10万程度のようだ)、こぢんまりとした路線である。路面電車のような軌道系交通はある程度ネットワークが必要なもの、と思いこんでいたが、どうも欧州では1系統や2系統程度での小さい規模の路面電車がかなりたくさんあるようだ。日本ではその規模では生き残りが難しいのに、とうらやましく思う。

ホテルは路面電車の停留所を降りて少し歩いたところにあった。事前にネットで予約しておいたもので、予約結果のE-mail返信を運転手に見せると、すぐにわかってくれて、降りる駅を教えてくれる。市街地を縦断しながら電車は進み、目的の停留所に着く。電車を降り、運転手に手をあげ挨拶。むこうも軽くてを上げてくれて、ちょっとうれしい。

無事ホテルに着いた。途中どうなるかと冷や冷やの連続であったが、なんとか目的のホテルに着いた。なかなか立派な建物のホテルで、フロントつき(そういえば立派なフロントのホテルに最近泊まっていない)であった。しかもハンガリーらしくサウナバスが付いていて、さっそく着替えてバスローブを持ってサウナバスに出かける。相変わらず日本基準ではちょっと温度の低いお風呂であったが、何より体を伸ばせて、少し泳げて、ゆっくりさせてもらう。ホテルの宿泊客も少なかったようで、サウナバスは貸切。ごろごろと気持ちよくさせてもらった。風呂上がりに夕食。ハンガリーのビールと肉の煮込み。これまたおいしく、何かとても贅沢をした気分になる。とはいえ、おいしい食事をまわりが誰もいない貸切状態で食べるのはちょっと寂しい。

ホテルに着く前は、ホテルから街まで歩いて何か食べようかとも思っていたが、風呂にも入りビールも飲んですっきり落ち着いてしまった。部屋に戻ると、降りそびれた失敗や迂回の時の心配ごとなど、ことごとく吹き飛んで、気分はふわふわ、まったく脳天気である。しかしネットの力とはすごいものである。ハンガリーの田舎町に一人で来て、心配ひとつなくホテルにチェックインできてしまう。ありがたい話だ。とはいえ、こういった楽を覚えてしまうと、自分の足でホテルを探すというわだらん本来の旅行の姿にはもう戻れないのだろうな、と思う。

 

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73. 5月3日 朝  林の中の路面電車

朝、ホテルでしっかりと朝食を食べる。パン、ソーセージ、ハム、チーズ、ヨーグルト、フルーツ、といわゆるバイキングなので、死ぬ一歩手前までとにかく食べた。そして、少しのんびりと出発する。

昨晩駅に着いたときにブダペスト行きの列車の時刻を聞くと、9:51発で直通だという。ちょっと遅めの出発ではあるが、余計なことを考えてまた不安になるのも勘弁なので、静かにその列車に乗っていようと思う。チェックアウトも問題なく、カードで支払い。結局晩飯だのいろいろついておよそ15000フォリントになった。が、高いのか安いのかよくわからない。確かにドイツあたりから見れば安いのだろうが、ハンガリーの中では結構高い部類のような気がする。とはいえ、きちんとフロントとベルボーイのいるホテルに一人で泊まるのは久しぶりだ。 

宿の前を昨日お世話になった路面電車が走っている。路面電車といっても、宿の前のあたりは林の中を抜ける専用軌道になっていて、ちょっとした鉄道線路である。電車の本数は多く、続けて電車がやってくる。宿を出て、駅へ向かう途中、ホテルすぐの線路際で電車の写真を撮ろうと構えてみるが、一方方向向きにしか電車が来ない。ちょっと歩いて撮影場所を動こうかと思った際に、偶然昨日電車を降りた電停の交差点の奥から電車が出てくるのが見えた。そうだ、ここはループ線だった、と思いだした。それで電停の片方にしか人が待っていないわけだ。目の前は複線なのだが、確かにすぐ先の渡り線から単線になっている。念のための折り返し設備、ということだろうか。

電停で待っていると、電車はすぐにやってきた。駅へ向かうのだが、駅からきた電車に乗り込む。乗り込む人も、車内にも結構人がいて、系統図的には末端区間なのだが、車内は混雑している。

系統図上の終点となる駅でちょっと停車。もちろん電車はそのまま駅へ向けて続けて進んでいくので、車内は相変わらず混雑したまま、病院?大学?大きなビルのようなものが駅の向こうに見え、降りる客も多く、そしてまた乗ってくる客も多い。電停にはちょっとした売店まであって、さながら地域の拠点駅のような感じである。

単線のループ線を一回り。ループ区間は3停留所、所要5分くらい。さっきの系統図上の終点駅を出ると、しばらく路面区間になった。ただ、単線で、しかも線路が道路端に寄った形なので、まるでかつての美濃町線の日野橋あたり、あるいは土佐電気鉄道の伊野手前のような雰囲気である。ループ線の終端になるところで、夕べ降りた駅の対向になる。同じ停留所ながら、駅からの電車を降りるところは道路上の停留所、駅へ向かうときは専用軌道上の駅から乗車、となる。車道1車線をはさんだ距離で、交差点のため、電車の乗り場が行き先別に異なります程度のものだ。それでも、駅には売店があって、ちょっとした郊外電車、日本で言う京阪大津線や広電宮島線のような雰囲気の駅になっている。専用軌道のなせる技なのだろう。

電車はここから道路の中央に戻り、複線となって、駅へ路面を進んでいく。運転台には速度計があるが、これを見ると最高で50kmほど出ているので、加速の良さとも併せてとても早く感じる。

☆写真を撮りました

http://www.geocities.jp/yasummoya/europe06/Dkv/dkv.htm

 

74. 5月3日 朝続き  笑顔の運転士

路面区間は主要な交差点ごとに電停がある。といっても割と間隔が長く感じる。電車が速いせいだろうか、去年ブダペストで乗った電車もずいぶん速く感じたものだ。途中で旧型電車とのすれ違いを見つけた。ちょうど電停に停まったので、片足だけ車内に残して身を乗り出して写真を撮ってみる。運転士はわだらんを見ながら笑っている。鉄ヲタだとばれてしまったか。でも特に文句をいうわけでなく、新たに切符を買えというわけでもなかった。さっきから電停の様子なども写真を撮っているし、旅行者のおのぼりさんとでも思ってくれているのだろうか。ちなみに、駅前で電車の写真を撮っていても、どの運転士も笑顔でわだらんを見てくれていたので、鉄ヲタに優しい電車と運転士なのだろう。

デブレシェンの中心地(たぶん)を電車で通過する。静かな趣のある、なにかとても優しそうな感じの街並みである。通りにはいくつもビールの看板を下げた店が並び、歩道にはチューリップの植え込みがあって、自転車優先部分と区別している。広場のまわりにはベンチがならび、芝生が広く植えられていて、散歩にはもってこい。アーケードのような華やかさはあまりないようだが、きっと午後から夕方にかけては人通りが多く、にぎやかなのだろうな、と思う。

駅前電停はMAV駅舎正面に向かって右側。二編成が降車可能なように分岐して2線2面のホームがある。そのまま2線で線路は続き、電車は降車扱いが終わるとそのまま線路を進んで一旦留置の形になる。電車の運転間隔は比較的短く、留置線には常時3〜4編成程度電車がたむろしている。その留置線はそのまま2本の発車線につながり、MAV駅舎右側位置が乗車電停となっている。電車は発車すると、駅前の大きな芝生広場を3/4周し、駅前交差点から市内へ進む軌道へと入っていく。ここの電車は青い車体の2車体連接車。とても窓が大きく明るい車内、大きな扉で乗り降り簡単。扉付近や握り棒はピンク色、化粧板は青色。そんな車内の配色もきれいで、失礼な言い方だが、こんな地方都市にいるのはもったいない。本当にいい電車、だと思う。

駅前の降車場から分岐して奥へへろへろ伸びる引き込み線があって、その先には留置線もあり、旧型がぽつんと停まっている。さらに奥へ分岐する引き込み線があったので、車庫はその先にあるのだろう。行ってみたいのだが、いまいち場所もよくわからず、しかも万が一挙動不審(ただでさえきょろきょろしながら歩いているのに)で警察沙汰になるのも嫌なので、ここでは我慢。一路線のみの電車でありながら、電車に乗るのは楽しいし、街歩きもしたいし、なにより青い電車が好きになってしまった、不思議な魅力の都市であった。

☆写真を撮りました

http://www.geocities.jp/yasummoya/europe06/Dkv/debrecen_city.htm

 

75. 53日 午前  長距離普通客車列車

駅構内へ入り、少しコンコースをぶらぶら。売店はあるが、大きな商店街ではない、本当の出店のようなもので、広いコンコースはいささか手持ちぶさたである。何の気なしに出札窓口をのぞいてみると窓口横に時刻表がおいてある。本形式の立派なものだ。座っている昔のおねえさんに「Is this a timetable?」と聞くと、720フォリントだ、といって時刻表かどうかの回答はせずに金をくれ、ときた。以前から駅に路線式の大きな時刻表が貼ってあるのは知っているので、時刻表にはなじみ深いのだが、実際に手にあるのは心強い。720フォリントの出費ではあるが、いい買い物をした。

駅に入り、列車の写真を撮る。一軸単車の気動車がいて、これがなかなか不思議な車である。構造的には極めて単純な昔のものなのだが、クーラーが付き、立派な車内で、車内だけ見れば日本の第三セクター用気動車より立派である。両運のものと片運のものがいて、多少シリーズ違いはあるようだ。最高速度は車体表記によれば120km/hで、単車とはいえ、なかなか立派なものだ。広い構内はこの一軸気動車の他にも客車が少し。

さらに構内奥では貨物の突放をしていて、貨車が少しずつ流れていく。日本ではほとんど見られなくなった突放だが、連結掛が車体にぶら下がりながら進んでいく様はやはり見ていて楽しいし、懐かしくもある。タンク車だの有蓋車だの、貨車一両づつは日本のものよりずいぶん大きいが、構成は昔の日本の二軸貨車列車と同じで、思わずタキだのチキだのと思ってしまう。駅構内のはずれには蒸気機関車がいる。静態保存で、線路も繋がっておらず、周囲は少し雑草が生えている。あまり目立つところではないが、逆に列車からはよく見える。ハンガリーにはSLを置いた駅が比較的多いようで、列車に乗っていると何度かそんな駅を見ている。

☆写真を撮りました

http://www.geocities.jp/yasummoya/europe06/MAV/debrecen.htm

やがて、ブダペスト行き列車が入線。ELが客車6両を牽いてやってきた。一等車が前よりに付いていて、ホームを走って扉のところへ行くが、何せ乗客が一斉に扉に集まるので大騒ぎ。もちろん整列乗車などということはなく、乗れたものから早い者勝ちである。ホームが低いので、大荷物や老齢の乗客はちょっとかわいそう。わだらんもおばあさんの荷物を抱えて車内に上がる。以前、東欧行き列車の大荷物に驚いたことが何度もあるが、わだらん的には列車本数と列車の編成両数、列車本数と乗客の荷物の大きさは反比例するように思える。

車内に入る。側廊下とコンパートメントの標準的な欧州の客車。水害でICが運休なので、普通列車でも混んでいる。というか普通列車だから混んでいるのかもしれない。ともいえるのだが。幸いにも座席を確保。コンパートメントで、どうせ混むのだろうから、と通路側に席を取る。結果的に好判断で、あとから通路に出て写真を撮るのに便利であった。結局コンパートメントは6人でしっかり埋まった。

多客のためか、デブレシェンを15分遅れで発車し、そのまま遅れを引きずりながら進んでいく。時刻表を持てば百人力。各駅停車でもあるので、一駅ごとに時刻表と駅を照らし合わせながら列車の旅を楽しむ。

昨日の列車のなかでおおよその場所を聞いていた、問題の水害のところはすぐにわかった。複線の路盤のうちの上り線が洗われたらしく、下り線を使って単線運転。使用されていない上り線はすっかり赤錆びているが、ところどころに積んである土嚢が痛々しい。周囲にはまだ水の付いているところも多く、災害時は結構大変だったのだろう、と思う。そんななか、復旧作業がもちろん行われているようで、作業用軌道走行トラックや砂利運搬貨車などが使用されていない上り線に停まっている。しかし、駅間10kmの単線運転では列車の本数確保も容易ではなかろう。

☆写真を撮りました

http://www.geocities.jp/yasummoya/europe06/MAV/mav_water.htm

 

 

76. 5月3日 午前続き  今度は西駅

ハンガリーの主要駅はどこも構内が広く、多くの側線や留置線を持っている。で、なぜか駅舎横にSLがあるものが多い。Szoinok、ソルノクと読むのだろうか、ここも大きな構内を持つ駅に入ってきた。ルーマニアへの分岐駅になるところだ。停まった駅で、ルーマニアCFRのトラック列車を見る。日本では積載効率の悪さから長続きしなかったトラック輸送だが、このハンガリーでは東西の要衝なのだろう、たくさんのトラック列車を見ることができる。低床式台車でトラックが自走できるので、これなら積み込み時も卸しも楽だろう、と思う。

☆写真を撮りました

http://www.geocities.jp/yasummoya/europe06/Szoinok/szoinok.htm

列車はブダペスト近郊に入ってきた。近郊区間にはいると小さな駅を飛ばしていく快速運転。時刻表を見ると、区間運転列車が30分おきの頻発運転になる区間で、さすがにまわりには人家が増えてくる。それらの駅に大きなユーロマークの立て看板がある。何が書いてあるか全く読めないが、おそらくEU融資による都市鉄道近代化工事ではないか、と思う。途中、空港のすぐ横を通ったので、かつての千歳空港同様、ちょっとの工事ですぐに空港連絡鉄道ができそうに思われる。

列車は定刻より20分ほど遅れて西駅に着き、わだらんとしては図らずもブダペスト市内3駅制覇になった。西駅はエッフェルの設計によるもので、堂々とした姿の大きな建造物である。もっとも、だからどうだ、と聞かれてもなにも話が続かない。いちおう表に出て駅の写真を撮っては見る。ただ、カメラのレンズの限界か、上手に収まらない。ちょうど駅舎の正面に、道路を挟んで人工地盤のビルがあり、そこにある階段から駅舎がよく見えるのだが、左右に延びた大きな駅舎全体がカメラに収まらない。そう考えると、人間の目というのは便利なもので、広角でも望遠でもなんでもできる。栗さんが描いたようにはなかなか上手に写真に撮れない。栗さんに「写真もまともに撮れないやつ」と笑われてしまいそうだ。

そんなわけで、駅舎の写真は適度に切り上げ、再び駅構内に戻る。驚いたことに、ドームをはずれたところには、ここも上屋がないホームがある。駅正面の右側部分奥にあたるところだが、上屋がないどころか、雑草の生えた、空き地のようなイメージである。ホームも低いので、まるで河原の廃線跡みたいな雰囲気である。新宿本社の某鉄道会社ならエキナカなどと大量の物販店を出すのだろうが、ここにはそんな気配の一つもない。もっとも駅にはスーパーや銀行、飲み屋や床屋までいろいろあるのだが。昨年来たときも西駅を見ているのだが、このときは駅の入り口すぐのところでビールを飲んだだけで、電車に乗ってはいないので、そんな場末のホームがることには気づかなかった。その屋根なしホームの反対側、駅正面から見て左側にあたる西側ホームは上が駐車場?のコンクリートの建物の下になっていて、6本ほどホームがある。ドーム屋根と違って、天井が高くないので明るくないし、開放感もない。照明も少なく、阪急梅田や新幹線博多駅には届かない。とはいえ、決して悲惨さや寂しさがあるわけではないが。

西駅は南駅と同様、国際列車がいないので華やかさには欠ける。が、逆にハンガリーの国内列車を観察するにはよいところだ。日本流にいうと1M3Tの電車だか客車列車だかわからないものがいる。中間の客車はDBやDSBにも多くいた、日本でいうキハ47のような2扉の車。この電車もどきに挟まれる物と同じ客車(形式は異なるようだ、引き通し線の有無かな?)もいて、ローカル客車の主力になっている。そんな客車中心の中、ここにもいたのがDB643の同系車。同じ赤色で、青(というか水色の少しくすんだ感じ)の客車の中でひときわ目立つ。ブダペストの北側にはSLの保存運転もしている路線があるそうだが、その非電化路線用に最近投入されたものらしい。いまや流線型というか、先のとがった顔つきの車は欧州どこにでも見ることができるのだ、とあらためて思う。

☆写真を撮りました

http://www.geocities.jp/yasummoya/europe06/BUD_ny/budny1.htm

http://www.geocities.jp/yasummoya/europe06/BUD_ny/budny2.htm

 

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77. 5月3日 昼  骨董品の気動車単車

列車の中で時刻表を見ていて、鉄道博物館行き列車があるのがわかった。この日はあまりきちんとした予定を持たず、ブダペストでどうやって時間を過ごそうか、田舎にどこか乗りに行くか、市内電車の乗りつぶしをするか、と決めあぐねていたのだが、この列車を見て、即座に博物館行きを決める。列車は13:45発で、小一時間あるので、その間に西駅で列車でも見ていればすむ、と考えた。

ホームに停まった博物館行きの列車はすぐにわかった。黄色とオレンジに塗り分けられた、それ自体が博物館の骨董品車両で、二軸の気動車である。いかにもいまから博物館に行きますよ、とまるわかりの相当子供受け、いやヲタ受けする車両である。梅小路もせめて列車でいけると楽しいのだが。運転士と運転助士が乗り込み出発進行。オープンデッキなので、客室と出入り台のドアを開けておけばもちろん全面展望可能。というか、運転士のすぐ後ろに立ち、前を楽しむ。特別な線路でなく、普通の本線上を走るので、本線の列車の横を小型の二軸車が進んでいく様は、乗っていても見ていてもおもしろい。

車内にはわだらんの他、おばあさんと孫と思われる2人連れのみ。平日だし、まぁこんなものだろう。空いているのはありがたいと思わねば。子供は窓から外を向いて大はしゃぎ。とはいっても、速度がしれていて、走る割にはあまり景色も進まず、遅い割によく揺れるし、一般営業に向く車でないことは間違いない。写真を撮っている人間を踏切や歩道橋で見かける。ハンガリーにはどうも鉄ヲタが多いらしく、蒸気機関車の保存運転や、博物館などの施設が充実しているようだ。鉄道博物館の他にも、市内交通の博物館とか、子供のみで運営する鉄道とか、なかなか興味を引くものが多い。この列車(単車?)自体も趣味の対象になるようで、ヲタらしきおじさんたちが数名こちらを見ている。もちろん、日本でも仮に元祖レースバスのキハ01が復活運転すれば、ヲタが集まるだろうか。

 

やがて気動車は本線から分岐し、博物館へ進んでいく。博物館の境には柵があって、柵を明けた状態で線路がそのまま本線に繋がっている。弁天町も青梅も、線路は本線とまったく分断されているが、ここは自由に入ることができる。やはりその方が便利だろうし、生きた線路が繋がっているのはいいことだ。そういえば門司港の博物館は線路が繋がっているのだろうか?小さなホームがあって、そこを降りると博物館の入り口。ホーム自体は敷地外で、目の目に窓口がある。

700Hfで入場券を買い、博物館正門を写真に撮る。正門前は結構車の通る道路なのだが、市電もなくバス停も近くには見あたらず、列車以外ではどうやってくるのかよくわからない。入場券を切ってもらい、さっそく中へはいる。入ったとたん、そういえばユーレイルパス割引があることを思い出した。とはいえ、今更払い戻しをお願いできる語学力もなく、あきらめ。ああ、もったいない。

☆写真を撮りました

http://www.geocities.jp/yasummoya/europe06/mav_museum/mDC.htm

 

78. 5月3日 昼続き  ハンガリーの梅小路

博物館はまさに車両展示館だった。ここも鉄道施設の解説や展示はまったくなく、たくさん車両をおいています、といった至極わかりやすいコンセプトである。大きな転車台が2つあり、一つはそのままSL多数が屋根なしで屋外展示されている。もう一つはラウンドハウス付きで、ラウンドハウスの中の保存車両を見て回ることができる。ただ、このラウンドハウスの中は車両の修繕も行われているようで、どれが展示でどれが非公開なのかよくわからないし、見学順路が付いているわけではない。ひょっとすると、一般的にはラウンドハウス内の車両は引き出して展示するのを主目的にしているのかもしれない。今日は平日で観客もほとんどなく、作業している横をうろうろしていても、なんのおとがめもない。

しかし、よくもこれだけ車両を集めたな、と思う。SL16両や、貴賓車、気動車、はてはラッセルやロータリー車、操重車までおいてある。軌道を走る手こぎ自転車が線路上に置いてあるし、屋外の売店には、運転体験ができます、みたいな看板が立っている。おまけにラウンドハウスの中の機関車運転台は暗幕で覆われていて、どうやらシミュレータのようだ。言葉がわかればいろいろ楽しめるのだろう、と思う。かつてのハンガリー帝国や、戦争後の東欧系車両など、歴史や車両の生い立ちなどわかれば、きっと楽しいだろうな、と思わせるものばかり。中には軌道自動車もあって、いかにも戦争映画に出てきそうな趣であった。アメリカ式の電気式ディーゼル機関車もあった。いかにもアメリカ式ですよ、という風貌でわかりやすいのだが、なんで旧東欧にアメリカ式DLがいるのだろう?何か歴史的背景があるのだろうか、わだらんにはわからない。屋外展示でもちろん屋根なしがほとんどなのだが、塗装の痛みとかが見あたらない。よく整備をされているのだろうし、一部の車は適宜動かされているのだろう。ちょうど、ラウンドハウスの前の転車台では、旧貴賓車と思われる旧型客車が転車台でちょうど回転中。といってもわざわざ展示のために回しているようには見えず、何かこれから作業をするのだろう。

☆写真を撮りました http://www.geocities.jp/yasummoya/europe06/mav_museum/museum.htm

かつての機関車事務所と思われる建物は改装されて土産物屋になっている。何かMAV車両の解説書があるかと思い捜してみたが、何も見つからなかった。Tシャツ類などは豊富。とはいえ、どうも自分で買って帰るにいいものがなく、結局何も買わずに終わった。

帰路も同じ車、再び年代物の二軸気動車である。博物館を出て少し進んだところで、突然停止しバックし始めた。あれ、と思っていると、ポイントを変えて隣の線へ転線して再び進行していく。この間分岐器操作はまったく手作業である。別に運転指令に無線連絡したわけでもなく、場内信号とかどうなっているのだろう?

 

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79. 5月3日 午後  小さな見過ごし、大きな失敗

単車はがたがたと線路の揺れをそのまま拾いながらも無事にニガティ駅へ戻ってきた。行きはおもしろ半分でよかったものの、帰路冷静に考えると、とても本線で乗れる乗り物ではないというのが本音。もっともそんな車だからこそ、博物館へのアクセス車両なのだろうけれども。

さて、楽しかったハンガリー訪問も、そろそろお開き。これから、オランダに戻るには、まずオーストリアへ、と。ケレチからウィーン経由の夜行でハンガリーを出ることにしよう、といとも簡単に計画決定。ケレチ駅へ向かって歩き出す。道は至極簡単で市電の経路に沿って歩き、交差点から駅が見えたら曲がって進む、それだけの簡単な道のりである。ところが、市電が軌道工事で運休中なのである。せっかく電車の写真を撮ろうと思ったのに、これではちょっともの足らない、と旧市街地へ向かう。川沿いを走る2系統の電車の写真を撮る。 

ところが、さすがにリュックは日に日に重くなり、天気のいい、気温の高い中、市街地を歩くのはちょっとばててきた。で、地下鉄に乗ることにした。130フォリントの切符を券売機で買ってみる。昨年来たときには窓口で切符を買ったので、初めての券売機体験なのだが、ものは試しでやってみると、無事に買えたのだった。きっぷを持ってホームに降りる。

相変わらず地下鉄電車はよく混んでいる。ケレチ駅に着き、エスカレータで地上に上がると、検札がいた。たまに係員がきっぷを見る光景には慣れているので、軽い気持ちで券売機で買った切符を出す。ところが、きっぷを見たおねえさん(これがまた背の高いわだらん好みのおねえさんだったのだが)が難しい顔をしてわだらんを見る。「パンチを入れていないから無効だ。2500フォリント払え」という。券売機で買った切符でもパンチがいるのか、と食い下がったがだめだった。その場でどうしても払わないと身動きがとれないようで、銀行に行きたいといってみたが、あっさり却下。かろうじて財布の中にあった、最後の食堂車用にとっておいた、なけなしのフォリントが無惨にはぎ取られてしまった。

別に意識的に、故意的にパンチをしなかったのでなく、発券時刻があるから安心していたのだ。安心していたが故に、チケットキャンセラーに気が付かなかったのかもしれない。が、まぁもともとチケットキャンセラーを使うのは利用者の義務なのだから仕方ない。罰金を払ったのは痛かったが、罰金を払った日本人もそう多くはなかろう、と一人強がりを言ってみる。が、やはり残念だ。なにか急に旅行するのが嫌になってしまった。参ったなぁ....

 

80. 5月3日 夕方  ハンガリーをあとにして

そんなわけで、ケレチ駅に上がって、入線してきたチューリッヒ行きEN466列車にそのまま乗り込み、ぼーっとしていた。多少疲れもあるし、落ち込んでもいるので、下手に駅構内を歩いてまたビールでも欲しくなったらまずかろう、と静かにしている。とはいっても、入線してきた列車に連結の食堂車はMAV車であった。結局食堂車に釣られて、あわててまた2000フォリントだけ、カードから現金化しておくことにした。駅の構内にカードの現金引き出し機があって、日本の自分の口座から直接フォリントを出すことができる。食堂車で払う際、ハンガリーの車ならフォリントで払うのが多少は有利かな、と考えたからだ。実際現金を持って歩いて両替して使うのと、15%程度の金利を払ってカードローンにするのとどちらが得なのだろう、実際にきちんと計算してみないといけないとは思うが、今はただ単なる思いつき。しかしよく食費を使う。

列車は定刻に発車し、緑の丘陵地帯を進んでいく。向かい合わせボックス固定の1-2列配置車内は空いていて、ほんとうにのんびりできる。なにせ気分が落ち込んでいるので、空いている車内はせめてもの救いである。これで混んででもしていようものなら、ますます滅入ってしまうだろう。いや、本当に広々とした車内で癒される。 

ブダペスト市内を抜けると、しばらく停車がない。その間を利用して、食堂車に行く。せっかくMAVの食堂車なので、スープがどうしても食べたいのだ。ビールを頼むと、ハンガリー産、デンマーク・ドイツの各地のビールを選べ、という。やはり輸入物の方が高い。EU加盟で関税はないはず(たぶん)なので、価格の差はそのままブランド力の差、ということになる。わだらんは一番安いビールを頼んだので、ハンガリーのものだったが、十分おいしかった。地のものが一番うまい、というと言い過ぎか。結局ビールを2本飲んで、2000フォリントで少し足が出た。全体をフォリントで計算して、まず2000フォリントで払い、残った550フォリントをユーロ換算して精算。フォリントを2.7で割っていたが、レートはどうなのだろう?

スープを飲み、ビールを味わっているうちに、Hegyeshalomへ到着。しばしの停車時間の間に、オーストリアの係官が乗り込み、国境だと感じさせてくれる。留置線にはOeBBの新型4024電車も止まっている。ここが国境だ、と否応なしに感じてしまう。駅を離れると、ハンガリーからそしてハンガリーとオーストリアの出入国検査、MAV(なんで今頃?)とOeBBの検札と、次々にパスポートだのユーレイルパスだの出し入れしているうちに、オーストリアへ列車は入っている。こうしてハンガリーの2日間が終わった。オーストリアに入り、大型風車が林立する田園風景のなか、日が沈んだ。いやいや、実にいろいろと騒動の多い二日間であった。

☆写真を撮りました

http://www.geocities.jp/yasummoya/europe06/Hegyeshalom/hegyeshalom.htm

http://www.geocities.jp/yasummoya/europe06/dining_06/diningcar_hu.htm

 

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81. 5月3日 夜  広い二等車

ウイーンに着く手前で一等車から二等車へ移る。一等の連結はウイーンまでで、そこから先の座席は二等のみ。最近は夜行で一等座席のあるものがほとんどなくなってしまい、宿泊代としての一等切符の価値はほとんどない。とはいえユーレイルパス15日用は一等しかないし、やはり一等車は空いているので、十分利用させてもらってはいるが。二等車も向かい合わせの固定シート、2-2配置でリクライニングはなし。車内は空いていて、寝るのは申し分ない環境なのだが、ボックスのシートピッチが広すぎて体が安定しない。なにせ窓10個の広いボックス席なので、足を伸ばしても前に届かせるのがやっとだ。583(419)系のボックスもたいがい広くて、足を伸ばすとかえって疲れるが、この車はそれ以上にボックスが広い。どうせ寝てしまえばすむことだし、一座席で足を十分伸ばせるのはいいことなのだが、車内があまりに空いていて、一座席で座って寝るにはどうももったいない気がする。つくづく貧乏性だと思う。

ウイーン南駅に着いた。編成前部2両をホームに残し、シとハザ、ハネの3両を入れ替え機関車が引き上げる。営業中の転線作業は日本ではかなり少なくなったが、欧州ではまだちょくちょく出会える。隣のホームにはロネ2、ハネ1、ハザ3両が停まっていて、そこの頭に引き上げた3両を連結し、編成組成完了。9両編成のOeBBとMAVの混血編成になった。停車時間中にサンドイッチとソーセージ、ビールを買い込む。ユーロ圏なのでありがたい。朝スイスについてもスイスフランの持ち合わせはないから、しばらく食事にはありつけない。荷物がちょっと心配だったが、幸いにも大きなリュックは無事であった。もちろん座席確保の意味合いもあるので、盗られることはもとより、移動させられるのもかなわないが、何も問題はなかった。車内が空いていることもあるが、そもそもとても貴重品が入っているようには見えないリュックである。

買い物から戻り、座席に落ち着くとしばらくして列車は定刻の発車でウイーンを離れる。走り出してそうそうに窓際テーブルに缶ビールと夜食を広げる。さすがに深夜近くになり外は真っ暗。時折現れる近郊電車駅の明かりや流れる街灯の光がビールのつまみ、ついつい速いペースで、あっさりと夜食を食べ終えてしまう。となれば、もうすっかり睡魔の虜。とりあえず横になったが最後、しばらく覚えていない。

ところが、無理に足を伸ばした格好で寝ていたので、やはり1時間くらいでからだが痛くなってきた。しばらくそのままの姿勢で、さらに少しだけうとうとしたのだが、ちょっと走ったところで、後ろのウイーンで増結の座席車へ移動する。ウイーン停車中に買い物ついでに車内を見たときには、コンパートメントに4人も5人もいるような状況でなかった。ので、少したって、途中停車駅を少しすぎればもっと空いてくるだろう、と思っていた。まず偵察に行ってみると、案の定、ありがたいことにコンパートメントが2つ空いていた。あわてて前の車両へ戻り、荷物を持って、移動する。移動中に運悪く駅に停まってしまい、乗車客が一つの部屋を取ってしまったが、まだ一つ空いていて、まずはめでたし。二等コンパートメントなので、部屋の長さ方向の間隔は少し狭く、足を伸ばすとこんどはまっすぐに伸ばすだけの長さがとれない。横方向に体を寝させるのは問題ないが、せっかく一人で独占なので、部屋を斜めに使って横になる。

スイスに入って車掌が検札にきた。ところが国境越えの審査がない。スイスはシェンゲン条約を実行していなので、本来スイスに入ったところで、EU(シュンゲン条約国)出国とスイス入国のチェックを受けるはずなのだが、なにもなし。パスポートのスタンプ捺印を期待していたのでちょっと残念である。

 

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82. 5月4日 朝  久しぶりのスイス

検札のあと、やっぱり熟睡していた。車体が大きく揺れ、線路が多数見えている。知らない間に列車は進み、チューリッヒ中央駅へ入っていた。結局チューリッヒに到着するまで、他の乗客とは相席にならず、コンパートメント独占であった。ありがたい話だ。

チューリッヒ中央駅も列車が揃って並ぶ頭端式。ホームは多く、横に広い駅構内は壮観である。駅前にでればすぐ近くに湖の広がる風光明媚なところなのだが、残念ながら今日は駅の外へ出る時間がない。とはいえ、せっかくなので、駅のぱたぱたを写真に撮っておく。列車本数が多く、表示される列車も多い。一般人が遠くから見て判読できるのかな?ちょっと心配。欧州の時刻表は一般的に方向別、線区別になっていない。おおきなぱたぱたも発車時刻順に載っているので、自分の列車を探すのにちょっと苦労する。ここチューリッヒも長距離と近郊区間の列車カテゴリー別にはなっているが、長距離も各方面に列車が出ていくので、はて、バーゼルはどれかな?と悩んでしまう。欧州では発車案内や時刻表は路線別になっていることが少ない。NSユトレヒトのぱたぱたはかろうじて方向別に分かれてはいるが、5方向に線路が分かれるのに、ぱたぱた区分は2つだけ。もし京都や岡山で、発車案内が一つにまとまっていたら発狂しそうだ。

ホームにIC2000、新型の2階建て近郊客車が止まっている。NSのIRMもたいがい車体が大きいと思うが、この客車はさらにその上をいく威圧感である。二階席の窓ガラスが大きく、それがよけいに車体を大きく見せている、と思う。2階の通路は車体前後一杯に延び、通路の下に客扱い扉があって出入りできるというのは、ちょっと面食らう。スイスはホームが低く、出入りのデッキ位置が低いので、二階に通路を通していても出入りに支障のないという、わだらん的には逆転の発想である。低床式なら、ドアにすぐの階下席と階段登りの必要な二階席に分けられ、階下席は階段スペースが要らないという、有効利用しやすいものである。日本の二階建てやNSのIRMは二階も一階も両方階段が必要で、スペース的には損だ。低床式だと、どうしても台車部分に段差があると、わだらんは勝手に思いこんでいたのだが、この二階席を編成全体の標準高さにする発想には驚いた。これなら台車や床下機器は自由になるし、かつ車椅子や自転車は階下の低床部分に納められる。いやはや、世の中なかなかすごいものがあるものだ、と感心してしまう。

いつの間にか、バーゼルへの列車の発車時刻が迫っている。これに絶対乗らなければいけないわけではないが、あとのこともあり、不用意に時間をつぶしたくもない。急いで列車に向かうが、何せ一番端、ホームの対面は道路というなんとも遠いところであった。息弾ませて列車に乗り込む。幸いにも一等車が一番後ろに連結されていて助かった。国内列車なのに、窓が大きく屋根に回ったハイデッカータイプの贅沢な車であった。

☆写真を撮りました

http://www.geocities.jp/yasummoya/europe06/Zurich/zurich.htm

 

83 5月4日 朝  スイス人も早起き

バーゼル行き列車は一番はずれのホームを出発。食堂車までつないでいて、たかがバーゼルまで1時間のICにしては破格の編成。ところが、こちらはスイスフランの持ち合わせがなく、食べようにもなにもできない。食堂車どころか、朝食も飲み物の買うことはできないのだ。とはいえ、フランス内に入ってしまえば何とかなるわけだから、しばしの辛抱である。

チューリッヒの近郊区間、Sバーン列車も二階建て客車のプッシュプル、NSの7400によく似ている。4両編成の小単位編成で、2編成または3編成の連結で走っている。見た時間帯がラッシュ時だったためだろうが、次々すれ違う。中央駅を出てしばらくすると、今走っている列車線(というのかな)と電車線(というのかな)の複々線に収束されて進んでいく。電車線はSバーンが短間隔でやってくる。その複々線が複線に最後まとまる頃には市街地をすっかり抜けている。

さすがスイス、ちょっと走っただけで山が迫ってきて、景色はとてもいい。谷に沿って列車は進み、窓下には小さな川も見えている。まさにアルプスの風景なのだが、考えてみればスイス全体がこんな雰囲気なので、いつも乗っていればなんら驚くことも感動することもなかろう。スイス国民は贅沢なのかなとも思う。

乗っている車は、窓が特大の展望車である。車内も空いていてご機嫌、絶好調である。何でたかがチューリッヒ=バーゼルでこんないい車が?と思ったが、謎は簡単に解けた。車掌が座席用の時刻表を配布しにきたのだが、配っているのはバーゼル発ウイーン行きEC列車。なるほど、このバーゼル行きはいわば間合い運用で、この展望車の本命はウイーン行きなのだな、と。それで食堂車も繋がっているわけだ。そういえば、昨年ウイーンで朝この展望車を見たな、そのときはバーゼル行きだったので、この列車の翌朝の折り返しを見たわけだが。最後尾に飛び乗ったので、食堂車より編成前方がどうなっているかはよくわからない。が、長い編成であることは間違いなく、カーブのたびに先頭の機関車の姿が見える。駅に停まるが、最後尾のわだらんの車はホームからはみ出ているようだ。とはいっても、低床ホームのスイスのことなので、どこまでホームかはっきりしないところはあるのだが。

結局途中駅での乗車はなく、終始がらがらの状態であった。とはいっても前方二等車はずいぶん出入りがあるようで、駅に停車すると人がずいぶん動いているようだ。ちょうど通勤時間帯でもあるからだろうか。スイスの平均通勤距離ってどれくらいなのだろうか。

 

84. 5月4日 朝  バーゼルは通勤ラッシュ

バーゼルSBBに到着。昔から何度となく利用してきた駅なのだが、最近は駅構内の改装が進んで、昔から見るとずいぶんにぎやかな駅になった。

当時はホームへは地下通路を利用して、地下通路からホームへは長いスロープだった。なるほどこれなら、荷物カートを持った人間でもなんとかなるな、と妙に感心した記憶がある。昔はバーゼル駅に夜行で着くと、決まって駅の中のシャワーを利用していた。もう値段がいくらだったかすら覚えていないが、地下の駅舎内に両替所や理髪店、シャワーなどが並んでいて、大きな絵文字が誇らしげに光っていたのを思い出す。軽食堂が行き止まり式の1-4番線に面していて、シャワーを浴びてからクロワッサンとコーヒーなんぞを列車を見ながら味わっていた。

が、今はすっかり橋上駅の様相である。ホームをまたぐ跨線橋には数々の商店が並んでいる。パン屋やチョコレート屋など、外から見ているだけでずいぶん楽しい。とはいえ、今は使える現金がないので、我慢である。かつて売店や軽食堂のあったところは大きく改装されてしまって、ホームの構造以外、昔を思い出させてくれるとことはないようだ。

 

SBB駅の列車発車案内は比較的小さな画面タイプのもので、各ホームへの階段ごとについている。画面の周囲、枠が黄色に塗られていて、結構目立つ。バーセルに着いた時間はちょうど朝のラッシュ時である。駅に列車が着くたびに大量の人が降りてきて、階段を上ってくるので、橋上の通路は混雑している。みんなが駅舎方向へ橋上通路を歩き、階段を下りて、市街地の方向へと進んでいく。

まだストラスブール行きの発車時間まで時間があり、人混みの多い通路部分を避けて、ちょっとホームに降りてみる。ちょうど二階建てのIC2000客車がいる。ホーム案内によればまだ発車時刻まで時間があり、車内に入って写真を撮る。低床式ドアのなせる技ではあるが、とにかく車体が大きく、二階部分が車両長手方向すべてにつながっているのは本当に異質の空間に見える。客室扉は一階部分で、二階に上がるには階段。上がってしまえば他車への貫通路は二階部分。階段を上ることの難しい移動弱者はそのまま一階にいればいいわけで、日本ではこんな発想の車体は作れまい。と、感嘆している間に時間が過ぎてしまった。もし国境で手続きに時間がかかるようなら、次の行程が続かない、と後ろ髪を引かれつつ、バーゼルSBB駅を後にする。

一階へ下りて、30-33番乗り場への案内の出ている通路を進む。番線表示の下にはバーゼルSNCFとの表示もあり、まさにフランスへの通路である。といっても、通路にも店舗が並んで、結構人通りが激しい。所詮は同じ駅の中、同じ経済圏か。通路の奥には「FRANCE」の看板と目隠しされたドアがあって、いよいよフランス、である。ところが入国審査場にはだれもおらず、素通りである。結局ここでも入出国のスタンプは押されず、パスポートも出す必要がなかった。もっとも、結局ぎりぎりのフランス入りであったので、もしここで時間を食ったら次がまたややこしくなるが。

☆写真を撮りました

http://www.geocities.jp/yasummoya/europe06/Basel/basel2.htm

 

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85. 5月4日 朝続き  アルザスの散歩

さて、久しぶりのフランスである。もう何年と来たことがない。どうもわだらんの性格がフランスに合わない、というか、わだらんが勝手に避けているところがあるのだ。とはいえ、今日は久しぶりにSNCFに乗ることになった。SNCF駅はバーゼルSBB駅にとってつけたような形である。京都の山陰線ホームよりもっと場末のイメージであるが、やはりそこはフランス、なんとなくお上品な感じは受ける。もちろんあくまでわだらんの思いこみだが。

ホームに走っていくと、車掌がパリか、と聞く。そうだ、と答えて、編成前寄りに走り込み入り、一等車に落ち着く。パリに行くわけではないが、まずはパリ行き。コライユ型の一般客車である。5両編成の先頭が一等車である。黄色の帯は一等車の印、と決まってはいるものの、最近は黄色の帯を見ることがずいぶん少なくなってしまった。というか、客車列車が激減しているので、しかたないか。TGVもICEも等級帯はないし、昔は赤と青に区別されていたDBのIC客車も今は同じ色である。なぜかDB一般車の赤い車体は一等席部分に黄色の帯をしっかり巻いているが。発車間際の駆け込みで、しかも先頭まで5両分を走ったので、座席に落ち着くと間髪入れずに列車は発車した。

 

バーゼルの市街地を通り、スイス領内からフランスへと入っていく。ところが、バーゼル市内の小さな駅は通過。といっても、ここを通る列車はSNCFだよな、何が停まるのだろう?SNCFの何かローカル列車があるのだろうか?トーマスクックの時刻表では読み切れない。進行右側に空港の管制塔が見えてきた。バーゼル・ミュールーズ空港のようだ。日本でも関目高殿だの西中島南方だの二つの地名をくっつけた駅は少なくないが、国をまたがった地名はどれだけあるのかな?ましてやスイスとフランスでは入国審査が異なるはずなのだが、どうなっているのだろう?と悩んでみてもわかるわけはない。ついでにバーゼル・ミュールーズといいつつ、フライブルクへのバスもあったりして、小さな規模ながらなんとも立派な国際空港である。ただ、既存の鉄道線がやたら近いので、ここでも空港連絡鉄道がすぐにできそうな気がする。

なぜか、フランスのくせにずっと右側を走っている。車内は空いているので、結局席を変える。フランスに入って転線するかと思ったが、どうもその気配はない。

 

ミュールーズに到着。列車はパリへ向かって進むので、ここで乗り換えである。バーゼルで列車に乗り込む際、トーマスクックの時刻表を見て、ストラスブール直通と思い混んでいたのだが、ふと「パリ行き」とはどこを通っていくのかいな、と改めて時刻表を見てみると、ミュールーズで乗り換えではないか。斜字を見落としていた、あぶないあぶない。そのまま直通だと思いこんでいたら、きっとパリまで行ってしまっていただろうな。

まぁ、そんなことでミュールーズのホームに降りる。ここには鉄道博物館があると聞いている。一度は寄ってみたいと思うのだが、なにせわだらんの苦手なフランスなので、どうも足が向かない。行けばきっと楽しめるのだろうけれども。わだらんがフランス語で読めるかな?とはいえ、デンマークもハンガリーもまずまず楽しめたのだから、近いうちに出かけてみようとは思う。

☆写真を撮りました

http://www.geocities.jp/yasummoya/europe06/SNCF/alsace.htm

 

86. 5月4日 朝続き  コラーユ客車

パリ行き列車はここでELからDLへと機関車交換である。ちょうど、一等車が編成先頭だったので、乗り換えまでの間、ちょっと見学。カメラを出していると、機関士がこっちを見てにこやかな顔をしている。日本から来た鉄ヲタってばれたかな。フランスの電化区間についての知識は全くないので、この先何で機関車交換するのかもわからない。が、機関車の交換を見ているのは楽しい。いかにもフランスの機関車、という形である。でもわだらんが子供の頃に見た本に載っているタイプのものだから、もう結構な年の車なのかもしれない。ジャンパと空気管をはずしてELは引き上げていき、DLがやってきて再び連結。バッファが一旦引っ込んで、少し反発して密着。日本の作業より、ねじ式連結器をさわる時間が長いのと、やはり車体の下に潜っての作業なのでちょっとたいへんそう。客車列車ならまだしも、入れ換え必要な貨車なら結構面倒に見える。

ここで、ストラスブールへ行く列車に乗り換えをせねば。テレビ式の乗り換え案内が階段の入り口にあって、跨線橋でホームを移動。当たり前といえばそれまでだが、跨線橋の下に乗り換え案内があるあたり、日本と変わらず、なぜかホットする。そういえば、駅の雰囲気も何となく昔の高崎や福知山に似ているなぁ。乗り換えた列車は再びコライユ客車だった。ただ、側面に大きく「アルザス」と書かれていて、このあたりの地域の車であることを誇りにしているようだ。SNCFも地域分社しているのだろうか、無知なわだらんは全く状況がわかっていない。

で、座席に座っていたはいいものの、何かの接続待ちをしているのか、発車時間になっても列車は出ない。ちょっとうろうろしていると、ホームの反対側に新型の気動車がいた。最近の欧州標準(に近いとわだらんが勝手に思いこんでいる)の先のとがった顔のもの、ただし、普通のボギー車である。ドアを開けて写真を撮っていたら、「あかんよ」みたいなことを検車掛(たぶん)に声かけられてしまった。ちょっと苦笑い。

さて、結局列車は10分の遅れで発車。広い構内を抜けて、やがて街並みも途絶え、線路も複線に収集されると、すっかり田園風景。まだ雪の残る山並みを見ながら列車は順調に走っていく。フランス中部にもそんな高い山があったのか、とまたここでも不見識を露呈してしまう。たが、山の姿は大きく横にも連なるきれいな姿で、きっと有名な山なのだろう、と思う。

このあたり、アルザスワインの有名な産地だそうで、途中に広がる背の低めの木が連なる風景はぶどうばたけなのだろう。といっても、また木々の緑は少なく、これから生育していくのだろうけれども。もっとも、わだらん自身がアルザスワインなるものを今日初めて知ったわけだから、なにも知識があるわけでない。というより、フランスワインって、ボルドーしか知らなかったのだから。

途中路盤工事らしきものをしていて、部分的に単線扱いで走っていく。この列車の発車が遅れたのもここの工事の関係があったのだろうか?徐行の影響もあってか、ストラスブールへは結局15分ほど到着が遅れた。

 

 

87. 5月4日 午前  新型電車と円屋根広場

ストラスブールの駅前広場は工事中。仮設の歩道も工事用擁壁に囲われて見通しがよくない。有名な丸屋根広場に行ってみようと、トラムの乗り場を探す。すると立て看板で電車の絵を描いたものがあり、歩く方向がわかった。やはり絵文字はありがたい。切符の自販機の前でちょっとまごついていたら、後ろのおにいさんが手を出してくれた。ありがたい。ちゃんと英語でしゃべってくれる。よくフランス人はフランス語しか話さない、というが、英語をしゃべるフランス人も決して少なくはない。とはいえ、一般的にはフランス語なので、わだらん的にはやはりちょっと不安である。

無事に切符も買え、ホームに降りると交通局の人がいた。そこで切符を切ってもらい(なんのことはない、チケットキャンセラーに突っ込むだけなのだが)、トラムに乗り込む。丸屋根広場ばかり有名だが、ストラスブールトラムの中央駅前電停は地下になっていた(わだらんも行くまで知らなかったのだ)。単なる目新しい電停だけでなく、システムとしてきちんと整備されているからこそトラムとして有益に利用されているのだが、どうも日本の評判(特に行政や議員さんの視察など!)はそういったシステムのことにはあまり興味がないようだ。困ったことだと思う。

 

丸屋根広場に着いた。確かに美しく、街のシンボルとしては非常にいいものだと思う。が、考えようによっては、この丸屋根、電停の屋根としてはほとんど機能しない、本来の電車乗り場には上屋がないのである。(丸屋根と交差する側の電停には屋根がある)機能より外観、いやシンボル重視か。とはいえ、街の中心としてのランドマークはしっかり果たせているわけで、やはり感動してしまう。電車は写真の通り優美な丸顔をした大きなガラス窓、大きなドアの電車である。いかにもおしゃれなフランス、と言葉がでてしまう、なんともいい姿である。確かにコンビーノもいい形だが、曲面で構成される顔や上下に大きなガラス窓は、「魅力ある乗り物」という形容詞がぴったりである。

円屋根広場を少し離れたところで電車の写真を撮ってみる。くねくねの市街地にひかれたくねくねの線路をくねくねしながら電車がやってくる。床が低いので、地面をはってくるような感じも受ける。

回数券はICカードになっているようで、乗客は乗車前に自分でカードをチケットキャンセラーに当てている。わだらんは往復券なので、帰りの部分を差し込んで、打刻する。もう罰金はごめん被りたい。

☆写真を撮りました

http://www.geocities.jp/yasummoya/europe06/Strasbourg/strasbourg0.htm

http://www.geocities.jp/yasummoya/europe06/Strasbourg/strasbourg1.htm

 

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88. 5月4日 昼  ライン川を渡る

せっかくストラスブールに来たのだが、列車が遅れて着いたので、結局市街地にいる時間があまりなく、またトラムであわてて駅へ戻る。トラムの地下駅から階段を駆け上がり、工事中の細い通路を抜け、駅構内へと走る。リュックが少々重く、体が思うように動けないのはちと残念。

パリからのミュンヘン行きEC65列車はDB車だった。いつものIC客車編成で、レストランもいつものビストロタイプである。ビュッフェの部分が高い椅子式で目新しかったので、座ってみた。が、どうも高すぎて落ち着かない。しかも窓配置と座席があっていない(これほど窓とあわない食堂車はいままで見たことがない)ので、どうも見通しも良くなく、居心地が悪い。スープとコーヒーを飲んでみたが、結局座席へ移動してしまった。まだ食堂側(テーブル席)ならよかったのかもしれないが。

☆写真を撮りました(追加しています)

http://www.geocities.jp/yasummoya/europe06/dining_06/diningcar.htm

 

SNCFの信号所が橋のたもとにあって、さらに進むとライン川の鉄橋になる。渡りきるとカールという駅で、ここからドイツである。駅の案内はドイツ語とフランス語の併記、まさに国境を思わせるところだ。

駅からライン川まではすぐなので、歩いていける。昔々、ここの橋で遊んだことがあって、フランスドイツ国境を歩いて行ったり来たりしたことがある。このあたり、以前は戦争の舞台で、住民の方々はさぞ大変だったのだろうと思う。アルザスというのは良質の石炭産地なのだそうで、(2chのスレで知った。いろいろ叩かれる2chだが、まさに知識の宝庫ではある)それが故に両国が争奪戦を繰り広げたそうなのだが、いまやフランスとドイツは仲良くなければやっていけない関係になった。なにより先日の愛知万博で、ライン川の写真を挟んでドイツ館とフランス館が並んでいたのには驚いた。まさにライン川を挟んだ写真を並べて両館が並ぶ様は、まさに統合欧州の象徴のような気がする。まぁオランダ国境といい、フランス国境といい、ドイツが戦争でこれらの国と対峙していたなどとは今ではとても考えられない。いい時代になったものだ。

などいろいろ考えているうち、列車はバーゼルからの路線に入り、複々線区間を快走している。バーデンバーデンのあたりは複々線に改良されていて、ICEなどの高速列車がすっ飛ばしていく区間である。このEC65はバーデンバーデンに停まるので、本線から分岐する。駅は日本の新幹線と同様、中央に通過線を持ち、左右にホームのある待避線があり、さらに東側に低速列車の利用するホームを持っている。一度降りて風呂に行ってみたいとは思うものの、思うだけでいく時間がとれない。とれないと言うより、それほどこのあたりは乗ってみたいところにも、乗ってみたい車両にも、あふれている。

 

 

89. 5月4日 昼続き  路面電車も鉄道線の顔

カールスルーエ中央駅に着いた。ここも大きなドーム屋根がホームにかかる大きな駅。最近は旧東地域からのICやICEがここ止まりで設定されているものも多く、わだらん的には知名度がずいぶん上がったところだ。もちろん、マンハイム=バーゼル間にあるので、いままで数え切れないほど通ってはいるのだが、降りてみるのは初めてだ。

パリからのEC65列車を降りて気が付いたのだが、ホームを隔てた反対側ではパリ行きEC66列車が停まっている。ちょうど姉妹列車なのだな、でもかつての日本のダイヤ引きの感覚では12時に姉妹列車がすれ違うというのはちょっと早いか。(日本の常識では1時から2時の間とされている。ちなみに今はちょうど12時である。)

ミュンヘンとパリを結ぶ、なんて何かかっこいいな。でも将来TGVの東線ができれば、TGVに置き換えられてしまうのだろうか。いや、その頃にはSNCFがICEの乗り入れを認めるか。そのIC客車に挟まれた内側、まるでJR京都線の外側線に対する内側線にあたるところにはトラム車両が停車中。大きな鉄道車両に混じった路面電車はなんともかわいい。というか、やはり鉄道線にこんなかわいい車が入ってくるのは不思議な光景である。もともと、路面電車が郊外の鉄道線に乗り入れることで始まった、世に言うカールスルーエ方式が、いつのまにか路面電車が鉄道駅に入ってくるようになってしまっては、もう本末転倒というか、なんでもこい、か。でもそういった柔軟な発想が鉄道を生かしていくのだろう。かつて同じように鉄道線に乗り入れた路面電車が日本にもあったが、地域のなかで孤立無援のままなくなってしまったことを思うと、いかに地域の協力と理解が必要か、あらためて思う。

 

カールスルーエ中央駅は高架駅、ホームから駅舎へは階段を下り、地下道を通る。地下道には両側に店が並び、なかなかにぎやか。ただ、天井が低く、少し全体に暗い感じを受けるのは致し方ないか。そんな通路を抜けると大きな駅舎ドームに出る。そんなに大きいドームではないし、いろいろと各種店舗だのDBの案内所だのがあって、ちょっとせせこましい。とはいえ、天井から入る明かりはとてもやわらかく、楽しい雰囲気である。さて、せっかくカールスルーエに来たからには、路面電車に乗らねば。街の散歩兼電車の見物。天気も良く、またいい時間が過ごせそうだ。

☆写真を撮りました。

http://www.geocities.jp/yasummoya/europe06/Karlsruhe/Karlsruhe_db.htm

 

90. 5月4日 午後  路面電車で展望電車

さて、カールスルーエ中央駅前でこれからどう動こうか思案する。駅前広場に出ると、都市交通の大きな地図があり、これからどう動こうか、いろいろ考える。せっかくなので、鉄道線を走るトラムに乗られば、と思う。

あれこれ悩んで、市営交通案内所で地図をもらい、結局S5という電車に乗ることにした。再び案内所で時刻表をもらい確かめると、ちょうど終点のPforzheim(プフォルツハイムよ読むのだろうか)中央駅でREが利用でき、そのままシュツッツガルトへ抜けられる。このRE列車は目の前のカールスルーエ中央駅からこのあと約1時間後に出る列車なのだが、市内から路面電車で先回りしようという、いい案である。

切符を案内所で買って、電車に乗り込む。まずは広場まで電車に乗り、そこで改めてS5電車を捕まえるのだ。S5系統は残念ながら駅前を通らない。まずは駅前から電車にのって、市場広場(Markrtplatz)電停まで向かう。電停のまわりには人が大勢、うろうろ、ぞろぞろ。電停前には露店が並び、商店街も各種の店が華やかで、活気がある。日本の商店街で、これだけ活気があるのはどの程度あるだろうか?そう考えると、大街道や天文街という商店街が元気だからこそ松山や鹿児島の路面電車が生きているのかもしれない。かつて歌にもなったどこぞかの商店街はすっかり沈んでしまって人通りもなく、あれでは路面電車は生き残れまい。

 

目的のS5電車はすぐにやってきた。3車体の連接車の二編成連結。連接車の連結は珍しくないので、こんなことで驚いてはいけないが、驚いたのは展望電車のあることだ。こんな電車がいるなんて、聞いたことがなかった。やはり聞くと見るでは大違いである。3車体4台車連接車体で、それ自体はごくありふれたものなのだが、中間車体がドアなしの全面客室になっていて、窓ガラスが天井まで延びて、しかも少し屋根にかかってカーブしている。アムトラックのドームカーほどではないものの、窓が天窓のようになっていて、眺めは極めてよい。固定のボックスシートがまた長距離電車の雰囲気で、どう見ても路面電車ではない。もちろん路面電車なので、ストラスブールのように乗り降りしやすい扉はちゃんと前後にはあるのだが、もちろん乗り降りを考え、車体間の移動が容易なように貫通路は車体一杯に広がっているし、比較的通路も広い(従って座席は特別大きなものではない)ので、人の車内移動には不便を感じない。でも、クロスシートでちょっと高級な感じが十分伝わる。扉もなく、この編成の中間車はまったく趣が違う。本当に旅行気分になる。

電車は市内の中心ではほとんど歩道を走っているような感覚である。商店のすぐ軒横を通り、人は線路上を自由に歩いている。もちろん一般車はいない、電車と人のみの空間で、人は自由に歩き回り、電車は定時運転ができる。すごいなぁ、とあらためて思い直してしまう。

☆写真を撮りました

http://www.geocities.jp/yasummoya/europe06/Karlsruhe/Karlsruhe_tram1.htm

http://www.geocities.jp/yasummoya/europe06/Karlsruhe/Karlsruhe_tram2.htm

 

 

91. 5月4日午後続き ヘビーレールとライトレール

展望電車は市内の商店街を進んで行くが、やがて商店街が切れると、車道の中心を電車は走る。ただ、路面電車といっても線路は舗装もなく、普通のバラスト敷きの専用軌道である。結局定時運転のためには専用軌道が不可欠で、それゆえカールスルーエは路面電車が鉄道線に乗り入れられるのだ、と思う。定時運転ができなければ、鉄道線に入るには難しいだろうし、定時運転ができるからこそ乗客に信頼される乗り物なのだ、と思う。

やがて、S5電車は道路を進む軌道から横に曲がり、ちょうどかつての美濃町線が野一色手前で専用軌道になるようなイメージで、専用軌道になった。そしていよいよDB線路に張り付く。しばらくは複々線の形でお互いに進み、途中電車のみの小さな電停をいくつか走っていく。東海道線からみる京浜東北線、といったところだ。さらにしばらく進むと電車は単線になって複線の鉄道線に張り付き、ゾーリンゲンという駅からはついに電車の線路はなくなり、本当に鉄道線を走る。実際にカールスルーエ方式というのを体験してみると、広電宮島線の市内線直通やかつての揖斐線やがまさにその姿で、決して特別でもないように思える。第一、日本でも他に、例えば伊予鉄道横河原線が市内線に、あるいは指宿枕崎線の気動車が南鹿児島から市内電車に乗り入れするとかができると、いいなぁ、と考えてしまう。決してカールスルーエがすごいのでなく、日本にもまだまだそういった軌道線の活用余力はたくさんあると思うのだが。もっとも、日本では規格だの法律だのの境が大きく難しいのだろうが。

路面電車は鉄道線の線路を快調に飛ばしていく。途中の小さな駅で地道に乗客を降り乗りさせながら、郊外の緑たっぷりの中を進んでいく。途中にトンネルもあり、もうすっかり郊外電車気分である。天気も良く、まさに展望を楽しむ。小1時間の乗車ののち、電車はプフォルツハイム中央駅に着いた。楽しい楽しい、路面電車の旅であった。

☆写真を撮りました http://www.geocities.jp/yasummoya/europe06/Karlsruhe/Karlsruhe_tram3.htm

 

 

92. 5月4日 午後続き  オールロザ

プフォルツハイム中央駅に着き、とりあえず駅舎を見て回る。駅舎はコンクリート造りの近代的ながらごく普通の平べったい駅舎で、ごく普通のDB駅である。そう、ここは鉄道駅であって、決して路面電車の駅ではない。

そういえば展望電車の写真がない、とホームへ再び戻り、写真を撮ろうと思ったとたんに電車は引き上げてしまった。結局車両外観の写真は撮れず、である。

ちょっとがっかりして、ふたたびコンコースへ戻り、ぱたぱたを見ると、すぐにシュツッツガルトへのICが来ることになっている。もともと30分後のREに乗るつもりだったので、その分早く動くことになる。結果、シュツッツガルトでより時間がとれるわけなのだから、よしとしよう。が、さっきカールスルーエの駅でこの列車を時刻表で見落としたことになるわけだ。どうも思いこみで時刻表を見ていたのかな。

 

やってきたICを見て驚いた。101が牽く客車編成なのだが、7両(たぶん)がなんとすべて一等車、オールロザである。車掌が二等はどうこうと乗客に説明しているのだが、よく聞き取れない(というか、その前にドイツ語がわかっていない)。編成前方車両をハザ解放しているようだ。わだらんはもともと一等切符なので、この場合編成内のどこにいてもいいわけで、車両を移動して適当な座席を探してみる。オープン車で、かつ座席が前向き、コンセントのある、などと探しているとなかなか見あたらない。結局編成を一往復して、先頭車に座った。

このIC、結局この2日前、ザクセンからチューリンゲンへの田舎線を乗ったときのドレスデンから乗ったICの反対東行きである。何かの因縁だろうか。2日前ももちろんだが、今ではなかなか乗る機会の少ない、IC客車である。昔はよくこの車でライン川の横を乗ったなぁ、と思いだす。いわば、この車が欧州旅行のかつてのあこがれだったわけだが、どうも最近ICE3に乗り慣れてくると、ついついそちらが快適に思えてしまう。

そういえば今回はライン川横を日中通ることはなさそうだ。いままではライン川横をICで通ることがわだらん的欧州鉄道旅行のいわばステイタスだったが、ついにその時間を割くことをしなくなった、という現実。まぁICE3は快適だし、ケルン=フランクフルトの高速新線は楽しいし、やはり時代の流れか。もっともユーレイルパスにやさしいICEだからできる話で、敷居の高いタリスでは高速新線をちょい乗り、と軽い気持ちでは乗ることができない。

そういえば、ICEの高速新線ができると、ケルン=フランクフルト間のライン川沿いはローカルに転落するかと思いきや、しっかりICが残っている。しかもICEでありながら高速新線を通らずコブレンツ経由の列車まである。高速新線の恩恵にあずからないコブレンツなどの救済の意味もあろうし、特別料金で少し高い高速新線経由より、ちょっと時間はかかるが、いままでの運賃で乗れます、みたいな扱いでもあるのだろう。日本では残念ながら新幹線ができると、平行在来線の特急は全面廃止だし、優等列車どころか線路自体が地方の第三セクターに押しつけられたりする。もちろんドイツでも地域鉄道整備に多額の税金は使われているのだろうが、でもやはり日本は不親切なような。

 

などと考えているうちに、列車は高速新線に入り、しばし丘陵を越えて進んでいく。昨年もこの系統のICに乗って、ニュールンベルグまで行ったのだが、今回も同じ道筋でシュツッツガルトへ向かう。高速新線とはいえ、乗っているのはIC客車編成なので、200km/hを越えることはないはずだが、やはり線形のいいところを、がんがん飛ばすので気分はいい。少し小高い丘陵地の青空の下、列車は走っていく。

 

注)ケルン=フランクフルト間の高速新線は、ICE3型に限定されています。従って、ケルン=フランクフルト間を走るICE1型、ICE2型使用のICE列車(ハンブルグ=ケルン=フランクフルト空港=バーゼルといったような経路のもの)は旧線、ライン川に沿って走ります。ICE3の高速新線経由がおおよそ1時間、旧線経由のICE、IC列車でおおよそ2時間半かかります。

 

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93. 5月4日 午後続き2  サッカー日本代表を歓迎します

高速新線を快調に飛ばしたICのしばしの時間が過ぎ、やがて線路が輻輳し、あちこちから列車が併走してくるとシュツッツガルト中央駅である。ここの入線はわだらんが列車に乗っていると決まっていつも何か他の列車と併走するのだが、今日も横からREがやってきて、同時到着であった。

ここもドームを持つ大きな駅である。鉄ヲタ的にはどうしてもフランクフルトやミュンヘンに隠れて有名にはなりにくいが、大きな構内を持つ頭端駅タイプの中央駅である。Sバーンは中央駅手前で地下に潜り、市内を貫通しているので、地上ホームはRE以上の優等列車が中心である。この駅は、コンコースとホームの間には建物の柱というか、壁が連なっているので、列車が頭を揃えて並んでいる姿を見ることはできにくい。ミュンヘンやフランクフルトは線路終端と駅舎建屋の間が広く、その空間の自由通路に多くの店舗が並んでいるのだが、ここは線路からわずかの間をおいて一旦壁があり、その向こうに店舗が並んでいる。なので、駅正面から列車に乗り込もうとすると、駅舎内コンコースを直進し、壁をくぐってホームに到達する感じである。その分列車を見ながらうろうろできるような開放感はないのが残念である。とはいえ、店の並ぶ構内は広く、にぎやかである。ビール屋を発見し、しかも隣にはソーセージ屋もあり、思わずブロックボルストとビールの軽食になった。気分もほっと落ち着き、体調も万全、張り切って街歩き。商店街を見て、土産物を買い、路面電車に乗ってみようと思っている。

☆写真を撮りました(追加しています)

http://www.geocities.jp/yasummoya/europe06/food/food.htm

 

まずは駅を抜ける。駅前には大きな道路があり、そこを地下道でくぐるのだが、その地下道に路面電車の駅がある。なるほど、ここの路面電車地下化はこんなイメージなのか、とまずはまるで自己紹介しているかのように、駅のすぐ正面地下に電停があるのだ。その電停を越えて、先へ進むと地上の大きな道路を横断したところ、地上への階段があり、上がりきったところから、まっすぐショッピングモールが延びる。

天気がよく暑い日になった。日差しもあり、半袖、というかTシャツ姿が多いので、すっかり初夏の装いである。商店街の東側には大きな広場の公園があって、広い芝生には日光浴のみなさんがごろごろ。のんびりとした午後のひととき。商店街の入り口には観光案内所があって、公共交通の地図を入手する。案内所の中には日本語の街の案内リーフレットもある。大会が始まったら日本からも多くのサポーターがやってくるのだろう。歩行者天国となっている駅から中心街へと延びる通りには、オープンカフェが並んで、のどかな午後のひととき。立派な教会も見えたりしたのだが、もちろんわだらんにはそれがどんないわれのあるものか、全く知識がない。少しは事前に予習でもしておけばずいぶん見方もかわるのだろうが、どうせ観光旅行などまともにしないに決まっている。

商店街にスポーツ屋があったので、ワールドカップの記念品を覗いてみる。笛、サッカーボールにボールペンだのいくつか種類はあるものの、シュツッツガルトのもの、というのがいまいちいいのがない。と、町の名前入りの小さなマグネット板を見つけた。ちょうど大きさ的にはマッチ箱程度の小さなもので、これを5枚ばかり購入。知人からワールドカップに絡む何かその土地の土産物を、と頼まれていたからである。が、買ってから気がついた。デジカメにパソコン、パソコンのメモリカード、そんな大事なものを持ち歩いているのに、マグネットなんか買って大丈夫?

☆写真を撮りました

http://www.geocities.jp/yasummoya/europe06/Stuttgart/stuttgart_db.htm

http://www.geocities.jp/yasummoya/europe06/Stuttgart/stuttgart_stadt.htm

 

 

94. 5月4日 午後続き3  電車の顔にもサッカーボール

商店街の散歩を一旦終えて、中央駅へ戻る。Sバーンに乗るため、地下ホームへ長い通路とエスカレータで移動する。ちょっと遠い。

地下ホームは1面2線。各系統の電車が次からつぎへとやってきて、なかなか忙しい。といっても最小間隔は3分程度なので、ひっきりなしというほどでもない。日本の場合、地下鉄はたいていが一路線でホーム一面で、次へ列車を見送る客というのはあまりいないが、ここの場合(多くのドイツの中央駅Sバーンホームに言えるのだが)複数の系統が同じホームに入ってくる。一つの系統は15分おきとか20分おきなので、その待ち時間、ホームに人が常時滞留している。同じ地下鉄駅でも、日本とは多少ホームの混雑の度合いが違う。つまり、一列車が発車すると一旦ホームが空く、ということはないのである。

さて、やってきたのは420型。ドイツ版湘南電車とでも言うか鼻筋の通った曲面ガラスの電車である。とはいえ、もうすっかり古豪で今は423型に主役の座を奪われつつあるが。

電車は出発し、地上に出るとシュツッツガルト中央駅構内のはずれである。駅西側に大きな空き地が見える。おそらくかつては大量に線路がひかれていたのであろうが、優等列車もローカル列車も固定編成化が進んで、入換を要する列車の仕立て作業などもうずいぶん減ってしまったのだろう。線路が減るのは寂しいが、日本でも欧州でも同じ現象なのだろうな。

 

で、この電車に2駅乗り、Feuerbachという駅まで電車を降りる。郊外の駅は昔の汽車駅の面影もどことなく残っていて、何となく高崎線を思い出してしまった。ここからトラムで市内へ戻る。シュツッツガルトの路面電車はもともと1000mm軌間の狭軌であったのだが、1435mmへの改軌と地下化が進み、路面電車とはずいぶんかけ離れてしまっている。地上区間もほとんどが専用軌道で、ちょうど京阪大津線のようなイメージである。駅前の電停も立派なもので、電停と言うよりやはり駅といった感じである。ホームが長く、見栄えがする。電車が編成長く、顔つきも路面電車と言うよりはなんとなく地下鉄の「かくかく」した顔つきである。

電車は青空の下、黄色の車体がまぶしく光る。車体前面にはサッカーボールが貼ってある。いかにも会場の街、と主張をしているようだ。ホームの自販機で切符を買う。昨日の罰金騒ぎがあってから、妙に緊張してしまう。別に今まで通り切符を買って市内電車に乗ってうろうろするだけのことなのだが。

市内方面への電車は2編成連結の長いものであった。先頭部分に立つと、運転台の隙間から前が見える。運転士は基本的に営業をせず、運転に専念。乗客は自分で切符を買い、自分でドアを開け乗り込み、自分でドアを開け、降りる。客任せの部分も多いが、それが故にスムーズな乗降を促しているようにも見える。もちろん、たまに検札があるのだから、誰も見ていないといって不正乗車はできない。電車は専用軌道を走っていく。路面電車といっても実際に路面区間を走る部分はほとんどなく、路面であっても専用軌道なので、結局車と並んで走るようなところはない。中心部に来ると線路は地下に潜る。いわば地下鉄であるが、駅は浅く、もちろん改札もないので、日本のようなぎょうぎょうしさは全くない。狭軌の電車と線路を併用する区間はもちろん三線軌道なのだが、ホームは分けられている。車両の高さが違うためで、高いホームと低いホームが同じ電停に並んでいる。

中心部の駅、シャーロット広場電停についた。市街地も結構高低差のある街で、この電停(というより立派な地下駅なのだが)自体が勾配になっている。地上から浅い位置で作ったので、こんな勾配のある電停になったのだろうが、そのあたりが本格的な地下鉄と違うところで、よく言えば手軽、悪く言えば安っぽい、か。でも日本ではこんな安上がりな方法は認可されないだろうな。

 

そこから再び地上にでて街歩きをしてみる。どこかでビールでも飲もうかと思ったが、店先は結構人が多く、大きなリュックを持ったまま店の中を歩き回るのも気が引けて、結局飲まず食わずで終わった。坂の上から遠い先のDB中央駅の駅舎が見えるのがちょっとうれしい。路面電車を降りたときには、市内の中心部を歩きながら、DB中央駅まで戻ろうと思っていた。が、さすがに気温も高く、背中も重く、少々ばててきた。なので、ちょっと中央駅とは反対方向に戻って、近くにあるSバーンの駅から一駅、電車に乗ることにした。街歩きも楽しいが、せっかくなので中心街の駅も見ておこう、と一人でいいわけをしている。

Sバーン駅は中央駅と同じ構造の1面2線の島式、おそらく地下線内の各駅とも同様の構造なのだろう。その地下線内に分岐はないので、これまた中央駅と同じに、3〜5分ごとくらいに各方面が同じ線路でやってくる。ホーム上に人は多く、ちょっとした売店もあって、サンドイッチやお菓子など、あるいは雑貨類を扱っている。やってくる電車もよく乗客が乗っている。どうせ一駅とはいいつつ、黄色の帯を巻いた部分があり、結局地下区間一駅を一等席に座る。他に乗客はおらず、なんとも異様な空間である。

☆写真を撮りました http://www.geocities.jp/yasummoya/europe06/Stuttgart/stuttgart_tram.htm

 

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95. 5月4日 夕方  マンハイムはホーム両側X接続

さて、オランダへ戻らねば。というか、今日の場合、ケルン19:18のICEに乗らねば宿へ戻れない、という条件があってその列車に乗れる範囲内で動いている。宿は旅行の初日に泊まったときに確保をお願いしてあるので心配はないが、ドイツオランダ国境の列車が夜早いので、乗り遅れると宿へ行けない、という厳しい状況になる。

Sバーンの地下駅から列車駅へ上がると、予定の一本前の16:37発のケルン行きICEがあるのが見えた。もうすぐ発車の時刻である。飛び乗ろうかとも思ったが、ひょっとして、と思い、駅掲示のポスター形式大判時刻表を見ると、やはりこのあとのICEよりわずかながらマンハイム到着が遅い。ドイツの鉄道はとにかく網の目のように線路がひかれていて、停車駅がちょっと違うだけで全く別の経路を取るようなことも多い。16:37のICEはハイデルベルク停車で、回り道の分余計に時間もかかる。よかった。

とちょっと安堵し、駅構内のスーパーでカツレツとビールを買う。買い物もできてよかったが、とにかく自分の思い込みで列車に飛び乗るのはやめよう、とやたら神経過敏になっている。やってきたICE1090列車はICE2の重連。駅の表示にフランクフルト=ベルリン無停車(この程度のドイツ語なら理解できる。ただし、聞いたり話したり、は全くできない)とある。乗ってから、座席配布の時刻表をみると、ミュンヘン発でフランクフルトまでは普通のICE、フランクフルトからベルリンまではICEスプリンターになっている。568km無停車というのもたいがいすごい、と思う。

そんな訳かどうか、一等車もよく混んでいる。何とか前向きで、しかもコンセント付き座席が確保できてよかったが、ちょっと車内はざわつき気味。それでも発車後しばしたち、高速新線に入るころには、みんな座席に落ち着いた。さっき走ってきた道を再び戻り、駅も田畑もあっさり通過、こんどはICE2なので最高280km/h、でも200kmと280kmの差はよくわからない。せっかくなのでカフェに行きたいのだが、何せ乗車時間が短い。買って持ち込んだビールとカツレツを自席で食べ、車窓の流れを楽しみながらマンハイムに着いた。

 

マンハイムでは、結構人の出入りがある。わだらんも含めて乗り換え客需要が多いのだろう。ここの接続は双方向の相互接続の見本である。両側に接続列車が並ぶのはドイツでもオランダでも当たり前のようになっているが、最近は福知山で同じような接続を組むようになったりして、いいことだと思う。今の場合は、バーゼルからフランクフルト、ベルリン方面とミュンヘンからフランクフルト空港、ケルン、アムステルダム方向が互いの列車に対面ホームで乗り換えとなるわけである。

わだらんも向かいのICEに乗り換え。停まっているのはドルトムント行きICE504列車とICE104列車の併結。アムステルダムへは104列車に乗ることになるのだが、これが前より編成で、しかも一等車は先頭である。シュツッツガルトで後ろに飛び乗っているので、ICE3の二編成分、400mを走らねばならぬ結果になってしまった。日本の新幹線16両分を走るのと同じ距離である。対面ホームでもこれはひどい仕打ちだ、と一人で苦笑い。が、停車時間には余裕があり、ついでに先頭まで行って写真を撮る。乗った編成はICE3のNS車。虫が大量に当たって石けんで洗顔中。なんともかわいいというか、みっともないというか。天気もいいし、楽しい高速新線になりそうだ。

 

 

96. 5月4日 夕方  高速新線の前面展望

ICE104列車、アムステルダム行きの一等車に入ってみたものの、よく乗っている。前向き、左側のまともな空席がなく、ちょっとうろうろ。一等席の最後部まで行って、また逆戻り。どうやら、先頭展望室の先頭席が空いていそうだ、と見つけた。ところが、その空席に行ってみると、マンハイム=デュッセルドルフ間の予約が入っている。どうしたものかとドア付近で立っていたが、マンハイムを発車しても結局予約客が現れず、そこへ座ることになった。

日本でいう1A席で、かろうじて前面展望のできる席だ。展望席のある一画は喫煙可能で、部屋全体がかなり煙たいものの、ほかにまともな空席もなく、それなら、と前面展望を楽しむ。たばこくさいのを我慢してでも、まともな席で景色を楽しむ方がいい、と思う。どちらかというとたばこ臭い(この先頭の区画のみ喫煙可能なのだ)のと、決して前がよく見えるわけではないし、最後尾の場合は後ろ向き座席なので、どちらかというと今まで敬遠しているのだが、今日は前向きだし、ほかにまともな空席もないので、よしとしよう。

 

このフランクフルト=ケルンの高速新線は既に何度か乗って、楽しいことは十分承知である。フルダ=カッセルのような山の中でなく、ハノーバー=ベルリンのような何もない田園風景でもなく、とにかく坂を駆け上がって見晴らしがいい、というのがなんともうれしい。もちろん普通に車窓を見ても楽しいので、前面展望はまた違った楽しみ方ができそうだ。前を見ながらというのは初めての経験である。

16両編成の先頭に立って列車は進む。発車して広い駅構内を抜け、速度を上げる。マンハイムからフランクフルト空港駅まではいわゆる在来線。ただ、周囲を見渡すと、それほど多くの人の住んでいるようなところでもなく、緑の田園の中をびゅんびゅん走っていく。途中待避していると思われる423電車が停まっていている。ドイツの小駅で旅客列車が待避している場面というのはあまり気にしたことがない。気づかなかっただけなのか、近郊区間での整備が進んで待避の場面が出てきたのか、どうなのだろう?

ICE3の運転台は戦闘機のコックピットのような、不思議な空間である。前面も大きなガラス窓というほどでなく、周囲の見通しが決していいわけでもない。天窓が上を広く見せる工夫にはなっているが、天井も高いわけではない。運転士は結構ブラインドを下げて走っていることが多く、展望が広く効くというのも難しい。とはいえ、最高330km/hで走る高速列車の前面展望ができるというのはありがたいことだと思わねば。運転台のコンソールに貼られたVmax330km/hのシールが誇らしげに見える。

やがて列車は分岐からフランクフルト空港駅へ入っていく。このあたり三角線だらけだが、最近少しずつ走っているところが読めるようになった。もし某鉄道雑誌が「短絡線ミステリー」などとドイツ編をやったら、きっと1年はかかるだろうな。ともあれ、トンネルを抜けて列車は空港駅へ入る。

フランクフルト空港駅で隣人、いわゆる1B席が降りた。1B席の方が前面展望はよいので、この先ケルンまで前を見て楽しむこととする。

この区間の高速新線はICE3しか走らず、他形式とのすれ違いがないので、車両を見る楽しみには欠ける。が、坂を駆け上がりながら列車は大きく右回り、トンネルに入ったり、再び坂を下りたり今度は登ったりと、アップダウンが激しい。まるで、ちょっとしたジェットコースターのような気分である。走行の感じは新幹線と全く同じで、小刻みにレールの継ぎ目の音が小さく響き、ただ淡々と走っていく。速度計は300km(たぶん)を示し、電流計は上下しながらずっと力行である(電流計の数値は読めず)。

駅に近づくと信号機が立っている。高速列車に信号機というのは新幹線の感覚ではちょっと珍しいが、減速し停車する列車には普通の信号機がやはりわかりやすくていいのだろうか。この列車は途中停車はなく、駅中央の通過線をばんばん飛ばしていく。

注)欧州の座席指定は、座席に指定席区間を表示してあり、表示区間以外はいわゆる自由席の扱いです。従って、区間表示外なら座れます。

 

 

97. 5月4日 夕方続き  大聖堂はどっちに見える?

フランクフルトからケルン中央駅へは東西どちら方向からも入ることができるので、乗ってみないとどこを通るかよくわからない。遠目に大聖堂を見ながらライン川を渡れば先頭は東向きに、駅直前までライン川を渡らなければ先頭は西向きで入線することになる。ちろん、ケルン駅ホームの編成表には進行方向が明示してあるし、列車車内配布の時刻表には向きの逆転する駅が記号で示されているものの、トーマスクックの時刻表なり、ネットのDB時刻表ではまったくわからない。乗ってみてのお楽しみ、である。日本ではどこを通るかわからない、何という例はないよなぁ。ケルンのあたりをGoogleの衛星写真で見ると、まさに線路だらけである。

ICE104列車は、大聖堂をずっと左手に見て進み、ケルンドイツ駅をのそのそと通過して、ライン川を渡る。渡り終わると、ケルン中央駅。駅のライン川寄り、つまりホーム東側には大きなガラス屋根が新たにかかって、とてもきれいである。ここで列車の向きは逆転し、乗っている21号車、一等車はここから最後尾になる。今まで編成後部にいたICE504ドルトムント行き編成が先頭になって分割、先発後の発車なので14分の大停車である。とはいえ、混雑した車内は出入りが激しく、席を立つのはちょっと怖いので、静かに発車を待つ。

大量降車、大量乗車で混雑したなか、列車は発車する。再びのそのそライン川を渡り、ケルンドイツ駅を今度は左カーブで進行していき、右へ左へと転線を繰り返しながら進んでいく。たくさんあった線路も、やがて複々線に収束して列車も速度を上げる。電車線(という言い方が正しいかどうか、でも雰囲気はわかっていただけると思う)を走るEL+客車3両のプッシュプル列車を追い抜いたり、すれ違ったりしながら、快調に走る。工場地帯の一画に、某薬品メーカーの電照式ロゴマークがワイヤで吊されて浮いている。最初に欧州に来て、最初のアムステルダムへの夜行あけでやたら目について以来、ずっとここを通るたびあるかな?と眺めている。最初の欧州旅行以来だから、もうかれこれ20年も前の話になる。

車内はやっと落ち着いた。ただ、通路に人がいなくなったというだけで、一等車もほぼ満席状態。朝夕のオランダ=ドイツのICEはいつもよく混んでいる。もう少し本数があってもいいのにな、といつも思う。満席、とは言いながら、ケルンで幸いにも、わだらんは前向きテーブル付き席を運良く確保し、のんびりゆったり。オーバーハウゼンを出たらビュッフェに行こう、などと考えながらまったりである。列車はデュッセルドルフを過ぎ、いよいよ日が落ちてきた。

☆写真を撮りました(追加しています)

http://www.geocities.jp/yasummoya/europe06/dining_06/diningcar.htm

 

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98. 5月4日 夜  オランダへ帰ってきた

エミリッチで突然スピードが落ちた。えらいゆっくりだな、と思ったらついに停まってしまった。電源の切替がうまく行かない、と放送している。国境の駅、エミリッチに停まるのは久しぶりだ。昔はここで機関車の交換(注)をしていたので、必ず停まっていた。DBのクリームに赤色の機関車が切り離されて、NSの黄色のELがやってくると、「ああオランダだ」と思ったものだ。が、ICEに置き換わってあっさりと車上変換になってしまい、国境越えのイメージはずいぶん薄れてしまった。というか、最近は国境すら存在が薄くなってきているのだが。ちなみにいま乗っているのはNSマークの付いたICE3、でもレチさんもビストロで飲んでいるコーヒーのマグカップもDBロゴである。

アーネムに入る手前まで、やたらと歩みがのろい。電源の切替がうまくいかないのなら直流区間には入らないはずだし、何か別の理由でもあるのだろうか、と内心心配である。ここまで来れば別にオランダへ戻るのに何も大事にはならないはずだが、とは思うが。まぁ、おかげでロッテルダムへ向かう貨物新線の分岐とそのトンネル部分がよくわかったのだが。

やがて、川を渡る。やたら隣の道路が渋滞しているし、この列車も徐行しているのでどうしたものかと思っていると、なんとダンプカーが脱輪して止まっているのである。橋の上で脱輪して車体が半分落ちている。線路すぐ横の橋なので、傾いた車体が線路を支障しているかもしれないのだろうか、この前後で単線運転になっていたのである。複線を片方の線路のみの単線で使うのはオランダの設備からすれば何ら問題(もともと両方向が単線で走行できるよう信号設備がある場合がほとんどのようだ)はないが、比較的列車密度の高いところなので、多少の渋滞にはなるのだろう、橋を渡った先の渡り線で、対向列車が停まっていた。

 

ともあれ、何か久しぶりにオランダへ帰ってきて、ちょっと安心である。何せ突然代行バスに乗ったり、罰金を払ったり、と少々ばててしまっている。旅行なのだからいろいろあって当たり前ではあるが。でもオランダにいても旅行中であることには変わらない。この妙な安心感はどこから来るのだろう?と思いつつ、ビストロでコーヒーをすすっている。

アーネムを出たのちはICE104列車の走りは順調。ユトレヒトを過ぎ、競技場を横目に見ながらダイブンドレヒトに入っていく。まわりはもうすっかり暗くなって、競技場の屋根が明るく光って目立っている。レチさんはドイツ語、英語、オランダ語で案内。今回、特にICE列車内での英語の案内が多いと思っているのだが、やはりワールドカップ効果なのだろうか?「ICEにご乗車ありがとうございました」とはかつての無骨なドイツ国鉄のイメージとはずいぶん違う、と思う。

今日は特にアムステルダムに行く必要もなく、ここでICE104を降りて乗り換えをする。背の高い母娘さんとデッキでいっしょになり、ちょっと雑談。「ドレヒト」がなかなか上手に発音できないなぁ、みたいな話をする(もちろん英語だが)。と、そりゃそうだわな(みたいに)、とおかあさんが笑っている。どうもオランダの地名は癖が強く、なかなか上手に発音できない。困ったものだ。

 

(注) オランダNSは直流1500v、ドイツDBは交流20000vで電化されています。そのため、かつてはエミリッチで必ず機関車の交換をしていました。

 

 

99. 5月4日 夜続き  スーパーでお買い物

ダイブンドレヒトから宿のあるフォーアウトへは、スキポール、ライデン経由が最短経路。スキポールで一度電車を降り、スーパーへ夜食を買いに行く。スキポール空港の一階にはスキポールプラザと呼ばれるショッピングモールがあって、衣類、電器屋、土産物屋、飛行機ヲタ御用達の模型屋、各種の店が揃っている。早朝から深夜まで営業しているし、駅の真上で交通至便、クレジットカードも利用できるので、わだらんがいつも世話になるところである。

ここにあるスーパーはなぜか日本食が豊富。日本人駐在員のためだろうと容易に想像は付くが、しょうゆやウスターソースはもとより、ふりかけだのどんぶりの具だの、レトルトカレーもカレーペーストも、せんべいやつまみの缶詰に至るまで、こんなものまで売っているわ、みたいなちょっとした驚きと笑いがある。もちろん生ものコーナーにはちゃんとすしもあるし、肉魚に野菜をここで現地調達すれば、ほぼ日本と同じものが毎日食べられるのではないか、と思う。わだらんは別に日本食にこだわる必要はないし、わざわざ日本食を食べたいと思うわけでもないが、それでも長期に渡り滞在したり生活している方々にはきっと重宝しているのだろう、と思う。

ドイツからの帰り道、久しぶりにラーメンが食べたい、と思っていた。なぜか、某社のカップヌードルが食べたくなったのだ。せっかくスキポールを通るので、今日の夜食にしようと思った次第。ところが、残念ながら、これだけ日本食(食材)が豊富ながら、カップ麺はなぜか中華系企業のものだけだった。袋麺は日本物が各種あるのだが、ホテルには鍋がないのでちょっと無理。ラーメン食べたいなぁ、と後ろ髪をひかれつつあきらめ。代わりにサラダを買って再び電車に乗る。

ライデンで普通電車に乗り換え。いつもの電車で珍しくも変わったこともなく、もう夜も遅くなって車内は閑散としている。このフォーアウトへの普通電車、いつもライデンをスキポール経由のIC(ほとんどの場合IRM車)と同時発車する。インバータのIRMの方がが加速がよさそうなのだが、わが普通電車も吊り掛けをうんうんうならせ、互角の戦いをする。線路がしばらく並走し、お互い意地の張り合いである。やがてスキポールへの線路は高架でまたいで右へと逃げていくが、まわりが暗くなるとお互いのパンタから飛び出すアークの火花がずっと見えていて、なかなか美しい。とはいえ、アークは架線にもパンタすり板にもあまりいいものではないのだが。

 

そして電車はフォーアウトに着く。夜も遅くなると、下車もまばら。ばらばらと客が降りて、すぐに電車は発車していく。すっかり遅くなった。宿の明かりがちょっとうれしい。中へはいると、バーは地元の人で今夜も盛況。カウンター内のおにいさんが、やぁやぁ、と迎えてくれる。鍵を受け取り、ビールを2杯楽しみ、そして向かいのスナック屋で夜食のフリカンデルを買って部屋に戻る。ベッドでなければ眠れないようなデリケートな体であるわけはないが、やはり盗難のおそれが少なく、他人が入ってくる心配のないホテルの部屋はちょっと落ち着く。

 

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100. 5月5日 朝  揖斐線の思い出

寝坊をした。といってもそんな遅い時間ではないのだが、フォーアウト駅7:26の電車に乗ろうとして乗り遅れた。実はパソコンの充電がうまくいかず(というか、ちゃんとプラグが入っていなかったのだが)、朝少し充電をしていたのだ。デジカメパソコンと武装強化が続くのはいいが、手間も心配事もかかる。昔は何も持っていなかったし、それですんでいたのだが。

 

ライデンでユトレヒト行き電車に乗る。いつものドックノーズで、面白味には欠けるが、致し方あるまい。フランスやドイツのように多種多様な車両があればともかく、ここオランダでは何が来るかほぼ読めてしまう。いいことなのか悪いことなのか。運用ヲタとすればある程度スジが読めるようになってきたので、ライデンなりユトレヒトなりで一日粘って運用調査をしてみたいのだが、オランダには運用ヲタはいるのだろうか?車両に運用番号が表示されているわけでもないし。

とはいえ、ドックノーズは今日も元気である。単線区間ながら曲線も少なく、がんばって走る。が、このあたり、もともと湿地帯でそんなに丈夫な路盤ではないはず。ここには機関車は入れるのだろうか?この区間で二階建て客車を見た記憶はない。ここの車両がドックノーズに限定されているのは、軸重制限かなにかあるのだろうか。そういえば二階建て電車も運用区間制限はあるのだろうか?

 

さて、アルフェン アーン ライン駅に着く。小さな街の玄関駅で、小さな駅舎がとってもかわいい、小さな分岐駅である。単線区間の交換駅で、かつ分岐のホームを持つ、ちょっとした拠点駅。ここでフルダ行きに乗り換え。待っているのは小さいトラムで、普通の線路をライトレールが飛んでいくように走る。とはいっても80kmくらい?で、多少床面が低い分早く感じる。中間に小さな車体を挟んだ3車体、中央部は低床になっている。車内は黄色の握り棒の目立つ、ガラス窓の大きな、明るい車体。編成の前後が貫通で見通しがきき、かつ運転台後ろのかぶりつき展望もすこぶるいい、風景を楽しむにはもってこいの電車である。

しかし、なんでこんな田舎でわざわざライトレールにするのだろう?今でも朝夕には従来の電車が入るし、ホームを高低二つ持つのも無駄(かつての名鉄各務原線田神駅や広電宮島線各駅のような)だと思うが。トラムは低床なので、わざわざこのトラムを入れるためにホームを新設しているのだ。おまけにこの電車も二編成連結で走っている。乗客が少なくトラム化、というのならまあわかるのだが、二編成連結するくらいなら、2両編成のドックノーズでもよかろうに。

ひょっとしたら、こんな田舎線故、ハーグ近郊線のトラム化の実験台なのか?詳細は全くわからない。ただ、運行主体はHTMのようで、トラム車体に大きくHTMと書かれている。ハーグの市内交通公社のことなので、何か関係があるのかもしれない。ちなみにNSの時刻表にはNSと書かれている。NS以外の企業体が運営する他のローカル線の場合は運営会社名が出ているので、いちおうはNS直営なのだろう。

がとにかく、普通の軌道をトラムで走る。単線、片持ちの小さな架線柱。田園風景だったり、雑木林だったり。前を見ていると、ちょうど揖斐線を走っているところを思い出して、ちょっとしんみりとなった。

 

さてさて、トラムは快調に走って、川を渡る。田舎の単線ながら立派な可動橋があって、隣には複々線のこれまた大きい可動橋がある。このゴーダの可動橋は、ドードレヒトと同じ吊り上げ式の複々線、大きな支柱がよく目立つ。前から見たいみたいと思っていたのだが、今日は天気もいいし、一気に歩いてみようと思う。

☆写真を撮りました http://www.geocities.jp/yasummoya/europe05/alphen/alphen2.htm

 

 

101. 5月5日 朝続き  複々線を支える支柱

ゴーダの駅を降り、少しトラムの写真を撮ってから、駅前広場に出る。立て看板の地図を見ると、直接線路沿いの道はないようだが、住宅地の中を通って橋近くまでいけるようだ。まぁ、最悪川にぶつかるまで歩けばいいし、太陽も出ているので迷うことはあるまい。

駅を出てすぐ、南西には公園がある。オランダらしく、水路に橋のある公園である。今は公園の縁に沿って歩いているのだが、時間があればベンチにでも座ってのんびりと、水路にいる鳥たちでも見ていたい、のどかなところである。住宅街を抜け、工場や倉庫の並ぶ一角を歩いていくと線路に沿う形になり、可動橋が見えてくる。歩くには苦労する距離ではないのだが、思ったより遠く、見えてからなかなか近づかない。予定では駅から15分程度と読んでいたのだが、結局20分ちょっとかかってしまった。

可動橋のすぐ下には道路があって、道路、簡単な堤防、運河と並んでいる。鉄道橋は道路手前から桁をかけてあり、運河内に立つ橋脚から次の橋脚までの桁が上昇できる構造になっている。橋はドルトレヒトと同様に桁を大きな支柱で吊り上げる方式。桁の両端に背の高い柱が立ち、線路を支えている。複々線なので、複線ごと2つの桁をそれぞれ上下できる構造のようだ。まわりに背の高いものがまったくない田園風景の中でやはり目立つ存在である。

ところが、可動橋の真下にきては見たものの、どうも、うまく写真を取れるような足場がない。川と道路の境には堤防もどきのちょっとした雑草の生えたスペースがあるのだが、草深くてどこまで足を突っ込んでいいものかよくわからない。かといって日本のように護岸堤防があるわけでないので、水面近くには立てる場所がない。かつ横の道路は交通量が多く、歩道もなく、全体を撮るいい場所が見あたらない。そこで橋をくぐって、橋の南側に出てみると、川(運河だな)につきだした桟橋がある。ちょっと桟橋におじゃまして写真を数枚。でも、この桟橋はどう見ても個人所有のように見え、無断立ち入りだろう。

橋のたもとには桁が上がる時間を13:30と表示している。なので、その時間にくれば、上がっている橋を見ることができるのだ、と少し迷うが、でも今日のところは適度に切り上げて、乗りつぶしを進めよう。桟橋からも何枚か写真を撮っては見るが、どうも全体をうまく納めることができない。何せ持っているのがコンパクトデジカメ一つだからどうしようもない。一眼で200mmかそれ以上の望遠があると、かえって遠くから画面一杯入れられそうだ。電車の通過を数回見届ける。なにせ手持ちのコンデジでは、シャッターが思ったタイミングで切れない。なので、電車の位置が画面でどうも気に入らないのだが、ここはあきらめよう。

大きな複々線の可動橋に少し離れて、アルフェン アーン ラインへ行く単線の可動橋も見ておく。さっき、トラムで通ったところだ。この橋は架線が橋梁に一体になっているようで、桁ごと旋回するようだ。支柱なし、橋の回転機構がついているだけの単純なもの。しかも単線なので、迫力には欠ける。

が、桁が長く、水面からの高さもあるので、やはり見に来るだけの価値はある、というか、駅のそばに多い市内への水路にかかる橋とはやはり違う。まるで、単純な可動橋の見本です、と主張しているようだ。トラムの通過を待ってみたが、せっかく待ったのに写真に撮ろうとすると電車がいい位置で収まってくれない。やはりカメラの限界か。いや、わだらんの腕が子供だ、ということか。

☆写真を撮りました http://www.geocities.jp/yasummoya/europe06/Goudabr/goudabr.htm

 

 

102. 5月5日 朝続き 静かな住宅街

半時間ほど可動橋を眺めていたが、そろそろ戻らねば。運河沿いを少し歩き、住宅地の中へ入っていく。途中桜(だよな)の花の美しい庭を持った家を見つけ、花をながめながら歩いていく。が、どうも花につられて駅への道を見失ったようで、ふと心配になる。もちろん大きく迷うことはないはずで、少なくとも北に線路南に運河で、その間を東に進めば駅の方向なのだが、むやみに歩き回りたくはないなぁ、とちと歩きながら考える。

ちょうど水道工事をしている作業車に出会い、おじさんに駅への道を聞いてみる。結局心配は杞憂で、そのまま進んでいけば、駅への道に出る、とわかった。可動橋へ向かったときの一本南を歩いていたようだ。ともあれ、ちょっとした会話が英語で事足りるのはありがたい。

そんなわけで、結局さっきの公園に無事に出ることができ、そのまま駅へ戻る。駅前広場から駅舎の写真を撮ってみるが、横に長い駅舎は上手にカメラに収まらない。ちなみに、この駅舎、栗さんは酷評されているのだが、わだらんにはその酷評の意味も理由もわからない。やはりわだらんに建築のことを語らすのは無理だ、と自分でまた納得してしまう。

☆写真を撮りました http://www.geocities.jp/yasummoya/europe06/Goudabr/goudabr2.htm

自販機でフリカンデルを1本買ってホームに上がる。次の目的地はこの先のアブコーデ(多分そう読むのだろう、Abcoudeと綴る)なのだが、ちょうどワールデンまで先着の快速があるので、それに乗る。細い水路に切られた牧草地のところどころには風車も見えて、オランダの雰囲気ばっちり。そんな中を列車は快走していく。天気もよく、広い視界の中を走っていくのは気持ちいい。

 

ワールデンへ着いた。この駅、古い大きな駅舎に今風の跨線橋が付いた、なんともすごい発想の駅である。日本なら取り壊しの憂き目にあうような古い駅舎が今にそのまま使われている。おまけに、この駅は本線にはホームがなく、新幹線のように停車列車は側線に入りホームで客扱いをする。なんで、こんな駅(失礼な言い方だな!)にこの設備か、と不思議に思う。そしてここからゴーダまでは複々線。なんとも立派というか、まわりに似合わない光景である。ホームはガラス屋根のきれいなもので、とても垢抜けている。以前駅の派手な工事をしているのに出くわしたことがあって、またこんな田舎で、と驚いた記憶がある。結果通過線ができるし、跨線橋もできるし、とずいぶん近代的な装いだが、昔はどんなホームだったのだろうか、ちょっと気になる。

駅前に出てみる。この付近の地図があるが、いかにも縦横無尽に水路が張り巡らされています、と地図が主張している。低い土地なのだろうな。そういえば、オランダの昔の話で、堤防にできた穴を発見して一晩中自分の腕(指?)で穴をふさいでいた子供、という話を読んだ記憶があるが、どこがモデルだったのだろう?

☆写真を撮りました http://www.geocities.jp/yasummoya/europe06/Woerden/woerden2.htm

 

 

103. 5月5日 昼  アムステルダム近郊の田舎駅

駅から遠くに行くことはせず、今度はアムステルダム中央行き電車に乗る。アムステルダム=ロッテルダム間は一般的にはスキポール、ハーグ経由だが、1時間に1本、ゴーダ経由の普通電車がある。近郊型電車2800が運用に就いているが、最近は車内改装されたスプリンター2900が入ることも多い。とはいえ、地味な系統で、なんとなくけだるい雰囲気ではある。

この系統の面白いところは、ユトレヒトを通らずゴーダからアムステルダムまで直通する、短絡線と呼ぶには少し大がかりな線路を通るところである。線路の周囲は水郷地帯で、車窓には縦横につながる水路が続いていて、いかにもオランダが水の国である、と物語っている。ところが、そんな長閑な路線、いわば短絡線でも、ちゃんと複線で、しかもユトレヒトからの本線への合流は立体交差である。できるだけ本線上での開通待ちを減らしたいのが理由なのだろうが、なんとも贅沢というか、うらやましいというか(いや、確かに昔は平面交差だったのだが)。

ゴーダやボクセルの複々線も、どう見ても列車密度から複々線になったのではなく、同一方向に同時に列車が出ないとダイヤの構築ができない、そんな理由に思われる。施設を勘案してダイヤを引くのではなく、ダイヤを引いてそれに必要となる線路を敷く。日本とは常識が違う。

 

アブコーデと読むのだろうか、Abcoude駅に着いた。前々からちょっと気になっていた駅で、一度見てみたいと思っていた。というのも、日本の私鉄などによくある2面4線で、普通電車が待避に使っているところだ。NSの場合、普通電車は複数のホームを持つ主要駅間を、ICなど優等列車から逃げ切れる範囲内で設定されていることが多く、中間駅での待避というのは例が少ない。ここは2面4線というNSらしかならぬ配線で、待避が行われているのだ。しかも、跳ね橋(たぶん)が駅すぐのところにあるようだ。以前から乗車するたびに通過音が他の橋や水路を渡るところより複雑に聞こえるので、ひょっとしたら、と思っていた。しかも、いつの間にか隣に水路をくぐる複々線の新軌道ができている。となれば、これは間違いなく跳ね橋であろう、と想像は容易である。水路をくぐる新規道は、アムステルダム=ユトレヒト間の複々線使用開始と同時に切り替えになると思われ、つまり、その時点で特徴ある2面4線駅もお役ご免となるのであろう。

ホームに降りて、駅の観察。通過列車が多く、ホームを両面使うからであろう、この程度の駅には珍しく地下道がある。といっても、地下道もホーム先端の一カ所だけで、細いホームと小さな地下道も、まるで日本の私鉄にそっくりである。地下道自体、NSの田舎駅には珍しいことだが、高速でIC列車が上下計で時間12本も通過するのでは、さすがに危ないとされたのだろうか。ホームで待っていると、普通電車が待避線に入ってきて、ICの通過待ち。通過列車の写真を撮ってみるが、速度が速く、うまいタイミングで画面に収まらない。まぁ、無理に写真を撮ることはせず、のんびりと列車の通過をホームで眺めていた。

ちょっと列車の通過の間が空いたので、駅の表へ行ってみる。ホームの先端から地下道の階段を下り、どちらかといえばやや狭い通路を進む。階段を再び上がると小さな駅舎があり、駅前広場になっている。駅舎は既に無人で、単に切符の自動販売機と時刻表掲示板が並ぶだけ。駅前広場といっても車3台程度しか入らない小さなもので、いかにも田舎の駅、である。アムステルダムの近郊にはとても思えない、小さな駅であった。

☆写真を撮りました http://www.geocities.jp/yasummoya/europe06/Abcoude/abcoude1.htm

 

 

104. 5月5日 昼続き  アムステルダム近郊の田舎駅2

小さな駅前広場のすぐ先には踏切があり、水路を渡る鉄道橋が観察できる道が続いている。近くでよく見ると、残念ながら、跳ね橋ではなかった。とはいっても、橋梁自体は跳ね橋の構造そのもので、線路のみあげるもの。つまり、架線まであげて水面からの高さを確保するようなものでなく、線路を少し上げる程度ですむ高さのようだ。ボールスクリューのついた門型ジャッキで軌道面をあげて水面からのクリアランスを確保し、かつ架線はそのまま、というもののようだ。

が、こんな幹線であるが故、いちいち列車が止められてはかなわないのか、あるいは面倒くさいからか、跳ね橋としての運用はやめてしまったようで、橋の前後にはレールの継ぎ目はない。橋の固定化でロングレールに交換されたと思われる。それでも、やはりそれでは船の移動には不便なのだろうか、複々線化に際して線路を移設し、列車は水路を潜ることになるのだろう。

大きな水路ではないので喫水も浅く、長さもほんのわずかのトンネルである。線路も架線も工事が終わって間がないのか、真新しい枕木がきれいだ。ただ、線路周囲の柵の工事はまだのようで、線路際まで容易に行くことができる。線路際と行っても実際の線路はずっと低い位置なので線路に入るわけには行かないが。その新設の線路敷周囲には砂が大量にある。このあたりがもともと砂地だったのか、トンネル工事で掘り出されたのか、工事の砂のあまりなのかはわからない。ただ、大量に貝殻が含まれていたのが印象的。もし建築材としてセメントに混ぜるものだとしたら、塩分は悪さしないのだろうか?

 

水路の線路きわで、列車でも来ないかとのんびり構えていると、ちょうど船がやってきた。個人所有の自家用船のような感じで初老の夫婦が乗っている。このままだと頭が線路の桁にぶつかりそうだ、と思ってみていると、そのまま体をかがめて線路の下を潜っていった。なんとものどかな光景である。でも何かその体をかがめて進んでいく様がごくごく自然で、なにか不思議と豊かな生活に見える。

今回の旅行初日、水路が立体交差しているのを発見したのだが、何で水位が違うのだろう、と疑問に思っていた。が、のんびり水路を見ながら、突然ひらめいた。つまり、立体交差の上の水位は海面と同じ、下の水位は周囲の土地と同じ、つまり土地が海面下なのだろう、と。船が運河を通って海へ出る時には、一般的には海面なり運河なりと同じ水面高さでなければ都合が悪く、そのためわざわざ高い位置で水路を保っている、いわば高架水路なんだな、きっと。海面より低い土地があることはもちろん知っていたが、なるほど、とあらためて納得して自己満足。

あまりにのどかでぼーっとしていて、ホームに上がるタイミングを逸してしまい、ユトレヒト行きの普通電車が出て行ってしまった。次は30分後。まいったなぁ、と思いつつ、天気がいいのでのんびりとホームで過ごす。一段落としのおかげで、架線試験車らしきものも見たし、出発信号だの信号反応器だの、とのんびり観察させてもらった。おまけに、羊はメェーと鳴くのだな、と改めて知った、アムステルダムからごくわずかの駅でのひとときだった。

☆写真を撮りました http://www.geocities.jp/yasummoya/europe06/Abcoude/abcoude2.htm

 

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105. 5月5日 午後  電車がでない

複々線の工事区間を横目に見ながらユトレヒトへ向かう。昨年は工事中だったユトレヒト北側の電留線は形になっていて、主を待っているようだ。

ユトレヒトに着き、そういえば鉄道博物館への列車はどんなものだろうか、と気になった。ブダペストがあのとおり古典的な車だったので、ひょっとすると既に引退したドッグノーズ気動車とか旧型客車かいな、などと想像してみた。が、12:30の博物館行きを待てる時間がなく、断念。今日は支線2つを乗りつぶして、かつ国境越えの予定である。12:22発のICで北に向かわねば。余裕はない。

ユトレヒトの駅はいつも人で賑わっている。かつてはここに鉄道グッズを売っている売店があって、わだらんも昔Tシャツやネクタイを買ったのだが、今はなくなってしまった。残念。鉄道博物館に行けば何か見上げものはあるのだろうけれども。かつての鉄道売店にはKIOSKが入って繁盛している。コーヒーを買ったり、アイスクリームを買ったり。わだらんもそんなKIOSKを重宝しているので、一般人にほとんど関係ない鉄道グッズ売店より、普通の売店の方がよほど有益だと思う。

そんな人の多い階上通路を歩いてホームを移り、列車を待つ。まずはズボレまでのIC乗車である。12:13に定刻通りICMが入ってきた。コーヒーとアップルパイを買って持ち込み、発車を待つ。そのうち、ごつんとした軽い衝撃があり、連結したことがわかる。わだらんが乗っているのは先着のロッテルダムからの編成でレーワーデン行き。乗り換えなしでレーワーデンまで行ける。そこにハーグからフローニンヘン行き編成を連結し、向きを変えて進んで行く。オランダの場合、分割併合の際、相手側編成はホームで客扱いしているままで、一旦ドアを閉めたりはしない。そういえばDBもICEの分割併合で同じようにやっている。

ところが、である。どうも連結がうまくいかないようだ。何度か連結をやり直しているのが座っている状態でも振動でわかる。発車時刻を過ぎても、全く動く気配がない。そのうち、12:30の博物館列車が隣の9番線に入って来て、折り返して発車してしまった。普通のドックノーズ電車であった。しかも引退した54年型でなく、現役の64年型でちょっとがっかり。

ともかく、列車は発車しない。さっき、30分落としたので、ここで早く出発しないと、本当にぎりぎりになってしまう。と気は焦ってみるものの、列車が動かないことにはどうにもならない。ついには運転打ち切りになってしまった。アナウンスがあり、一斉に乗客が席を立つ。車掌が案内をしているのだが、オランダ語で何を言っているのかわからずきょとんとしていると、向かいに座っていた昔のおねえさんが、「もう動かないのよ、この車」と英語で教えてくれる。一斉に民族大移動である。こんなときは同じ列車の乗客の列に着いていくのが一番安心で、列は階段を上がり、隣ホームへ降り、結果的に着線変更になった30分後のICに乗ることになった。おかげで、アメルスフォールトで乗り換えが必要になるし、ズボレから先、乗り遅れの許されない状況になった。なかなか先は厳しそうだ。

☆写真を撮りました http://www.geocities.jp/yasummoya/europe06/Utrecht/utrecht.htm

 

106. 5月5日 午後続き  切符は乗車前にお買い求めください

故障で30分予定より遅れてズボレに着いた。ここから一駅の盲腸線、カッペンを往復。観光地なのだが、観光旅行に無縁のわだらんにとっては、わざわざ乗りに行かない限り、乗ることのない区間である。

ズボレで乗り換えるカッペン行きはホームの南端。ユトレヒトの故障騒ぎで2列車分の乗客で大混雑の中、階段を下り登り、ホームを走って、乗り換えに何とか間に合う。

列車は3400DCの2連。車内は若い連中で二等が立ち席大繁盛。一等席は空いていて、ゆっくり外を眺めることができる。車両中程を占拠している若い連中はこれから遊びに行くのか、軽装にリュック姿がほとんど。地図上では、カッペンは運河に面した港町である。

ズボレを発車した列車は非電化単線になって、淡々と進んでいく。駅を出てからしばらくは市街地が続き、さらにその先には開発中の新都市があって、なかなか周囲が開けない。それでも大きな水路を渡るとそこは全くの別世界で、ただただ先まで続く田園風景である。水路を渡るのにちょっとした築堤を通ったので、昔はひょっとすると可動橋があったのかもしれない。が、そうなら、なんでこんな単線のところに大きな橋を架けたのか疑問が残る。実際に橋を見たわけでもないので、勝手な判断はやめておく。

 

カッペンの駅は単線一本の本当の停留所。とはいえちゃんと駅舎はあり、かつてはいろいろと業務があったのだろう。信号も分機器操作も中央操作になってしまっては、駅も簡素になってしまう、それは日本とて同じだ。野洲駅の信号扱いもいつまでの命やら。ところが、そんな簡単な駅施設とは裏腹に、駅構内は大混雑。祝日のためだろうか、大量に観光客がホームにあふれている。若者の大群衆が降りるの乗るのと押し合いへし合い。こっちは3分折返しで、ここまで来た記録を作らねばならず、人を押しのけて走る結果に。駅舎の写真を撮ったものの、逆光で絵にならない。栗さんに怒られてしまいそうだ。

線路横には運河があり、駅前を通る道はそのまま可動橋へとつながっている。ちょっと大きなもので、支柱が4本建っている。おそらく桁ごと上下するタイプのものなのだろうが、橋の途中に制御小屋のようなものも見え、なかなか立派である。その可動橋を渡ると向かい側に旧市街が広がっている。すぐ先には湖も見え、船が旅情をそそる。とはいっても、このあたり干拓でずいぶん湖は遠くに逃げてしまい、湖が一面に広がるわけではなさそうだ。市内の大きな尖塔も見え、旧市街まで街歩きもしてみたいが、何せ時間がない。今回はひたすら乗りつぶしが目的なので、開き直って折り返す。開き直って折り返し、なとどいうと聞こえがいいが、実際には、もう命からがら戻ってきた、という言い方が正確である。

駅の切符自販機にはまだ大勢の人間が列をなしているが、車掌はお構いなしに笛を吹く。かといって乗ってから切符を買うのは禁じられているので、切符が買えるまで列車には乗れない。つまり、次の列車まで30分待て、切符を買えるまで帰れない、という、ちょっとかわいそうな話ではある。お帰りの切符は早めにお求めください、ということか。

☆写真を撮りました http://www.geocities.jp/yasummoya/europe06/Kampen/kampen.htm

 

 

107. 5月5日 午後続き  フリースランド

切符売り場にまだ長い列を残して列車は発車。まぁ、この列車を逃しても一般的には30分後に列車があるので、次に乗れればいいのだろう。NSの完成されたダイヤなら、ほとんどの最終目的地まで30分おきでずっと接続が組めるから、結局家に着くのが30分遅いだけ、となる。わだらんのようにこの後ドイツまで進むような旅程を組んでいる人間はおるまい。とにかく、ここですぐのレーワールデン行きに乗らないことにはドイツに抜けられないのだ。

さて、また大騒ぎである。カッペンからの混雑した列車はズボレ駅はずれの切り欠きホームに着く。4分の乗換時間の間で地下道をくぐり、レーワールデン行きを捕まえねばならない。幸いにも一等席は前部にあって、ドアには近く、他の乗客がごそごそし始めると同時に席を立ち、早くも臨戦態勢。せっかく広い構内を持ち、各種の列車が出入りするズボレの駅に来ているというのに、電車を眺めて楽しんでいられない。列車は少し遅れてズボレ着。ホームを走り抜け、地下道を人に衝突しながら走り、再び階段を上がる頃にはもう息も絶え絶え。人が少なければ、そんなに苦労しない距離と時間なのだが、とにかく人が多くて前へ進めないのは何とももどかしい。それでも走った甲斐あって、無事乗り換えに成功し、レーワールデン行きIC545列車の客となる。空いている一等席に身を沈め、ふたたびICMで一走り。

平坦な、地平線が遠くに広がる景色の中をひたすら走っていく。速度も速く、とても快適な、気分のいい区間。今日は天気も良く、なおさら、である。95kmを途中2駅停車で55分、なかなか早い。ちなみにズボレ=フローニンヘンは106kmを途中1駅停車で58分、とさらに少し早い。この区間、何度となく乗ったことのある区間だが、オランダを旅行している実感の湧く、好きなところである。

平坦な牧草地の先にはリゾート地ギートホールンがあるはず。ただ単なる水路に囲まれた静かな村、というだけだが、オランダの田舎生活を満喫できるそうだ。まぁ、わだらん的にはわざわざそこでなくても、どこでも田舎体験ならできそうに思うのだが、それでも多くの人を集めるのには何か理由があるのだろう。とはいえ、わだらんの今の旅行スタイルではとても田舎生活を満喫できる心の余裕はなさそうだ。田舎生活を満喫する前に、まずもっとゆっくり乗り換えのできる行程を組め、と怒られそうだ。

海上コンテナの基地が見えると電車はレーワールデンの構内に入ってくる。今日はこのあと、Stovenへの往復である。ここの往復をすると、レーワールデン、フローニンヘンから出ている支線の乗りつぶし完了である。

☆写真を撮りました(昨年のものに追加しています) http://www.geocities.jp/yasummoya/europe05/NS/station/Leeuwarden/leews.htm

 

 

108. 5月5日 午後続き  季節になれば大忙しだろうな

切り欠きホームに停まっているのは3100の4両編成。こんな田舎路線で4両編成とはまた大げさな、とは思ったが、もともと小型の車なので、まとまった需要などあれば、こんな長編成も登場するのだろう。朝夕や夏の行楽シーズンには結構混雑するのだろうと思う。でも、何でいまのこの時間で4両なのかはわからない。ともあれ、そんな長編成のおかげで列車は空いている。が、こんな田舎の列車でも一等席があるので、わだらんはボックスを陣取ってのんびり足を伸ばしている。

相も変わらず、広い牧草地の中を走っていく。線路の南側に湿地帯が広がる。琵琶湖流に言えば内湖になるのだろうか、アイセル湖は線路北側なので、直接湖面がつながっているわけではない。今の季節は水の恋しくなる季節、水辺は豊かな緑に覆われて、いかにも遊びに来てください、と言わんばかりの風景。でも、こういう水辺の姿は真冬は厳しく暗く閉ざされるのだろうな。何か想像だけで寒くなる。今日のようないい天気にのんびり水辺の景色を楽しめるのはやっぱり贅沢なのだろう。北側にはアイセル湖の堤防が繋がっているのが見える。が、残念ながら、堤防が高く、視界は遮られ、湖面は見えない。このあたり線路も結構低いのだろう、と思う。

 

Stavoren駅、終点である。列車はそのまま折り返しなので、リュックを座席に置いたまま、駅とその周囲の写真を撮りにふらふらする。行き止まりの終着駅なので、1線1面の駅もこじんまり、駅の周囲も静かなたたずまい。ちょっとホームのまわりをふらふら。湖にすぐのところで、個人所有のものだろうか、ボートやヨットがたくさん停泊している。今の時期は人影まばら、でもきっと夏のシーズンはたくさんの観光客が押し寄せるのだろう、と思う。

列車に戻ると、わだらんの姿を見た車掌が、遠くでベンチを指さす。何かと思ってみてみると、ホームのベンチにリュックが鎮座している。あれまぁ、と走り戻ってリュックを引き上げ、車内に戻る。すると、さっきまでわだらんが座っていた席に旅行者らしき夫婦が座っている。どうやら、この夫婦が忘れ物、と勘違いしたらしく、車掌がホームにわざわざ降ろしてくれたようだ。わだらんがリュックを持って車内に入ってくると、ちょっと驚いたような顔をしていた。まぁ、終点に到着した列車にものがおいたままなら、忘れ物と勘違いされても致し方あるまい。もし、リュックがどこかへ飛んでいったとしても、切符やデジカメは首から下げているし、財布はポケットの中だから、最悪この先も旅行を続けることはできるが、くだらないと言いながらもやはり貴重な手荷物である。ちょっとした勘違いながら無事で何より。気を使ってくれた車掌にも礼を言う。ちなみに車掌はわだらんと同じ、単純な折り返し乗務なので、ずっと同じである。

ところが、リュックでの場所取りが計画倒れに終わってしまい、わだらん好みの席がなくなってしまった。わだらんが帰路に楽しみにしていた座席には夫婦が座っている。何せ8席しかない、一等席。進行左側は夫婦が座っているし、右側は後ろ向きになるし、往路に見た景色である。結局、後ろ向き座席にリュックを置き、かつわだらんはすぐ後ろの二等席に座っている。実際のところ、一等席と二等席の間にはちゃんとした仕切があるわけでもなく、ただ、一等切符の乗客が座りやすいために座席を分けているようである。

列車は再びレーワールデンに向けて走り出した。単純な折り返し乗車だが、まぁそれはそれで楽しみ方があろう、などとのんびり構えていたのだが、途中のSneekという駅に鉄道模型の博物館があるのを突然発見。駅舎のなかに模型の展示場があるようで、ホーム窓越しに見ると、ショーケースに車両が収まっているのが見える。ホームから見る限りは博物館というより模型屋のようなのだが、奥にはなにか常設のレイアウトでもあるのだろうか。時間を作って次回見てみたい、と思う。

☆写真を撮りました http://www.geocities.jp/yasummoya/europe06/Stavoren/stavoren.htm

 

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109. 5月5日 夕方  またしくじった

車窓右側から線路が張り付き、大きく右に曲がるとレーワールデン、また戻ってきた。さて、ここからはフローニンヘンまで一走り。何度か乗ったことはあるし、特別な景色の変化もない、平坦な田園の広がる、ごく普通のオランダ北部の車窓である。

東側へ続くホーム、5bのりばには17:19のフローニンヘン行きが在線している。ローカル線の主役、DC3100の4両編成。車内はすでにさらっと座席が埋まっている。とりあえずおなかも空いているので、フリカンデルを自販機で買う。一瞬笛が聞こえて焦ったが、17:13のアムステルダム方面へのICMの笛だった。というか、駅構内で子供が笛を吹き鳴らして騒いでいる。紛らわしいこと仕方がない。笛はKIOSKで、2ユーロで売っている。オレンジ色のプラスチック製で、首に掛けるひももオレンジ、いかにもオランダ、である。車内に入る。幸いにも前向き左側の席が確保でき、腰を落ち着ける。

 

やがて、列車は出発し、東へと向かう。どこにでもある姿の地方の無人駅に丁寧に停まっていくが、それぞれ降車と乗車があり、総じての乗客数はあまり変わらず、淡々と列車は進んでいく。

が、ふと思う。あれ、フローニンヘンっていつ着くのだ?と、あわてて時刻表を見ると本来乗るべきは17:14にレーワールデンを出る快速列車で、これに乗らねばドイツへ抜けられないのだ。なにせドイツへ抜ける列車は一日5本しかなく、今乗っている列車でフローニンヘンまで行ってもその先列車がない。自分で計画を立てておいて、自分で外すとは情けない。気分がすごく鬱になってきた。何か今回、自分の思い込みでずいぶんどじをしている。まいったなぁ。もともとドイツへ抜け、ハンブルグからの夜行列車で今夜の宿とするつもりであった。しかし、このままではどこかに宿を取らねばならぬ。オランダの夜行列車は宿にするにはちょっと無理があるし、かといってもう18時も回っていて、これから町に出て、ホテルがすぐに見つかるか、ちょっと自信がない。

と落ち込んでいる間に列車は進み、フローニンヘンに着いた。もちろんここで素直にアムステルダムあたりに戻れば、あるいはこの市内でうろうろすれば、ホテルは見つかるかもしれない。しかし、ここまで来て、まで行かないのはやはりもったいない。ホテルに泊まるつもりで、タクシーでも探してそれでドイツDB駅まで行ってもらうか、やっぱり抜けられなければ、仕方ない戻って、ズボレあたりで宿を探してみよう。深夜になるし、ちょっと不安ではあるが自分のミスが原因なのでどうしようもない。

☆写真を撮りました http://www.geocities.jp/yasummoya/europe06/Groningen/groningen.htm

 

 

110. 5月5日 夕方続き  北の平原

フローニンヘンには過去何度かきている。大きな駅舎を持つ、とても魅力的な駅である。ここまでくるとオランダ中部の大都市とは雰囲気がまったく違う。とにかく地平線は遠く、空は高い。もちろん、オランダ中部の大都市圏であっても、十分自然たっぷりなのだが、やはり空が高いというのは、旅をしていて一番気分のいいことなのかもしれない。といいながら、なにせ自分のしくじりでこの先がどうつながるかすら自信がないのに、と思うと、気分はさえない。とはいえ、ここまできた以上、初心貫徹、まずはオランダの端まで行ってみよう。

18:21発の列車でNieuweschansへ向かう。オランダ=ドイツ国境をまたぐ鉄道線路はいくつかあるが、この区間は一番北の区間。本数も少なく、ここを国境越えする旅行者などいないだろう、と思う。実はこの路線も大昔に乗ったことのあるところなのだが、あまりぱっとしない風景にちょっと眠ってしまった区間である。以前から列車の極めて少ないところで、そのときもこの区間の列車に合わせるために、夜行明けをブレーメンで時間調整してわざわざ乗りに来た。今回もわざわざ列車を選ばなければ乗ることのできない、超すに越せない国境である。気分が落ち込んでいるとはいえ、この区間、次にいつ来られるかはわからない。雰囲気も車窓もそれなりに楽しんでおかねばならない、と思い直してみる。

 

Martenshoek駅。博物館のようなものが見えた。ちょっと気になり、帰国後調べてみると、やはりこの駅には鉄道博物館(Noord-Nederlands Trein and Tram Museam)があって、車両の展示や部品の陳列などをしているようだ。ただ、サイトがオランダ語だけで、具体的な展示内容などはわからない。さっきのSneek駅とあわせて、また一度このあたりをうろうろしてみようかと思う。

Zuidbroek駅。地図を見ると分岐する線路があるようで楽しみにしていると、やはり、そこから南へへろへろと貨物線が延びている。おそらく何かの工場の専用線なのだろうが、どんな貨車が入っているのだろうか。このへろへろと延びる線路というのは、なぜか不思議な好奇心を生む。幸いにも今はGoogleなるサイトのおかげで、このあたりの様子が手に取るようにわかる。やはり線路の先は工場のようだ。

 

終点、Nieuweschansが近づいてきた。このさき、どうなるものか、全く予測が付かないのだが、まぁなるようになるだろう、と開き直ってみる。駅に着いた。ホームの下の広場に、バスがいる。というか、駅進入直前に白ナンバーのバスが見えたので、ひょっとすると、と思っていると、列車が駅に到着するとバスは駅前にやってきた。白ナンバーといってももぐりの無許可営業バスのことではなく、ドイツの車という意味である。オランダはナンバーが黄色なので、区別は容易に着く。で、バスに駆け寄り、レーア駅?と聞くと、そうだ、という。いくらか?と聞くと何か切符を持っているか?という。とりあえずユーレイルパスを出すと、OKといってそのまま乗せてくれた。いや、ひょっとしてあればいいな、と思っていたドイツへのバスに乗れたのである。まさに救いの神である。一般の路線バスながら、最前部が確保できてすっかり上機嫌。さっきまでの不安はどこへやら、まぁ能天気である。

☆写真を撮りました http://www.geocities.jp/yasummoya/europe06/Leer/nieuweschans.htm

 

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111. 5月5日 夕方続き  思わぬドライブ

バスはすぐに発車になった。駅前の踏切を渡り、ほんの小さな集落を抜けると川を渡る。バスが渡るのも回転式の可動橋。このあたりも可動橋がたくさんあるようだ。水路も小さく、喫水も浅いので可動橋としての規模はみな小さいのだろうが、きっとあちこちの生活道路にあるのだろう。バスに乗ってみると、そんな景色も見ることができて、それもまた楽しい。もちろん列車で可動橋を渡るのも楽しいのだが、非電化単線の列車内からでは、可動橋かどうかわからない。

バスが進む途中で、標識がドイツ語になった。ああ、国境を通過したのだな、とわかる。が、なにせ山もなければ川もなく、まったく境がわからない。小さな村の住宅地をこまめにバスはまわって行く。といっても乗客はさして増えず、ただ淡々と進んでいく。さすがに国境から離れるにつれて黄色ナンバーの車は減り、ドイツになったことを実感する。でも途中にオランダ風車があったりして、やっぱり景色はあまり変わらない。確かにたかだか10km程度離れただけで気候が変わるとも思えないし、風俗や文化も結局お互いの影響を受けるのだろうな。そういえばベルギーやスイスの使用言語の境では文化とか違うのだろうか?今度ベルギーを散歩してみるか。そんな小さな村の中にもホテルの看板がある。不思議なもので、あれだけ今夜の宿をどうしようか悩んでいたのに、悩みが解けたとたんにホテルの看板が目に入る。まぁ、そんなものだ、と一人で苦笑する。

バスに時刻表が据え付けてあった。一枚の紙に印刷したものなのだが、これを読むと平日で日に5本、この区間の定期バスがあることになっている。なんでユーレイルパスが有効なのかよくわからないのだが、列車代行の意味もあるのだろうか?まぁ、このバスに救ってもらったのは確かなので、記念に時刻表を一枚もらっておいた。

いくつかの集落を通り抜け、しばらく田園地帯を走っているうち、バスは堤防を上り、大きな川を渡る。橋の途中に大きな信号小屋があって、橋の中央が可動橋になっている。道路に踏切もあって、いかにも可動橋です、とわかりやすい。今はそのまま通過できるので、あっという間にすぎてしまうが、幸いにも下を船が通っていて、ちょっとだが、雰囲気が堪能できる。ただ、この川の名前、あるいは運河の名前はわからずじまいだった。

 

レアー市内に入ってきた。やっぱりホテルの看板に眼がいく。もうどうでもいい話のはずだが、きっとこのあたりでも安く泊まれるのだろうな、などと余計な思案を巡らす。街はごくありふれたドイツの地方都市、といった感じで、煉瓦作りの家が建ち並ぶ。決して街路が広いわけでなく、こぢんまりとしたのどかな街の夕暮れ時、といった感じ。駅の表示があちこちに出ていて、駅が近いのはわかるのだが、実際架線柱が見えるとほっとする。

やがてバスはレアー駅に着いた。これで先がつながり、なにより安心である。バスの運転士に会釈。よほど日本人が珍しいのか、わだらんがよほどうれしがっていたのがおかしかったのか、運転士も楽しそうであった。駅前で写真を数枚。珍しく順光で、駅舎が夕日に輝くまともな写真になった。これなら栗さんも許してくれるだろうか。

☆写真を撮りました http://www.geocities.jp/yasummoya/europe06/Leer/leer.htm

 

 

112. 5月5日 夕方続き  車販がやってきた

駅前を少しふらふらしてから何となくホームに上がってみると、停まっているのはもともと乗る予定だったハノーバー行きREである。バスの時刻表を見た時点で19:35発のこの列車には間に合わない、とあきらめていたのだが、19:55になってもまだ停まっている。これ幸いとばかり列車に乗り込む。おかげでハンブルグまで戻れて、ゆっくり眠ることができるはずだ。

バスの中で、このままだとブレーメンで夜行を待つしかない、とあきらめていた。まぁ、ドイツ国内の夜行列車なので、極端に混んでいることはないだろうとは思うが、やはりハンブルグまで戻った方が何かと便利だろうと考えていた。ところが、予想に反して当初予定のREに乗れたので、ますます気分はよくなり、元気いっぱいである。

やがて25分遅れで列車は発車し、市街地を抜け、田園地帯の中を快調に走る。路線的には亜幹線の扱いくらいなのだろうと思うのだが、線路状態はかなりよく、二階建て客車5両で編成されたRE列車は単線ながらぐんぐん飛ばす。全くの平地で線路に何も制限がないのだろう。途中の信号所らしきところで対向のRE列車とすれ違い。こちらが遅れているので、待ち合わせなのか。対向列車を待たせて進んでいくのは何となく気分がいい。なにせ先ほどまでの不安はどこへやら、まるでわだらんのために列車が走っているような感じである。もちろん、元はといえば自分のミスなので、決して自慢できる話ではないのだが。

 

レアー駅で列車に乗った際に車販がいた。扉横にワゴンを留めて、大男が横に座っている。てっきりICか何かでここまで来て、折り返しのいわゆる回送だろうと思っていた。まあ田舎のどこにでもあるRE列車である。ところが、快調に二階建て客車が飛ばす中、車両後ろから大きな音が聞こえてくる。わだらんの乗っている車は二階が一等席の車で、幸か不幸か一等席はわだらん一人なのだ。何の音かと振り向くと、なんとさっきの大男がワゴンを階段引き上げてきたのだった。オランダのIRMは車販のためにエレベータを持っていたし、かつての近鉄特急はかごをもって歩いていた。しかし、階段をしかも手動で登ってくるワゴンは初めて見た。その根性はすばらしいと思うが、そこまでする価値はあるのかな?とはいえ、さすがにレーワールデンからしばらくの間、列車内であせったり、バスに感謝したり、REで落ち着いたり、とばたばたしてのどが渇いた。コーヒーを頼むと1.60ユーロであった。しばしコーヒーを飲んで、ほっとする。

☆写真を撮りました(コーヒー写真を追加しました) http://www.geocities.jp/yasummoya/europe06/food/food.htm

 

113. 5月5日 夕方続き2  運河をわたって

単線区間なので、駅の分岐で体を揺られたり、途中の信号所で対向列車を待たせたり、と忙しい車窓が続く中、列車は順調に進む。もちろん風景的には相変わらず田舎の光景で、ドイツだかオランダだかあまりはっきりとわからないような田園地帯である。そんな田舎線ではあるが、線路を見ながら進むのは忙しい。

オールデンブルグという駅にやってきた。失礼な言い方だが、こんな地方駅でも、ドーム屋根のある立派な駅である。駅のホーム全体がドーム屋根に囲われているわけでなく、2番線〜7番線の3つのホームの屋根がつながってドーム状になっている。そのドーム屋根に囲われるように、向かいの2番線には101ELに牽かれたIC客車も止まっている。ここまではICEも入っていて、北部のちょっとした地方都市なのだな。乗っているRE4435列車は1番線到着で、1番線と2番線の間には中線があるが、この間には屋根がない。通り抜け構造の駅で、ホームなし線があるので、全体を屋根で覆うのはもったいない、との判断なのだろうか。

停まった1番線には駅舎がつながっているのだが、列車が遅れて走っているので、正確な発車時刻がわからず、ホームに降りることができないのはちょっと残念である。こういったちょっと幹線から離れたところでは、ゆっくり駅を見たり街を歩いたりする時間が取りにくいのだが、時間があれば楽しさいっぱい、というか驚きいっぱいなのだろう。構内の西側、ちょうど駅への入り口には大きな扇形機関庫を持つ機関区跡地を見ることができた。線路は剥がされているが、扇形機関庫と転車台が残っている。過去にはSLでずいぶん賑わったのだろう、と思う。かつてブレーメンからレアー経由でフローニンヘンに通り抜けたことがあるので、この駅も昔一度通ったことがあるはずだが、すっかり記憶から消えている。もう20年近く前の話になるので、そのころなら、まだSLの現役時代の遺構がかなり残っていたのではないか、と思う。

日本でも例えば和田山や木曽福島のように今の更地の姿では、過去に機関車がごろごろしていた、などとは今の若者にはわかるまい。過去の線路の経緯や、その地域の歴史などわかっていれば、線路施設を見ていく旅もずいぶん楽しいのだとはもうが、何せそういった情報が入らない。本当にドイツの鉄道は奥が深いなぁ、と思うのだが、かといって、今からドイツ語を覚ようとして、ものになるのだろうか?

 

オールデンブルグ駅を出たところには可動橋もあった。ドイツで可動橋を渡るのは初めての体験である。ちょうどこの町が陸運と水運の接点のような発展をしたのだろう。水路が張り巡らされ、水運が便利で海へもすぐ出られて、きっと昔から物流基地として栄えたのだろう。こんなちょっとした街や駅は地方線にはまだまだ見つかるだろうし、北ドイツには運河がたくさんあるので、可動橋もきっと捜せばいろいろ出てくるのだろう。そんな乗りつぶしをするようになったら、とても1週間程度の休暇ではこなせそうにない。そういえば、キールの市内にも可動橋がある、と何かで読んだ。ということは鉄道の可動橋もあるのだろうか。キールもリューベックもいろいろと探してみればおもしろいだろうな。北ドイツにもこだわってみたいものだ、いつか。

☆写真を撮りました http://www.geocities.jp/yasummoya/europe06/Leer/oldenburg.htm

 

 

114. 5月5日 夕方続き  ブレーメンの夜はちょっと物寂しく

車窓にはいつのまにか夕日が地平線に落ちていく姿が映っている。長かった一日も終わり。きょうもいろいろなことがあったものだ、と空のコーヒーカップを見ながらしみじみ思う。平原の中を列車は進み、運河をわたってブレーメンに入ってきた。レアー駅発車の25分遅れは途中駅の停車時間を削っためだろうか、15分遅れに戻っていた。が、結局ハンブルグに行くICには間に合わず、結局ブレーメンの駅前でしばらく時間をつぶすことになった。まぁ、バスに乗った時点でハンブルグはあきらめたのだから、それでいい、ブレーメンの街歩きをしてみよう。

そんなわけで、久々のブレーメン下車である。以前来たときは港まで歩いて、港巡りの観光船に乗ってみた。ビール工場がずいぶん大きかった印象がある。が、さすがに今日は深夜にもなるし、不案内なところをうろうろするのもちょっと怖いので、あまり駅から離れるのはやめておこう。とはいえ、せっかくなので、街の中心部まで歩いて時間をつぶそうと思う。ブレーメンの音楽隊で有名な街で、至る所にオブジェがある。がまず目に付いたのが広い駅前広場と路面電車の駅、高架道路である。ずいぶん昔になるが以前来たときにはこんな高架道路がなかったので、道路を上げて、そのぶん駅前広場を拡張したのだろうか?

ブレーメン中央駅の駅舎は堂々としたドームを持つ、とても大きなもの。栗さんもスケッチしているので、やはり印象深かったのだろうと思う。が、さすがに暗くなってきて上手に写真に収まらない。せめて夜景で、浮かび上がる駅舎の写真にしてみたつもりなのだが、腕もカメラも初心者ではなかなか納得できる写真にはならない。

駅前広場にどんと構える路面電車の駅は4線を持つ立派なもので、もちろん屋根付き。もう遅い時間であるが、電車は比較的短い間隔でやってくる。比較的新しい低床型の連接車で、中には空港まで行くものも。ブレーメン空港は鉄道乗り入れであるが、路面電車がやってくるところとして一部には有名なところ。行ってみたい気もするが、どうせなら昼間に行きたいし、また今度。

市の中心部へは駅前から歩いて10分とかからない。途中に川があって、道路から一段低い川岸は公園になっている。さすがにもう暗くなってしまっていて、景色がよく見えないのが残念。なぜか川岸にはライトアップされたオランダ風車もある。なにか目的があるのか、あるいは飾りなのだろうか。まぁ、オランダ風車といったところでオランダに場所が限定されているわけでもないだろうが、風車がドイツにこんなにあるとはちょっと驚きであった。

そのまま駅を背に、市内を進む。大きな教会などがある旧市街には石畳の道が続く。すぐ隣の大きな通りは路面電車の線路が敷かれていて、電車が時折静かに通っていく。もう商店は閉まっている時間なので、電車通りを歩く人はまばらだが、裏通りというか、歩行者道路はレストランがオープン席を道路に出して繁盛している。わだらんもたまらずビールを一杯。リュックを降ろして一休みである。

☆写真を撮りました http://www.geocities.jp/yasummoya/europe06/Bremen/bremen.htm

 

 

115. 5月5日 深夜  こんなつなぎ方、できるんだ

再び駅へ戻ると、もうすぐ深夜だというのに、まだまだ人がいっぱい。今日は何か大きな会議があったようで、胸に名札を下げた初老の人たちが営業している屋台に輪を作って騒いでいる。活気があるのはいいことだ、と思う。さすがにわだらんも腹が減ってきた。今日はまだまともに晩飯は食べていないし、せっかくなので、と駅構内のカウンター形式のレストランでビールを飲みながらソーセージを食べる。少しは時間つぶしになるかと思ったが、ビールを思わずごくごく飲んでしまい、あっという間に終わってしまった。腹の中も中途半端に終わって、結局再び駅前広場に面したあやしい中華料理屋でやきそばを食べる。やきそばといっても日本のものでなく、オイスターソースで味付けしたものだが、まぁ悪いものではない。いちおうわだらんも東洋人の姿をしているので、中国人旅行者に見られたかな?それとも日本人とわかったのだろうか?おそらく中国人なら中国語で話すのだろうから、英語(それもかなりいい加減な)しかできないわだらんが中国人から見て中国人に見えることはないだろうけれども。ちなみにオランダ、ドイツでは中華料理屋は至る所にあって、安い手軽なものも数多い。日本料理が高級で高いので、たまに米など食べたくなったら中華料理のファーストフードに行けばそれなりに楽しめる。もっとも、そういう安価な店は純粋な中華でなく、タイだの韓国だの、いわゆるアジアンフードがごっちゃになっているところも多いが。

そんなことをしている間に、時間は過ぎ、宿へ向かう時間になった。今日の宿はフランクフルトへの夜行IC。昨年6月も一度利用しているもので、混雑することがほとんどないドイツ国内列車でもあるので、安心して寝られると思っている。ブレーメン中央駅は線路が高架になっていて、下の自由通路から階段を上がってホームに入る形である。自由通路は相変わらず人が結構行き来しているのだが、さすがに深夜近くになってホームは人影まばら、静かなたたずまいを見せている。さすがに一日の終わりともなって、少し疲れも出た。列車でゆっくり休もう。この先は、朝コブレンツで起きて、折り返しでライン川を眺めながらケルンに戻って、フェンロ経由でオランダへ戻る予定。もし最悪目が覚めなければフランクフルトからICEで戻るか、どちらにせよ明日はオランダの田舎駅を回るつもりにしている。

さて、目的の列車が入ってきた。昨年と違って、今年の列車はIC編成フランクフルト行きの後ろにパリ行き夜行を5両つなげている。IC客車の最後尾はプッシュプル用の運転台つき車で、その後ろに切妻の寝台車が連結されている。顔の長い編成同士が連結されているのはICE3なんぞでもう慣れっこであるが、斜め切り落としのICと切妻の顔の突き合わせは新鮮というか、不細工というか。せっかくなので写真を撮りたかったが、暗くてだめだった。車内は案の定空いていて、コンパートメントを独占。すぐに眠ってしまったらしく、次のオスナブリュックすら覚えていない。途中駅で人が入ってくることもなく、熟睡。

 

車窓はドイツ一の景勝地、ライン川沿いなのだが、まったく起きる気配もなく、結局目が覚めたのはライン川を渡る橋の上だった。マインツは既に過ぎていて、コブレンツ折返しなどというのはとっくに計画が破綻している。で、第二案のフランクフルトからアーネムに入る案になった。自業自得というか、根性がない、というか。ま、朝のフランクフルト駅の散歩、といこう。

 

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116. 5月6日 早朝  朝のフランクフルト

フランクフルト地下駅に行ってみた。よく考えるとここの地下駅はいままで入ったことがなく、ちょっとわくわくである。しかし、地下駅への階段付近も工事中、駅から市内方向への地下道も工事中、どこもかしこも工事中。ワールドカップ対策なのだろうか、きれいになった姿は見てみたいと思うが、よくもまあこれだけドイツ各地で工事がいっぺんにできるものだ、と思う。

地下駅は2面4線。市内を東西に貫通する形で、郊外からの電車が地下区間を抜け、また郊外へと散っていく。なので、早朝ではあるが、それなりに本数は多い。が、やってくる電車は420や423電車ばかりで、まだこれらの車両にも詳しくなく、かといって運転系統が理解できているわけでもないので、なんとなくつまらない。もともとわだらんは普通の電車が一番好きである(なので、毎日の趣味の対象は223/221系、新快速・快速電車であって、新幹線や特急列車には興味がないのである)。なので、都市近郊を走り回っている423や425電車ははまりだすと、それこそずっと追いかけているのだろう。が、それにはまだまだ情報が少ない。とはいえ、今やドイツ全土で見られるこれらの電車、そのうち興味が出てくるのだろうな、きっと。

 

ふらりと駅前にでてみる。フランクフルト中央駅の正面には路面電車の電停がある。屋根付きの立派な電停である。といっても、欧州では電停に屋根があるのは当たり前の話で、道路に枠のみ塗装で書いたどこぞの電車を基準に考えてはいけない。やってくる電車の写真を撮ってみる。昔の西ドイツの路面電車といえば、正面上部がへこんだ2枚窓のちょっと丸顔、と相場が決まっていたのだが、いまやその形の電車を見ることは難しい。どちらかというと「かくかく」顔で、ガラスが前面をぐるりと回っているか、あるいは最近の丸顔大きな前面窓たちがほとんど。ここフランクフルトも同様なのだが、原色系の派手な装いで、3車体連接の比較的小さな電車がめいっぱい自己主張しているよう。韓国の観光宣伝の広告電車もやってきて(偶然2本見たので、広告電車は少なくとも2本以上の複数いることになる)、韓国が観光客獲得になかなか立派な力の入れようである。Visit-Japanキャンペーンは大丈夫かな?

わずかの時間に次々と路面電車がやってくる。この電停の南側には十字交差もあって、電車を見るには飽きが来ない。ただ、まだ朝早い時間帯なので、まわりの背の高いビルが影響してか、少し暗い。駅舎の写真も撮っておく。石造りの大きな駅舎で、わだらんのコンデジでは駅舎の左右がなかなかじょうずに収まらない。写真すらまともにとれないのか、とまたまた栗さんに怒られそうだ。

駅舎正面から構内へ入っていくと、飲食店は既に朝食を取る客で繁盛している。土曜の朝なので少しは人通りが少ないのだろうか?もしそうなら、平日の朝はきっと大忙しなのだろうな。駅構内は十分広いのだが、きっと人であふれかえっているのだろう。

☆写真を撮りました http://www.geocities.jp/yasummoya/europe06/Frankfurt/frankfurt_tram.htm

 

 

117. 5月6日 朝  欧州でトレッキング、うらやましいなぁ

中央駅地上ホームに戻り、ホームに向かうとICE222列車の案内が出ている。が、ショックだったのは、一等車は編成後方、というか最後尾である。せっかく高速新線をがんがん飛ばす前面展望を楽しむつもりだったのに、だめでないか。まぁ、ホームの先まで歩かなくてもすんだ、とよく考えることにしよう。

列車が入ってきた。始発なので座席は選び放題。とりあえず前向き一人席を確保し、ホームをうろうろ。あれ、車体に編成番号が書いてある。いままでこんなものあったかな?と気になって写真を撮ってみる。ところが、同じICE3型でもNSに入らない403型や他のICE車(ICE1やICE2)には書いていないようだ。とすると、NSがDBに編成番号を書け、とでも要求したのだろうか?ICE3のなかでNSに入るものは406型と呼ばれる直流対応車で、ドイツ(スイスオーストリアを含む)のみのICE3とは装備が違う。とはいっても一般客には違いはわからないだろうし、興味もなかろう。少なくとも日本の欧州ガイドブック(旅行書)で403と406の区別を書いた本を見たことはない。

 

ICE222列車は静かに定刻に発車し、右に左に体をくねらしながら中央駅を出て行く。このフランクフルトに限らず、どこの大きな中央駅でも、駅構内には大きな車両基地があって、主に客車類や特急用編成がごろごろしている。が、最近は客車の固定編成化も進んでいて、少しずつ線路も減ってきた。ここもそのうちかなりの線路がはぎ取られるのだろう、と思うとちょっと寂しい。

空港駅に入ると先発のドルトムント行きがまだ向かいのホームにいる。少し遅れているようだが、大騒ぎな遅れではなく、しばらくして出て行った。このICE222はほぼ定刻の発車で、約3分程度の運転間隔になる。3分というと短く感じるが、時速240kmの世界では12km間隔になる。いやはや大きな話だ。このあたり高速新線の閉塞距離はどのくらいなのだろう?固定閉塞でなく、移動閉塞なのだろうか?なかなかそういうことを紹介してくれる本はないなぁ....

フランクフルト空港駅からケルン中央駅までのノンストップ区間は車内も空いているわだらんにとって車内探検の時間。後ろの展望席から高速新線が丘を登っていく様を眺め、食堂車に行って朝食にクロワッサンを食べ、コーヒーを飲んで、と忙しい。

通路を挟んで並びの二人席は若い中国系女の子の二人組。空港駅停車中には二人でしきりにしゃべっていたのだが、駅を出てすぐ、空港迂回線から戻る頃にはもう寝入っている。たいしたものだ。わだらんが食堂車から帰ると、彼女たちは起きていて、少し言葉を交わす。聞くと台湾から来たそうで、今欧州に着いたばかり、これから一ヶ月間、主にドイツとスイス、オーストリアをトレッキングなどして回るのだそうだ。一ヶ月とは何ともうらやましい話。もし私が一ヶ月ドイツにいられるのなら、きっと運用ヲタしているだろうな・・って、小さいね。「汽車」をTrainと読むかCarと読むか違う、みたいな話でちょっと雑談(ちなみに「」でくくった汽車という文字はこのとき説明に打った文字である)をしてしばし過ごす。

やがて高速新線を降りたICEは、大聖堂を遠くに見ながらライン川を渡り、南から市街地を回って東向きにケルン中央駅に到着。少し長めの停車である。台湾からの彼女たちは手を振りながら降りて行った。降りる直前に、わだらんは一人の女の子と並んでカメラに収まったのだが、わだらんは彼女たちの写真のなかでどんな形で残っているのだろう....

☆写真を撮りました

http://www.geocities.jp/yasummoya/europe05/FFM/ffmhbf.htm

http://www.geocities.jp/yasummoya/europe05/FFMF/ffmf.htm

 

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118. 5月6日 午前 駅舎は移転

 ケルンで少し乗車があったが、まだ車内は空いている。この朝一番のアムス行き、わだらんの経験上では比較的混むである。きょうは特別か、と思っていると、デュイスブルグで大量の乗車があり、ほぼ満席になった。そういえば昨年はマルメから夜行でベルリンに入り、デュイスブルグまでやってきて、ICE222に乗り換えている。こんな流れが多いのだろうか?予約なしで乗れるのがICEのいいところなのだが、混んだときは大変である。定員制でお高くとまっているタリスでは車内が混雑するようなことはないのだろうが、どうも敷居が高く、好きにならない。とはいえ、いつまでもタリス未体験ではよくないだろうから、次の機会にオランダ内で乗ってみようか。どうせ来年以降いつかは高速新線のお世話にはなるのだろうから。

 

さて、今日はオランダの田舎駅を続けて回ろうと思う。栗さんが、アーネム・フェルペルポール、ドイチェンヒムなどというまたなんとも田舎駅を画題にしているものだから、わだらんも田舎線でごろごろ。ただ幸いなことに、この2駅は極めて近いので、まとめて訪問が可能である。もちろん、まとめて一気に片づけるためもあって、朝アーネムに入れる予定を組んでいるのである。まずはアーネムで折り返し、アーネム・フェルペルポール駅へと向かう。アーネムの隣の駅で、今までドイツとの往復で、もう数数えきれず通ったところであるが、実際に降りてみるのは初めてである。

ツッペン行き普通電車に乗ると次の駅、すぐに到着である。市街地の中にある高架駅で、ホームは高い位置にあって、ホームから周囲を見回すことができる、小さな2面2線の駅である。がしかし、着いてはみたが驚いた。栗さんの描かれた駅舎と全くイメージの違う、箱形の駅舎がそこにある。近代的な、コンクリートの吹きつけのまま、エレベータを中に配したカラフルな駅舎で、赤と青の配色がとても目立つ、スケッチの駅舎とは全く異なるのだ。はて、どうしたものかと思いつつ、その駅舎を通って外に出てみて、また驚いた。現駅舎の東側に少し離れて栗さんの描かれた駅舎があった。が、階段入り口には柵があり、後から回ってみると、やはりホーム側にも柵があって、駅舎の中には入れない。つまり、新しい駅舎ができたので、古いものはお役ご免、ということのようだ。とはいえ、なんで不要な駅舎がそのまま残っているのかもまた不思議であるが。

が、まぁ、とにかく目の前に本に描かれた駅舎がある。いつも訪れる大駅の見慣れた駅舎と違い、本に導かれてやってきた駅で、実際の駅舎を見るのも、またそれはそれで楽しいものである。おそらくは、バリアフリーに対応する新駅舎を作ったとは思うのだが、やはり栗さんが心配されたような、クラックによる経年劣化もやはりあるのだろうか。とはいえ、建築には全く疎いわだらんであるから、あれこれ推測するのはやめよう。駅舎は新しくなり、電車の本数も増えて、今は間隔不均等ながら、時間4本も電車がやってくるようになっている。駅前にはアーネム自慢?のトロリーバスが走っている。とても静かな乗り物で、接近してきたことがわからないくらい。さて、次の電車まで5分、急いで戻らねば。あらためて新しい駅舎を見てみると、どことなく昔の駅舎のイメージを受け継いでいるような感じに見えた。

☆写真を撮りました http://www.geocities.jp/yasummoya/europe05/arnhem/velperpoort.htm

 

 

119. 5月6日 午前続き  何の飾りだろう?

フェルペルポール駅を5分の滞在でさっと切り上げ、続いてドイチェンヒム駅へと向かう。ドイツ国境へ戻る方向で、さっきICEで通ってきたばかりのところだが、今度は気動車でごとごとと進んでいく。もっともごとごと、といっても、今の気動車は速いので、昔のキハ17のようなよたよたとは全くスピード感が違う。乗っているのはSyntusという、NSから分離したローカル線を運営する会社の気動車である。NSもご多分に漏れず、地方線には苦労しているようで、非電化の枝線はほとんどがNS以外の手による運営である。ただ、日本と違うのは、鉄道の運営会社が鉄道だけでなくバスなどその地域の交通網を一緒に運営している、という点である。たとえば近鉄から伊賀線が分離されて、三重交通が電車もやっているようなものか。とはいえ、オランダのバストラムは共通回数券制度のもとで運営されているし、収益配分や行政の財政支援などはどうなっているのだろうか?

ま、そういう難しい話は別にして、今乗っている路線は一度この正月に乗りつぶしできたところである。再び間をあけずにくることになったので、ちょっともったいない気もする。正月に乗りに来た時点では、このドイチェンヒムなる駅に降りる、など思いもしなかった。車両は新しく、窓が大きく快適である。NSは基本的にホームが高いので、いま乗っているDB642系同等車は、床の部分がDB車より少し高いようだ。

 

ドイチェンヒム駅に着く。駅の南側は新しくできたと思われる、ずいぶん大きなバスターミナルがあり、駅舎はない。ホーム北側に栗さんの書かれた駅舎が建っている。駅北側の駅舎のまわりは自転車だらけ。駅前広場というより駐輪場のようだ。栗さんのスケッチは白黒なのでわからなかったのだが、駅舎の前に立っているオブジェのような飾りには色が付いていたのだ。でも、何の意味があるのだろう?単なる飾りなのだろうか?

と、駅舎の写真を撮ってから、この後の予定を考える。行きの列車の中で、Syntusがここからエンシューデへのバス路線を持っていることはわかっていた。なので、せっかくならバスに乗ってみたいなぁ、ショートカットにもなるし、同じところばかり乗っているのもおもしろくないしと考えた。が、残念ながらバスは2時間おきで、あと1時間半もある。では列車で戻ろう、もともと列車に乗りに来たのだから。と、ホームへ戻る。行きに乗った車両でまたアーヘンに向けて戻る。

ところが、出発前にホームから線路をみていて、駅の先に跳ね橋があるのを発見。線路に大きな支柱が立っているのである。ならば、と運転台すぐ後ろでかぶりつきをしよう、とカメラを持って運転室背後に立つ。すると出発直前、運転士がわだらんをみて「何を撮るのだ?」と聞いてくる。跳ね橋...と話すと、あっさり運転台に入れてくれる。こざっぱりとした運転台でかつ結構広い。日本の電車では、一般的に運転士席の後ろに人が立つのは難しいが、運転台が中央にあるこの車、まるで指導教官のようにわだらんが運転士氏の後ろに立っている。

そして、列車は発車する。ドア閉めは運転士の仕事でない(もちろん、ワンマンだが、ドアは一定時間後勝手に閉まる。無人運転のエレベータだと思ってもらえればいい)ので、戸閉めランプが点灯していればそれで出発。構内を抜けるとすぐに可動橋。非電化区間の跳ね橋探しは難しく、今日も偶然ドイチェンヒムで降りて車外から線路をみたから分かった話で、そうでなければこの橋にも気づいていなかっただろう、と思う。しかも運転台にも入れて、なんて恵まれた日なのだろう、と感謝。

☆写真を撮りました http://www.geocities.jp/yasummoya/europe06/Doetinchem/doetinchem.htm

 

 

120. 5月6日 昼  日本でも貨物輸送が復権してくれれば

ドイチェンヒム駅西側の跳ね橋は支柱が片方にあって、反対の端を吊り上げる方式である。小さな可動橋なので、構造も簡単。大きな運河の橋というよりはむしろ地元の人々の足としての水路というのが正解のように思う。そんな小さな橋なので、あっという間に通り過ぎてしまった。

せっかくの運転台添乗なので、そのままずっといたかったのだが、さすがに気が引け、橋をすぎたところで一礼して客室に戻る。運転台にいると確かに前の眺めはよいのだが、運転士の背後に立った状態では左右の見晴らしはあまりよくなく、車窓を楽しむのに必ずいい場所ではない。客室車内は空いているので、自分の好みの席を取って、のんびりと大きな窓を流れる景色を眺めている。

Zevenaar駅はこのドイチェンヒムからの支線がICEの通るドイツ国境エミリッチからくる本線(という言い方が正しいかどうか)に合流するところ。この支線の合流点の少しドイツよりに新しく貨物新線の分岐ができて、駅に停車している窓から分岐した貨物新線の架線柱が見えている。貨物新線は分岐後一旦地下に潜って市街地(といってもちょっとした集落のようなものだが)を抜け、この先ライン川沿いにロッテルダムまで田園地帯を通っていく。何せ貨物新線なので、市街地を通る必要は全くないわけだ。この新線が開業すると、ドイツはもちろん、スイスやオーストリアからの貨物列車もどんどんロッテルダムへと流れていくのだろう。鉄道への転移が進んで、トラックの抑制が交通事故防止や環境保全に役立ってくれれば、そのために鉄道輸送が貢献できるならすばらしいことだ、と思う。

 

やがて、アーネムに到着、列車の終点である。ホームに降りて、運転士氏に礼を言おうと思ったが、当の本人はすたすたと行ってしまって、礼は言えずじまい。残念である。ここからはズボレ行きIRMの二階席に陣取り、エンシェーデへ向かう。ふたたびフェルペルポール駅を通るが、よく考えると今日、たった2時間の間に4回もここを通っている。おかしなものだ。

ツットペン(Zutpen)駅で乗り換え。この駅は本線が1面2線で、長いホームを分けるオランダ流の使い方で、同時に4列車をさばくことのできる駅。基本的な乗り換えはすべて同一ホームででき、とっても便利。ちなみに同様の構造はこの近所、デフェンダーでもヘンヘロでも同じで、1面4線で、X接続をさばいている。正月に、ここで同じようにエンシュヘーデへ向かおうとして乗り換えたのだが、駅構内のスナック屋でポテトを頼んだら、予想外に時間がかかってしまい、結果的に1段落とし、つまり30分時間つぶしをする羽目になってしまった。まぁそのおかげで駅のすぐ南にある可動橋を見に行けたのではあるが、きょうはのんびりとしてもいられない。少々の空腹は我慢して先を急ごう。

☆写真を撮りました(06年1月3日撮影です) http://www.geocities.jp/yasummoya/europe06/Zutphen/zutphen.htm

 

 

121. 5月6日 昼  待ちの間に街歩き

ここからエンシェーデはまたローカル気動車のお世話になる。ローカル気動車といってもDBの643型相当の新車で窓は大きく快適である。ところがせっかくの大きな窓ではあるのだが、この区間は正月に一回乗ったところで、非電化単線で大きな駅もなく、車窓も単純なので、その間に明日の予定を決めてしまおう、と時刻表と格闘する。明日は旅行の最終日、夕方にフランクフルト空港へ行かなければ日本へ帰れない。午後ケルンからフランクフルトへ回る予定で、オランダからICEで戻ろうと考えていた。

ところが、NSの地図とにらめっこしていて、フェンロ=ロアーモンドの間が相当昔に乗ったことのあるままそれっきりということに気がついた。そこでここをどうしても乗っておきたいと思ったが、今から回るとロッテルダムまで回る頃には日が落ちてしまう。かといって、ロッテルダムを明日に回すと、ユトレヒト12:47に乗るのがしんどくなると、プランがまとまらず悩む。そうなると外の景色そっちのけで時刻表の前や後ろを行ったりきたり。であれこれ考えるうちに、ICEでドイツに入るのでなく、フェンロからRE列車でケルンへいけばいい、と突然ひらめく。ユトレヒト12:47のICEに間に合わすことばかり考えていたので、フェンロ14:07でも間に合う、というのは実にいい案。最後にロアーモンドの往復をすれば、自分の気持ちの整理もつくし、できるだけ長い時間NSに乗れる、となる。

ドイツへ入るのをICEに頼らない、と考えるとこのルートも結構使える。もっともかつてはフェンロ経由でケルンーロッテルダム・ハーグ間の国際IC列車もあったくらいなので、本当はもっと活用されるべきルートなのかもしれない。こういった細かい接続はトーマスクックの時刻表ではなかなか読み切れない、判別しづらいところで難しい。というか、そもそもオランダ内にしても、とてもクックの時刻表では回れないような乗り方しかしていないので、クックの時刻表の記載のみに頼れない。やはり、もはや普通の旅行者ではないのか。と考えているうちにヘンヘロに着いてしまった。なので、この区間、結局ほとんど外を見ていない。

 

ヘンヘロもX接続。ホームの向かいにいる3400DCに乗り換え、2駅で終点エンシェーデについた。今年の正月にもエンシェーデにやってきたのだが、そのときにドイツに行く支線を発見。国境をまたぎドイツへ向かう路線も列車もあることは知っていたのだが、オランダ国内の駅がまださらにある、ということをつい最近になって発見した次第。エンシェーデが国境にすぐのところにある街なので、まだその先にNS駅があると思っていなかったのだ。ドイツの近郊列車整備の恩恵なのだろうか、前から駅があったかちょっと調査をしなければ、と思う。

ドイツへのの列車に少し時間があり、その間わずかだが街散歩。駅前から市内に歩行者天国の商店街が延びていて、その先に教会を中心とした広場がある。街の構造自体はよそとそんなに違うわけではないが、広場の表情はそれぞれの特徴があってなかなか楽しい。オランダ名物のストリートオルガンを久しぶりに聴いてちょっとうれしい。

☆写真を撮りました http://www.geocities.jp/yasummoya/europe06/Enschede/enschede_town.htm

 

 

122. 5月6日 午後  オランダ色のドイツ気動車

さて、駅へ戻って再び列車に乗ろう。ここから東へさらに2駅。欧州への機内で、ここを乗るにはどうすればいいか、さんざん悩んだのだが、いい結論がでなかった。昨日通った北のフローニンヘンからブレーメンへは開き直ってそのためにだけに行けばいい、というか、本数が極端に少ないので制限を受け、まだ計画が立てやすい。ところが、ここエンシェーデは中途半端にリール地方に近く、1時間1本の列車があり、そのままドイツへ抜けられるので、どうしても欲がでる。この区間のみでわざわざ出かけるのは避けたいし、どうせならそのままドイツへ抜ければ流れが組みやすいか悩むのだが、いい計画が浮かばない。ドルトムントまで列車は直通するので、そのまま夜行に乗るの案も考えたが、ドルトムントへは2時間もかかる。なにせローカルの普通列車である。なにかそれだけで半日近くつぶすのももったいない、と思う。

あれこれ悩んだ結果、一番近いドイツの駅で単純に往復することにした。ちょうど、オランダ国境の先のドイツ駅で上下列車がすれ違い、とんぼ返りをすることができる。これなら所要1時間、エンシュヘーデの折り返しが一段落ちたと思えばいいわけで、下手にドイツに抜けるよりよほどいい。もっと早く気づいていれば、こんなに悩むことはなかったのに。

 

と長い前置きはさておいて、エンシェーデ駅でドイツ行きに乗る。ホームはNSの本駅と直接つながっておらず、一旦駅から外へ出て、踏切を渡ってホームに向かう。のりば表示は続き番号だが、線路もいつの間にか切られていて、ドイツ側とオランダ側、DBとNSは直接列車の行き来ができない。正月の時は繋がっていた気がするのだが。踏切が降りて、列車が入ってきた。やってきたのはDBの643型、珍しいものではないのだが、中間車を挟んでいる。いつも2両ばかりしか見ていなので、3両(正確には3車体か)を見るのは初めてだ。中間車体にはトイレもついていて、ちょっとした長距離列車の雰囲気。とはいっても座席は一般の643型と同じなので、清潔感はあるが高級感はない。窓が大きいのがわだらんには気に入っているポイントだが。

列車はそのまま東へ向かい、単線で林の中を走っていく。途中2つのオランダ駅を通って行くが、ほかの田舎線の無人駅と同じで、ホームにちょっとした上屋と切符の自動販売機があるのみ。NSの切符販売機で、おそらくはオランダの普通の運賃体系なのだろうから、エンシェーデでわざわざホームを切らなくてもいいと思うのだが。などと考えている間に国境を越えたようで、列車はGronau駅に到着。深い屋根をホームにかけた駅で、なかなか立派な駅である。といってもホームは1面のみのようで、決して大規模の駅ではない。駅の案内板は旧DBタイプのまま、信号機は腕木式とちょっとレトロな雰囲気である。

向かいのホームにいるエンシェーデ行きで折り返し。今度はオランダ国旗を模したDBらしからぬ塗装。ARRAVIAのロゴが入っているので、車両はオランダ会社所有なのだろうか?でも線路はNSとつながっていないのでよくわからない。ARRAVIAは車両保有のみで、DBに運行保守を委託しているのだろうか。日本の感覚では、この区間DBとNSの相互乗り入れ、となるのだが、運転系統上はDB側が遙かに長く、車両と運転はDBまかせ、のように見える。NSも、地方路線は私企業に運営を委託しているものが多く、その延長線上なのかもしれない。まぁ、地方線分離は珍しいことでないし、このあたりの細かい運営まで解説してもらえる日本語にはありつけない。

帰りは先頭部で国境付近のかぶり付きをしてみたが、やっぱりきちんとした境目はよくわからない。キロポストなど各種標識が変わるので国境を通過したことはわかるが、どの地点が国境線なのかわからない。列車は淡々と走り、国は変われど風景の変化はなく、再びエンシェーデへ戻ってきた。

☆写真を撮りました http://www.geocities.jp/yasummoya/europe06/Enschede/enschede_db.htm

 

注)ARRIVAはオランダの交通企業体の一つです。オランダ東部の支線を運営しています。

 

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123. 5月6日 午後続き  やっぱり迂回か

さて、無事にドイツ国境の2つの駅も制覇し、残るはロッテルダムから延びる港への支線の先端部を乗ればNS全線完乗である。ロッテルダムの南には栗さんがスケッチされたツビンドレヒト駅があるので、その駅舎とそのすぐ南にある大きな可動橋を見て、本日の、いや今回の旅行のメニューを終わろう、という予定である。

が、今日はいやな予感がしていた。駅でもらっていた工事情報の書いたパンフレットに、アメルスフォールトとデフェンター間が工事運休と載っていたのである。オランダでは週末を中心に線路封鎖をして工事を行うことが多い。その区間はもちろん列車は運休し、途中駅へは代行バスで、その区間をまたぐ乗車は迂回しなさい、その工事区間を通る長距離列車は迂回運転しますよ、となるのである。パンフレットはオランダ語のみだが、おそらくそういった内容で間違いはないと思う。まさにこの工事区間はエンシュヘーデからオランダ中心部への幹線の途中に当たるわけで、わだらんはまさに工事運休にぴったりはまってしまったのである。

ホームへ行ってみると案の定駅員が多数出ていて、アムステルダムやロッテルダムへはズットペン乗り換えでアーヘンからユトレヒトに出なさい、と乗客に駅員から説明している。やはり予想は当たってしまった。わだらんも迂回乗車の必要になったわけである。本来ならアペルドールンからユトレヒト経由でロッテルダムへと進みたいところだが、なにせ列車がない。案内されているとおりなら確かに距離は他の迂回経路よりも短いが、また往路と同じ経路で単純往復もあまりにおもしろくなく、あえてデフェンターまわりを取る。時刻表上では、デフェンターまわりでも、ツットペン乗り換えでも結果的に同じ電車になるはずである。

電車はとりあえず定刻に発車。本来ならハーグ行きなのだが、事前に決まっている計画運休なので、工事区間の前後はもともとの時刻表通り、車両もいつものICM型電車で、かつ行先はデフェンターである。いわば区間運転列車で、その先へは列車がないためか、車内は空いている。一等室はわだらん以外の乗客はなく、何か不安になって、あえて他の乗客のいるあたりに席を取る。もちろん乗客の絶対数が少ないので、座席はよりどりみどりである。

デフェンターに着いた。やはり終点であった。車内の乗客はみんな下車していくので、わだらんも後に続いてホームに出る。ホーム横の側線には運休で手持ちぶさたなのであろうか、ICMが停車中。ちょうど順光だったので、形式写真を撮ってみる。もともと昼下がりの閑散とした時間帯だが、週末でかつ工事運休もあって、ホームはなんとなくがらんとしている。

そこへズボレからの電車が入ってきた。ここからはIRMでひたすら南に向かい、ぐるっとまわってドルトレヒトへ向かう。IRMの二階に座席を取って、天気の良い中を進んでいく。眺めもよく、極楽である。そうだ、時刻表ではブレダで乗り換えだが、先にティルブルグで降りて駅の様子を見てみよう。わずか5分だが、駅前広場くらいには出られるだろう、いつもは通るだけで降りたことはないからなぁ...

☆写真を撮りました http://www.geocities.jp/yasummoya/europe06/Tilburg/tilburg.htm

 

 

124. 5月6日 午後続き2  やはり大きな可動橋

ティルブルグからはハーグ行きICに乗り込む。ズボレからのICの後ろを走って、ブレダで追いつくダイヤである。そうすれば、ズボレからのロッセンダール行きとアインドホーフェンからからかハーグ行きが交互接続できる、とよく考えられている。ブレダでさっきまで乗っていたIRMに追いつき、先に発車する。乗っているハーグ行きは北へと方向を変え、ブリュッセルへの高速新線が寄り添う形となる。並んで大きなオランダ運河の橋を渡り終えるとドルトレヒトはもうすぐだ。この先、大きな可動橋の写真を撮り、ツビンドレヒトの駅舎の写真を撮って、そして最後のNS未乗区間を乗ろう、という予定である。高い支柱はドルトレヒトに着く前から遠くに眺めることができる。とはいっても、あれが橋の支柱だ、とわかっていなければ判別しにくいかもしれないが。

 

電車は定刻にドルトレヒトに着いた。電車を降り、可動橋へと向かう。駅の北側にかかる橋は複々線の線路を2本ずつ桁ごと上下させる大がかりなもので、支柱が高く、遠くからでもとても目立つものだ。構造的には先日見たゴーダのものと同じなのだが、橋自体が長い(可動橋以外の固定橋も連なっている)ので、ここドルトレヒトのほうが見栄えよく、マドローダムの中にもこの橋の模型が作られている。しかも線路の横に道路橋(これも可動橋!)で、歩道付きなので、電車と同じように運河を越えることができる。さらに、橋を越えるとツビンドレヒト、栗さんのスケッチの駅がある。この橋を見るために1月にも一度来ていて、場所も道もわかっているので、不安はない。駅から線路沿いの道があり、橋も既に見えていて、極めてわかりやすい。道が堤防下でどん突きT字路になったところが可動橋のたもとで、徒歩10分ほどである。

が、橋が大きく、上手に写真に収まらない。おまけに逆光で、支柱を入れようとすると空の明るさで画面が飛んでしまい、橋に自動焦点をあわせると今度は画面から支柱がはみ出してしまう。腕も悪いし、カメラも簡単なものだし、自分の写真に過度な期待はしないでおこう。でも、せめて光の向きぐらい計算しろ、と怒られそうだ。

数本列車の通過を見送り、そこから歩いて橋を渡る。長い階段を上ると道路橋の上に出て、線路橋が真横に見える。歩道を歩きながら可動桁の写真を撮ってみるが、どうもうまくまとまらない。橋の大きさを表現するにはやはり橋の下から撮るのが一番のようだ。列車を待ってみるが、なかなかこない。やがて次の電車の時間も気になり、移動することにした。川を渡り終えると、ツビンドレヒトの駅がすぐ先に見える。もともと10分程度で歩けるとめどをつけていたが、何とかなりそうだ、と安心する。駅が見えているので、ちょっと小走り。

駅に近づくが、栗さんの書いた駅舎は見あたらない。ひょっとして取り壊されたか、と不安を抱く。が、駅に着いてみると、歩いてやってきた側はどうやら裏口(失礼な言い方だ)にあたるようで、正面に幹線道路とそこから派生する駅前広場がある以外何もない。で、高架駅の下の自由通路を通り抜け、反対側にでてみると、まさに栗さんの描かれた駅舎の中にいるのだった。もちろん、中にいては建物全体の雰囲気はわからないので、駅前広場にでてみる。架線柱のような支えが印象的な、スケッチ通りの駅舎で、ロッテルダム近郊の住宅地の駅といったの感じ静かな駅である。何せ出かけたのが土曜の夕方なので駅はひっそりとしている。

広場で写真を撮って、駅舎内に戻る。さすがに15分、結構走ってここまで来たので少し疲れた。駅舎の中の売店でおねえさんが暇そうにしているので、ふらっと入ってアイスクリームを買う。チョコレートで表面をコーティングしたバニラアイスが木の平板にささっているもので、日本でもよくあるものだ(ちなみにエスキモー社のものではなかった)。1.50ユーロなので、高級品ではない、普通に売っているものなのだが、これに150円をかけると225円、そう考えると結構高い。為替のため、とは言いながら、なかなか旅行にはきついレートだ。

売店でのんびりしていて、気が付くと天井から吊り掛け電車の音がする。ありゃ、しまった、乗り遅れ。ぼーっとホームにたたずむわだらんであった。

☆写真を撮りました http://www.geocities.jp/yasummoya/europe06/Zwijndrecht/zwijndrecht.htm

 

 

125. 5月6日 夕方  大都会ロッテルダム

時刻表を見ると、このままツビントレヒトで北行きの普通電車を待つより、一旦ドルトレヒトへ戻る方が早いことがわかり、南行き普通電車でまず橋を渡り、今度はアムステルダム行きICで橋をもう一度電車通ることとなった。橋の向こうにはドルトレヒトの街並みを見ることができる。いつか街歩きをしてみたいと思うが、いつになるだろう?

複々線区間を電車はすすみ、やがてロッテルダム市内に入ると、運河をトンネルでくぐる。ここはちょっとした長さがあって、途中のBlaak駅も地下(堀割)になっている。山のほとんどないオランダでトンネルといえば、みな運河の下(または空港の下)である。北海運河をくぐるアムステルダムとハーレムのそれぞれ北側に1つずつ、スキポール、そしてここロッテルダムである。(注)

そういえば、昔路面電車とバスで世界遺産のキンデルダイクにいったことがある。運河に沿って風車が17基並ぶところで、大都市のロッテルダムからすぐのところには思えないのどかなところだ。一度自転車で行ってみたい、と思う。

 

やがて電車はロッテルダム中央駅に着いた。駅前はトラムの乗り入れ工事か何かで去年来たときも今も工事中。駅構内はタリスの新線工事に絡んで配線をいじっているし、よくこれだけいろいろなところで工事があるものだ、と感心する。ロッテルダムの街はどうもわだらんは苦手である。大都会ということもあるが、何か無機質な、冷たい感じがするのである。もちろん、第二次大戦で派手に空襲されて街並みが基本的に新しい、ということが大きな原因なのだろうが、何となく落ち着かないところである。しかも、わだらんがかつてここで地下鉄に乗ったときの雰囲気があまりよくなかった、というか少し怖かったイメージがあって、苦手意識が根付いている。昨年ロッテルダムの支線に乗りにきたときも、もう夕暮れだったためか、なにか暗いイメージであった。ロッテルダムのみなさんには申し訳ないのだが。

そんなわだらんのちょっと苦手なロッテルダムも、中央駅は電車を見るのにいいところである。ドイツへのICEが入ってこない以外はNSのほぼすべての電車、客車がやってくる。アムステルダム中央駅では通常見ることのできないDBおさがりのICK客車もやってくる。栗さんも描かれたコンクリートの無表情な駅舎を持っているのだが、駅前広場が工事中で、まともに駅舎を取る適当な場所がない。

駅のコンコースも比較的広く、天井も高く、ひろびろとした感じを受けるのだが、なぜかここの駅舎内は暗いのである。しかも工事中で結局正面からのまともな写真は撮れず。まぁ、そのうちまたくることもあるだろう、いつの日か。

☆写真を撮りました(1月3日撮影分) http://www.geocities.jp/yasummoya/europe05/NS/station/Rotterdam/rotterdamcs.htm

 

(注)最近アインドホーフェンの北側、Best駅を含む前後区間が地下になりましたが、Googleの写真を見るとどうやら地下になった部分は運河ではなく、住宅地のようです。鉄道立体化を地下化で行ったようですが、現地を直接見ていないのでわかりません。ただ、運河や港をくぐる目的でないトンネルであるのは確かなようです。

 

126. 56日 夕方  全線走破

さて、今回の最大の目的であるオランダ鉄道全線走破を目指しての最後の区間、フォーランド港へ向かう。この路線は、今年の正月にも乗っているのだが、そのときは一つ前の港駅までである。その一つ先に駅があるのは時刻表でわかっていたが、列車の運転が季節営業に近い状態なので、その最終駅は昔の小松島港のように、港駅のすぐ先にホームがあって、とわだらんが勝手に思っていたからである。実際、港駅はロンドンへの船着き場になっていて、大きなフェリーが横付けされているし、ボートトレイン(注)用のホームもある。

ところが、いざ行ってみると、通常の電車はその駅舎横のホームには着かずに、駅舎に離れたホームへ発着するのである。線路はさらにしっかり複線で延びていて、先は見えない。すぐ先に駅があると思いこんでいたわだらんはショックである。歩いていけるかと地図を見るが、どうやら1kmは離れているようだ。となると、これは全線走破にはならない、やはり電車に乗ってみなければ、と再度挑戦するわけである。幸いにも4月末から、終点までの電車は本数倍増し、このもう日暮れに近い時間でも終点まで行くことができる。ありがたい。

3両編成の電車はロッテルダム中央駅の一番はずれ(駅舎側)のホームから出発。ホームに改札機が置いてあり、将来はワンマン運転になるのだろうか。この路線、駅間も短く、都市近郊路線というか、国電区間のようなものである。乗っているアコモ改造されたスプリンター、2900の電車の車内も近郊型そのものである。シートの彩りはきれいで、一般人には新車に見えるかもしれない。ロッテルダム中央駅から次のまでは複々線、アムステルダムへの本線と並んで複々線の可動橋を渡る。そして別れると、今度は右手にしばらく住宅地が続く。左手は工場だったり、堤防越しに大きな船も見えるし、欧州名物風力発電風車も見える。小さな駅をいくつも過ぎていきながら、途中3カ所も可動橋があったりして、都市近郊の路線の割には結構楽しめるところでもある。

ドーバー海峡を渡る大きなフェリーを横目に見ると、港駅に着いた。まだシーズン前でしかももう夕刻なので閑散としているが、夏にはいかにも賑わいそうだ。いまはぽつんと寂しそうにシーフード屋の屋台がたっている。さて、いよいよ完乗を目指した最後の区間である。港駅を出た電車は結構まじめに走る。海が見えるかと期待したが、まったく海は見えず、むしろ内陸に入っていくような雰囲気でちょっとがっかり。わずか1km程度でスタンド駅に着いた。意に反して、海は全く見えず、住宅街の中にぽつんと駅はあり、おまけに駅舎すらない。唯一駅らしい設備は切符の自販機だけで、そこらの路面電車の電停と同じである。一つ前の港駅がいかにも港の駅なので、海の舳先かと期待していたのだが。しかし、この住宅地は何だろう。少し歩いてみただけではあまり人の生活している雰囲気は感じられず、夏の別荘か何かなのだろうか。もっとも駅の北側には新規住宅地開発の看板らしきものもあったから、これから住宅地として整備されていくのだろうか。ただ、今のダイヤでは住宅地というか、普通に生活するのに便利な電車とはとても言い難く、港駅からここまではまるで季節運転の観光列車である。

とはいえ、とにもかくにも、自己満足ながら、オランダ鉄道全線走破である。だからなんだ、といわれても何もないし、名誉でも何でもない。ただ、わざわざオランダの鉄道を全線乗ろう、などというばかなことを考える日本人はいなかろう。全くの暇人である。別に誰かに祝ってもらうわけでもなく、周囲の写真を撮っておしまい。駅名板と一緒に写真を撮ってもらおうかとも思ったが、ここだけそんなことも何かおかしい気がしてやめた。まぁ、運転士氏、車掌氏が集まって車両の外で歓談していたので写真を撮ってもらうことくらい容易に頼めたとは思うが。

☆写真を撮りました http://www.geocities.jp/yasummoya/europe06/HVHolland/hvholland.htm

 

(注)港の桟橋にほど近いところに設けられたホームに発着し、船への乗客の便宜を図る列車をボートトレインと呼んでいます。このファンクデンホーランド駅では日2便の英国行きフェリーにあわせてアムステルダムからの快速列車が設定されています。日本でもかつて横浜港や敦賀港で国際航路発着にあわせた列車が走っていました。終戦直後の舞鶴港や南風崎での引揚復員列車もいわばボートトレインと呼べるのかもしれません。

 

 

127. 5月6日 夜  宿へと戻る

同じ電車でふたたびロッテルダムへ戻る。一つ前のSciedam Centraal駅で見物がてら下車乗り換えをしたかったのだが、ちょうどいいライデン方面への電車がなく、結局またロッテルダムまで戻ってきた。乗車距離を伸ばすか、見物する駅を増やすか、ちょっと悩む選択ではある。どっちもしたいのは欲張りであるが。

ロッテルダムで乗り換えたスキポールへのICはいつものIRMである。長かった一日も終わりに近づき、日も落ちかけてきた。そんな時間なので、車内は落ち着いている。何度となく通っているオランダ西部の幹線区間をIRMは駆け抜ける。乗車率に変化のないまま、スキポールへ到着。さっそくスーパーへ。チーズを土産にと人に頼まれていて、いくつか店を当たっていた。明日はオランダの最後の日なので、駅やその周囲の商店で今日いくつかチーズを探してみたのだが、駅のスーパーでは固まりのチーズがなく(スライスしたものなら多数ある、といってももちろん日本のスライスチーズより大型だが)結局スキポールのスーパーに頼ることになってしまった。まさに困ったときのスキポールで、ここのスーパーには土産にもなる大きなブロックのチーズがあることは知っていたのだ。

で、実際買おうと棚を見ると、まぁいろいろおいてある。ゴーダだのエダムだのといくつかチーズの種類は知っているが、どれがどうか区別がつかず、おまけにJONG(若い、つまり熟成期間の短い、だろうと勝手にわだらんが思っているが、たぶんはずれているだろう)だのどうだのと書かれていてもなんのこったかわからない。とにかく適当に買い集めてカードでとっとと買い物を済ませて、スーパーを出る。そんなわけで丸形のちょっと小さなチーズを4個ほど買ってみた。一個が7.99ユーロなので結構な買い物になった。いや、出費もそうだが、結構重いのだ。まぁ、日本ではここまでまとまってチーズを買うことは難しいだろうから。ただ、明日は大リュックでフル装備のまま移動である。ちょっと先が思いやられるが。

 

再びホームに降りる。天井の低いスキポールの駅は開放感にも見通しにも欠け、いまいち好きにはなれない。とはいえ、この駅なくしてわだらんのオランダ旅行が成り立たないのも事実で、ちょっと残念である。再びスキポールからハーグ行きIRMに乗る。スキポールのトンネルを抜け、地上に出たが、さすがに21時半を過ぎて周りは暗くなっている。ライデンについて乗り換えの間もあり、ちょっと街を歩きだしてみたのだが、宿が気になってすぐに駅へ戻る。もちろんいつもの宿を確保しているのだが、もし酒場が閉まると、鍵をもらうことができない。ホテルとはいえ、フロントがちゃんとしているような大ホテルではなく、一階の酒場で顔パスで鍵をもらうのだ。もちろん支払いしないと鍵はくれないが。

そんなわけで、22:01発の普通電車でフォーアウトへ戻る。車番474、いつもと変わらぬドッグノーズ電車である。暗闇の中を電車は走る。明るければ咲き誇るチューリップが一面に見えるあたりはまさに静かな海のようであった。

☆写真を撮りました http://www.geocities.jp/yasummoya/europe05/NS/station/schiphol/schiphol.htm

 

 

128. 5月6日 深夜  こそっと祝杯

ところが、宿に着いてみると、酒場の営業時間など心配する必要のないくらい人がたむろしている。外にまでテーブルを出して、大にぎわい。これではゆっくりビールも飲めぬ、と自分の鍵をもらうとそそくさと部屋へ向かい、リュックを作り直す。小さいリュックを持って再び電車に乗りライデンへ。

ライデンの街も運河が街の中心を流れる静かで優しい街である。街の中程の運河にかかる橋からは風車も見えて、落ち着いた雰囲気を醸し出している。ふらっと一軒のレストランに入った。カバブのくるくる回っている。ドイツでよく食べていたハンバーガー形式でなく、皿に盛ってもらう形で注文すると、ただ肉をそぐだけでなく、そいだ肉を再び鉄板の上で何かしている。何が出てくるかとちょっと心配になったのはいらぬことであった。しばらくして、温められたそいだ肉に各種スパイス(何が使われたか、わかるわけなかろう!)が加わって、野菜の付け合わせも加わって、とてもおいしそうに見える。

ちょっと辛そうだし、せっかくなら、とビールを注文するのだが、ひげの店主(たぶん)は首を振って、ない、という。せっかくなのに、どうしたものか、とちょっと不満げな顔をすると、買ってこい、という。まぁ、酒のおいていないレストランもないわけでないんだろう、と深く考えずに、ちょうど窓から見えていた向かいの雑貨屋でハイネケンを買う。で、買って戻ってくると、ひげを生やした店主(たぶん)が、空いている隣の椅子の上に置いた。テーブルに載せるな、というのである。あれ、と思ったが、すぐに理由が思いついた。つまり、この店の主はイスラム教なのだろう。でも、ビールを飲むこと自体は構わないようで、テーブルに置かなければ、それ以上は何も言わない。オランダの社会の中で、イスラムの規律を適宜変えながら運用している、ということなのだろうか。

そういえば肉を積み重ねて焼く料理はもともとどこが発祥なのだろう?中東では一般的なのだろうか?でもとにかくおいしく食べた。食べ終わって8ユーロを払い、トーツインズ、というと、日本語では何というのだ?と聞く。「またね」だよ、というと、「またね」と笑って店を送り出してくれる。店内にはオランダサッカーを応援する旗などがずらり。大多数のイスラム教徒の人は、みんななかよく平和に暮らしているのだろうな、どうも自由と民主主義を標榜するある国の大統領とその取り巻きが、イスラムがまるで悪魔の権化みたいに思っているのだろうが、ごく一部を除いてふつうの人々なのだろう、と思う。決して悪魔でも悪人でもなく、普通の生活をする市民が本来の姿なのだろうな、とイスラム教なるものに実際に出くわしたことがほとんどないわだらんのいい経験であった。

ライデンの夜は更けていき、商店街も徐々に閉める店が増えてきた。駅へ戻って電車で宿へと戻る。もう2両の短い編成で、乗客もまばらであった。

☆写真を撮りました(追加しています) http://www.geocities.jp/yasummoya/europe06/food/food.htm

 

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129. 5月7日 早朝  最後の朝はチューリップ

旅行最後の日、今日は日曜日。オランダの朝の早いのだが、日曜日は例外。電車もローカルの普通電車をを中心に早朝のものがばっさり削られ、フォーアウト駅の始発電車は7:36の北行である。

そんなわけで、始発前のひととき、まだほとんどの人たちが寝ている早朝、静かな街並みの中でちょっと散歩をしてみる。宿のすぐ近く(隣と言っても過言ではない)にはフォーアウトの中心となる教会が建っていて、高い尖塔をようやく明るくなった空に突き刺している。その教会の前に小さな公園(というより前庭か)があり、池と噴水、そして池の周囲にはチューリップを配して、まさにキューケンホフの小さい版である。なかなか見事。

 

散歩を終わって、再び自分の部屋で身の回りの整理をし、リュックを背負うと、いよいよオランダいや欧州最後の日の行程の始まりである。まず始発の北行電車でハーレムまで向かい、折り返してライデンへ。同じ区間をわざわざ往復するのであるが、やはり最後の日、天気もいいのでもう少しチューリップを見ておきたいと思った。せっかくなので、いつもお世話になっているフォーアウトの駅にも敬意を表して通過してみたい、などと勝手にいいわけをつけている。

しかし、このハーレムからライデンへの区間は本当にこの季節、車窓が楽しい。線路の両側にはチューリップ畑が続く。赤白黄色、だけでなくて青や紫、どうみても黒などというのもある。しかも花の命は短く、咲き始めるとまもなく花びらは摘み取られてしまうので、色とりどりの畑に加えて緑一色、茎から下だけ残っているところも結構多い。そんな畑の隅っこには摘み取られた花びらがまさに山のように積んであり、なんとももったいなく思う。同じ畑の中に数色かがまとめて植えられていて、一面同じ色、というのはほとんどない。畝の途中で色が変わるものが多く、何か味があるのだろうか?でもわだらんには全くわからない。

リッセの信号所を通過。かつては駅があったのだと思うのだが(ホームの跡らしきものが残っている)、今は単に待避線の役割のみで、列車はあっという間に通過していく。ここから、キューケンホフ公園まですぐなので、公園開設期間だけでも臨時駅を作ってくれればわだらんもすぐに行けるのだが、と思う。どうもNSは都市内や小村への新駅設置には興味がないようだ。そのくせ新規に都市化されたところにはすぐに駅ができるのだが。

ライデンで乗り換え、スキポールへと向かう。Y字に線路が分岐するところにも赤のチューリップが咲いていて、絨毯のように深い彩りであった。

☆写真を撮りました http://www.geocities.jp/yasummoya/europe06/Voorhout/voorhout.htm

http://www.geocities.jp/yasummoya/europe06/Turip/turip.htm

 (注)キューケンホフとは、オランダのチューリップのテーマパーク、植物園です。チューリップの咲く季節だけ開設される公園で、園内一杯に色とりどり、多種多様なチューリップが咲き誇る観光名所です。

 

 

130. 5月7日 早朝  すっちーのおねえさん

今日の行程でちょっと気になるところがあった。アムステルダム=ユトレヒト間、今日5/7は工事運休、と以前もらっていたパンフレットにあったのだ。もしそうなら、ライデンからユトレヒトへワールデン経由で逃げねばならぬか、と心配していたのだが、ライデン駅では特に大きな案内も告知もなかった。ならば、工事はやめになったのか、あるいはわだらんの理解が間違っていたのか、と深く悩まなかった。まずスキポールへ出て、乗り換えてダイブンドレヒトまで進む。この先、ユトレヒトに行って、アインドホーフェンに行って、フェンロへ行って、ケルンに行って、で、フランクフルト空港から帰る、という予定である。

ダイブンドレヒト駅でホームに降り、ユトレヒトへ乗り換えようとしたのだが、やはり様子がおかしい。ユトレヒト行きのホームに上がろうとすると、係員が立っている。どこへ行くのかと聞かれて、ユトレヒトと言うと、ダメだ、今日はノーサービスだ、という。やはり、きょうはアムステルダム=ダイブンドレヒト=ユトレヒトの間の列車はないのだ。複々線化工事なのだろう。駅員によればここから地下鉄でアムステルダム中央駅へ行き、そこから列車に乗れ、という。アムステルダム中央とユトレヒトの間は迂回運転で列車があるという。工事運休の案内パンフレットはオランダ語なので細かいところは意味が分からなかったが、その予想通りであった。

やれやれ。まだ時間があるとはいえ、とにかく午後にはケルンに着かねばならぬ。と、まずは地下鉄に乗ろうとして、ふと思いついた。そうだ、このままウイースプからヒルベルスムへ抜ければ列車があるのではないだろうか。最悪、アメルスフォールトまで行けば、ユトレヒトには行けるはず、と。何となくわかっている電車で抜けられるとひらめいたとたん、気分は急に楽になった。

同じホームで待っていると、やがて、レリスタッドゆきがやってきた。この電車でウイースプまで行き、そこでX接続しているアメルスフォールト行きの乗り換え、ヒルベルスムへと抜けるのである。

 

複々線の大きな鉄橋で運河を越えると、もうまもなくウイースプ。二階席に乗っていたわだらんはデッキへと降りた。DD-ARのデッキはとても広く、小宴会ができるほどである。そこで、KLMのすっちーのおねえさんと一緒になった。乗務から帰宅だろうか、車輪付きのキャリッジバックを後ろ手に持って、なかなか決まっている。しかし何せオランダ人、このすっちーさんもだらんと背が変わらない。そういえばこのおねえさん、スキポールのホームにいたなぁ。今日は迂回運転でびっくりしたわな、などと話をしてみる。どこの人間だ、と聞かれて日本人だと答えるとわざわざご苦労さんなどと笑顔を返してくれ、少し無駄話。KLMのすっちーさんはKLMの制服のまま電車に乗ってくる。制服が誇りなのかもしれないし、あるいは常にKLMの職員でいることを意識していろ、ということなのかもしれない。日本の場合、制服での通勤を逆に否定するところも多いが、もし、尼崎事故で当該列車に乗り合わせていた出勤途中の運転士が制服だったら、きっと事故現場から離れることはなかっただろうに、よけいな批判を受けずにすんだのでは、と考えてしまう。

まぁ、難しいことはさておいても、KLMの青い制服のお姉さんを電車で見かけるのはうれしいし、なんとなく周りが華やいで見える。LHとかAFとか他の欧州航空会社はどうなのだろう?やはり制服で出勤退社しているのだろうか?

☆写真を撮りました http://www.geocities.jp/yasummoya/europe06/Weesp/weesp.htm

☆この付近の路線図を簡単に書きました http://www.geocities.jp/yasummoya/europe06/Utrecht/rosen_NSc.gif

 

 

131. 5月7日 朝  オランダの鉄ヲタ

今日はその工事運休のおかげで長距離列車は迂回運転。ユトレヒトからヘーレンやマーストリヒトに向かうIC、あるいはフランクフルトへのICEがヒルベルスムを通るというので、撮影の鉄ヲタが出ているようだ。意識せずとも鉄ヲタを発見するのはやはりわだらんが鉄ヲタだからであろうか。行動が類推できる...わな。

そんなわけで、このヒルベルスムのホームの先端にもカメラを構えた鉄ヲタが1名。ホームの中程は首からカメラを提げたおじさんが2名。みんな迂回運転の列車を狙っているようだ。 ダイブンドレヒト駅で手持ちの時刻表を調べていて、ヒルベルスムに着いてすぐにユトレヒト行きがあるはず、と理解していた。ところが、いざ着いてみると電車は15分遅れ。その間駅舎とその周りをうろうろ。昔、ここの駅前で泊まったことがあった。一階が飲み屋、二階が客室の小さなホテルで、たしか50ギルダー、3000円くらいの木賃宿であった。今でもあるかと思って少し歩いてみたが、駅前広場が大きくなっていて、昔の記憶ではホテルにたどり着くのは不可能だった。 

しかし、このヒルベルスムという駅、ずいぶん立派になったものである。50ギルダーで泊まったころは小さな駅舎がホームの中央にあって、北側にある踏切からホームに上がる形だった。踏切からホームへのスロープはまだ残っているものの、ホームにあった駅舎はなくなっていた。その変わりというか、駅には大きなビルが建っている。正面のデザインは何となく蒸気機関車をイメージしているのだろうか。とにかくNS駅にしては珍しい大きなビル駅である。コンコース内には切符の有人窓口と売店類があって、ホームへは地下道を進む形である。 

 

さて、目的の普通電車がやってきて、再び移動をはじめる。ヒルベルスムからユトレヒトへは林や田畑の中を走っていくのだが、あまり遠くまで見通しの利くところは少ない。あえて言うとあまり特徴のない区間なのだが、今日は踏切や、線路の向こうの運河岸などにヲタがいる。ただ、あまり有名な撮影地というのはないのだろうか、一人づつばらばらとあちこちに立っている。ICEなどを狙っているのだろう、と思う。

やがて平面交差を右曲がり。直進は貨物線で、アインドホーフェンにつながっている。旅客列車はここで右に曲がってユトレヒト中央駅へ。かつてのユトレヒト駅はアムステルダムへの線路の付け替えに伴って移動してしまい、もとのユトレヒト駅はメリーバーン駅として今は旅客営業をせず、鉄道博物館になっている。 

 

ユトレヒト中央駅で乗り換え。ここからはアインドホーフェンまでICのお世話になる。ハーレムからマーストリヒトへのICで、ヒルベルスムを迂回してきた列車である。どうも迂回運転用の隠れダイヤがあるようで、駅に今日だけの時刻表が貼ってある。が、その隠れスジを守れず、列車は遅れてやってくる。おまけに長いIC列車の前よりは9bホーム、ホームのぱたぱたは「博物館行き」の表示である。誤乗客がいなければいいが。

乗車したヘーレン行きICは少々遅れながらも無事発車、途中ユトレヒトの南の信号所で信号待ち。この信号所、複線どうしが平面交差し、博物館行きの列車が方向転換するところ。駅から近いので、大きなカメラがあれば写真に収めてみたいな、と思っている。 

車内で何か調査をしている。腕章をつけた若い男女が組になって、乗客におそらく乗車地だとか目的地などを聞いている。わだらんのところにきたら、さてどう答えようか、と一人心配していると、結局調査員はわだらんを無視していってしまった。いかにも旅行客、には用がない、のだろうか。列車は快調に走り、アインドホーフェンに着いた。

☆写真を撮りました http://www.geocities.jp/yasummoya/europe05/NS/station/Hilversum/Hilversum.htm

☆ユトレヒト付近の路線図です http://www.geocities.jp/yasummoya/europe06/Utrecht/rosen_1.gif

 

 

132. 5月7日 昼  ライブカメラ

アインドホーフェンからフェンロへ向かう。乗り換えて座席に一旦落ち着くが、せっかくなのでコーヒーでも、と再び列車を出て階段下の売店へと向かう。コーヒーは1.75ユーロで、ミルクと砂糖は自分で取って入れる。わだらんはいつも砂糖抜きなのだが、ミルクは2つ。日本のフレッシュより幾分薄いというか、あまり牛乳と変わらない気がするのだが、実際には何なのだろう。 で、コーヒーを持った瞬間、栗さんがここの構内をスケッチされていることを思い出した。が、時既に遅しで、コーヒーを持ったまま写真は撮れないし、しかも列車の発車時間までもう時間もない。で、結局アイントホーフェンのコンコースも駅舎も写真取れずに終わってしまった。どうも大きな駅、幹線駅ならいつでも来れるとか行って下手に安心してしまうのはよくない。実際日本にいても、いつでも乗れるとか思っているとそのうち廃線や廃車になったりするものだ。まぁ、次にオランダに来るときの材料、宿題だと思うことにしよう。とはいえ、心残りであることには間違いないのだが。

電車はいつものドックノーズ。大きな座席に落ち着いて、コーヒーを見ながら車窓を楽しむ。この区間はICと普通電車が時間1本ずつ。偶然普通電車にあたったのだが、その偶然はうれしいことであった。というのも次の駅はちょっと気になる駅なのである。 最近はいろいろとインターネットで情報が取れるようになった。オランダ各駅の配線図などもネットで取れるので、Googleの航空写真とあわせると、まるで自分の庭先のように線路が見えてきて、飽きることがない。そして、この田舎駅の先、踏切横に家を構えている住人は、踏切に向かってライブカメラを置いて、世界に向けて踏切の実況中継をしてくれているのである。よくわだらんはそのサイトにつないで、ぼーっと景色を眺めていることがある。で、実際にその家を見たいと思っていたのだ。

さて、問題のヘルモンドアウト駅。駅を発車したすぐに件の踏切がある。実況中継中の家も、カメラも一瞬ながらはっきり確認できた。世の中おもしろいなぁ、とつくづく思う。 

川を渡るとフェンロ駅、オランダ・ドイツ国境の要衝、貨車が構内に大量にいる駅である。背の低そうに見えるDLが貨車の先頭に立って発車待ち。電気方式の違いとか、港や工場の奥へはいることが多いせいとかであろうか、NSでは貨物列車が電化区間であってもDLに牽かれることは多い。ちょっと日本では見ない形の機関車だ、と写真を撮っているうちに、中学生か高校生くらいの女の子が機関車の中へ入っていき、しばらくするとそのまま発車していった。もっとも彼女はちきんと反射材の着いたジャケットを着ていたし、おじさん同伴だったので、ひょっとすると機関士の父親とその娘だったのだろうか?日本では部外者を運転室に入れようもなのなら大騒ぎになるだろうが、ここではそんな厳しい話はないようだ。もっとも、昔は日本の国鉄でもずいぶんおおらかだったのだから、今の世の中が世知辛いというか、堅苦しいというか。 

☆写真を撮りました http://www.geocities.jp/yasummoya/europe05/NS/station/Eindhoven/eindhoven.htm

踏切中継ライブカメラは http://www.railcam.nl/

 

 

133. 5月7日 午後 気分だけちょっと贅沢

フェンロからロアーモンドへ往復。この区間もずいぶん昔に乗ったことはあるのだが、時間もあるし(わざと確保したのだが)せっかくなので一往復することにする。全線完乗とはいっても、せっかくならできるだけ最近乗ったもので揃えておきたい、と思う。

列車は3400DCの2両編成。オランダでは気動車はドイツ国境近くや北海周辺のローカル線がメインなので、気動車に乗るには意識しないと出会えないものだ。ドイツとの国境線に沿って南に降りる区間で、平面の国オランダとはいえ、さすがにもうドイツ国境に近いこのあたりまでくると少し高低差のある丘陵地帯になる。とはいっても丘陵をアップダウンで超えるようなものでもなく、小さな河岸段丘といった感じだろうか。大きな街があるわけではなく、かといって地平線の見渡せる広い原野でもなく、悪くいえば中途半端な景色の中を列車は快調に走る。

この区間は単線で、フェンロとロアーモンドのそれぞれ隣の駅が棒線駅、ちょうど中間の駅で交換もする。快速と普通列車が時間1本ずつ、つまり単純に考えると時間2本で、昔の美濃町線のようなダイヤである。日本の場合は、こんなダイヤの場合、誤乗や通過駅地元からの停車要望などで、結局全部が普通列車になるというケースが多いのだが、欧州の場合普通列車と速達列車はどうも明確に目的が分かれているような。もっとも日本より人口密度が低い地域がほとんどなので、小さな駅のレベルも当然違うとは思われるが。 

そんな小駅ばかりを過ぎていき、ロアーモンドに着く。ちょうどマーストリヒトからのICが到着し、写真を数枚。折り返しで再び列車に乗ろうとすると、車掌が不思議そうな顔をする。乗務員も車両も単純な折り返しで、そのまま戻っていき、わだらんもそれにおつきあい。とはいえ、外国人観光客がそんな乗り方をするとは思われないのだろう、車掌がどこへ行くのか、と聞いてくる。フェンロだ、というと、乗れ、という。おそらくこの車掌にはわだらんが乗りつぶしのための乗車とは理解できていないだろうし、わだらんのつたない英語力では乗りつぶしの話も伝わるまい。 

 

フェンロに戻って、最後の昼食。といっても時間がたっぷりあるわけではないので、駅のカフェで、ビール一本とサンドイッチ。列車の見えるところで何か食べたかったのだが、残念ながら適当なところはなく、目の前がバスターミナル、路線バスを見ながらの昼食である。レストランのようなところで座ってお昼の食事などというのは、よく考えるとこの旅行では最初で最後か。そう考えるとちょっとしんみり。 

☆写真を撮りました

http://www.geocities.jp/yasummoya/europe05/NS/station/venlo/venlo.htm

http://www.geocities.jp/yasummoya/europe06/food/food.htm

 

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134. 5月7日 午後続き 軍用列車

さて、再び列車に乗って出発進行。オランダにはついにお別れ、まずはメンシェングラッドバッハまでRE列車。改装されてはいるものの昔ながらの客車列車、しかも一等室は座席が前に出てお座敷になるタイプ。足を投げ出してまったりまったり。 昨年わざわざ一往復して途中下車したカイゼルキルフェンを通って列車は進む。昨年より少し軌道改良工事が進んだようだが、改良工事はいつ終わるのだろうか?この区間、ずいぶん貨物列車の本数が多いようで、知られざる大動脈(といってもわだらんが知らないだけだが)なのだろう。もともと大陸と海の橋渡しとなる区間なのだから。スイスやオーストリアからロッテルダムへの列車なのだろう、と思う。 

次の駅で、また貨物列車と離合する。何気なしに荷台を見て驚いた。軍用トラックの列なのだ。ドイツ軍のどこかへのPKO部隊用らしく、窓に何かはってある。このまま港へ積み出しになるのだろうか、ずらりと並んだ迷彩色のトラックは壮観である。日本ではこんな軍用列車を見ることはできないし、ちょっとびっくりもする。写真を撮ってみたが、もし有事の話なら撮影自体禁止されてしまうなぁ。 

Viersen(バーセンと読むのかな)でクレフェルドからの路線と一緒になり、複線となる。ミュンスターへのREとすれ違いをしたのだが、その列車の一両に「カフェ」と大きく車体に書いてある。ビストロのイメージなのか、自動販売機+椅子なのか、ちょっと判別が付かない。いずれにせよ、日本でいう快速列車にそういった供食設備があるというのはうらやましいというか、おおげさというか。

 メンシェングラッドバッハでケルン行きREに乗り換え。今乗っている列車でこのままデュッセルドルフへ行きICEに乗り換える手もあるが、昨年逆方向で乗っているので、今回はメンシェングラッドバッハから直接ケルンへの路線を通ってみることにしたのである。感覚的にはメンシェングラッドバッハ・デュッセルドルフ・ケルン・アーヘンが四角形で、その対角線を進む格好である。接続は良く、向かいのホームには新型425型電車が停まっている。窓の大きい明るい車内は空いている。ただ、低床式の難点だろうか、座席にやたら段差があったりして、なにか車内が落ち着かない気がする。むしろ思い切ってオランダのように高床式ホームに改造してしまうことはできなかったのかな?もっともホームの嵩上げもまた費用がかかるわけだから、やはり車両を低床対応にした方が安上がりなのかな。連接車体の2編成連結、なので見た目8両編成。編成の最前部に乗ると、まさに列車の先頭部分に一等席があり、ボックスに陣取る。一等席といっても特別何か座席に変わったものがあるわけではなく、単純に二等席と乗客を分けているだけのものだ。 

電車は走り出し、丘陵地帯を抜けていく。ところが、どうもこの路線、足が遅いのだ。トーマスクックの時刻表を見る限り、1時間ごとのパターンダイヤなので、この列車が特別遅いというわけでなく、全体に列車が遅いというか、スジが寝ている。ざっと表定時速60km。アーヘン=ケルンが約70km/h、アーヘン=メンシェングラッドバッハが約80km/hである。確かに駅も多いのだが、駅間もなんとなくゆっくりなのである。これにはちょっとがっかり。ただ、このあたりのREは主要駅区間をおおよそ55分程度で走るようにダイヤを組んであるようなので、これ以上速く走る必要がないのかもしれない。55分で各駅区間を走れれば、1時間ごとのネットダイヤでうまく接続がとれる。スイスが大々的に主要駅間60分以内と策を立てて路線改良を行ったが、それのミニ版といえるか。日本ではなかなかそういった網の目での路線がないのでその器用さが実感できないのだが。 ついでに、この路線、何か駅が古くさい。いわゆる民営化後のDBロゴによる駅名標があるだけで、それ以外は昔の駅そのものである。ケルンの郊外にはとても似合わない、悪く言うと時代遅れのホームを持つ駅が続き、新しい電車に似合わない。もっとも将来、大化けするのかもしれないが。

と思っているうちに、やがてケルンの市街地に入ってきた。列車が輻輳しているようで信号待ち。結局5分遅れでケルン中央駅へ到着となった。

☆写真を撮りました http://www.geocities.jp/yasummoya/europe05/menchengladbuch/monchengladbach2.htm

 

135. 5月7日 午後続き2 最後はかっとび

さて、本日の最終ランナー、いや今回の欧州旅行の最終ランナー、ICE15列車である。ケルン駅で列車が輻輳しているようで、5分遅れ表示が出ている。ならば隣ホームのICE611とどちらが早いか、悩んでしまう。ICE15からICE611へは接続をとるはずなので、最終的にはICE611があとになることはわかるが、ひょっとしたら空港駅先着?と悩んでみたものである。が決心つかぬうちに、結局ICE611は出て行ってしまった。しまった、と思っては見たが、ここまで来て大騒ぎすることはあるまい。フランクフルト空港に飛行機出発2時間前として17:55につけばいいのである。 

やがて10分遅れでICE15列車が入ってきた。8両編成で、ホームにある停車位置目標案内はホーム中程を示しているのだが、列車はするするとホーム先端近くまで行ってしまった。どうみても運転士が停車位置を勘違いしたに違いないのだが、別に何か不具合があるわけでなく、せいぜい乗客が荷物を引きづりホームを移動する程度のことである。少なくとも列車の安全に関する問題はない。どうも最近の日本は小さなことばかりに気をとられ、大きなことを見逃しているような気がする。たかが5mや10m停車位置がずれてなんで新聞沙汰になるのだろ?ちなみに今の場合、どう見てもオーバーランの距離はゆうに50m近くになっている。それでも問題のない(もっともその分わだらんを含め、ホームの乗客は走っているが)設備と状況がうらやましい限りである。

それより入ってきた列車をみて驚いた。ブリュッセル発なので、ICE3の直流対応の406型であろうことは容易に想像ついていたのだが、入ってきたのは4653編成、つまりNS車である。オランダ車両を誇示するNSマークが先頭につくのがアクセント。ベルギー=ドイツ間の列車にオランダ車両が使われているのも何となく不思議だが、さらに扉横にはしっかり「DBはワールドカップ2006ドイツ大会を応援しています」シールが貼ってある。ICE車なので貼られているのか、それとも車籍上NSなだけで、実際にはDB車との込み運用なのかわからない。しばらく張り付けば運用ヲタなりに想像つくのだろうが、毎日観察できる環境ではない。ただ、ICE101列車とICE104列車、アムステルダムからバーゼルの日帰り運用はNS車ば多いような気がする(気がするだけで確かめているわけではない)。

一通り下車が終わって乗車に。車内は空いていて、むしろケルンからの乗車の方が多い。ブリュッセル発といっても、実質はケルン=フランクフルトの国内列車としての利用の乗客が多そうだ。幸いにも展望席、いわば1A・1B席は空いており、かぶりつきを楽しむこととする。フランクフルト空港駅まで無停車、というのが何ともかっ飛ばしそうで期待が持てる。

☆写真をとりました http://www.geocities.jp/yasummoya/europe06/DB/db_car_ice.htm

 

 

136. 5月7日 夕方 さらば欧州

さて、ケルン駅を10分遅れのICE15列車は例によってくねくねしながら進み橋を渡る。橋の途中にはさっき出発したICE611列車が停まっている。そうか、ホームを空けたかったのだな、と思ってみていると、ドイツ駅入り口で対向のICEが停まっている。まぁこれがけの列車を扱ってよく間違いが起こらないものだ、しかも、それでも複雑な列車体系を維持しようとする姿には頭が下がる。日本ならきっと系統が単純化されて、乗り換えを強要されるようになるだろう。もっとも欧州、特にオランダでもドイツでも、線路容量は日本より遙かに大きそうに見える。駅の前後だけ混雑するだけで、幹線の主要駅から離れると列車密度はずいぶんと少ないような。そんなインフラがあって、複雑な列車体型が維持できているとも言えるのだろう。日本のような密度の高い運転と一緒にしたら日本がかわいそうか。

と思いめぐらす間にボン市街地をトンネルで抜けたICE15列車は丘の上へと一気に駆け上がっていく。しかし、ケルン=フランクフルトの高速新線の前面展望がこんなに楽しいものだ、というのはまさに大発見である。もともとICE3の展望席自体決して眺めがいいわけでないし、ましてや喫煙席なので、いままで基本的に敬遠していたのだ。が、実際に展望席に座って前を見ていれば、右に左に大きなカーブを描きつつ、坂を駆け上がりまた坂を駆け下りるその姿はまるで空を駆け抜けるようでとても気持ちいい。おそらく九州新幹線でもし前面展望が可能なら、同じような雰囲気は味わえるのかもしれないが、つばめの最速260km/hに対して、ここICE3は300km/hで進んでいく。実際に300km出ているのか、と運転台を覗きこんでみると、どうやら間違いなく300kmをメーターは示している。電流計は数字が読みとれないものの、メーター一杯にまで色が変わっていて、フルノッチで連続走行している様子がよくわかる。 線路のまわりには人家もなく、新幹線の最大の敵、騒音問題とはまるで無縁のようだ。新幹線から300mほどのところにすんでいるわだらんとしては、線路近くで実際のICE走行音を聞いてみたいと思う。いつも聞き慣れている700系や500系の270km走行音と比較するとどうなのだろう?とはいえ、何せ人家に離れたところを走る高速新線故、線路に近づくには車か何かがなければちょっと難しいか。 

と思いめぐらしているうちに列車は丘を下り、やがて10分遅れのまま、フランクフルト空港駅に到着。いやいや、長い旅であった。まずはここまで大きな事故やけが病気もなくなにより。罰金騒ぎはあったが、無事にオランダ鉄道完乗もでき、よかったよかった。5月のオランダ、何度も来ているが、そのたびにチューリップの深い色に感動してしまう。しかも今回は前半天気のはっきりしない日があり、偶然にも出ていた空の虹がまさにチューリップ畑の七色n花びらにマッチしていた、と本の一瞬ながらちょっと感動するひとときもあった。 さて、では飛行機に乗るとしよう。次に欧州にこられるのはいつの日だろう... 

 

☆☆☆☆

これで今回2006年5月の欧州旅行記は終了です。撮った写真は2500枚、現地で書いたメモ原稿はA4で50枚。最初はどうなるかと思いましたが、なんとかまとめることができました。長い期間に渡ってご愛読いただきありがとうございました。なお、未だ整理のできていなかった写真等はHPに順次上げていきますので、是非のぞいてみてください。 

また出かけてみたい、欧州。みなさんも是非どうぞ。

 

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このページは、2019年3月に保存されたアーカイブです。最新の内容ではない場合がありますのでご注意ください