このページは、2019年3月に保存されたアーカイブです。最新の内容ではない場合がありますのでご注意ください

七尾鹿島の風景-2

<七尾市・観音崎付近の風景>
↑上の写真は、七尾市の崎山半島の先端にある鵜浦町の鹿渡島(かどしま)である。
島といっても、対岸とは、数メートルの距離で、浅い海の上に橋を渡して簡単にいけるようになっている。写真でみてわかるように建物が建っているが、これは能登の観音信仰の札所である。正確には 能登国三十三観音巡礼 札所第四番鹿渡島観音堂という。
 ではそれ以外の札所は?、と聞かれても実はよく知りません。(^^;; 
 ただ「七尾の歴史と文化」という本によると、第一番札所は、七尾の北方にある諸橋明泉寺とのこと(所在町名は調べていませんのでわかりません)。七尾市内には、他に、第5番札所の大田海門寺、第六番万行清水、第七番妙観院、第五番江曽観音堂の4ヶ所の札所があるそうです。また第3番は、能登島えの目嶽観音だそうです。
↑上の写真は、鹿渡島から観音崎の灯台の丘の方を見た写真である。
灯台が丘の上に小さく見えるのがわかるだろうか?
↑上の写真は観音崎の灯台の写真である。
昔は海上保安庁の人、いわゆる灯台守の人がいたらしいが、今は他のほとんどの灯台と同様無人である。毎年夏に、この灯台の丘で灯台祭りが行われています。
↓下の写真は観音崎の灯台から見た夕焼けに染まった立山連峰です。
<能登国分寺趾>
↑上の写真は七尾市国分にある能登国分寺址の写真である。横には資料館などもあって、能登の古代の様子を知ることができる。
能登の国分寺のことについては、 能登の歴史のページの「古代」のページ に、説明を詳しく載せているので、興味のある方はそちらを見てください。
<七尾フラワーパーク・のと蘭ノ国>
のと蘭ノ国は、平成12年みどりの日(4月29日)オープンした新しいテーマパークです。東京ドームのグランドの約13倍という広大な土地に、世界各国から蘭を収集した北陸最大の花と緑と食の楽園です。
施設としては、食遊館(イタリア料理、鮨などの飲食店、土産物屋など、蘭の販売など所)、蘭遊館(蘭の栽培温室)、薬草と香りのミュージアム、ふるさと果樹園キッズガーデン、他蘭の花がいたるところに植えてある広大なフラワーガーデンなどです。
2つ上の写真は駐車場の方から見た玄関(食遊館)の写真です。
右上の写真はガーデンの写真です。
上2枚の写真は、蘭ノ国の蘭遊館の写真です。
<親王塚>
 上の写真は鹿島町小田中にある親王塚である。畿内型古墳(円状部直径67m、高さ14.5m大型円墳、全長72mの帆立貝形古墳)で、三角縁神獣鏡、管玉、鍬形石(呪術的な石製腕輪)が出土している。この鏡は、邪馬台国の女王卑弥呼に賜ったという魏国の製品で、ヤマト王権が服属の証に、地方王権に配布したものといわれています。
 この古墳は北陸最大級の大型円墳(近年の研究で帆立貝形古墳と改められた)である。親王塚古墳の名は『平家物語』(巻第七)の中で、「木曽殿は志保の山打ちこえて能登の新王の塚の前に陣をとる」と現れるので、古くからこの地方の人々の間で、“親王塚”として親しまれてきたことがわかります。
 明治8年(1875)、能登国造(くにのみやっこ)の祖、崇神天皇皇子大入杵命(おおいりきねのみこと)墓として陵墓に指定され、宮内庁の管理下にある。
 すぐ近くには亀塚古墳などもあります。
(参考) 「能登の古墳」
<七尾市大田町・まどかけ古墳>
下の写真は、七尾市内大田火力発電所に近いところあるまどかけ古墳である。
<能登島町・須曽蝦夷穴古墳>
下の写真は、能登島の須曽蝦夷穴古墳のものです。東西21m、南北17mの方墳で、七尾湾に向けて開口する2つの横穴式石室は、板石を積み上げたもので、天井部の隅は、石を三角に持ち送る。板石煉瓦積みに似て、どこか異国風なので蝦夷穴などと名がついたのかしれないが、能登氏一族の墓と考えられている。学者によっては、その異国風な感じから、朝鮮半島の系譜をひき、渡来系氏族との関係が憶測されるという人もいるようだ。
(参考) 「能登の古墳」
<永光寺>
 ↑上の写真2枚は永光寺の写真である。ただいま修復中である。詳しいことを知りたい方は 「羽咋の歴史」 の方を見てください。
<気多本宮>
↑通称気多本宮神社、正式には能登生国玉比古神社です。羽咋の気多大社は、ここから勧請して建てられたものといいます。
<能登国総社>
↑能登国の総社である。今は能登国魂神社という。七尾市古府町にある。
<PS工法で日本で最初に造られた橋・長生橋の思い出>
旧長生橋 見ての通り、ほんの短い橋コンクリートであるが、これが日本で最初にプレストレストコンクリート(PSコンクリート)で作られた橋でした。なんとなれば、七尾市は日本において初めてPSコンクリートが作られた町だからです。しかしこの橋も今では、取り壊され、新しいも橋にかわっています。
<七尾軍艦所跡>
七尾軍艦所跡地 詳しくは、人物列伝の 「パーシヴァル・オーズボン」 のページをみていただきたい。
<公立能登総合病院>
 この病院もある意味で七尾鹿島の新しい風景の1つなので、取り上げた。七尾市西藤橋町の七尾高校横にあった病院が老朽化したのと、都市計画による新たな道路敷設の線上にかかることになったので、小丸山台のここに建て替えられた。
 同じ七尾市内にある民間経営の恵寿病院とともに能登の総合病院の双璧である。

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