このページは、2019年3月に保存されたアーカイブです。最新の内容ではない場合がありますのでご注意ください

都乃泉

(資)生駒高原酒造 宮崎県小林市

(2016.03.06)
本年、2016年(平成28年)は閏年。

朝食後、出勤まであまり余裕が無かったが、天気予報を確認するために朝刊(宮日ですよ。ハイ!!)をめくっていたら、地域欄に懐かしいラベルの焼酎が掲載されているのに気がついた。

焼酎の銘柄は「 都乃泉 」。かつては甘藷栽培の北限・・・と言われていた川南町にあった焼酎蔵“ 都乃泉 ”さんが醸していた焼酎である。先述のリンク先でも書いたのだが、この焼酎との出会いは学生時代の頃で、帰省の際、実家への土産を買いに蔵元を直接訪れたのが最初。以来、就職してからも、この蔵元のお膝元である児湯郡が初勤務地だったり・・・と公私にわたってお世話になった焼酎だ。

蔵が造りを止められたのは2009年(平成21年)であるが、 再末期 には長期熟成の麦焼酎とかぼちゃ焼酎を世に出し、慌てて買い求めた記憶がある。我が家の酒庫(・・・物置の一部を占拠している位で、たいしたもんじゃありません。)にも、この長期貯蔵の焼酎や樽貯蔵の甘藷焼酎“平成元年”を保管しているのだが、さすがに飲めない・・・ですヨネ。

個人的な思い入れのある銘柄なのだが、その「都乃泉」が復刻されるのだという。しかも、販売は3月1日。新聞掲載日の翌日に・・・だ。上記の記事によれば、2010年に発生した口蹄疫からの復興のシンボルとして、復刻の声が町民から挙げられたのがきっかけなのだそうだ。その後、町の商工会が復刻に向けて模索し続けていたところ、焼酎を造られていた都築氏と親交のあった“生駒高原酒造”さんの明石代表とのマッチングがなったという。焼酎は風土が醸すもの。原料や気候条件の差など、全くの再現は困難だが、今回の復刻に際し、出来うる限り当時の味わいを意識したブレンドがなされているとのこと。そして、うれしいことに、朱色の盃のラベルはそのまま採用された

話は変わるが、少し前に古い宮日新聞を眺める機会があった。

さすが、焼酎生産県・・・といった感じではあるが、地元のお祝い事や新聞社の花見企画・・・といったタイミングに乗っかって、焼酎蔵が公告を出す機会がある。これについては、機会があればページを立ち上げたいな・・・と思っているのだが、“都乃泉”の場合は、昭和59年の地元の尾鈴農協の合併10周年に際して公告を出すなどされていた。

今、お湯割りでこの焼酎を飲んでいるわけだが、一言で言うと、芋芋した美味しい焼酎だ。当時の「都乃泉」も甘藷の香りが強い焼酎だったと記憶しているが、この様にコガネセンガンの甘みの輪郭がくっきりと感じられる焼酎だっただろうか。記憶の糸をたどってみるのだが、おぼろげには思い出せるものの、7年という時間の隔たりは大きい。この復刻した“都乃泉”との比較ができないことがもどかしくも思えてくる。

そうして、ふと思うのだが、この復刻の成功に欠かせないのは“地元の協力”だ。少々厳しい言い方になってしまうかも知れないが、この記事でも触れられていた様に、当時、蔵を閉じられた主な要因としては後継者不足があったのだろう。だが、地元が買い支えられなかった側面も否定できないと私は考えている。

今回は5合瓶のみでの発売となるようだ。これを「成功」と言うためには、少なくとも1升瓶による販売の定番化が欠かせないと思う。それを実現させるためには、地元が声を挙げ続けなければいけないし、消費の実績も積み重ねる必要がある。少なくとも、以前の様にイベントに持ち寄られる寸志の焼酎が都城の銘柄ばかりであってはいけない。地元からの声だろ!ならば、行動で示す覚悟が求められる。

私は、強いエールを送りたいのですよ。
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